女神と話させろ
その日の訓練が終わっても、陽翔はほとんど口をきかなかった。
寮に戻るなり、ベッドに突っ伏し、顔を枕に押し付けたまま動かない。
リオンはどう声をかけるべきか迷いながら、その様子を見つめていた。
すると、陽翔が突然、勢いよく顔を上げる。
「女神と話させろ……」
「は?」
「女神と話させろって言ってんだ!!」
怒鳴るように叫ぶ陽翔の声が部屋に響く。
「おかしいだろ!? 俺、異世界に転生してから、全然活躍できてねぇんだぞ!異世界って言ったらチート能力で俺TUEEEEして、みんなが俺のこと褒めてくれて、女の子にもモテモテになるって決まってるだろ!?それがなんで、蓮だけチート無双でモテモテで、俺は武器も魔法もダメダメなんだよ!?絶対ギフトに欠陥があったんだ!あれ、ハズレだったんだよ!返品!交換!女神に直訴する!!」
まくし立てるように不満をぶちまける陽翔に、リオンはやれやれとため息をついた。
軽く眉をひそめながら、机の引き出しを開け、小さな木箱を取り出す。
それは、女神から授かった、連絡用の神具だった。
「……どこまで面倒なやつだよ。あんまりこれは使いたくなかったんだけどな」
ぼやきながら、部屋の扉に鍵をかける。
この時間、カイルはいつものごとく、別室で魔道具をいじっているはずだが、万が一戻ってこられたら厄介だ。
箱の封を解くと、柔らかな光が辺りを満たし、空間が一瞬きらめく。
すると、今までいた寮の部屋が様変わりして、別の部屋に変わる。
「うおっ!な、なんだこれ!?」
「僕たちと女神さまの部屋を疑似的につなげたんだよ。あくまで疑似的にだから、場所が移動したわけじゃない。こっちから向こうの人や物には触れないし、あっちからもこっち側には触れられな……うおっと!」
「リオンキュン!!」
女神の部屋と自分がいる部屋を疑似的につなぐ神具の説明をしているところでいきなり誰かに抱き着かれ、押し倒られる状態になるリオン
「あっちからもこっち側には触れられない、が、例外があってな女神様からは何故かこっちにいる人物を触れられる」
女神に抱き着かれながら淡々と神具の説明をする。
「寂しかったぞ、リオンキュンせっかくいつでもワシと会える神具を渡しているのに、全然連絡してくれないんだもん」
「いや、まあ、色々と忙しもありまして……」
本当のところはただめんどくさくなるだけなので、使わなかっただけなのだがそれは言わなかった。
「おい、リオン、お前何をしているんだ?」
やや低めの声が響く。振り返ると、やはり現れたのは彼――エドモンドだった。
「よお、エド。久しぶりだな。……こんな時間にここにいるってことは、また残業か?」
「そうだ。この怠惰な女神が、また仕事を溜め込んでいるからな。説教しに来たところだった……って、そうじゃない! なんでお前が、この部屋にこんな簡単にアクセスしてる!?」
額に青筋を立てながら詰め寄るエドモンドに、リオンは肩をすくめてみせた。
「そりゃあ、女神様が僕に『いつでも会いに来ていい神具』をくれたから、ってだけの話だよ」
「勝手にそんなもの渡すな!!いいか!ここは、教会の人間ですら限られた者しか立ち入れない、神聖な女神専用空間なんだぞ!?一介の非常勤職員に、簡単にアクセスする権限を与えてどうする気だ!!」
「ああ、うるさいのう。その神聖な女神が、“いい”と言っておるんじゃから、それで問題なかろう?」
いつの間にか、女神はリオンの背後にぴったりと貼り付くように立っていた。
口をとがらせながら、ふんぞり返って言い放つ。
「いいわけあるかぁああああっ!!」
エドモンドの叫びが、神聖な空間に響き渡った。
「ええっ……女神様って、こんなキャラだったっけ?」
その様子を見ていた陽翔が、ぽつりと呟いた。
どうやら、彼が召喚されたとき、セリスはちゃんと威厳に満ちた“女神の姿”で接していたらしい。
そして、その声に気づいたセリスが、はっと表情を引き締める。
「……おっと、いたか。ふふん。よくぞ参ったな、勇者候補ハルトよ。――して、何用じゃ?」
