07. 今の話題でニヤけるのはやめろ
ご令嬢とメイドを連れての大山脈越えは難しかったため、一行は大きく迂回するルートでチェザリアンへと向かっていた。
大きく迂回といってもこれが本来のルートであり、大山脈を踏破しようとか考えるのは一部の気が狂った武人どもだけである。
「ねえ、ディア。チェザリアンに行くのはいいけど、住むところとか仕事とか当てはあるの?」
休憩中にグレースがそんなことを訊いてきた。ここ四日ほど共に旅をしているため、気軽に会話をする程度にはお互いそれなりに打ち解けている。賢い馬たちもグレースたちの体調に合わせてできるだけ揺れないように歩いてくれていた。なんて気遣いのできる馬だろう。主人とは大違いだ。
ちなみに馬の主人であるヴェルフランドは旅の間もずっと安定の冷血漢ぶりを発揮しており、護衛であるにも関わらずリンソーディア以外の生命を救おうとする姿勢がまったく見られない。今も女性陣から少し離れたところで黙々と剣の手入れをしている。その姿はおとぎ話に出てくる鬼婆が鉈を研いでいる様子にそっくりで、エミリーあたりはそっと視線を外していた。
「当てはまったく。無事に入国できたらまずは住処の確保と職探しですね」
「ふうん……どこかいいところ紹介する? いっそのことウチで住み込みで働いても構わないわよ」
「侯爵家の後ろ盾はありがたいんですが、足がつくといろいろ厄介なんですよ。縁もゆかりもないところに行くつもりですのでお気遣いなく」
あくまでこの協力関係は国境を無事に越えてグレースたちの安全が確保されるまでのことだ。それ以上の関わりはお互いのためにならないだろう。
グレースはちょっと複雑そうな顔をした。分かってはいたけれど、これきりの関係になるというのは打ち解けてしまったぶんやはり少し寂しい。
「……当てなら、なくもないぞ」
「え?」
幼なじみの意外な言葉にリンソーディアは目を丸くした。手元の剣に視線を落としたままヴェルフランドが続ける。
「チェザリアンの要塞都市ガイアノーゼル。あそこへ行けば住む場所と仕事が同時に見つかるはずだ」
「へえ、そんな都合のいい場所がチェザリアンにあるんですか。じゃあそこに行――」
「だっ、だめよディア! ガイアノーゼルはやめておきなさい! 危ないわ!」
珍しく声を荒らげて止めに入るグレースに驚いた。……そんなに危険な場所なのか?
「グレース様、どういうことですか?」
「要塞都市の名の通り、ガイアノーゼルは要塞に囲まれている街なんだけど、実はその要塞まるごと、つまりガイアノーゼルそのものが監獄として機能しているのよ」
「監獄?」
要塞都市ガイアノーゼル。別名チェザリアンの監獄。
軽犯罪者から死刑囚まで、国中のすべての犯罪者がここへ送り込まれてくることになっている。
そのためガイアノーゼルの住人の多くは、監獄の関係者か、国から派遣されている兵士か、それらの仕事を引退した者たちなどであり、自分の身を最低限守れることが居住権を得るための絶対条件だった。もしも囚人たちが監獄から脱走するようなことが起きれば、都市の門をすべて封鎖して、住人総出で対処に当たることになっているのだ。
それだけを聞くとなかなか治安の悪い場所のように思えるが、実は国内でも一位二位を争うほど治安が良い街としても有名だった。なぜならガイアノーゼル内で犯罪を起こせば、たとえそれが軽犯罪であったとしても、『第十三監獄』と呼ばれる危険人物専用の監獄に収監されることが定められているからだ。
第十三監獄はチェザリアン国民であれば誰もが知っている恐怖の代名詞である。部外者はともかく監獄内の事情に詳しい住人たちは、そんなところに入るくらいならという心理が働くため、犯罪に手を染める者などまずいなかった。そんな話を聞きリンソーディアはふと思い出す。
『やっぱり治安はそれなりに大切だ』
『不必要にお前を危険に晒すわけにもいかないからな』
以前ヴェルフランドと行き先について話し合っていたとき、彼は一度もガイアノーゼルについては言及しなかった。しかし言わなかっただけで、候補としてはきっと頭の中にあったのだろう。無表情で剣の手入れを続けている幼なじみだが、それがリンソーディアの目にはなんとなく仏頂面に映った。
「……治安の悪い地域に行くのもひとつの手って言っていましたけど、もしかしてそれがガイアノーゼルのことだったんですか? でもグレース様曰く、街の治安はかなりいいって」
