上級生との模擬戦 その2
生徒会長クラウスの手が、空中で静かに振り下ろされた。
「──始め!」
その号令と同時に、蓮が地を蹴った。
観客席に風が吹いたかのような錯覚。
蓮の姿は、まるで一陣の風となって敵へと向かっていた。
(初手から距離を詰めるか……)
リオンはわずかに目を細め、蓮の動きに見入る。
(悪くない判断だ。──ヴァルトハイム家は魔法剣士の名門。剣と魔法の両方を使えるが、言い換えれば、どちらか一方の“専門家”というわけではない)
ジークフリートが剣を構え直す間もなく、蓮の剣が迫る。
その動きに、一瞬観客席がざわついた。
(蓮は、元の世界で剣術を習っていたと言っていたな。あれは、いわば“平和な世界の競技剣術”だ。命を賭ける殺し合いとはまるで違う)
しかし──
ガンッ!
金属が激しく打ち合う音が、場内に響く。
蓮の剣が、ジークフリートの上級魔導剣を真正面から受け止め、押し返したのだ。
(それでも──押してる……!)
リオンの瞳が驚きに揺れた。
(神剣の極意。蓮の持つギフトだ。確かに、あの力が上乗せされている。けど……それだけじゃない。あの動き、間合いの取り方──積み重ねた努力が滲み出てる)
観客席の喧騒が、徐々に変化していく。
最初は「ただの平民」「粗末な剣」と嘲っていた声が、次第に“沈黙”へと変わっていく──それは、目の前で繰り広げられる、想像を超えた攻防に圧倒された証だった。
(……本当、努力したんだろうな)
剣に込められた仲間の想い。
磨き上げた技と、勇気。
蓮のすべてが、今、戦場にぶつけられている。
何度目かの剣の打ち合いのあと──
ジークフリートは苛立ったように一歩下がり、剣先をわずかに下げた。
「平民ふぜいが……調子にのるなッ!」
怒声が、闘技場に響いた。
ジークフリートは舌打ちひとつ、剣を片手に持ち替えると、空いた左手を掲げる。
その手首には、複数の魔力回路が彫り込まれた銀の腕輪──魔導腕輪が嵌められていた。
さらに右手には、魔法の輝きを宿す黒曜石の指輪──《キャスト・リング》。
「──炎よ、喰らえ!」
咆哮とともに放たれたのは、宙を裂くような【火焔の槍】。
左手の《キャスト・バングル》が中級魔法の詠唱を一瞬で終わらせ、爆発的な魔力を放出する。
「っ……!」
炎の奔流を察知し、蓮は即座に身を捻って地面へ飛び込む。焦げた空気が頬をかすめた。
すぐさま、右手の《キャスト・リング》から連射される【火球】が二発、三発と続く。
牽制と追撃を織り交ぜた、遠近両対応の戦術。
観客席がざわめく中、リオンは腕を組みながら小さく唸った。
(今は自動詠唱の杖だけでなく、あんな腕輪や指輪式の物まであるのか……)
技術の進歩に驚きつつも、リオンはすぐに視線を蓮に戻す。
剣で決着をつけたい蓮は間合いを詰めようとするが、ジークフリートは魔法の連射でそれを阻む。一歩進めば、二歩分の距離を魔法で押し返される──そんな攻防が続いていた。
(まずいな。蓮も魔法の適性はあるはずだが、まだ実戦経験が浅い。距離を取られて、魔導具でテンポよく撃たれると、防戦一方になるぞ)
蓮は舞台上を縦横無尽に駆け、ジークフリートの魔法を紙一重でかわし続け、何とか致命傷は避けていたが、確実にダメージは蓄積されていく。
「逃げるなよ、平民ッ!」
ジークの罵声が飛ぶ。
その刹那──蓮の瞳が鋭く光る。
「──神剣の極意出力最大!」
彼の体を淡い光が包み、その動きが一変した。
爆風を裂くように風が巻き上がり、次の瞬間、蓮の姿は視界から消えた。
「なっ──!?」
「消えた!?」
「速すぎる……」
「今、瞬間移動したのか!?」
観客席から一斉に驚きの声が上がる。最前列の生徒たちは思わず身を乗り出し、3年生の貴族の子弟たちでさえ目を見張った。
ジークが驚愕する暇もなく、蓮の気配が背後に迫る。
ギリギリのところで身体を捻り、魔導剣で受け止めた。
鈍い金属音が響く。
(速い──今までとは段違いの速さだ!)
