文披31【Day1】傘
「うげぇ、今日の天気予報って晴れじゃなかった?」
「思いっきり雨マークだったよ」
「もうすぐ期末だし、お前もニュースくらい見ろよな、また時事問題で泣くぞ」
「大丈夫、未来の俺の代わりに空が泣いてくれた」
「アホぬかせ。しっかし、こりゃしばらく止みそうにねぇな。一緒に入ってくか?」
「いや、遠慮しとくよ。悪ぃな、俺にはアイツがいるんだよ」
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「さてと、帰るとしますか」
もう、遅いじゃない。どれほど待ったと思ってるのかしら。
「家だと集中できないんだよなぁ、やるしかねぇけど」
昔からあんたには随分振り回されてきたけれど、あのやんちゃ坊主も受験生になると変わるものなのね。
「うぉっ、あぶねっ、水たまりじゃん」
昔は自ら積極的に飛び込んでいたけれど、流石に避けるようになったね。私のことなんてお構いなしにピョンピョン飛び跳ねるもんだから、今まで一体どれほどの水しぶきを浴びせられてきたことか。まぁ、あんたの側にいる限り、水しぶき程度で動じていたら身が持たないけどね。
「おっ、蛙!可愛いな」
可愛いですって!?とんでもない。忌まわしい記憶が蘇る。あの日のことは今でも忘れられない。あんたはあろうことか私が蛙をツンッと突くよう仕向けたのよ。触れてみたけりゃ自分で触れたら良いのに。お陰様で驚いた蛙はこっちに飛んできて、気持ち悪いったらありゃしない。あぁ、思い出したら怒りが沸々と湧いてきた……。
「あっ、今年も紫陽花が綺麗に咲いてる」
紫陽花が織りなす青や紫のグラデーションによって心が洗われた。それにしても、ここの住人は随分まめね。紫陽花は乾燥に弱いけど、それさえ気にかけてやれば比較的育てやすい。でも、毎年咲かせようと思うと話が変わる。根の生長が早いから根詰まりを起こしやすくて、毎年植え替えなければならないの。これが非常に厄介。すくすく育つのは喜ばしいことだけど、庭の限られた場所ではそうも言ってられないでしょ?
それに、紫陽花の高さを揃えようと闇雲に剪定して良いものでもないの。まさか、紫陽花が何もせずあの高さを保っているなんて思ってるんじゃないでしょうね。あれでも落葉低木なんだから、放っておいたらあんたの身長なんてゆうに超えるのよ。
あと、花芽のつき方によって旧枝咲きか新枝咲きの2種類に分けられるんだけど、ここに咲いているのが旧枝咲きの紫陽花だとしたら、ますます尊敬に値するわ。旧枝咲きの紫陽花は花芽の形成が早いから、頃合いを見誤るとせっかくできた花芽を切ることになりかねないの。
枝ごとに花芽の周期が違うってのも大変ね。今年花を咲かせなかったこの枝は要らないだろうと思って切っちゃうと、来年咲くはずだった花を殺すことになるのよ。花が咲くまでに2年かかるから、毎年同じ花を見ているように思うかもしれないけど、実は違う枝で咲いた花なのよね。
「おや?あそこにいるのは……」
まったくもう、こんなに丁寧に説明してあげてもあんたの耳に私の声は届かないようね。まぁ、これら全て用務員さんの受け売りだから、別に良いんだけども。
「お〜い!天宮さ〜ん!」
「わっ、びっくりした。川田くん、今帰るとこ?遅いね」
「放課後に勉強会やってるだろ?あれで最終下校時間まで残ってたんだよ」
「そうなんだ、ちゃんとテスト勉強して偉いね」
何よ、デレデレしちゃってみっともない。見ているこっちが気恥ずかしくなるわ。
「天宮さんはこんなところで何してんの?」
「実は、雨が降ると思ってなくて、傘を持たずに出てきちゃったんだよね。さっきまでスーパーにいたんだけど、食材を濡らして帰るわけにもいかず、ここで雨宿りしてたの」
「なるほどな、じゃあコイツと帰りな」
ちょっと、あんた何考えてんの。もうすぐ期末テストなのに、風邪でも引いたらどうすんのよ。
「たしか川田くんのお家って反対方面だよね……?」
「大丈夫!すぐそこだし俺は走るよ。ほら、何とかは風邪を引かないって言うだろ?」
かっこつけちゃって……馬鹿。
こうして私の身柄は天宮さんなる人物に預けられた。
あんたのことだから、惚れた女が濡れて帰るくらいなら自分はずぶ濡れになったってちっとも構わないんでしょうね。私がいる限りあんたを濡れさせない!なーんて思ってたのにな。うまくいかないものね。
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「川田くん、おはよう。あの後大丈夫だった?」
「おはよ!見ての通り元気だよ。朝から雨ってのは憂鬱だけどな」
「昨日はありがとね、ほんと助かった。これ返すね」
「おう、こちらこそありがとな。今日は置き傘を使わずに済みそうだから、別に急がなくても良かったのに」
そう言って彼は私を傘立てに差した。
また置いてけぼりね。今度また一緒に歩けるのはいつかしら。