22.後悔
サーヤから届いた箱と手紙を見て、ライオネルは深いため息をついた。
聖女から愛される国とされるセイクリド国の貴族が、実は聖女を貶めてきたなどと他国に知られるわけにはいかず、手紙に詳しい事情は書けなかったが―――それでも『原因不明の病が流行っている』と書けば、サーヤはすぐに戻ってきてくれるだろうと思っていた。
以前のサーヤであれば、そんな奇病が流行っていると知れば、自分達を心配して何をおいても駆けつけてきてくれたはずだった。
戻ってきてくれたら、この流行り病が原因で明るみになった事実を打ち明け、今までの誤解も謝って、今度こそ国をあげてサーヤだけを大切にする事を誓うつもりだった。
だけどサーヤは世界の浄化で忙しく、今はこの国に少し戻る事も出来ないようだ。
戻れないのは、フクフォルト王子が止めている事もあるかもしれないが、サーヤ自身の意思である可能性が高い。
サーヤからの手紙には、「もし効き目が感じられなくても、聖水はいつもより濃いものである事」と、「関係によっては、効き目がない可能性もある事」の注意書きが、簡潔に書かれていた。
その慎重さを見せる言葉からも、紗綾から取られている距離を感じる。
届いた箱の中には、聖水とともに以前サーヤが使っていた聖杯までも入っていて、「この聖杯を使えば、聖女カナエ様も聖水を作りやすいかもしれません。聖杯に思いを強く願えば聖水が湧きあがります」とも書き添えてある。
教皇エーヴェイルはすでに力が消えかけている。
カナエも論外だ。
もとよりこの聖杯を使いこなす事ができる者は、サーヤ以外いないのだ。
深いため息しか出なかった。
どうしてあの時サーヤの言葉を疑ったのだろうと今更ながらに思う。
二年もの間、誰よりも側にいて、誰よりサーヤの事を見てきたはずなのに。
どうして「聖女の力を持つ者が嘘をつくはずがない」なんて思い込んでいたのだろう。
「カナエが、サーヤがわざとカナエの水晶を床に叩き落として割ったと話しているが、本当なのか?」
――あの時。
サーヤはライオネルが最初に尋ねた一度だけ、向けた疑惑をはっきりと否定していた。
「……ライオネルは、カナエさんのそんな言葉を信じるの?
確かに私は聖力が使えなくなったけど、そんな事で他人の物に八つ当たりなんてしないよ。
だいたい聖力の扱いが苦手なあの子に、聖力の使い方を教えてあげてほしいって言ったのはライオネルでしょう?
私だって最初は周りに浮いてる聖力は見えなかったし、水晶で聖力を集める練習から始めたから、同じ事をあの子に教えてあげただけじゃない。
水晶は私が割ったんじゃなくて、あの子が「言ってる意味が分かんない」って水晶を床に投げつけたせいで割れちゃったんじゃん。
マーガレットさんとハーバルトさんだって、その音聞いてすぐに部屋に入ってきたんだし、そんなの嘘ってすぐ分かるでしょう?」
「……マーガレットもハーバルトも、サーヤが壊したのを見たと話している。聖女は嘘をつくと力が衰えてしまう。正直に話してくれないか?
たとえサーヤがわざと水晶を割ったと打ち明けたとしても、俺の気持ちは変わったりしないから信じてほしい。
なあサーヤ。我がセイクリド国では、聖女は敬うべき存在で、王家は聖女の一番の理解者ではなくてはならないとされている事は、サーヤだって知っているだろう?
