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09. 三秒だけ耐えろ!

(直接的ではありませんが、ちょっとだけ嘔吐表現がありますので苦手な方は念のためご注意ください)


「ちょっとぉ、いきなり危ないじゃなーい! びっくりして心臓バクバクいってんだけど、ほんとマジで殺す気? 看守長、コイツらなにしてここにぶち込まれたわけぇ?」



 なにを勘違いしたのか、リンソーディアたちのことを新たにやってきた囚人仲間だと思っているようだ。額に手を当てたセラフィーナが訂正する。



「あいにくこいつらは囚人じゃない。お前たちを取り締まる側の新人看守だ」


「うっそー! 下手したらウチら全員合わせたよりもたくさん殺してそうな顔してんのに!?」



 そんなに自分たちは悪人面なのだろうか。リンソーディアはすぐそばにあるヴェルフランドの顔を見つめてみた。考えてみれば幼なじみとはいえここまで彼をガン見したことはなかったかもしれない。

 しばし見つめたあと、リンソーディアは納得したように頷いた。なるほど、確かに千人くらいは殺していそうな美形である。



「……言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ」


「きょうもずできなさっきだちぶりでずね」


「お前もな」



 セラフィーナは胡乱な目つきで二人のやり取りを見守る。鼻を押さえているせいで言っていることの半分も理解できないのだが、彼らの間ではなぜか会話が成立しているあたりじつに不可解な光景だ。


 鉄格子が再びガチャンと鳴った。その向こうにいる囚人女性が「ねえねえ、看守長ぉ」と声をかけてくる。セラフィーナは眉間に皺を寄せた。



「あまり馴れ馴れしく声をかけるな、『虐殺のメルセデス』。身の程をわきまえろ」


「あっは、わかってるよぉ。でも看守長ヤサシーし、このくらいで罰したりはしないでしょお?」


「はん、私が優しいだって? 常々狂っていると思ってはいたが、ついに本格的に壊れてきたようだな」



 容赦なく殺気を飛ばしてくるセラフィーナにメルセデスはにんまりと笑った。

 囚人を名前ではなく番号で呼ぶことが規定されている監獄において、「お前が『虐殺のメルセデス』か」と声をかけてきた変わり者がセラフィーナだった。本人曰く、番号ではなく適当な二つ名で呼んだほうが看守側の危険意識が高まるのでいいらしいのだが。



「看守長はヤサシーよ。だからさ、忠告。……あのコたちには関わらないほうがいーよ。あの二人、なんかヤバい」


「は?」



 メルセデスは先ほど飛んできた短剣を拾い上げて手持ち無沙汰にくるくると回してみる。投擲向きの軽くて短めの短剣。咄嗟とはいえ、あの姿勢で投げてよくぞ顔の横スレスレを狙えたものだ。未だに何事かを言い合っている二人にメルセデスは声をかける。



「ねー、そこの新人クンと新人チャン。ウチらを警戒すんのはいいんだけど、こっちに武器を投げたら自分たちがアブナイってちゃんと気づいてる? 鉄格子のこっちに来たものはウチらのものになっちゃうんだからさ。反撃されても知らないよぉ?」


「そのでいどのぶぞうでフランざまをごろぞうだなんでいぢおぐねんはやいでずよ」


「……………………ごめん、なに言ってんのか全っ然わかんない。あーもー調子狂うなあ!」


「いいから早くディアの短剣を返せキチガイ女」



 気狂(きちが)い扱いをされたメルセデスはムッとする。……別に、否定はしないけど。改めて言われるとやけに腹立たしいものがあった。



「ハイそーですかって簡単に返すと思うわけ? おめでたい頭だねー、キミ。ひっさしぶりに刃物が手に入ったし、一回殺してあげよーか」


「やめろ、メルセデス!」



 思わず普通に名前を呼んでしまったセラフィーナだが、鉄格子の向こうにいたメルセデスはその制止の声を無視して先ほどの短剣を投げ飛ばした。逃げるのも避けるのも間に合わないほどの凄まじい速度で、短剣はまっすぐヴェルフランドの喉元を狙う。突然の事態にセラフィーナの目にはすべてが遅く映った。


