04. 通りすがりの旅の者です
迷いの森での野宿二日目。
爆睡したことで気力体力ともに回復したリンソーディアは、食料調達のため「ちょっと狩りでもしてきます」と告げて出かけていき、しばらくしてなぜかフリフリドレスの少女を肩に担いで帰ってきた。予想外の光景にヴェルフランドはしばし幼なじみを凝視する。
「……人間を狩ってきたのか」
「狩ってません。落ちてたんです」
「食べるのか?」
「あなた私のことをなんだと思ってるんですか。張り倒しますよ」
地面にどさっと雑に寝かされたフリフリ少女がかすかに身じろいだ。どうやら生きているらしい。この迷いの森で珍しいことだ。
服装からして、間違いなく貴族階級の人間。リンソーディアよりも年下っぽいので推定年齢は十五歳前後。ヴェルフランドは顔をしかめた。厄介事の気配しかしない。
「食べないなら捨ててこい。できるだけ遠くまで行って川に流せ」
血も涙もないことを言う幼なじみにリンソーディアは溜め息をついた。
「なに言ってんですか。どこぞの貴族の娘ですよ。利用しない手はないでしょう」
「利用? ああ、なるほど。そいつを薪代わりにするのか。よし燃やせ」
「それは利用ではなく使用です。あと人間を燃やし尽くせるほどの火力なんてここにはありません」
相変わらずの冷酷さで少女を始末しようとするヴェルフランドだが、森の中で倒れていたか弱い少女を利用しようとするリンソーディアもわりと冷たい性格をしている。
「大体こんな美少女を鑑賞しないで火種にしようとするなんて、あなたの美的感覚はどこまで狂っているんですか」
「こいつが美少女だと? お前のほうがよほど美人だろうが」
「人類みなイモだと思っているあなたに褒められても大して嬉しくないですね」
事実として、ちょっと他に類を見ないほど綺麗な顔立ちをしているリンソーディアだが、ヴェルフランドに美人と評価されたところで「形が整っているイモ」と言われているような気がしてむしろ腹立たしい気分である。焼きイモにしてやりたい。
とりあえず拾ってきてしまった少女はそのへんに寝かせておくとして、今度はヴェルフランドが食料調達のために立ち上がった。ついでにフリフリ少女をこっそり川に流そうとしたが、実行する前にリンソーディアに見つかり阻止されたため不満そうな顔をして出かけていく。
そして、なぜかメイド服の女性を肩に担いで帰ってきた。
予想だにしなかった光景に、リンソーディアが胡乱な目を向ける。
「……食べる気ですか?」
「俺と同じことを言うな。見た感じそこで転がっているフリル女の関係者だろ。目が覚めたらそいつを引き取ってもらえ」
よほどフリフリ少女を厄介払いしたいらしい。確かに彼は山ほど送り込まれてきた婚約者候補が鬱陶しくて何人か殺した経験がある。そのため年頃の貴族の娘を見ると面倒事の種にしか思えなくなっているのだろう。
ちなみに年頃の貴族の娘という括りにがっつり入っているのはリンソーディアとて同じだが、当然ヴェルフランドの中では彼女はまったく別の括りに分類されていた。「幼なじみ」とか「変人」とか「特別」とか。
それはさておき、二人して人間を拾ってきてしまったので未だに食料が手元にない状態だ。仕方ないので帰ってきたばかりのヴェルフランドには休んでいてもらい、もう一度リンソーディアが狩りに行こうと立ち上がる。しかしなにを思ったのか、ヴェルフランドもほぼ同時に立ち上がった。
「お前はここにいろ。俺がもう一度行ってくる」
「でも」
「お前がいない時にそこで転がっている連中の目が覚めてみろ。俺が面倒臭いだろうが」
なるほど、確かに。彼女たちを利用しようと考えていたリンソーディアは頷いた。ヴェルフランドのことなので、リンソーディアが戻ってきたら少女もメイドも殺されていたとかは普通にありえる。さすがにそれは困る。
「わかりました。じゃあ美味しいものを調達してきてくださいね」
「この状況下で美味いものを要求してくるお前の厚顔さにはいっそ感心する」
そんなことをブツブツぼやきながら再度出かけて行ったヴェルフランドだが、野鳥を二羽しとめてきただけでなく、野イチゴがたわわに実った枝もぶら下げて帰ってくるあたり彼も大概素直ではない。もちろんリンソーディアは喜んだ。野イチゴが好きなのである。
鳥に関してはすでに血抜きをされ内臓も取り出されており、完全に食用肉そのままの状態になっていた。あとは煮るなり焼くなりするだけだ。まあ煮るための鍋などないため、ここは焼きの一択であるが。なお調味料は常時持ち歩いている塩しかない。リンソーディアはちゃっちゃと調理に取りかかった。
血抜きなどの下処理を一人で済ませる帝国皇子と、わりと生々しいその肉を平然と調理する公爵令嬢。皇族としても貴族としてもおかしい光景である。
しかし出陣経験が多いヴェルフランドと、一年の半分以上は戦場に身を置いていたリンソーディアだ。そう考えると、野外調理に抵抗がないのは別になにもおかしくはなかった。獲物を狩るのも、味付けが塩だけの料理にも慣れているのだ。それはともかく。
「四人で二羽を分け合うわけですが、早い者勝ちということでよろしいでしょうか」
容赦なく肉を切り分けながらリンソーディアがそう問いかければ、ヴェルフランドは不思議そうな顔をした。
「早い者勝ちもなにも、ちゃんと二人分あるんだから取り合いにはならないだろう。まさかお前、俺の分まで食べるつもりか」
「なんでそっちの可能性のほうを思いつくんですか。あなたの視界には入っていないかもしれませんが、一応ここには私たち以外にも二人いるんですよ」
