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ハグロ・ジンザエモンという男

 その日、山小屋の外には雪が静かに舞っていた。

 焚き火の煙が小さく揺れ、火花がぱちりと弾ける音が、妙に耳に残る。

 リオンは、焚き火を見つめたまま、声を震わせていた。

 「……ど、どういうことですか、師匠……?」

 小さな火の向こうに立つのは、いつも通りの姿勢のハグロだった。背筋は伸びていたが、その顔はどこかやつれて見えた。

 「言ったとおりだよ、不治の病ってやつだ。もう、俺は長くねえ」

 「……そんな、突然すぎるでしょう……。昨日まで普通に稽古してたじゃないですか!」

 「ふっ、シノビってのはな、死に目を他人に見せるもんじゃねぇんだよ。お前にだけ、ちょっと例外ってだけだ」


 リオンはこぶしを握りしめる。雪の冷気が肌に刺さっても、それどころじゃなかった。

 「他人だなんて……僕にとって、あなたは……! 生まれてすぐ孤児院に捨てられて、両親を知らない僕にとって、あなたは――まるで父親みたいな存在で……!」

 ハグロは一瞬だけ、言葉を失った。

 だが、すぐにふいと視線をそらし、背を向ける。

 「泣くんじゃねぇよ……。それに、父親ってのは柄じゃねぇ。お前があんまりしつこく追い回すから、気まぐれで拾って、弟子にしてやっただけだ」

 リオンは唇を噛む。

 「でも……!」

 「でもな」


 振り返ったハグロの目には、焚き火の灯りが揺れていた。

 「お前と過ごした七年、悪くなかったぜ」

 言葉少なにそう告げると、ハグロはくるりと背を向け、雪の中へと歩き出した。

 その背中を、リオンは追いかけようとし――だが、足が動かなかった。

 「ありがとうございました、師匠……!」

 振り絞るような声が、白い空に溶けていく。

 雪が音もなく、少年の頬を打っていた。


「……とか、何とか言ってなかったか?」

 訓練場の隅、リオンは腕を組みながら、険しい目でハグロを睨みつけていた。

 周囲には聞こえない声量だが、刺すような怒気が込められている。

 「え~、そんなことあったっけ?」

 「ボケてんじゃねえ、こっちは本気で泣いたんだぞ……」

 「ははは、悪かった悪かった」

 ハグロは、何事もなかったように涼しい顔で笑う。


 「しかし、お前見た目は変わってないねぇけど、三十路超えてんだろ?なんで、学生なんかやってんだ?」

 「詳しくは言えないけど、仕事なんだよ。それよりこっちの質問の答えろ。なんで死んだはずのジジイが、王都で特別講師なんかやってんだよ」

 「それがな。俺は無駄に頑丈でな、お前が山を下りたあとも、しぶとく何年かは生き延びちまったんだよ」

 「……そうなのか。でも、命に関わる病には変わりなかったんだろ?」

 「そうそう。いよいよ“終わりかもな”って思ってな、最後に王都に来てみたわけよ。そしたらよ――」

 ハグロはそこまで言って、愉快そうに笑った。

 「いやぁ、召喚者って奴らだっけ?すげーなあ。俺の病、てっきり不治のやつだと思ってたのによ? あっという間に治しちまうんだから」

 「……は?」

 「ほら、魔導再生治療?なんとかナノ?そんなので、血管の詰まりがどうとか、臓器の再構築がどうとか言ってたな。難しいことはわからんが、まあ、元気になったってわけよ。ははははははっ」

 「……はははは、じゃねぇよ!!」

 思わずリオンの拳が震えた。


 「まあまあ、怒るなって。生きてたのは、俺にとっても想定外だったんだよ」

 リオンは深く溜息をついた。怒りを通り越して呆れが勝っていた。

 「で、なんでその“想定外”の生命力で学園講師やってんだ?」

 「そりゃあ、お前。今の王都って、めちゃくちゃ便利になってんのよ。飯もうまいし、酒もうまいし、娯楽もよりどりみどり。ほら、あの、動く劇とか、光る娯楽端末とかさ――ただ、そのためには金がいるだろ?」