「俺も街の治安についてはあまり心配していないんだが、監獄で働くとなると話は別だ」
溜め息混じりに答えるヴェルフランドに同意して、グレースも真剣な表情で頷いた。そういえば彼女は治安がいいと説明しつつも移住はやめておけと叫んだ張本人である。
「まったく伝手のない人間がガイアノーゼルに住むには、監獄で働くか兵士になるかのどちらかよ。でも兵士はチェザリアン王国に忠誠を誓う必要があるからあなたたちには向いていないでしょうし、監獄の職員になるのも競争率が高いうえ現時点で空きはなし。……でも、ひとつだけ常時空きがある部署があるのよ」
話の流れからして先が読めてしまったリンソーディアだ。グレースが重々しく告げる。
「それがさっきも言った第十三監獄。通常の犯罪者は罪の重さに応じて第一監獄から第十二監獄に振り分けられるんだけど、他の囚人たちと一緒にはできないくらいの危険人物は、第十三監獄に送られることになっているのよ」
そこに配属されたほとんどの看守が一ヶ月も経たずに辞めるか死ぬかするらしく、『看守たちの墓場』という異名まである最悪の監獄のようだ。それが本当なら常に人手不足だというのも納得の話である。
「そういうことなら募集がかけられていることはまず間違いなさそうですね。フラン様、チェザリアンに着いたらちゃっちゃと応募しましょうね」
「ちょっとディア!?」
グレースがこの世の終わりみたいな顔をする。ずっと口を挟まずにオロオロと様子を見守っていたエミリーでさえ「お考え直しください!」とひっくり返った声で言い募った。
「ディア様とフラン様のお強さはこの道中でわたくしどもも思い知っております。ですが第十三監獄だけはおやめください。他に良い職がないか調べてみますので」
「いえ、そのお気持ちだけで十分ですよ。まあ面接に行って不採用だったとしても、とりあえず囚人になれば衣食住は保証されますし、それに――」
「やめてちょうだい! 知り合いが犯罪者として監獄送りだなんて冗談じゃないわよ!」
心配のあまりぎゃんぎゃん騒ぐグレースを放置して、リンソーディアは心の中だけで途切れた言葉を付け足した。
――それに、そこは私たちには結構お似合いの場所かもしれないんですよ、グレース様。
思い出すのは皇宮落城の日。敵兵の死体を山ほど築き上げて、それを踏み越えて逃げ延びた自分たち。ウィズクロークからすれば完全なる処刑対象、いわば死刑囚も同然である。そのうえ後悔する気も改心する気もさらさらなく、たとえ捕まったとしても、また二人で山のような死体を積み上げて笑って脱獄するだけだ。本当に、我ながら普通じゃない生き方だと思う。
「ディア」
「はい?」
武器の手入れが終わったらしいヴェルフランドが剣を鞘に収めてジトっとした目を向けてくる。
「今の話題でニヤけるのはやめろ。物騒を通り越して凶悪だぞ」
「いや、シャツに返り血がついているあなたに凶悪とか言われたくないんですけど」
どうやら二人とも普通じゃない凶悪犯として第十三監獄に入る資格がありそうだ。面接で失敗しても落ち込まずに次へ行こう。
もはや止めたところで無駄であることを察し、グレースとエミリーはお互いの青い顔を見合わせた。ヴェルフランドが止めない以上、決意を固めてしまったらしきリンソーディアを思い留まらせることはできないだろう。
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そして、旅を始めて十日。旅程を短縮すべく盗賊が多いという近道を通ってきたのだが、護衛二人の活躍のおかげで特に問題もなくチェザリアンへと到着できた。予定よりも四日早い。
国境では予想通り検問が実施されていたものの、グレースがダンハウザーの名を出すと「行方不明だったダンハウザー侯爵家のご令嬢、グレース様ですか!?」とそちらに目がいったらしく、拍子抜けするほどあっさり通行できた一行である。どうも思っていた以上にチェザリアンにおけるダンハウザー侯爵家の威光は大きいらしい。
「ディア……本当に行くの?」
「はい。無事に国境を越えられましたし、ここでお別れです」
十日間にわたって行方知れずだったご令嬢が見つかったと衛兵があちこちに知らせを飛ばす中、リンソーディアはグレースと最後の挨拶を交わしていた。
グレースがぎゅっと手を握りしめてくる。聞けば十五歳だという彼女は、年齢よりも随分としっかりした大人びた少女だった。ちなみにリンソーディアは彼女よりも二つ年上である。
