ダンジョン攻略授業 最終日 その6
リオンは一歩、前へ出たまま視線だけを巡らせた。
今いるC等級ダンジョンの階層の広間。
崩れた岩盤、折れた柱、抉れた床――ありふれた地形の中で、
ただ一箇所だけ、異様に目を引く場所がある。
――右斜め前。
地面から突き出す、尖った岩の群生。
崩落によって露出した岩壁が、鋭い角度で折り重なり、
まるで壁のように連なっている。
(……あそこだ)
リオンは確信した。
あの岩壁なら、突進してくる獣蛇の動きを受け止められる。
刺さる。だが、致命にはならない。だが、動きを奪うには、十分だ。
リオンは短く告げる。
「……あそこを利用する」
仲間たちはリオンの狙いをすぐに理解する。
シエラの視線が岩壁へ走り、リーナが小さく息を整えた。
陽翔とセリナが、同時に視線を向けた。
「陽翔、セリナ」
声は低いが、迷いはない。
「黒淵の獣蛇に気づかれないように、先に回れ。あの岩壁の延長線上だ。準備を整えておけ」
陽翔は一瞬だけ息を呑み、すぐに頷いた。
「……分かった」
セリナも、静かに一礼する。
「承知しました、マスター」
二人が動き出すのを見届けてから、
リオンは振り返り、残る三人へ視線を走らせた。
「シエラ、リーナ、カイル」
名前を呼ばれただけで、三人の表情が引き締まる。
「黒淵の獣蛇の意識は、俺とシエラに向けさせる。お前たちは後ろから援護だ」
そして、右斜め前、尖った岩の壁を示す。
「誘導先は、あそこだ。時間がかかればこちらが不利になる。一気に壁に押し込むぞ」
短い言葉だったが、全員が作戦を理解した。
リオンは再び、黒淵の獣蛇へと向き直る。
「……行くぞ」
その声と同時に、戦闘が、本当の意味で始まった。
最初に動いたのは、シエラだった。
「――獣化!!」
咆哮と同時に、空気が震えた。
皮膚の内側で筋肉が膨張し、
小柄だった身体が、内側から押し広げられていく。
骨格が軋み、肩幅が広がる。
背が伸び、体躯が、一回り、二回りと巨大化した。
――肥大ではない。
質量そのものが、書き換えられている。
衣服が悲鳴を上げるように裂け、
丸太のようになった腕を振りかぶる。
「うおおおおおおおおおお!!!!!!」
シエラは、地面を蹴った。
突進。
黒淵の獣蛇の巨体へ、真正面から、拳を叩きつける。
轟音。
岩盤が砕け、衝撃が走る。
本来なら、押し潰されるはずの一撃。
だが、黒淵の獣蛇の体が、わずかに、だが確実に押し返された。
シエラは止まらない。
獣化した身体が、一撃の反動を押し潰し、次の動きへとつなげていく。
「――はぁっ! はぁぁっ!!」
拳が、肘が、肩が叩き込まれる。
連打。
衝撃が積み重なり、黒淵の獣蛇の巨体が、じり、と後退した。
踏みしめた地面が抉れ、岩片が弾け飛ぶ。
それでも獣蛇は倒れない。
だが――押されている。
その一瞬を、リオンは見逃さなかった。
「……今だ」
リオンは横へ跳ぶ。肩口に走る鈍い痛み。先ほど受けた一撃の傷が、動くたびに主張してくる。
(……っ、腕が上がりきらないか)
それでも、動きは止めない。
剣を振るい、獣蛇の注意を引き裂くように前へ出る。
噛みつき、尾の一撃。
どれも、来る方向が読める。
背後から、矢が初級魔法が飛ぶ。
カイルだ。
黒淵の獣蛇の固い皮膚にはほとんど効果はない。しかし視線が、ほんの一瞬ずれる。
その隙に、リオンは角度を変える。
正面ではない。
真正面に立ち続ける必要はない。
進ませたい方向に立つだけだ。
「――シエラ! 右だ!」
声が飛ぶ。
シエラは即座に反応する。獣化した脚で踏み込み、体当たりに近い一撃を叩き込む。
黒淵の獣蛇の体が、意図せず、進路を修正する。
その先、右斜め前、尖った岩の群生。
「良し……」
リオンは、内心で頷いた。