ジークフリートの顔に焦りが滲む。剣を構え直す間もなく、蓮が再び踏み込む。
「っ、ちょこまかと……!」
振るう剣は空を切り、蓮の姿はすでに側面に回り込んでいた。
高速の斬撃がジークの防御を削る。受け止めるたびに腕に重みがのしかかり、追い詰められていくのがはっきり分かる。
「くそ……っ!」
ジークは強引に跳び退き、距離を取る。
その刹那、足元から淡い魔力の波動が広がった。
「──出ろ、《土壁》!」
バン、と鈍い音と共に地面が盛り上がり、巨大な土の壁が蓮の前に現れた。
進路を完全に塞ぐように、次々と壁が生えていく。
(なるほど、スピードを殺す気か……)
リオンが唇を引き結ぶ。
ジークは壁の後方に下がりながら、隙間から魔法を連射する。
火球、氷弾、風刃──初級魔法を連発しつつ、蓮の動きを止めようとする。
「今度はこっちの番だ、平民……ッ!」
ジークの声が壁の向こうから響く。
蓮は立ち止まらない。土壁の出現位置とタイミングを読み、一気に駆け上がる──が、登れば即座に側面から火球。
飛び退けば背後から風刃。
回避すれば足元に土の杭が突き上がる。
完全に土と魔法による“迷宮”に追い込まれた形だった。
(……なるほど、正面からの勝負を避けて、持久戦に切り替えたか。防御に徹したジークが、反撃の糸口を狙っている……)
土壁が次々と出現し、蓮の前に立ちはだかる。切っても切っても、すぐに新たな壁が形成される。切り伏せたはずの進路は、まるで意思を持つかのように塞がれていく。
(……まずい)
蓮は奥歯を噛みしめた。
神剣の極意の出力を最大まで引き上げたままでは、動きこそ速いが、その代償として、体の内部に掛かる負荷は尋常ではない。
(長くは保たない……このままじゃ、削られて終わる)
乱れた呼吸のまま、蓮は歯を食いしばる。視界の先、無数に立ち塞がる土の壁。幾度切り伏せても、また立ち現れ、隙間から放たれる魔法が容赦なく肉体を蝕む。
そのときだった。
「蓮っ! 信じてるから!」
「……負けるな、バカ!」
「蓮ならできる。最後まで立って!」
観客席から飛ぶ、風華、美咲、瑠奈――そしてAクラスの平民たちの声援。
蓮の胸に熱いものがこみ上げてくる。
(……俺は、独りじゃない)
思わず視線を落とすと、握り締めた剣が、小さく震えているのが見えた。
皆がくれた、大切な一本。何の飾りもない、けれど……温かい剣。
そこでふと、脳裏に浮かんだのは――
──『神剣の極意には、神剣召喚という力も備わっておる』
──『お前の世界の神話に登場する剣をこの世界に顕現させる、特殊な術法じゃ』
──『じゃが、それは簡単に使いこなせるものではない。強い負荷を伴い、そして“触媒”が必要になる』
──『ただの上級武器ではダメじゃ。その剣に込められた思い、それが何よりも大切なのじゃよ、蓮』
かつて、女神セリスにそう告げられた時の言葉。
思いが込められた剣――
蓮は、今こそその意味を理解した。
(上級武器じゃなくていい。この剣に、みんなの願いが込められているなら──)
「……賭けるしかない!」
蓮は震える手で、そっと剣を握る。
「……来い、神剣召喚──天羽々斬!」
振るわれた剣に応じるように、空間がきしみ、眩い光が爆ぜた。




