ダンジョン攻略授業 最終日 その3
「まずい……彼らがいるのは、C等級の“深部”……!」
サイラスは顔色を失い、別の職員が震える声で続けた。
「緊急帰還魔法が……作動しません!」
「当然だ。C等級には学園の安全装置が設置されていない……! そもそも学生が立ち入ること自体、想定されていない階層なんだ!」
監視室に緊張と焦りが走る。
「……つまり、もし戦闘になったら――」
「死ぬ可能性がある」
魔導スピーカーが途切れがちなノイズと共に響く。
『リオン・アルスレッド! そこは学園の安全装置が……!』
リオンは短く息を吐き、わずかに苦笑した。
「聞こえていましたよ……サイラス先生」
背後で、何かが地面を這う音がする。
「なので、救助班は“早め”にお願いできますか」
乾いた音が、闇の奥で鳴った。
「でないと――相当ヤバイです」
闇の奥から――
ずるり、と。
何か巨大なものが、地面を“引きずる”音がした。
湿った、重い音。
それは足音ではない。
獲物を逃がさぬために、あえて音を立てて近づく捕食者の音だった。
リオンの表情が、はっきりと強張る。
「……よりにもよって、こいつかよ……」
リオンには珍しく、焦りがその声に滲んでいた。
「おい! どういうことだよ!」
陽翔が叫ぶ。
「C等級って!? なんだよそれ! 説明しろよ!」
「い、いったい何が起きてますの!?」
セリナは完全に中二口調を失い、素の令嬢の言葉に戻っていた。
「ねぇ!? なんかチョーやばいの来てない!?」
リーナが、引きつった声を上げる。
シエラは、一歩も動かず、闇を睨み続けていた。
その顔色は、はっきりと悪い。
「……ダメだ……」
低く、掠れた声。
「強すぎる……。気配だけで分かる……勝てない……」
「え、え、え、えっと……!」
カイルが必死に記憶を探るように早口になる。
「C等級の深部いるっていう、確か……!上級モンスターの中でも“討伐例が極端に少ない”って……毒、石化、麻痺、高い再生能力……えっと、えっと――!」
リオンは一度、目を閉じた。
そして、はっきりと言い切る。
「よく勉強してるじゃないか、カイル」
ゆっくりと短剣を抜きながら、リオンは前に出る。
「ベテラン冒険者でもな……出会ったら“戦う”んじゃなくて、“逃げる”ことを選ぶとされている魔物……」
闇の奥で、何かが低く息を吐いた。
ゴォ……ォオ……
「――黒淵の獣蛇だ」
その名を告げた瞬間、闇の向こうで、巨大な影が、ゆっくりと姿を起こした。
黒く濡れた鱗。
地面を削るほど太い尾。
そして、闇の中で鈍く光る――二つの縦長の瞳。
それは、明確な敵意をもって、こちらを“見て”いた。
リオンは、仲間たちを背に庇うように一歩踏み出す。
「……いいか、全員、僕の後ろに下がって絶対に前に出るなよ」
声は低く、だが迷いはない。
「あれは、前回の“倒しにくいだけ”だった、なんちゃって上級モンスターとは違うぞ。こいつは――“本物の上級モンスター”だ」
剣先が、わずかに下がる。
「救護班が来るまで、なんとか時間を稼ぐ。お前たちは自分の身の安全を最優先しろ」
そして、はっきりと告げた。
「正直に言う。お前たちでは、こいつの相手は荷が重すぎる」
闇の中で、獣蛇がゆっくりと口を開いた。
――授業ではない正真正銘の生死をかけた戦闘の始まりだった。
リオンの姿が、掻き消える。
次の瞬間――
黒淵の獣蛇の側面に、幾筋もの斬撃痕が走る。
誰も見ていない。
剣を抜いた瞬間すら、視界に入らなかった。
「……っ!」
遅れて、リオンの姿が“そこに現れた”。
地を蹴り、風に溶けるように滑り込む。
刃が走る。
――疾風穿。
一点に収束した斬撃が、分厚い鱗の隙間を正確に貫いた。
間を置かず、リオンは踏み込む。
――迅牙裂斬。
風を裂く音とともに、数度の衝撃。
多段の斬撃が、獣蛇の胴を刻む。
その合間に、短い言葉が吐き出される。
「――風刃」
不可視の刃が、鱗の隙間を正確に削った。
表皮が裂け、黒い血が噴き出す。
「――雷纏」
刃に雷光が走る。
次の一撃が、獣蛇の首元に突き刺さった。
バチバチッ――!
雷が体内を駆け巡り、黒淵の獣蛇が苦悶の咆哮を上げる。
「すげぇ……」
学園で習うことのないスキルに高速詠唱。その異次元の戦いに仲間たちは茫然となる。
今までリオンが戦ている姿は何度も見てきた。しかし、それはリオンの実力の一端でしかなかったのだと知る。
「これ救助班が来なくても、リオピーが一人で倒しちゃうんじゃあ……」
一瞬、誰もがそう思った。
だが――
裂けた肉が、ぬめるように蠢く。
削ったはずの傷が、みるみる塞がっていく。
「……再生速度が異常だ」
シエラが低く呟いた。
「今の攻撃量でも、致命に至らない」
次の瞬間。
黒淵の獣蛇が怒りに満ちた咆哮を上げ、尾を振り抜いた。
リオンは跳び、受け流す。
だが、衝撃は完全には殺しきれず、身体が宙を舞った。
壁に叩きつけられ、転がる。
リオンは即座に転がり、剣を構え直した。
息は荒いが――まだ、動ける。
――だが。
シエラの言った通り、その怒涛の剣技と魔法でも致命傷には至らない。
このまま続ければ、削られるのは、間違いなく、リオンの方だ。
「クソ……だから、こいつの相手は嫌なんだ……」
舌打ちを噛み殺しながら、リオンは距離を取る。
自分がパワーで押す戦士ではないことは、誰よりも分かっている。
小柄な体。筋力も、純粋な一撃の重さも、並の前衛以下だ。
だからこそ――
技と速度。
相手の死角に潜り込み、気配を断ち、懐へ入る。
急所を突き、仕留める。
それが、リオンの必勝法だった。
だが。
黒淵の獣蛇――アビス・バジリスクには、それが通じない。
蛇型の魔物特有の感覚器官であるピット器官。
熱、鼓動、呼吸、わずかな体温変化――
どれほど完璧に気配を殺しても、“生きている限り”見抜かれる。
隠密は意味をなさない。
背後に回った瞬間には、すでにこちらを捉えている。
加えて――
毒。
麻痺。
石化。
一度でも直撃すれば終わりの異常攻撃。
懐に入るという行為そのものが、致命的なリスクを孕んでいる。
(……相性、最悪だ)
心の中で吐き捨てる。
これほど自分の戦術を否定してくる敵は、そう多くない。
(くっ……)
息が、荒い。
肺が焼けるように痛む。
(……息が上がる……体が、いてぇ……)
魔契戦争から十五年。
エルフの血を引くこの身体は、見た目も肉体年齢もほとんど変わっていない。
だが――
全盛期と同じでは、ない。
長く実戦から離れた生活。
平和な日常。
無理をしない動き。
それらに慣れた身体が、かつての速度と負荷を拒絶している。
全盛期と同じ動きをすれば、こうなる。
筋肉が悲鳴を上げ、関節が軋み、呼吸が追いつかない。
(……それでも)
視線の先で、黒淵の獣蛇がゆっくりと鎌首をもたげる。
仲間たちは、背後にいる。
(ここで、引けるかよ)
リオンは剣を握り直し、重心を落とした。
それは、守るための構えだった。




