戦場で戦える勇者を召喚しろ
「それじゃあ、報告してくれ」
召喚審議官エドモンド・サン・クレアは報告を促す。
事務机に座るその男は、後退した生え際に白髪が混じり、眉間には深いしわが刻まれている。その姿はどう見ても四十代、下手をすれば五十代にすら見える。
だが、よく見れば肌には意外なほどツヤがあり、瞳にはまだ衰えぬ光が宿っている。本来の年齢より老け込んで見えるのは、日々の激務とストレスのせいだろう。そこにやけに小柄な人物が報告書を読み上げる。
「はっ、勇者候補NO.40ですが、元いた世界では医者だったらしく、山間部での流行病を根絶、その後、王国医療チームに合流し医療技術進歩に貢献しているそうです」
「そうか、ザンヴェット村とその付近から、流行病を何とかしてほしいと依頼が来ていたからな。医療チームとも合流して、医療技術が進歩するのは国を守る上で重要な事だ。次は」
「はっ、勇者候補NO.56ですが、元いた世界では農業に携わっていたらしく、その知識と技術を広めたおかげで食料の生産効率が向上したそうです」
「農業か…まあ、食べ物は大事だな。流石に戦力を生み出すわけでもないが、良い貢献だ。次は」
「はっ、勇者候補NO.61ですが、元いた世界で料理人だったらしく、居酒屋を開いたようです。料理がおいしいと評判で連日、一般庶民だけでなく、冒険者や兵士でにぎわっているそうです。」
「・・・・まあ、おいしい料理と言うのは、日々の活力につながるからな。兵士の意欲も上がるだろう。次は」
「はっ、勇者候補NO.72ですが、元いた世界では、アイドルのプロデューサーなるものをしていたらしく、猫耳の獣人を使ってアイドルグループを作り、今王国でも大人気らしいです。」
「ぶ、文化や娯楽の発展は国民の楽しみを増やすからな、き、きっと王国にとって良い影響をもたらしてくれるだろう。次!」
だんだんとエドモンドの表情は険しいなっていくが、報告者は淡々と報告を続ける。
「はっ、勇者候補NO.91ですが、、元いた世界ではブラック企業に勤めていたらしく、異世界に転生できたのだからと、女神様から頂いた特殊能力を活かし、のんびりスローライフを送っているようです。」
ガタ!
エドモンドは勢いよく椅子から立ち上がると、そのまま部屋の扉に向かう。
「ちょっと、席を外す」
そう言って、エドモンドは執務室を後にし、足早に廊下を進んだ。その足音は、怒りに満ちた重い音を響かせていた。心の中で罵詈雑言を吐きながら、とある部屋に向かう。
神殿の内部は荘厳で、どこも厳かな雰囲気に包まれている。道の両側には壁画や装飾が施され、まるで聖なる場所にいるかのような感覚を覚える。廊下を進んでいくと、途中で二つの階段が見えてきた。
エドモンドは迷わず、奥の階段を選んだ。上ると、すぐに別の廊下が現れ、さらに奥へと続いている。途中、ほかの神殿の高位の神官たちが通り過ぎるが、エドモンドは特に何も気にせず進む。
その先に、いかにも重厚な扉が現れる。普段、誰もが避けるようにしているこの扉は、教会関係者にとっても入ることを許されている者は限られている。扉の前には静かな空気が漂い、その重みを感じさせる。
「くおらー!このクソ女神!」
勢いよく扉を開き部屋に入る。その先に広がるのは、無駄に広く、豪華な空間だ。通常の部屋とは異なり、まるで別世界のように広がる空間が目に入る。それもそのはずそこは本当に別空間とつながっている女神専用部屋だからだ。
部屋の一角には、巨大な仕事机が置かれていた。しかし、その上には未処理の書類が山のように積み上げられ、今にも崩れそうなほどだ。重要な公文書や召喚に関わる審議書類など、どれも急ぎで処理が必要なものばかり。それにも関わらず、それらは全く手つかずのまま放置されている。
この部屋の状況が、女神の怠惰で無責任な性格を如実に物語っている。
「なんじゃ、騒々しい、なんの用じゃ」
豪華なベッドの上では、美しい女神が寝そべり、やる気なさげにお菓子をつまんでいた。周囲の状況などまるで気にも留めず、怠惰そのものの態度である。
「なんだじゃねーよ!戦場で戦える勇者を召喚しろって、前から何度も言ってんだろうが!」