 このまま避けなければ短剣はヴェルフランドの喉を直撃するだろうが、避けようとしたところでこの速度ではぎりぎり避けきれずに頸動脈が切り裂かれてしまうだろう。かといって無理に避けようとすれば、彼が抱えているリンソーディアに短剣が直撃してしまう軌道でもある。

 そこまで見えているのに、セラフィーナは動けなかった。当然だ。体感で遅く見えているだけなので、実際に動いても手遅れだろう。


 虐殺のメルセデス。狙った獲物は確実に仕留めるその腕で、家族を殺し、友人を殺し、近所の人々を殺し、ついには村ひとつを滅ぼした最悪の虐殺犯である。



「っ!?」



 セラフィーナが息を呑んだ。どう動いても、あるいは動かなくても血飛沫が上がるであろう一撃、のはずだったのだが。



「……いやあ、さすがはフラン様。危険察知能力が高すぎて、もはや予知の領域ですね」


「大袈裟だ。何かを投げる場合、人はわずかでも必ず体が動く。その動きさえ見極めることができれば避けること自体はそう難しいことじゃない」



 短剣はヴェルフランドが立っていたはずのところで標的を見失い、その向こうにある鉄の扉を直撃しただけで終わったのだった。もちろんヴェルフランドもリンソーディアも無傷である。



「簡単そうに言いますけど、今のは投擲と同時かそれより早く動かないと避けられませ、うおえっ」



 ずっと抱えてくれていたヴェルフランドに下ろしてもらい、ようやく鼻から手を離したリンソーディアは投げ返されてきた短剣を拾いに行く。未だ治まらないとんでもない異臭のせいで吐きそうなのか、顔が完全に青ざめていた。セラフィーナが呆気に取られながらもなんとか声を絞りだす。



「フラン、お前……今どうやって避けた?」


「……短剣を持っていたキチガイ女の手首がわずかに反ったのが見えた。だから短剣があいつの手を離れる前に動いた。それだけだ」



 簡潔ながら無茶苦茶なその説明にセラフィーナは絶句した。理屈は分かるがありえない。


 メルセデスが投擲のために手首を反らしてから実際に投げるまでにかかった時間は約一秒。その一秒の間に、ヴェルフランドはメルセデスの意図に気づき、投げられるだろう短剣の軌道を予測し、その軌道から確実に外れるべく動いたのだ。

 つまり、メルセデスの手から短剣が放たれる時にはすでにヴェルフランドはその軌道の外にいたことになる。リンソーディアが呆れた顔をした。



「相変わらず人間離れした身体能力ですよねえ。頭で分かってはいても、普通はそこまで見えませんし動けませんよ」


「たとえ失敗してもお前が弾き返しただろうし、大して緊張感なく動けたのは確かだな」


「まあ確かに得物の用意はしていましたけど。取り出す前にフラン様が動いていたので結局使わずじまいです」



 要はヴェルフランドが動いても動かなくても、メルセデスの奇襲は短剣を投げる前からすでに失敗していたということだ。

 リンソーディアは拾った短剣を懐に戻す。それから鉄格子の向こうで唖然としているメルセデスを見据えた。



「『虐殺のメルセデス』さんでしたっけ? 残念ですが、私とフラン様を殺そうとしてもあなたでは力不足ですので悪しからず。何度でも返り討ちにして差し上げましょう」


「は――はは、なにキミたち、どこの化け物?」


「あなたの奇襲を防いだくらいでなにを大袈裟な。私たちはただの人間ですよ」



 別に怪力なわけでも、瞬間移動できるわけでも、空を飛べるわけでもない。特殊能力があるわけでも、ましてや魔法を使えるわけでもない。

 ただ、人間の性能の限界に挑まざるを得なかっただけの話である。リンソーディアは肩を竦めた。



「生き残るために必要な能力を磨いただけですから。生きるか死ぬかという局面を日常的に味わっていれば、誰だって死を回避する能力が跳ね上がりますよ。まあ、その域に達する前に死んでしまう人も多いですが」



 どこか諦観を含んだその口調に、メルセデスはにやりと口角を吊り上げた。セラフィーナは違うと言ったが、やっぱりこの二人は自分たち寄りの人間だ。

 ただし、メルセデスとは違ってこの二人は未だに正気を保っているらしい。狂ったほうが楽になれるこの世界では、まともでいることほうがよほど狂っているのではないかとメルセデスは思っている。



