王太子様は如何なさった?
唐突ですが、きっと葛藤はあった筈。
「どうして、マクシミリアン国王陛下から呼び出しが掛かるの」
新学期が始まり、色々手詰まり感はあるが、学生生活は平穏だったのに、突然、王宮から呼び出しがあった。
しかも呼び出したのがマクシミリアン国王陛下本人だと知らされ、アリッサは驚愕するより、何故?と首を傾げた。
呼び出された次の日、またもアリッサは淑女らしくドレスを着込み、マクシミリアン国王陛下との面会の為、王宮に赴いていた。
謁見の場所は執務室でも謁見の間でもなく、秋の花が咲き誇る中庭で、国王1人だけでアリッサを待っていた。
「初めて御目に掛かります。ゴードウィン伯爵の娘、アリッサです」
淑女らしく、ドレスを摘む挨拶をすると国王は静かに頷いた。
「手間をかけてすまない」
プラチナブロンドにエメラルドグリーンの瞳をした、ロデリック殿下によく似たロマンスグレーのマクシミリアン国王陛下がゆったりとした態度でアリッサを出迎える。
「陛下のご尊顔を拝謁する栄誉に、心が震えております」
「そんな堅苦しい言葉では無く、楽にしなさい」
「御心使い、感謝致します」
「ゴードウィン嬢が行儀見習いで此処に来ていた事はバリエールから聞いていたし、仕事ぶりはリリアが褒めていた」
アリッサが席に着くと国王は穏やかな声で話しかけて来た。
王太子の元で働いていたが、大貴族の令嬢でも無い者の事まで耳に入れていることに驚いてしまった。
「私のような未熟な者にまで御心を掛けていただき、感謝の言葉もございません」
「未熟とは。既に多くの部署が君の争奪戦を水面下で始めていると言うのに」
「えっ?」
突破の言葉に思考が止まった。
「おや、知らなかったのか。君が文官の試験を受けたら所属する役所は、と言う話題に、内務省と司法省それに宰相サイドも牽制し合っている」
「ええぇ」
まずい、驚き過ぎて素が出てしまった。
文官を目指す者たちが目指す部署、ベスト3が連なっている事にアリッサはオロオロした。
「ちなみに、デュラン・フォルスの所のサイラスが、かなり睨みを利かせてもいる」
「まだ進路を決めかねていますので」
いきなりの事に頭がくらくらする。
なんで、そうなるんですか?
「君はその若さで物事を冷静に見る。仕事は真面目で、身分や役職で得られる特権などに目が眩まず、潔い程真っ直ぐだ」
マクシミリアン国王陛下が楽しげに此方を見ているけど、ちょっと頭の中を整理させて下さい。
「私はいずれ陛下の臣下となる身です。貴族である以上、身分に伴う責務が有りますが、特権など興味がありません」
貴族が優遇されているのは確かで、平民や貧民達から見れば恵まれ過ぎている。
だからそれ以上の物を求めるのは、強欲過ぎる気がした。
「その年で己を律することは並大抵では無い」
「父や兄を見て育ちましたから」
己に厳しい2人の背中を見て育ったから、自分もそうでありたい、と思う。まぁ、中身がアラサーの庶民ですから、貴族の傲慢さには抵抗もあるのよね。
「マリウスやアランの背中か。自分を律する強さの理由は理解したが、バリエールやサシェが君に関心を持ったのはそれだけでは無いよ」
謎かけみたいなマクシミリアン陛下の言葉に、つい首を傾げてしまう。
「傷ついた者を臆せず助ける優しさや、他者への配慮がある君だからこそ、彼らは君を側に置きたがる」
レノンの事までマクシミリアン陛下の耳に入っているなんて。
あぁ、マクシミリアン陛下は自分を支え、国の為に働く者達へ平等に心を配られているのだろう。
心から尊敬できる君主だ。
「身に余る賛辞です。ただ、私は自分ができる事をして、マクシミリアン陛下の御世を支える杭の一つに成れれば幸いです」
これ程素晴らしい君主が治める国の民である事が誇らしい。
「1つ聞きたい。ゴードウィン嬢の目にはデュラン・フォルスはどう映っているのかな?」
