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19. ディアを知らないか


 冬になってそれなりに困ることのひとつに、洗濯物を外に干すことができないという点が挙げられる。たとえ雪が降っていなくても、氷点下を大きく下回る気温のなかで干そうものなら、洗濯物は瞬時に凍りついてしまうのだ。



「なるほど……そのためのサンルームなのですね」


「そうみたいですねえ。私も初めはなんで監獄にサンルームがあるのか疑問に思いましたが」



 この日、リンソーディアとラシェルは二人で囚人たちの洗濯物を干していた。他の監獄よりも収監人数が少ないとはいえ、二十人弱の洗濯物を洗って干して畳んでそれぞれの監房へと届けるのだ。大変じゃないわけがない。



「あ、そういえば洗濯石鹸が切れそうでしたね。これ終わったら市場に行ってきます」


「ディア様、それは私が」


「でもラシェルさんはこのあと詰所当番ですよね? 私は宿直当番なので夜までまだ時間がありますし、行ってきますよ」



 洗濯物を全部干し終わったあと、リンソーディアはすぐ戻るつもりで市場へと出かけて行った。


 けれど、まさかそれきり戻れなくなってしまうだなんて、さすがのリンソーディアもこの時はまだ思ってもいなかった。


 違和感を覚えたのは市場に入ってすぐのことだ。洗濯石鹸を物色していたリンソーディアは、ふと店の外へと視線を向けたかと思いきや、買おうとしていた石鹸を棚に戻してそのまま手ぶらで店を出た。そして何気ない仕草で手鏡を取り出して、自分の身だしなみを確認する。



「…………」



 見えた風景に思わず顔をしかめた。彼女が鏡越しに見ていたのは、自分の姿ではなく自分の背後の景色だったのだ。

 こちらの様子を窺う怪しげな人影が二つ。しかもちらりと見えたその服装には覚えがあった。あれは確かチェザリアンの王国兵の制服だ。さて、どうするか。

 試しにリンソーディアはぐるぐると市場を回ってみるが、二つの人影は密やかにあとを追ってくるだけで接触はまったくしてこない。試しに人気の少ない路地のほうに入ってみたが、それでも手を出してはこなかった。……ふむ。


 考えた結果、リンソーディアはこちらから接触してみることにした。ただし部外者を巻き込むわけにはいかないので、ラシェルには悪いがなにも買わずに市場から出る。

 そのまましばらく歩き、第十三監獄とは全然違う方向へと背後の二人を誘導した。ヴェルフランドからできるだけ引き離す方角へ。それからリンソーディアはぴたりと足を止める。

 逃げ回るのはもうやめだ。それにいい加減、情報収集が必要だった。虎穴に入らずんば虎子を得ず。このあたりで敵の懐に飛び込んでやろうじゃないか。



「こんにちは。私になにかご用でしょうか?」



 振り返って、優雅に微笑む。

 それは久しぶりに浮かべる仮面の微笑みだった。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




「おい、ディアを知らないか」



 いつになく険しい顔をしたヴェルフランドにそう訊かれ、詰所番をしていたラシェルは「え?」と目を見開いた。



「ディア様でしたら午前中に洗濯石鹸を買いに行くと市場に行かれて、私はそれきり会っておりませんが……。ま、まさか、まだ戻られていない、なんてこと、は……」


「…………」



 その沈黙は肯定だった。ラシェルの顔がサッと青ざめる。やはり買い物には自分が行くべきだった……!


 険しい顔のまま何事かを考えているヴェルフランドと、鉄壁の無表情に動揺を滲ませるラシェル。二人のただならぬ様子に、他の仕事をしていたセラフィーナやハウエルたちもなんだなんだと集まってきた。



「……ディアが買い物に行ったきり戻ってこないだと? ちゃんと探したのか?」



 アイザックが難しい顔で腕を組む。まだ日が沈んで間もない時間だ。行方不明だと騒ぐにはまだ早いと思う反面、午前中に一人で出かけた彼女が未だに戻らないというのはやはり不自然な気もした。ヴェルフランドが苛立った口調で答える。 



第十三監獄(ここ)も官舎も隅々まで探した。でも見つからない。どこにもいない。とりあえず市場に行って探してくる」


「フラン様、俺も行きます!」


「私も同行させてください」



 ヴェルフランドの元部下たちも名乗りを挙げ、三人は足早に監獄から出ていった。いつもはにこにこしているハウエルも、今日ばかりは厳しい顔つきでリンソーディアの身を案じている。気が気ではなさそうな彼にセラフィーナは申し訳なさそうに声をかけた。



「ハウエル、すまないが今日の宿直に入ってもらえないか。本来であればディアの当番だったんだが……」


「もちろんだよー。ディアちゃんやフランくんの分まで任せてくれていいよ」



 できるだけいつも通りの口調で答えつつ、ハウエルは自分の感情を抑え込むように瞑目する。なにげに傭兵時代からリンソーディアのことを知っているため、ハウエルにとっての彼女は看守としてよりも戦姫という印象のほうが強かった。だからこそセラフィーナやアイザックよりも、どちらかといえば感覚的にはヴェルフランド側に近いものがあった。

 亡国の公爵令嬢であるリンソーディアが敵国に捕まるようなことになれば、果たして彼女はどうなってしまうのだろう。皇族であるヴェルフランドとは違い、殺されるようなことにはならないかもしれない。でも。



「しっかりしろ、ハウエル。まだディアがウィズクロークに捕まったとは限らねえからな」



 アイザックの声にハッとした。そう、そうだ。まだ分からない。まだ最悪ではない。きっと大丈夫だ。……大丈夫。



「……うん。そうだね。あはは、僕ってば一瞬あることないこといろいろ考えちゃったよー」


「まあ最悪の想定をしておくのは悪いことじゃねえけどな。あんま思い詰めんなよ。ディアは強いし、もし何かあったら真っ先にフランが動くだろうしな。あいつが動いたら誰にも止められねえよ。それこそディア以外はな」