エドモンドの顔は怒りで煮えたぎり、まるで蒸気でも吹き出しそうなほど真っ赤になっている。こぶしを握り締め、今にも女神に飛びかかりそうな勢いだ。
「落ち着けよ、エド」
そこに、先ほどの小柄な報告者――いや、小柄というより、まるで子供そのものの姿をした少年が現れる。
金髪の愛らしい少年の見た目で、どう見ても十一歳くらいにしか見えない。彼の名はリオン・オルティア。エルフの血を引くクォーターエルフで、実年齢は三十歳を超えている。
老け込んだエドモンドとは対照的な、年齢不詳な存在だった。
「これが落ち着いていられるか!というか、何勝手に入ってきてんだ!なんで普通にこの部屋に入れてんだ!エドじゃない!エドモンド様、審議官様と呼べ!」
「いや、だから落ち着けって、またハゲるぞ、いいだろう、ここにはお前と女神様しかいないんだから」
人目のないところで砕けた口調になるのは、エドモンドこと、エドとリオンは同じ魔法学園に通っていた元同級生だったからだ。
しかし、今やエドは教会の審議官に出世し、リオンはしがない非常勤職員だった。
その非常勤職員のリオンが堂々とその部屋に足を踏み入れている理由は簡単だ。女神、セリス・アリアがリオンを気に入って、特別に許可されたからだ。その可愛らしい少年の姿に一目惚れした女神は、リオンにだけ「特別な許可」を与えていた。結果、リオンはこの神聖な部屋に足を踏み入れることができたのだ。セリスはいわゆるショタコンだった。
「また、勝手な許可を出しやがって~!」
「いいじゃろ、お前みたいなハゲたオヤジとばかり話していても気が滅入る」
エドモンドは憤慨するが、セリスは悪びれる様子はない。
「もうこの際、そのことはいい! それより勇者候補だよ! 医者や農業従事者は国の発展に有益だろうよ、料理人が居酒屋開くのも、まあ百歩譲って意味があるとしておこう。だがな、アイドルプロデュースだの、挙句の果てにはスローライフを送るだあ! そんな奴召喚して、なんの意味があるんだよ!」
エドモンドの怒号が部屋に響くが、リオンは肩をすくめるだけだった。
「まあ、しょうがないんじゃないか。そもそも『野心はないけど戦場で戦ってくれる』っていうのが無理があるんだよ」
リオンの指摘にエドモンドは苦々しく顔をしかめた。
十七年前、公国は王国に対する不満を募らせ、密かに魔界と契約を結んだ。そして、強大な魔族や魔獣の力を手にした公国は、王国に反旗を翻し、独立戦争を起こした。当初、王国軍は公国の反乱を鎮圧できると考えていたが、魔界の加護を受けた敵軍の猛攻により、戦況は急激に悪化した。王国の精鋭たちでさえ歯が立たず、多くの戦士が命を落とした。
この事態を受け、王国は軍事力の強化を目的として、従来の学園制度を大きく改革した。元々この学園は、貴族の子息たちが教養と戦術を学ぶための場として存在していた。しかし、公国との戦争が激化し、従来の戦力では対応しきれないことが明らかとなったことで、王国は大きな決断を下す。
「才能ある者なら、身分を問わず入学を認める」——。
軍事強化の一環として、学園は平民にも門戸を開き、優れた戦士や魔法使いを育成する場へと変貌を遂げた。これにより、従来では考えられなかった平民出身の軍人や魔導士が次々と登場し、学園は王国の未来を担う人材の育成機関としての地位を確立した。その中にリオンとエドモンドの姿もあった。
しかし、戦争が長引く中、公国の魔界との契約がさらなる災厄を呼び起こした。十五年前、封印されていた邪神が解き放たれ、その影響で魔族や魔物がさらに強大化。王国はもはや従来の戦力では対応できないと判断し、最終手段として「勇者召喚」を決断した。
女神の力によって異世界から召喚された勇者たちは、ギフトと呼ばれる特別な力や武器を授かり、圧倒的な戦闘力を発揮した。彼らは魔族や魔獣を次々と討ち倒し、戦局を覆す存在となった。結果として王国は勝利を収め、公国は王国の支配下に置かれた。
だが——
「召喚された勇者どもが、貴族に取り込まれたのが間違いだった……!」
エドモンドが歯噛みする。
勇者たちは戦後、王国から爵位を与えられ、貴族としての地位を確立した。そして、持ち前の才覚と影響力で政治の場にも口を出すようになった。もはや彼らは戦士ではなく、王国に根を張る貴族派閥を形成していた。