突然の質問にアリッサは少し考え
「子供は親の背中を見て育つものですから、いずれは陛下のような、良き君主と成られる素地をお持ちだと思われます」
陛下の真意が解らない為、ありきたりな答えを口にした。
「では、足りないものは」
「ございません」
即答しながらも、言葉を飲み込もうとするアリッサを、マクシミリアンは国王としての厳しい目で見詰めた。
嘘も誤魔化しも通用しない。
心を決め、一度大きく息を吐き出し、マクシミリアン王を真っ直ぐ見詰めた。
「ですが、無礼を承知で言葉にしますと、足りないものはございませんが、お持ちになられている資質を活かしきれていないように思えます」
「活かしきれていない?」
「デュラン・フォルス王太子殿下は、職務では有能なお方です。ですが、支える者達の働きを当然、と受け止めていらっしゃいます」
「当然?」
「はい。臣下は支えるのが当然ですが、陛下のように臣下を人として、とは意識はしておられないようです」
マクシミリアン陛下は家臣の働きに心を配られているからこそ、家臣達は陛下の為に、そして陛下が治めるこの国の為に働いている。
人々の、その想いの強さが、マクシミリアン陛下に揺るぎない強さを与えている。
いずれ王として立つデュラン・フォルスには、その強さが今はない。
王とは孤独で、非情な決断を1人で下さなければならない時がある。
だが、王が王としての役目を果たす為には、多くの者達の力が必要だ。
人は機械では無い。尊敬できる者に認められ、時には努力を労われる事で、更に前へ進むのだ。
「バリエールが是非に、と言っていたのが理解出来る」
厳しかったマクシミリアンの目が柔らかくなり、静かに頷いた。
「ゴードウィン嬢の人柄は思っていた以上だ。では、着いてきなさい」
マクシミリアン陛下が立ち上がると、アリッサに手を差し出した。
「何方へ」
「マリウスの所だ。君が居れば彼の雷は落ちないだろう」
父様の所に行くのに何故私が?と顔に出たのだろう。マクシミリアン陛下が笑った。
「マリウスが長らく固辞していた役職を、押し付けに行くからね」
父様が固辞していた役職。
思い当たる事がある。
「陛下、それはもしや……」
「この国の軍最高責任者である将軍職は長い間、空席だった。だが、軍の命令系統を見直さなければならない」
アリッサは、自分が手を重ねている人を真っ直ぐ見詰めた。
自分達が夏休み中、王宮で調べた事はまだ確証も無い噂でしか無い。それなのに陛下は、年若い自分達の事を信じ、身内よりも国の安定を選んだ。
「マクシミリアン陛下に忠誠を誓います。この時より、この身は陛下の剣となり、盾となります」
重ねていた手をそっと離し、騎士が忠誠を示すように片膝を付き、右手を胸に当て頭を下げた。
「ゴードウィン嬢。いや、アリッサ嬢。貴殿の聡明さに感謝する。では、マリウスの雷から私を護っておくれ」
「喜んで」
差し出される手に自分の手を重ね、アリッサは笑顔で応えた。
2人の様子を少し離れた場所から見ていたデュラン・フォルスはアリッサが父親である、マクシミリアン王に騎士の忠誠を誓った事に驚いた。
年若いのに、宰相バリエール達が高く評価する有能ぶりを見せ付けるアリッサに父王は初め、警戒をしていた。
直接会って、話をしても感心はしているが、警戒を解くほどではなかった。
だが、彼女が躊躇いもなく父王に跪く。
確証は無いが、王家の危機になりうる事案の真偽を探った事への賛辞と、彼女達の働きに応える決定に、アリッサは迷いもせず膝を折った。
有能で誇り高い彼女ですら心を寄せ、努力を労われると臣下として膝を折る。
彼女の言った通り、自分も父王のように臣下の言葉に耳を傾けて、心を寄せれば多くの家臣だけでなく、彼女もあのサファイアの瞳を輝かせ、忠誠を誓ってくれるのか?
