12.聖女カナエ
今まで高貴な人を迎える機会などはなかったようで、この神殿に応接室はないらしい。急遽聖堂に食堂のテーブルと椅子を運んで、即席の話し合いの場を用意していた。
紗綾も『部室っぽくなったな』とは思っていたが、聖堂に足を踏み入れたマーガレットの眼差しが、冷ややかなものに変わった。
「ライオネル王子様をはじめ高貴なお方を招くというのに、こんなみすぼらしい聖堂に案内するなんて……」
確かに高貴な者を迎える場ではないだろう。
だけど身分のない騎士団で贅沢な暮らしをしている方がおかしいと思わないのだろうか。
『聖女カナエ様が、マーガレットさんに注意してくれるかな?』と思ったが、聖女カナエの言葉は紗綾の期待したものとは違っていた。
「いいのよ、マーガレット。私はどんな場所でも気にしないわ」
「本当に聖女カナエ様は真の聖女ですね」
聖女カナエの慰めに、マーガレットは感動したように目を潤ませた。
『違ったか〜』と紗綾は聖女カナエを残念な気持ちで見ていた。
聖女カナエは、紗綾がイメージする聖女ではないようだ。紗綾も相当に聖女らしくないが、聖女カナエも純粋な聖女ではないのだろう。
だけどライオネル達は、二人の会話をなんとも思ってないようだ。これがいつもの二人の姿なのかもしれない。
『この感じを聖女らしいって言うなら、私が聖女として認められる事はないだろうな。だから聖女サーヤもお城の人に嫌われたのかも』と考えた。
じっと見つめる紗綾の視線に気づいたのか、聖女カナエが紗綾に軽く頭を下げた。
「聖女サーヤ様、ご無沙汰しております。……あの、記憶を無くされていると伺っていますが、私は過去の事を全く気にしていないので、聖女サーヤ様も気にしないでください。どうぞ意固地にならず、お城にお戻りくださいね。………あ。すみません」
謝りながら聖女カナエが、ライオネルと繋いでいた手を離した。
「あの……誤解しないでください。聖女サーヤ様がライオネル王子様の恋人様だって事は理解しています。
……ただ少し不安な時にライオネル王子様に支えてもらっているだけなのです」
紗綾の顔色を伺うように話す聖女カナエに、紗綾も誤解のないように伝えたかった。
他の女と手を繋いで歩くような男と恋人だなんて、その誤解に傷つくではないか。
「ライオネル王子様とは、二年も前にお別れしていますから、どうぞそのまま手を繋いでいてくださいね」
「どうぞお繋ぎください」とライオネルにもお勧めする。
そんな事より聞きたいことがあった。
「それよりも聖女カナエ様。私は皆様の記憶は消えてしまったので、過去に何があったか覚えていないのです。
さっき「過去の事」と話してましたが、今の私には心当たりがないので、何があったか教えてもらえませんか?」
「……そんな。こんな皆様の前で聖女サーヤ様を貶めるようなお話は出来ません」
困ったように眉を下げて首を振る聖女カナエは、本心から紗綾を気遣っているように見えた。
『もしかしたら本当に酷い嫌がらせをしたのかな?そんな堂々と嘘なんてつけるはずないだろうし』と紗綾は不安になってきた。
自分は嫌がらせをするタイプではないと思ってきたが、消えた記憶の中での出来事は、もう思い出せない事だ。
「私を気遣ってくれてありがとうございます。だけど気遣いは要らないですよ。人を傷つけたなら、「記憶がないから」なんて言葉で逃げるのもどうかと思いますし。
あの、安心してください。この祭壇から神様に言葉が届くみたいです。
私もさっき話せましたから、きっと聖女カナエ様の言葉も神様に届くはずですよ。私に非があれば、神様も聖女カナエ様に味方してくれるはずです。
どんなお話でも受けとめるつもりですから、どうぞお話しください」
紗綾は祭壇を指し示しながら、聖女カナエに話を促した。
神が聞いていてくれる事を伝えれば、安心して紗綾の悪事を話す事もできるだろう。
「聖女カナエ様?私に気遣うことはないですよ。さあどうぞ」
「………」
黙り込んで遠慮を見せる聖女カナエに、更に「どうぞ」と話を促すが、彼女は何も話してくれない。
「……聖女サーヤ様。聖女様が神の前で偽りを述べると、力が衰えると言われているのです」
「え!!」
紗綾の横に立っていたルイが、小さな声で紗綾に教えてくれた。
ヤバい。それはヤバすぎるだろう。
「神様ごめんなさい!さっきの言葉は偽りです!
記憶が戻ってない部分を「あれもこれも欲張るものではないですから」って答えたのは、聖女ぶっただけなんです!「思い出してもロクな事ないに決まってる」なんて言えなかったんです!
せっかく聖女の力が戻ったのに、衰えちゃったらまた修行のやり直しじゃないですか……。今回だけは見逃してください、お願いします……!」
紗綾は祭壇に向かって、指を組んで必死に神に祈った。
「……聖女サーヤ様。人を貶めるための偽りでなければ大丈夫かと思いますので……」
「え……」
また小さな声で気まずそうに教えてくれたルイに、紗綾は口を閉じた。
まただ。またこの口が、言わなくていい事を勝手にカミングアウトしてしまった。
『この口め』と思うが出した言葉はもう戻らない。
シンと場が静まり返ったので、「……分かります。話せない事もありますよね」と聖女カナエに笑顔を送って誤魔化した。
コホと聖女カナエのマーガレットが咳払いをして、紗綾を諭す
「聖女サーヤ様。言動にお気をつけくださいね。どんな偽りでも、許されるものではないのですから。神の罰を受けますよ」
「あ、はい。……そうですよね。人を貶めるような言葉を口にするなら、罰を受けても仕方がないですよね。力が衰えないように気をつけます」
侍女のマーガレットはとても厳しそうな人だ。これ以上何も言われないように紗綾は大人しく頷いた。
これで聖女カナエとの話は終わったと思っていた。
――だけど違ったようだ。
「聖女サーヤ様、ひどいです……。それは――聖女としての力が弱い私を貶める言葉ですか……?」
「カナエ、気にするな。カナエはカナエで頑張っているだろう?
サーヤ、カナエは元々聖女としての力が弱いんだ。あまりそこを責めるような事を言わないでやってほしい」
話の先には、思わぬ落とし穴が待っていた。
紗綾の言葉に聖女カナエが傷ついてしまったらしい。
ライオネルが聖女カナエを慰めながら、穏やかな声ではあるが紗綾を諭してくる。
「あ〜……なるほどね。前ってこんな感じだったんだ。確かにこれは破局しかないよね。
……あ」
紗綾は口を押さえたが遅かった。
しまった。思っただけのつもりが心の声が出ていた。
「え、もしかして本音を漏らしちゃうのが、神様が私に与えた罰……?」
固まるライオネルを、紗綾は驚きながら見つめた。