「……やっぱ、キミたちヤバいね。そもそもここに来た瞬間ニオイのほうに気を取られる看守なんて初めて見たもん。フツーはそのへんに転がってるナニかの死体だとか、誰かの頭蓋骨だとか、べっとりこびりついてる血痕だとかを見て大騒ぎするのにさー」


「げ、もしかしなくてもそれが異臭の原因じゃないですか。明日には大掃除してやりますんで覚悟しておいてください。ていうか私もう限界です。吐きます」



 突然のリンソーディアの宣言にぎょっとしたのはヴェルフランドだった。



「は? お、おい待て、耐えろ! 三秒だけ耐えろ!」



 意外なほど慌てふためいたヴェルフランドは自分が着ていた上着を即座に脱ぎ捨て、身体を折り曲げた幼なじみの前に広げた。その直後にリンソーディアが限界を迎える。



「…………」


「…………」



 目の前で繰り広げられた悲劇にセラフィーナとメルセデスは揃って絶句するしかなかった。吐く前にきちんと宣言したことを褒めるべきだろうかとか、自分の上着を犠牲にする男気に感心するべきだろうかとか、現実を直視しない方向で思考が渦巻く。



「ううう……すみません、フラン様」


「気にするな。慣れている」



 慣れているのか……。ヴェルフランドの言葉になんとなく物悲しい気持ちになりながら、セラフィーナはメルセデスに向かって重々しく告げた。



「……虐殺のメルセデス。新人看守殺害未遂で罰則を科す。罰則の内容については後ほど通達する」


「はぁーい……」



 さすがのメルセデスも今回ばかりは反抗したりせずに粛々とセラフィーナの言うことに従った。あまりのことに反抗する気も失せたらしい。


 そして翌日。



「おんどれぁああああ、てめえここをダレのシマだと思っ、ぶべらっ」


「ア、アニキィ!? この(アマ)、アニキになにしやが、ごふっ!」


「身の程知らずの看守が来やがったぞ! ぶっ殺……ぷぎゃっ!?」


「はいはいはいはい、邪魔です邪魔です退いてくださーい」



 ガスマスクをして完全武装したリンソーディアが、襲いくる囚人どもをモップの柄で返り討ちにしながら大掃除を開始する。竜巻のように猛威を振るう彼女の後ろでバケツと雑巾を携えていたメルセデスが頬を引きつらせた。

 昨日の件でセラフィーナがメルセデスに科した罰則というのがコレだったのだ。リンソーディアによる地下監獄の大掃除を手伝うこと。今さら逆らう気はないものの、憂鬱な気分になってしまうのだけは許して欲しいと思う。



「さあ、虐殺のメルセデスさん。あのへんの囚人たちは軒並み昏倒させたので、彼らが気絶している間に思う存分掃除しちゃってください」


「りょうかーい……ねえ、今日はキミの旦那来てないの?」


「旦那? フラン様のことですか? 人手不足なのに掃除に二人も割けるわけないでしょうが。フラン様は詰所にいますよ」



 あと旦那ではありません、ときっちり否定しつつリンソーディアはザブザブ洗ったモップで床を磨いていく。しかし軽く一周しただけでバケツの水は真っ赤に染まってしまった。よく見たら床は血で何重にも塗り固められている状態だ。リンソーディアは眉根を寄せ、メルセデスは「うげえ」と舌を出す。



「マジでこれ全部掃除すんの? てか綺麗になるまで何日かかるわけ?」


「まあ、完璧に綺麗にはならなくても、臭いが粗方なくなれば良しとしましょう」



 どちらにせよ今日中には終わらなそうだ。メルセデスは溜め息をついた。今回の罰則はリンソーディアが大掃除終了を告げるまで続くことになっている。


 ……だから少しだけ、このつまらない気分を発散させたくて。メルセデスは先ほど拾った尖った石をこっそり背後に隠した。

 完全武装している彼女に怪我をさせることは不可能だとしても、せめて一矢報いることができれば。メルセデスは石を隠し持ったままじっとリンソーディアの背中を見つめた。


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