だが、臣下として自分に忠誠を誓い、真っ直ぐ自分を見詰める彼女の姿を想像すると、何故か胸がもやもやする。
彼女の瞳が煌めきながら自分を見詰める事には喜びを感じるのに、その意味が臣下としての忠誠だと思うと喜びが薄れ、苛立ちさえ感じる。
「同じ煌めきを秘めるなら、恋に……。あぁ、そうか。そうなのか」
自分の言葉で、自分の中にある疑問に答えが出た。
いつの間にか、自分はアリッサに恋をしていた。
美しく聡明な姿にではない。彼女の優しくそして強い内面に惹かれている。だから感情を殺した冷静な態度を取られると苛立ち、笑顔を向けられている者に嫉妬していた。
「ライバルは多そうだが、負ける気は無いし、負けるつもりも無い」
自分の気持ちを認めてしまえば、行動あるのみ。
他のもの達より随分と出遅れているのだから、1分でも多くアリッサとの時間を持とう、とデュラン・フォルスは父王達の元に姿を現した。
「デュラン・フォルス」
「王太子殿下」
「父上、歓談中に失礼します。久しぶりにアリッサの声が聞こえて来ましたので」
突然現れた笑顔のデュラン・フォルス殿下に驚いたが、自分を呼び捨てにしている彼の態度が理解出来ない。
「お久しぶりでございます。デュラン・フォルス王太子殿下におかれましては」
「アリッサ、私に対してそんな冷たい態度を取らないでおくれ」
何があった?
素っ気なく執務室から追い出されてから1ヶ月以上は経ったけど、ぐいぐい距離を詰めてくる、王太子の行動が判らない。
「あの……。デュラン・フォルス王太子殿下」
「私の事は、デュランと呼んで欲しいな」
つい、助けを求めるようにマクシミリアン陛下に目を向けると、陛下も驚いていらっしゃった。
「デュラン・フォルス、何があった?」
「特に何も。ですが、恋心を自覚しました」
「恋心?」
背筋を伸ばし、晴れやかな笑顔の王太子は何処にも迷いが無い口調で、自分の気持ちを口にしている。
「はい。自覚する迄はこのモヤモヤする自分の感情が、どこから来ているのか理解出来ませんでしたが」
そーっと陛下の影に逃げようとしていたアリッサの手を取り、熱い眼差しで見詰めた。
「この類い稀なる美女に、私は恋をしています」
絶対、悪い物を食べたに違いない。
いや、王太子殿下の食事には間違いなく毒見役が居るから……。
陛下達には失礼だが、ダッシュで逃げよう、と決めたのにアリッサは逃げられなかった。
「デュラン・フォルスが恋を。素晴らしい」
がっしりとアリッサの肩を、マクシミリアン陛下も掴んで離さない。
2人に挟まれ、完全に退路は閉ざされた。
「女嫌いか、と思うほどその手の話を毛嫌いしていたデュラン・フォルスが恋を。しかも、これ程素晴らしい令嬢に」
歓喜するマクシミリアン王の姿は、どう見ても普通の父親だ。
「そう言う訳なので、父上、アリッサから手を離して下さい」
アリッサの手をしっかりと握る王太子は、父親にさえ牽制をする。
「心が狭いな。そなたの妻になるなら、アリッサは私の娘にもなるのだぞ」
国王陛下もアリッサを、当然のように呼び捨てにしている。
当人を置き去りにして、決定事項のように言わないで下さい。
「あの、父様の所へは?」
「そうだった。デュラン・フォルス、アリッサへの求婚の事は、義理の父親になるマリウスにそなたから話しなさい」
陛下、物凄くいい笑顔ですが違う。そっちの意味じゃ無くって。
「はい。勿論、そのつもりです。大丈夫だよ、アリッサ。将軍職着任の件も私がきちんと話すから」
忘れてなくって良かった、って安堵なんか出来ません。
その後は思い出したくも無い、黒歴史になった。
父様が居る、近衛騎士団の訓練場までがっちり手を取られ、父様達を驚かせた。しかも、王太子殿下からの突然の申し出に、父様は、娘はまだ成人していないから早過ぎると言ってくださると思ってたのに、男勝りに育った娘は嫁に行けないかも、と思っていたと言い出して、王太子殿下のお話に泣いて喜ぶし、兄様は地の底まで落ち込んだ。
なんで妹の結婚話にそんなに落ち込むんですか。
どさくさに紛れて承認させた、父様の将軍就任で、大公のクーデターを未然に潰せた事だけが朗報の、とんでもない1日だった。
でも、私がまだ成人していないから話は一応、私がアカデミーを卒業するまでは候補者になり、婚約即結婚にならなかったのは、皆さんにまだ常識が残っていたお陰だろう。
貴族であれば、王家からの要請に断る、と言った選択肢がない事は解っていますが、こんなに慌ただしく決まっていい事なの?
書いている自分でもこうなったら慌てるよね、と思ってしまった。