急に咳払いしながら、奥の豪奢な椅子に腰掛け、無理やり威厳モードに入るセリス。
「いやいや、セリス様。いまさらそんな“よそ行きモード”されても、遅いですよ」
リオンが即座に突っ込みを入れた。
なお、セリスは聞こえないふりをしている。
「まあいいか……そんなことよりギフトですよ! ギフト!」
陽翔は両手を広げて叫ぶように言った。
「俺が欲しかったのと全然違くて、全然使えないし、活躍もできないし!同じ転生者の蓮はあんなに活躍しているのに、もしかして、くれたギフト、間違ってたんじゃないですか!?」
それまで我慢していた不満を、ついに爆発させる陽翔。
「ふむ……まあ、蓮とそなたでは、ギフトの性質がまるで違うからのう。求めたものも、与えたものも別物じゃ」
女神セリスが、わりとあっさり言ってのける。
「……お前、そもそもどんなギフトが欲しいって言ったんだ?」
リオンがふと問いかける。
陽翔のギフトの性質は、すでにリオンは把握している。しかし、どうにも陽翔自身の認識と齟齬がある気がしていた。
陽翔は勢いよく言い返す。
「それはもう、当然、万能で、チートで、剣も魔法もスキルも、全部使えるやつに決まってるじゃないか!だって異世界転生っていえば、そういうもんだろ!? “俺TUEEEE”のフルセットだろ!?俺、ちゃんとそう言ったはず!」
「ふむ……そう言っていたかのう?」
女神セリスが、少し意味深に口元を緩めた。
「え? ……何ですか、その反応」
陽翔が怪訝な顔を向けると、セリスが手をかざす。
「では、映像で振り返ってみようではないか。当時の、そなたの“神前面談”をな」
その瞬間、宙に魔法陣が展開され、淡い光が空間を切り裂くように流れ出す。
そこに映し出されたのは――異世界転生が決定したばかりの、陽翔本人の姿だった。
「うおおっ、マジで転生できるの!? 異世界って、ガチ!? やばい、テンション上がるぅぅ!」
初対面の女神を前に、興奮で小躍りする陽翔。
「チート能力は!?チート能力は!? やっぱり剣かな、魔法かな……でもスキルも欲しいし……うーん、やっぱり異世界転生っていえば、剣も魔法もスキルも、ぜ~んぶできるのが王道だよな!」
「……つまり、すべての才能を最高にしてほしい、ということか?」
「そうそう!それそれ!全部盛り!万能で最強にして!」
「――ならば、すべての才能を最大限に高めてやろう。それならば、努力次第で“何でも”できるはずじゃな」
「よっしゃああああ!これで異世界で俺TUEEEEして、モテモテ間違いなし!!」
「……」
「……」
「……ああ、やっぱりな」
リオンが半眼で呟いた。
「そ、そんなの聞いてない! 俺、“才能を最大限にする”とか、“努力が必要”とか言われた覚えないんですけど!」
「お前、完全に浮かれて話を聞いてなかっただけだろ」
リオンの冷たいツッコミが刺さる。
「いやいや、でもでも、こんな感じのテンションの時にあんな大事な話されても……!」
「知らん。それでもこれが現実だ」
リオンは事実を突き付ける。
女神セリスは、ため息をつきながら問いかけた。
「そもそも、お前は――このギフトを、どのようなものだと思っておったのじゃ?」
その言葉に、陽翔は少し気まずそうにしつつも、語り始める。
「え、いや……その……異世界っていえば、だいたい“全部できる”系じゃないですか?例えば、スマホひとつでなんでも分かって、魔法も全属性使えて、王女たちから惚れられて、戦えば魔獣もワンパンで、現地の技術とか進めちゃったりして……」
「……」
「……」
「……」
リオンとエドモンドとセリスはあまりにも馬鹿なことを言う陽翔を冷たい目で見る。
あまりにも堂々とした妄言に、ツッコむ気力すら削がれている。
だが、陽翔はその空気に気づかず、さらに続けた。
「えーと、それで、気づいたら国の中心人物になってて、領地とかもらって……最終的には神とか精霊とかから“この世界を頼む”とか言われて、みんなから『勇者様!』って称えられる、みたいな?そういう感じ、じゃないですか?俺、そうなるもんだと……」
「た わ け」