そして、戦争終結から十五年、平和が訪れたかに見えた。しかし、最近になって魔族や魔獣の活動が再び活発化し始めた。単なる十五年前の生き残りとは思えない組織的な動きに、王国は不穏な気配を感じ取る。そして、ある確かな情報がもたらされた——国外追放された公国の姫が、再び邪神の復活を目論み、暗躍しているというのだ。
「このままでは再び戦争が起きる……だが、十五年前の勇者どもには頼りたくない」
王国と教会は再び決断を迫られた。十五年前の過ちを繰り返さぬよう、「戦場で戦えるが、野心を持たない勇者」を召喚するよう命じたのだ。
これをリオンはさすがに無茶なことだと、セリスを庇う発言をする。
「あ~ん、ワシの苦労を分かってくれるのはリオンキュンだけじゃ♡」
セリスは甘えた声でリオンに抱き着き、その豊満な胸を顔に当てる。
「もういっそ、リオンキュンが女神担当になっとくれ、こんな頭の固いハゲオヤジより、美少年が担当してくれた方が、まだやる気が出るというものじゃ」
しかし、リオンは微動だにせず、まるで壁か何かに抱き着いているかのような静けさだった。
「いや、セリス様…私はこれでも30歳を超えております。こんな見た目ですが、少年ではありません」
「なおよいではないか!合法ショタと言うヤツじゃ!」
「その『ゴウホウショタ』がどういう意味かは分かりませんが、ろくでもない意味なんでしょうね…」
セリスの巨乳アタックにも関わらず、リオンは無表情のまま、まるで何も感じていないかのように淡々と返す。むしろ、今朝の天気について考えているかのような雰囲気すらあった。
抱き着いた女神はしばしの沈黙の後、小さく「……つまらんのう」と呟く。
リオンはため息をつく。レイラさんといい、女神様といい、僕の周りにはこういう人が集まりやすいのか…
「コラ!私を無視して訳の分からん話をするなあ!」
すっかり蚊帳の外に置かれたエドモンドは、思わず声を荒げた。
「というかリオン、私が言っても聞かないからお前からも一言、言ってくれ!」
「え~」
リオンはあからさまに面倒くさそうな声を出す。
「えーじゃない!お前も教会の人間なんだから、少しはやる気を出せ!」
「非常勤職員に多くを求めるなよ。どんなに仕事したって、給料が上がるわけでも出世するわけでもないんだから」
「それは、お前が勝手に学園を中退したせいだろ! だから、あのとき言ったんだ、卒業してからでも遅くないと、それなのにお前は…」
「……あー、ハイハイ、もうそれは何度も聞いた」
リオンは面倒くさそうに手を振った。
「しかし、まあ……」
リオンはセリスをちらりと見る。
「さすがに最近、変な勇者候補が多いんじゃないですか?」
エドモンドに報告しに行くリオンも最近の勇者候補には違和感を感じていた。
「そうだ!本当にちゃんと選定して召喚しているのか!?」
リオンの疑問に、エドモンドが苛立ちを隠さず声を荒げる。しかし、女神はどこ吹く風。
「失礼な、ちゃんとしておるぞ、渡されたリストを上から順番に漏れなく召喚しておる」
「……は?」
リオンとエドモンドが同時に固まった。
「おい、それは“選定”とは言わねーんだよ!」
エドモンドは再び声を荒げる。
「ちゃんとどういう人間かを見定めて、こちらの世界の状況を説明して、どういう能力があって、どういうギフトを望んで、こちらの世界に積極的に協力してくれるか、その他もろもろ確認してから召喚しろって何度言わせるんだ!」
「……あ~、もう、うるさいのう。そんな面倒なことをしていたら、それはそれで『遅い!』と文句を言うではないか。だから下手な鉄砲でたくさん召喚したのじゃ。その方が効率良いと思うじゃろ、リオンキュン♡」
「……そうですね」
「適当に返事すんな!さてはお前めんどくさくなってきてるだろ!」
実際の所めんどくさくなってきたリオンは、実質、この場で一番上の上司にあたる女神(女神は神の使いなので教皇より上)に適当に合わせることにした。
「大体、このハゲはルーメン教の審議官のくせして、その高貴なる女神のワシに対しの敬意がたりん」
「そうだぞー、ハゲ」