 そうして無理やり気分を変えてみたものの、心はいつまで経っても重苦しいままで。嫌な予感が拭えなくて。

 しばらくして市場から戻ってきた三人の顔を見れば、結果は言われなくても察してしまえた。そもそも三人だけが戻ってきてリンソーディアがいない時点で察するには余りある。



「ディア様を見たという方々にお話を伺ったのですが、どうやらディア様はしばらく市場をうろうろされていたようですね。そのわりにはなにも買わずに帰って行かれたと」



 ラシェルが淡々と報告する。しかし声は平坦でも、その表情はいつもの鉄仮面とはまったく違うもので。彼女と一緒に聞き込みをしていたノルベールも頷いた。



「目的のものすら買わずに市場から出たということは、ディア様は誰かに尾行されていると気づいていたんじゃないかってフラン様が。市場を出たあとの消息はぱったりと途絶えてますし、周りの人を巻き込まないようにするためにも場所を変えたんだろうってのがフラン様の推測です」


「そうか……って、そのフランはどうした?」


「え? そこにいるはずで……あれ?」



 一緒に戻ってきたはずのヴェルフランドの姿がいつの間にか消えている。一同は目を白黒させた。本当に、ついさっきまでそこにいたはずなのだが。


 その後、宿直を引き受けてくれたハウエルを除く全員で官舎へと向かうと、リンソーディアとヴェルフランドの部屋はどちらも鍵が開いており、中はもぬけの殻になっていた。もともと身一つでここへやってきた二人だったが、まるではじめから存在していなかったかのように消えてしまったことには愕然とする。

 さすがにさっきの今で、ここまで手際よく部屋を片付けられるとは思わない。つまり、二人は普段からこうなることを想定して生活していたのだろう。部屋の鍵が開いていたことも、もうここには戻らないという意思表示のように思えた。



「……んん?」


「どうしました、ノルベールさん」



 珍しく悄然としているセラフィーナとアイザックの脇で、ラシェルとノルベールが驚いたような声を上げる。どうやらなにかを見つけたらしい。

 がらんとした部屋の中、寝室のベッドの下に隠されていたものは手紙のようだった。半分に折り畳んだだけの簡素なそれを開いてみると、見覚えのある丁寧な文字で『第十三監獄の皆様へ』と綴られている。



「これは……ディア様の筆跡ですね。看守長、副看守長、お気を確かに。ディア様からのお手紙のようです。ご覧になられますか」


「ディアからだと? あいつ攫われたとかじゃないのか?」



 首を傾げつつも四人は輪になってぺらりとした一枚の手紙を囲んだ。一体なにが書かれているのかと少し緊張しながら読み進めていく。


 しかし内容は簡潔なものだった。自分たちが急に姿を消した場合のことを想定してこの手紙を書いているという一文から始まり、自分たちの私物はすべて処分して欲しいという旨が記されていた。それから二頭の馬を街の厩舎に預けてあるが、場合によっては連れていかずに二頭とも置いていくかもしれないから、自分たちがいなくなってもたまには乗ってあげて欲しいという頼みも書かれている。

 最後に迷惑をかけて申し訳ないという謝罪と、自分たちは大丈夫だから心配には及ばないという言葉で手紙は締めくくられていた。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 時は少しだけ遡る。

 ヴェルフランドは第十三監獄から姿を消したあと、まっすぐ官舎へと向かっていた。自分たちがそこにいたわずかな痕跡を消すこと、そしてリンソーディアの手紙を隠すことが目的である。


 冬の備えである保存食はまだそれなりに残っていたため、一番近いアイザックの部屋の鍵を勝手に開けて、玄関にそれらの食料を無造作に突っ込んだ。あとは食べるなり分配するなり好きにしてくれればいい。

 それから部屋中を注意深く見て回って、二人分の私物をかき集めて鞄ひとつに収まったそれを、今度はラシェルの部屋に押し込んだ。彼女ならば適切に処分してくれるはずだ。



「…………」



 必要なことはすべてリンソーディアがあらかじめ手紙に書いてくれていたから、あとは第十三監獄の連中がその手紙の指示通りに事後処理を済ませてくれることだろう。

 こういう事態になって、改めて正体をバラしておいて良かったと思った。信頼できる協力者の存在はやはり必要なのだ。

 これであとのことは心配いらない。ヴェルフランドはベッドの下にリンソーディアの手紙を忍ばせた。さあ、自分が次にするべきことに集中しよう。



「ディア……」



 できるだけ長く一緒にいられたらいいと、そう言ってくれた大切な幼なじみ。いつかは離れ離れになることをお互い覚悟してはいるけれど、それは今でも、こんな形でもないということだけは確かだった。

 それにこれは予想外の事態というわけではない。どちらかが突然姿を消した時のことはすでに想定済みだった。こんな時どうすればいいのかは事前に話し合っているため焦りもしないし慌てもしない。

 それでも、頭では分かってはいても、大事な半身を失ったかのような感覚に心は重いままで。


 ヴェルフランドは愛用の剣を腰に佩き、短剣を懐にしまい込み、数本の水薬(ポーション)と財布をポケットの中にねじ込んだ。



「行くか」



 誰に言うのでもなく一人そう呟く。

 そうしてヴェルフランドは夜の闇に紛れてガイアノーゼルから出ていった。仲間も思い出もなにもかも置き去りにして。ただリンソーディアを迎えに行くために。


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