力が弱いとはいっても、聖女の力を持つのは今、カナエだけなんだ。俺がカナエの側に付きっきりになる事はしょうがない事なんだよ。
サーヤ、お願いだ。力を失くした焦りで、道を外さないでほしい」
そう話したのは、サーヤを思っての言葉だった。
聖女カナエが新たな聖女として現れた時、世の中に二人の聖女が存在するという前例も、聖女が力を失くしたという前例もなかった。
聖女が嘘をつくはずがない。
状況的には、聖女の力を失くした上に、俺の言葉に黙り込んでしまったサーヤの方が、明らかに疑わしかった。
高貴な身分でありながら、卑しい身分の者に気をかけるサーヤを、『聖女サーヤは人格的に問題があり、聖女として相応しくないから力を失くした。だから新しい聖女が呼ばれたのだ』と貴族達は噂していた。
そんなところに『聖女サーヤは新しい聖女に嫉妬して、敵意を向けている』と世間に広まれば、俺たちの結婚を反対する貴族の声も強まりそうだった。
サーヤは俺の説得に頷く事はなかったが、そこからカナエの主張を否定する事もなくなった。
カナエの安全のために、サーヤに城を出てもらう事になった時も、身分のない護衛をつけられるという罰を受けた時も、サーヤは何も言わなかった。
ただ告げられた言葉に黙って頷くだけだった。
きっと俺に与えられたチャンスは、最初にサーヤが言葉を返したあの時の一度だけだったのだ。
今セイクリド国の大神殿には、懺悔する貴族達が殺到している。
サーヤを貶めるような、知り得る事実を懺悔するほどに口が、皆の吐き出した過ちを聞くほどに耳が、受けた罰が薄れていく事に貴族は希望を見出しているのだろう。
皆が懺悔をし、他の者の懺悔の言葉を聞くために、貴族達が大聖堂に集まっている。
そして多くの事実が明るみになった。
サーヤはカナエに醜く嫉妬して、カナエを陥れたりはしていなかった。
カナエの水晶も壊したのも、カナエ自身だった。
カナエが聖女としての力を持てなかったのは、カナエがこの世界に来た日に、ハーバルトと関係を持ってしまったためだという事も明るみになった。
聖女としての役割を全うしたサーヤは、この世界の永遠の平和を願おうとしていた。
ハーバルトはそれを知っていたから、カナエと関係を持つ事で聖女の力が多少弱ったとしても、世界の平和は約束されていると思っていたようだ。
ハーバルトがあれだけ執拗に「聖女カナエ様の力が弱いのは、聖女サーヤ様が水晶を割って、最初にその機会を失わせたため」と繰り返してきたのは、自分の罪を隠すためだったのだろう。
マーガレットも、思い通りにならないサーヤより、カナエに付いて自分の地位を確立したいと野望を持っていた。
城を出ていたはずのサーヤが、あの日図書室にいたのも、マーガレットの誘導があった。
サーヤに俺との結婚を諦めさせて、カナエを推したかったようだ。
欲にまみれたハーバルトやマーガレットを疑う事もしなかった。
『サーヤはこの世界に戻ったばかりだ、時間はある。焦らずに今度こそ上手くサーヤとカナエの関係を結ぼう』と考えていた自分が愚かすぎて笑う事も出来ない。
サーヤに合わす顔もない事は分かっているが、とても会いたい、顔を見たいと願ってしまう。
二年間ずっと願ってきた想いだ。
神の世界――サーヤにとっては夢の世界で、あれだけ必死にサーヤに呼びかけたのは、サーヤに世界平和を託したかったからではない。
たとえカナエの言葉が真実で、サーヤがカナエを虐めていたのが本当だったとしても、それで変わる想いではなかった。
本当にサーヤに会いたかったから必死にサーヤに呼びかけたのだ。
神の世界で見るサーヤは、何日経っても自分を他人のような目で見るだけだった。
サーヤに近づきたくても近づけず、ただ名前を叫ぶ事しか出来なかった。
本当は心のどこかで気がついている。
二年前のあの時――すでに俺への気持ちが消えていたからサーヤは記憶を消したのではないかと。
『この聖水は俺に効くだろうか』
震える手で聖水の入った瓶をそっと撫でる。
聖水を飲んで、サーヤの気持ちを知ってしまうのが怖かった。