「そもそも、このハゲは仕事に対して細かくてかなわん」
「細かいぞー、ハゲ」
「そんなんだから、このハゲはいい年して、独身なんじゃ」
「見合いしろー、ハゲ」
「そもそも、このハゲの好みが高すぎるのが問題じゃ!」
「妥協しろよー、ハゲ」
エドモンドの肩がピクピクと震えた。顔は真っ赤に染まり、こめかみには怒りで浮き出た血管がくっきりと浮かぶ。そして、ついに堪えきれずに机をドン!と叩いた。積み上げられていた未処理の書類が空中に舞い上がり、部屋に紙吹雪のように降り注ぐ。
「やかましい! 私だって好きで独身なわけではない!!」
声を張り上げるエドモンド。しかし、女神は気怠そうにお菓子をつまみながら、相変わらずの態度を崩さない。
「まあまあ、心配するな。老後はわしが面倒を見てやる」
「施設行きだなー、ハゲ」
エドモンドの顔は怒りで真っ赤に染まり、理性の最後の糸が切れた。
「ふざけるなあああ!! お前ら、いい加減にしろーーっ!!」
机の上にあったインク壺を掴み、床にガシャーン!と叩きつける。黒いインクが床一面に飛び散り、続けてペン立ても投げ捨て、書類の束も乱暴に宙へ放り投げた。紙が紙吹雪のように舞い散り、部屋は一瞬で大惨事と化す。
その後、もはや空になった机をエドモンドは両手で掴むと、怒りに任せてガタガタッと力任せに揺さぶった。重厚な机がギシギシと悲鳴を上げ、足元の書類がバサバサと舞い上がる。
その様子に、リオンはさすがにやり過ぎたと感じ、少し肩をすくめた。
「……悪かったよ、エド。ちょっとふざけすぎた。」
そのお詫びというわけではないが、リオンは真面目な顔で女神と向き合い、深々と頭を下げた。
「セリス様、僕からもお願いします。このままでは王国は魔族に侵攻され、十五年前のように多くの犠牲者が出るでしょう。無理なお願いとは、十分承知しております。どうか今一度、戦場で戦ってくれる勇者の召喚をお願いします。」
リオンの真摯な態度に、エドモンドも女神も一瞬息を飲む。しかし、女神は次の瞬間、軽やかな声で返した。
「分かった、難しいとは思うが、リストから探して転生者を説得してみよう。ただし……」
「ただし?」リオンが眉をひそめる。
女神はニヤリと笑い、指をくるくると回しながら言った。
「セリスお姉ちゃん、お願い♡って言って、それなら、わしもやる気出るから♡」
(……え~……)
リオンは心底嫌そうに顔をしかめた。何が悲しくて三十路を超えた男がこんなことをしなければならないのか。ちらりとエドモンドに視線を送ると、彼は渋い顔で顎をしゃくる。
「……やれ。」
(……完全に呆れてやがる……)
リオンは内心でため息をついた。さっきまで怒っていたのに、今はもう諦めの境地らしい。
諦めたリオンは意を決して、喉を整える。
「ん、んん……」
そして、絞り出した。
「セリスお姉ちゃん、お願い♡」
自分でも驚くほど可愛い声が出た。幼い体の声帯のせいだと分かっていても、これは屈辱的だ。
「ぷっ……!」
耐えきれず、エドモンドが噴き出した。
(おい、エド! 普段めったなことじゃ笑わないくせに!)
リオンは殺意のこもった目でエドモンドを睨む。しかし、女神は大喜びでベッドの上で身をくねらせていた。
「イヤーーーーーン、お姉ちゃん、リオンくんのために頑張っちゃう!」
そしてその勢いのまま、異空間にシュンッと消えていった。どうやら勇者候補の選定に行ったらしい。
嵐が過ぎ去ったかのように静まり返った部屋。エドモンドとリオンは同時に深いため息をついた。
「……もういい、定時になったから僕は帰る。」
「待て! この散らかった部屋の片付けを手伝え!」
「お前が散らかしたんだろうが。」
「お前らのせいだろうがーーー!!」
エドモンドの絶叫が響く中、リオンは渋々片付けを手伝い、その後家路についた。
五日後——
エドモンドの元に一通の報告書が届いた。封を切り、内容を確認する。
『野心はないが、戦場で戦ってくれる勇者候補の召喚に成功』
一見すると理想的な候補者。しかしエドモンドは額に手を当て、深々と溜息をついた。
「……どうせ、また何かしら問題児なんだろうな……」
これまでの経験が、最悪の未来を予感させる。エドモンドは再び頭を抱えるのだった。