 「要するに、俗世間の甘味に毒されたわけか?」

 「そういう言い方するなよ。老い先短いジジイのささやかな楽しみじゃないか」

 「何が“老い先短い”だ……。あんた、あと何十年も生きそうな顔しやがって」

 「んー、そうだなこの感じだと後、二、三十年? それくらいはいけるかな」

 「もうさっさと退場してくれ」

 リオンは冷淡に突き放す。


 「なっ……お前、それが父親みたいと慕った師匠に対するこ言葉か?」

 「僕の中にある、あの尊敬できる誇り高い孤高のシノビ、ハグロ・ジンザエモンは死んだよ。俗世に毒されて、『自分が認めた奴にしか俺の技術は教えん』とか言ってた人が、金のためにあっさり技術を売り渡すよな人はもう師匠でも何でもないよ」

 リオンはゴミを見るような冷たい目でハグロを見る。


 「お、おい、そういう言い方はねぇだろ?俺の技術を学園に提供することで、騎士や冒険者の全体のレベルも上がって、騎士団や冒険者ギルドからも感謝されてるんだぜ!社会貢献だよ!一子相伝なんて今時流行らねえよ!」

 「社会貢献ね……何が《王立騎士式バトルアーツ》だよ。シンエイリュウの基礎を、見栄え良く並べ替えただけじゃないか。しかも、教え方も緩いし、僕の時とは全然違うじゃないか」

 「そりゃあ、こっちは“王立魔法学園の生徒”を指導してるんだ。身元もろくに分からん、得体の知れないガキじゃないんだ。死んだらどうするんだ?」

 「じゃあ、僕は死んでも良かったのか!!」

 「ま、結果的に生き残ったから問題ないだろ? ほら、命あっての今の笑顔だ」

 「どの口が言うかァァ……!!」

 リオンは内心、はらわたが煮えくり返る思いだったが、それ以上言っても無駄だと判断し、一度気持ちを切り替える。

そして視線をカリキュラム表に落とし、《王立騎士式バトルアーツ》そのものについて口を開いた。


 「……にしても、あの流派をベースにしてこの内容かよ」

 リオンは学園から渡されたカリキュラム表をめくりながら、眉をひそめた。

 「基礎動作、姿勢保持、瞬間重心移動……ぜんぶ実戦向きっちゃ向きだけど、どれも“地味”じゃねえか。派手な剣技はどこ行ったんだよ。昔はもっと色々教えてただろ」

 リオンの指摘にハグロは、面倒そうに頭を掻いた。

 「お前なあ……アレはあくまで“選ばれた奴”向けのカリキュラムだったんだよ。今のは“全体に通じる基礎”を元に編纂したものだ」

 「つまり、才能がないやつ用ってことか?」

 「違う。才能が“あろうがなかろうが”ちゃんと鍛えれば戦えるようにするための構成だ」

 ハグロは指を一本立てて、続けた。


 「実戦で使いこなせるようになるまでに時間がかかったり、厳しい修行を要したり、特別な筋力や反射神経が必要だったり……そういうスキルは、編纂時に全部省いた」

 「“出来る奴”に合わせた指導じゃ、全体の底上げにはならん。だったら、基本とシンプルなスキルだけを徹底して教える。そっちの方が三年後には確実に強くなってる」

 リオンは目を細めた。

 「それで……“あの超絶スキル群”をお蔵入りにして、“スキル精度”一本に絞ったってわけか」

 「その代わり、あの流派の“基礎理論”だけは残した。動作、感覚、意識の流れ。そこからどう伸ばすかは、使い手次第だ」


 ハグロの目は、一瞬だけ昔と同じ“厳しさ”を宿した。

 「……鍛え上げた基本ってのはな、どんな才能にも勝つんだよ。地味だけど、そいつが最後に残る」

 「アンタがそれ言うか。散々、僕には応用技を叩き込んどいて」

 「お前にはそれだけの価値があると思ったんだよ」

 「今更、褒めてもあんたに対する評価は変わらないからな」

 「……ちぇっ。素直じゃねぇなぁ。昔はもうちょっと可愛げがあったのによ」

 ハグロは年甲斐もなく口をとがらせ拗ねる。

 リオンはその様子に、呆れながらどこか懐かしさを感じるのだった。

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

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