背後では、リーナの魔法光が瞬く。
麻痺、石化、毒の効果を打ち消す光がシエラの身体を包む。
「まだ行ける!」
その声が、支えになる。
一人なら、この距離、この圧力、この質量、到底、捌ききれない。
だが今は違う。
シエラが前で押し、カイルが散らし、リーナが支え、リオンが――導く。
黒淵の獣蛇は、前進しているつもりで、少しずつ、確実に――追い込まれていった。
岩槍の壁へ。
――おかしい。
黒淵の獣蛇――アビス・バジリスクは、冷静に戦況を分析していた。
最初に刃を交えた、最も小さな人間。あれには、すでに深い傷を与えている。
動きも鈍り、呼吸も乱れている。脅威ではない――はずだった。
だが、その代わりに、別の人間が、獣の姿へと変じた。
筋肉の密度、攻撃の重さ、正面からぶつかってくる、その圧。
(……今、最も厄介なのは、あの獣の人間だ)
本来ならば、我が毒は回り、麻痺は走り、石化が獲物を動きを鈍らせる。
だが、効かぬ。
何度、牙を通しても、何度、瘴気を浴びせても。
(……なぜだ)
思考を巡らせようとした、その瞬間、小さな人間と、後方の人間が放つ痛みはないが煩わしい魔法攻撃。
(……鬱陶しい……!)
アビス・バジリスクは、苛立ちを込めて咆哮した。
そのまま、巨大な身体を激しく回転させる。
尾が唸り、空気を裂き、土煙が舞い上がる。
一瞬。本当に、ほんの一瞬だが、人間たちの動きが、止まった。
その刹那、視界に入った。
獣化した人間の背後。
淡い光を放ち続ける、ひとりの人間。
あれだ。
(……あれが、原因か)
あの人間がいる限り、我の状態異常は意味をなさぬ。
理解した瞬間、迷いはなかった。
獲物の優先順位を、即座に書き換える。
(次は――あれだ)
黒淵の獣蛇の縦長の瞳が、静かに、しかし確実に光を放つ人間へと向けられた。
――順調だ。
リオンは、そう判断していた。
黒淵の獣蛇は、明らかに苛立っている。
先ほどの咆哮と無秩序な回転――冷静さを欠いた証拠だ。
(いいぞ……そのまま、熱くなれ)
理性を失えば、誘導は容易になる。
こちらにとっては、むしろ好都合。
そう考えていた、その矢先だった。
黒淵の獣蛇の喉奥が、赤黒く光る。
「――っ!」
吐き出されたのは、瘴気と呪土を圧縮した一本の魔力槍。
リオンは横へ跳ぶ。
シエラも、即座に踏み込みを変える。
今さら、こんな直線魔法が当たるはずがない。
(……悪あがきか?)
そう、思った瞬間、リオンの背筋を、冷たいものが走った。
黒淵の獣蛇が吐き出した一本の魔力槍、その延長線いる人物
「……リーナ!?」
光の中で、回復魔法を維持し続けている影。
獣化したシエラの背後で、ただ一人、動いていない存在。
(しまった……!こいつ……気づいたのか)
状態異常が効かない理由、異常な回復速度。
――原因が、誰か。
理解した瞬間、全身が硬直する。
(間に合わない……!)
叫ぼうとした、その時。
「リーナさん!!」
影が飛び込んだ。
カイルがリーナを抱き寄せ、そのまま身体ごと横へ転がる。直線上から、わずかに――だが確実に、位置をずらす。
次の瞬間、魔力槍が二人のすぐ脇をかすめた。
直撃は避けられた。しかし、カイルの背中が、灼けるように裂けた。
「――がっ……!」
声にならない声。
抱きしめたままの腕が、力を失い、二人の身体が、地面を転がる。リーナは無事だった。だが、カイルは、動かない。呼吸は浅く、身体の奥から、血の匂いが滲む。
リオンは、歯を食いしばった。
(……僕の判断ミスだ)
誘導は、正しかった。戦術も、間違っていなかった。
だが、順調だと油断した。
黒淵の獣蛇が冷静さを失ったと、錯覚した。
その一瞬の気の緩みが、今の状況を招いた。
視線の先で、カイルは、動かない。
戦況は、確実に最悪へと、傾いた。