転がっている女性二人は未だに目を覚まさない。が、彼女たちが起きたらやはりなにか食べさせる必要があるだろう。ヴェルフランドは真顔で答えた。
「愛情の差だな」
「なるほど、愛情……なかなか露骨に差をつけてきますね」
リンソーディアも真顔で頷いた。そうか、興味のない人間のことは初めから頭数に入れてすらいないのか……。
恐らくヴェルフランドの感覚では、この場には本当にリンソーディアしかいないのだろう。だからこそ『ちゃんと人数分狩ってきた』ことは、むしろ褒めるべきことかもしれなかった。
なお、わりと直球で愛情があると言われたわけだが、その言葉でリンソーディアが動揺することなどなかった。そして小揺るぎもしない彼女の反応にヴェルフランドが落胆することもない。これが今の二人の距離感だった。
愛されていないと食事にありつけないという鬼畜制度のもと、肉と野イチゴを食べて満足したリンソーディアは、あとでフリフリ少女とメイドのために魚でも釣ってくることにする。それからようやく今後のことについてあれこれと考え始めた。
どこへ行くべきか。
どうやって生計を立てるか。
偽名を使うとして、それだけで正体を隠していけるのか。
もし正体がバレたらどうなる。
せめてヴェルフランドだけはウィズクロークから隠さなければ。
そんなことをつらつらと考えながら、リンソーディアは未だに気を失っているフリフリ少女とメイドを見つめた。すべてはこの二人をどのくらい利用できるかによる、かもしれない。
「ディア。あまり思い詰めるな」
リンソーディアの背中にのしりと重みがかかる。首だけを回して後ろを見ると、ヴェルフランドが背中合わせになって寄りかかってきていた。背中がくっついているせいか、こちらの思考はすべて彼に筒抜けになっている気がする。
「どこに行こうが、どう生きようが、隠れようが見つかろうが、そんなのは大した問題じゃない。――俺たちは生きている。俺はそれだけで十分だ」
生きているだけで十分。そんな清々しいまでに単純な結論はじつにヴェルフランドらしくて、リンソーディアはつい笑ってしまった。
いつもそうだ。なにかと複雑に考えがちなリンソーディアの絡まりやすい思考の糸をいとも容易くほどいてしまうのは、昔も今も変わらずいつだってヴェルフランドだった。
彼の答えはいつもシンプルで単純明快。リンソーディア絡みになると多少は迷うし慎重にもなるけれど、それだって長くは続かない。悩んだところで結局は最善を選ぶだけなのだから。
「やっぱりあなたと一緒にいると感覚がバカになっていいですね」
「どういう意味だ」
「褒めているんですから喜んでくださいよ」
背中をくっつけたままリンソーディアがくすくす笑う。その振動が背中越しに伝わってきて、ヴェルフランドはちらりと彼女に目を向けた。
『あなたと一緒にいると感覚がバカになっていいですね』
それはこっちのセリフである。リンソーディアと一緒にいると、どんなに最悪な状況下でも不思議と最悪には思えなくなる。むしろ笑って切り抜けて、最悪じゃない世界で一緒に生きたくなってくる。
死んだ方がマシだと思える世界でも、それでも何度も生き抜くことを選び続けてきたのは、他でもないリンソーディアがいたからだった。
じんわりと背中越しに体温が伝わる。相手が生きていると実感できるその温かさは、常に張りつめているヴェルフランドの神経を緩やかに解きほぐした。
「あ」
「ん?」
リンソーディアの声で我に返る。寄りかかっていた背中を離して体ごと振り返れば、地面に寝かせていたメイドが「うう……」と声を漏らした。気がついたらしい。
「うっ……、お、嬢様、は……」
呻きつつも真っ先にお嬢様を心配するあたり彼女は使用人の鑑である。先に目が覚めたメイドは起き上がりながら周囲に目を走らせ、自分のすぐ隣に横たわっていたフリフリ少女を見つけた。
「お、お嬢様!? お嬢様、どうなさったのですか! しっかりなさってください! お嬢様!」
お嬢様ということは、やはりこのフリフリ少女は推測通りどこぞの貴族の娘だったようだ。
「大丈夫ですよ、気を失っているだけです」
リンソーディアがそう声をかけると、メイドはびくりと肩を震わせた。怯えた顔で振り返る。
「あ、あなた方は……」
「通りすがりの旅の者です」
ものすごく適当な自己紹介だったが、メイドは特に疑問に思わなかったらしい。お嬢様が失神しているという事実だけでいっぱいいっぱいなのだろう。
リンソーディアは相手を安心させるような笑顔を浮かべた。その笑顔を「胡散臭い」と評価するのは恐らくこの世でヴェルフランドだけだ。そのくらい完璧に取り繕われた仮面の微笑みだった。
「お二人が森の中で倒れているところを私と連れがそれぞれ見つけまして、勝手に保護させていただきました。ここは危険な迷いの森。お二人とも、とてもこんな森に立ち入るような装備ではありませんけど、なにがあってこんなところに?」
「……ちょっと、訳ありでして。助けていただきありがとうございます。あの、事情はお話しますが、その前にお嬢様の容態を確認させてくださいませんか?」
あくまでお嬢様のことが心配らしい。その姿勢は使用人として褒められるべきものなので、リンソーディアは微笑ましく思いながら「ええ、もちろん」と答えた。
ちなみに興味を失ったらしいヴェルフランドは少し離れたところでこちらに背を向けてうたた寝している。他人にはとことん無関心な男だった。