女神の声が、いつになく低く響いた。
「そんな、ギフトがあったら世界のバランスが崩れるわ、仮にあったとしても一介の人間に与えてたまるか。神託で領地をもらい、戦えば無敵、女どもがひれ伏し、文明すら押し上げる?神や創造主にでもなるつもりか?イヤ、もうそれは破壊者じゃな」
「え、ええっ!?でもでも、異世界転生っていえばそういうもんかと……」
「そういうもと言うが、そなたは何を“参考文献”にしておったのじゃ?」
「そ、それは、ネットかラノベとか……」
「愚か者!!この世界はな、娯楽の舞台ではないのじゃ!!なんの努力もせず何かを得ようとするな!!」
女神の雷のような一喝に、陽翔はビクッと肩をすくめた。
しかし、今までのやり取りを黙って聞いていたエドモンドが、ついに声を上げた。
「それをお前が言うなああああああ!!」
だがセリスは、その怒声をあっさりとスルーし、話を締めくくろうとする。
「さて、ワシからいえる事はここまでじゃ、このギフト自体はギフトの中でも強力な方なのじゃ、後はお前次第、研鑽に励むとよい」
エドモンドの怒鳴りを完全に無視して、淡々とまとめに入りかけるセリス。
しかし――
「まず、お前が研鑽に励めぇえええええっ!!」
エドモンドの雷鳴のような怒声が、神域の空間に響き渡った。
「何じゃさっきから、神聖な空間で大声を出すな!耳が痛いわ!」
そこから、怒涛の口論が始まった。
「いつもいつも仕事を溜めておいて、偉そうに説教するな!貴様が今、努力するべきだろうが!」
「うるさいのう!女神はな、悠久の時をもってゆるりと動くものなのじゃ!」
「ゆるりとしすぎだろうが!!この世界で一番働いてない女神だぞ、お前!!」
「そ、そんなことないもん!! 最近はちゃんと書類にも目を通しておるし、印も押して……」
「その印、半分寝ながら斜めに押してただろうが!!」
――いつも通りの応酬が始まってしまった。
セリスとエドモンドの言い争いは、ひとたび始まれば容易には止まらない。
その様子を少し離れた場所から見ていたリオンは、ため息をついた。
「……もういいか。要件は済んだしな」
そう呟いて、懐から神具の小箱を取り出す。箱の中央に手をかざし、魔力を流し込むと、辺りに満ちていた光が少しずつ薄れていく。
「じゃあな、エド。また何かあれば連絡するから」
当然ながら、返事はない。
エドモンドはセリスの「一日三食のうち二食しか食べてない!」という謎の反論に対し、全力で論破しようと必死だった。
「……ダメだ、完全に会話になってないな」
リオンは肩をすくめると、光が収束しきるのを確認してから神具を完全に停止させた。
次の瞬間、風景がぐにゃりと揺らぎ、二人は元の寮の部屋へと戻っていた。
空気は夜の静けさを取り戻し、喧噪は夢のように遠ざかっていた。
部屋の片隅で、陽翔がベッドに腰を下ろし、うなだれていた。
「……そんな、こんなの俺が求めていた異世界転生じゃない……」
その呟きに、リオンは静かに歩み寄り、言葉をかける。
「こうなった以上仕方ない、明日から放課後、特訓するぞ」
「……えっ!? ちょ、ちょっと待って、それ本気で言ってるのか!?」
「僕だっていやだよ、時間外労働なんて。でも、今のままじゃ任務失敗になるし……お前だって、この世界に来た意味がなくなるだろ?」
「う……」
陽翔は口を閉ざした。
反論できる言葉は、もう残っていなかった。
「……わかったよ。やるよ、特訓」
「うん。そのほうがいい、そう落ちこむな。女神様も言ってただろ?ギフト自体は強力な物だって?やり方次第で、蓮にも僕にも届かない高みに到達できるかもしれないぞ」
リオンは何とか陽翔をその気にさせようとおだてる。
「ん~……ああ!!くそおおおおお!!やってんやんよ!!特訓でも何でもよ!!それで、俺TUEEEして、モテモテになって、ハーレム作れんだろ!?」
「イヤ、それは分からんが……」
「なんだよ! のせるなら最後までのせてくれよ!!」
やけくそになって叫びながらも、最後までおだてきれなかったリオンに全力で文句を言う陽翔だった。