「お願いだから、死なないでね。危なくなったらすぐに逃げるのよ。約束よ」
「もちろん。別に死ぬ気はありませんので」
当然ヴェルフランドのことも死なせる気がないので、これからも二人揃って愉快に生き延びていく予定だ。あくまで予定なので変更することも十分あり得るが、別にそれはわざわざグレースに言う必要のないことである。
「グレース様!」
周囲に目を走らせていたエミリーが警告するように声を上げる。リンソーディアに注意が向かないようあえてグレースの名を呼んだらしい。国境に一番近いダンハウザー家の別邸から迎えの馬車が来たようだ。エミリーの声を合図にリンソーディアはすぐさま馬に飛び乗った。
「では」
「ディア様、どうかお気をつけて」
グレースから手を離し、心配そうなエミリーの声に笑顔を返して、そうしてリンソーディアはダンハウザー家の馬車とはすれ違わない方向へと馬を向けた。
しばらく一人で進みながら、初めて見るチェザリアンの街並みを観察する。建物の造りからしてアークディオスとは全然違った。寒冷地仕様なのだろう。屋根の素材も違うし、窓は二重構造や三重構造が当たり前のようだ。これからはこの環境で生きていくことになる。この景色が普通になるのだ。
「フラン様、お待たせしました」
「ああ」
国境を越えた瞬間どこぞへと消えていたヴェルフランドと合流する。特に打ち合わせてもいないのにあっさり合流できるあたり、お互いを知りすぎていて微妙な心境に陥るリンソーディアだ。
「このままガイアノーゼルに向かいますか?」
「そうだな。どうせウィズクロークの連中は俺の死体を確認するまで執拗に追ってくるだろうし、できるだけ早く拠点になる場所を見つけておいたほうがいい」
無事に国境を越えてもなお警戒を緩めないヴェルフランドにリンソーディアは小さく笑った。そう、それでこそリンソーディアの自慢の幼なじみだ。
並んで馬を歩かせながら、とりあえず二人は国境沿いから速やかに離れることにした。国境を越えたところで目と鼻の先に追っ手がいることに変わりはない。下手に安心して長居すべきではないことくらい二人ともよく分かっていた。
「護衛の任務は達成しましたし、ここから先は自分たちの都合で動けます。とりあえず格安の宿でも取りましょうか。自炊する系の」
「それでもいいが食事は俺の担当な。お前は作るな」
「なに言ってるんですか、今度こそあなたをぎゃふんと言わせてやりますよ」
「やめろ、お前の料理はいつでもぎゃふんものだ」
食事が出ない代わりに炊事場がついている宿屋は格安なので使い勝手が良い。しかしヴェルフランドはリンソーディアを炊事場に立たせる気など毛頭なかった。彼女の手料理は壊滅的に不味いのだ。
一応リンソーディアの名誉のために言っておくと、野外で鳥やら魚やらを煮たり焼いたりする分には問題ない。実際迷いの森でヴェルフランドが仕留めてきた肉を焼いていたのはリンソーディアだ。あの時は彼女が調理を担当することをヴェルフランドも止めなかった。
しかしいざ炊事場で本格的な料理を作ろうとするとなぜか一気に不味くなるのだ。設備も道具も材料も、炊事場のほうがずっと充実しているはずなのになぜだろう。
理由は恐らく単純に経験不足だと思われる。戦場にいることが多い彼女にとっては、動物を狩って捌いて煮たり焼いたりする回数のほうがどうしても多くなってしまう。公爵家に帰還しても料理は料理人の仕事であるため厨房に入る機会などほとんどない。そもそも平時においては帝国唯一の公爵令嬢として社交界で振る舞う必要があったため、料理の練習どころではなかったのだ。
結果、リンソーディアの手料理は歴戦の猛者でなくば食べられない代物のまま今に至る。しかし栄養価だけはやたらと高いのも特徴であり、苦行に耐えて食べきった翌日などは無駄に体の調子がいい。不味いうえに見た目も悪いのに栄養価だけは高いなんて扱いに困るとしか言えない。
「そんなこと言って、あなたは私が作ったものをいつも綺麗に完食してくれるじゃないですか。まあ全部食べたあとに毎回『不味い』って言いますけどね」
「愛だな。感謝しろ」
「喜ぶべきなのかもしれませんが妙に腹立たしいのはなぜでしょうかね」
グレースたちがいなくなったことで二人の会話のテンポが上がる。生産性のないことを話しながら、リンソーディアとヴェルフランドは適当な宿屋へと向かったのだった。