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「私の願いは元の世界に戻る事です」
これが私の出した答えだった。
「私はもう何も思い出したくないです。この世界の私の記憶の全てを消して、元の世界の、あの時のあの場所に返してください。
それがこの世界を救った対価として求める、私の願いです」
私はこの世界の神に向かって祈り、願いを伝えた。
私はこの世界で聖女と呼ばれる者だ。
元の世界ではただの平凡な学生だった私は、突如この世界に呼び寄せられ、突如この世界の聖女としての使命を課せられた。
課せられた聖女としての使命、それは―――
他の世界の者だけが持つと言われる聖女の力をもって、この世界各地に蔓延する、聖女のみが祓う事が出来るとされる穢れを祓うことだ。
それが呼ばれた聖女に与えられる使命だった
この厄災に包まれた世界を救うその対価として、聖女の役割を全うし世界を救ったあかつきには、神がどんな願いでも叶えてくれるという約束だった。
何も分からないまま聖女として各地を回り、二年もの年月をかけて仲間と共に穢れを祓い終えた私は、今まさにその願いを神に告げたところだ。
本当はこの世界に残り、この世界の永遠の平和を願うつもりだった。
だけど今はそれを望みたくはない。
私はもうこの世界に残るつもりはない。
この先のこの世界の平和を願うつもりもない。
ただ全てを忘れてしまいたかった。
全てを忘れてただの平凡な学生に戻り、この世界の誰の事も思い出したくもなかったのだ。
願いを口にした瞬間、私の体は淡く優しい光に包まれる。
この世界に呼ばれた時と同じだ。
きっと次に目を開けた時には、元の世界だろう。
本当にこれで最後だ。
柔らかい光に包まれていくほどに、あれほど苦しかった感情が引いていくのが分かる。
神は早くも願いを叶えてくれているらしい。
スウッと激しい感情が引いていくと、『きっともうあの人達を思い出す事もないわね』と、最後に穏やかな気持ちで彼らの事を思い出した。
彼らは二年間を共に過ごした大切な仲間だった。
突然にこの世界にやってきて動揺する私に、彼らはとても親切にしてくれた。
聖女としての力を発揮できたのも、彼らと過ごした時間の中で築き上げた厚い信頼があってこそだった。
彼らの中には、「無事世界を救った後には、結婚をしよう」と約束している恋人もいた。
本当に心から大切に思っている人達だった。
だけど世界を救った後の私に待っていたのは、聖女としての力の喪失と、恋人の裏切りだった。
私が聖女の役割を終えると、新しい聖女が現れ―――そして聖女としての力を失った。
彼らは新しい聖女に心を移していき、私を気にかける者はいなくなり、恋人も結婚を渋る様子を見せた。
「今は新たな聖女を見守るべき時だから」と、新たな聖女の側に寄り添っていた。
力を失ってしまった私は、何も言葉を返す事は出来なかった。
聖女を守るのが彼らの仕事だという事は、この世界に来た時から知っていた事だ。
もう聖女でもなくなった私が、「側にいてほしい」と言えるわけがない。
そしてとうとう新たな聖女とかつての仲間達の話を聞いてしまった。
立ち聞きをするつもりはなかった。
図書室で本を読んでいる所に、新たな聖女と彼らが来て、私に気づかず話し続けた言葉に、私は動く事が出来なかった。
「え〜聖女サーヤ様ってひどいですね。ライオネル王子様が可哀想。いくら世界を一緒に救ったからって、結婚を迫るなんて。
こういう事を言いたくないですが、本当に聖女サーヤ様って聖女だったんですか?聖女らしくないから、聖女の力を神様に消されたって噂ですよ。
結婚をなんとか断れないんですか?」
「心配してくれてありがとう。だけどサーヤは、一週間後に神から問われる願いで、この世界の永遠の平和を願ってくれると約束してくれている。だから俺も誠意を見せたいと思っているんだ」
「でもサーヤは聖女の力を失ったんだし、もう少し考えてもいいんじゃないか?」
「確かにな。義務に思う事はないだろう」
もう聞いていられなかった。
私は思わず立ち上がり、誰の事も振り返らずに聖堂に向かって走った。
やっと巡礼を終えたと思ったら、新たな聖女が現れた。そして聖女としての力の全てを失い、仲間たちは私から離れていった。
それだけでも苦しかったのに、これ以上の苦しみなど耐えられる訳がない。
私は恋人のライオネルを愛しただけで、縋りつきたいわけではない。
かつての仲間たちが私に向ける言葉に反吐が出そうだった。
なにが「力を失ったのは、立派に役目を務め終えたからだよ」だ。
なにが「この世界の永遠の平和を願うサーヤは、やはり心の美しい聖女だな」だ。
今はもうこの世界を呪いたい。
私が祓った穢れ全てを元通りにしてほしい。
こんな世界なんて再び穢れに包まれてしまえばいい。
私を裏切ったあの人達に復讐したい。
――そんな醜い願いが心を占めていく。
これ以上ここにいてはダメだ。
私自身がダメになる。
だったら私はこの世界の全てを忘れて、この世界で過ごした時間さえもなかった事にして、元の世界に戻りたい。
ただの平凡な学生に戻ったっていい。
聖女としての輝かしい記憶もいらない。
与えられたドレスも宝石も私には必要ない。
聖堂に駆け込んで祭壇前に跪き、手を組んで私は神に必死に祈った。
「お願いします!お願いします、神様。どうか願いを聞いてください。私が世界を呪ってしまう前に、今すぐ願いを叶えてください」
怒りを含む強い祈りが届いたのだろうか。
神に私の声が届いている事が、感覚で分かった。
私の願いは、この世界を全て忘れて元の世界に戻る事。
この世界に呼ばれたあの時――なんでもない平日に、ただ自分のベッドで寝ていただけのあの時に戻る事。
きっと目が覚めたら、いつも通りの日常だろう。
願いを口にした瞬間、私の体は淡く優しい光に包まれた。
柔らかい光に包まれていくほどに、あれほど苦しかった感情が引いていくのが分かる。
「サーヤ!」
大きく私を呼ぶ声に振り返ると、仲間だった彼らが驚いた顔で私を見ていた。
どうせもう会う事も思い出す事もない人達だ。
「さようなら」も「お幸せに」も言う必要はないだろう。
消えていく彼等をなんの感情もなく私は眺めていた。