世界の理
夜のテラスにコトリ、コトリと音が鳴る。
そこに居るのは、俺ことリアーナ=セレスとその愛しの妹、マリアだ。
鳴っている音はボードゲームの駒を動かす音。
俺たちは今テーブルを囲んで、アンに入れてもらった紅茶を飲みながらシャッハと呼ばれるゲームに興じていた。
俺は紅茶を飲みながら、駒を動かしてマリアの駒を取る。
うーん、これは
「どう、考えても、チェス…………。」
マリアがポツリと溢す。
そう、こいつが言うように、それは言うなればクイーンを無くし、ビショップの動きに制約を付けたチェスとでも言うべきもの。
マリアが眉間にシワを寄せてそれを指摘する。
「中世、くらいの、チェス、のルール。」
マリア曰く、このルールのチェスは地球の、中世ヨーロッパで遊ばれていたものらしい。
タスマニアンラプソティーでも、ミニゲームとしてボードゲームをやることはあった。
だが、それは現代と同じルールのチェスでありシャッハじゃあなかったんだけどな?
この世界は確かにかの乙女ゲーに各所が似ていたりあのゲームの登場人物である俺やマリアが存在するっても、完全に同じ世界というわけじゃあねーのか、興味深い。
ともかく、この世界の文化レベルはこのゲームから見るに中世ごろということになる。
でも、それだとおかしなことがある
「そのくらいの時代だと、道端に汚物が落ちてておかしくないが、うちの領地じゃ見たことねーな。」
それにしては、町がきれいすぎる。
それはこの領地特有のものなのか、どうか。
「アン、に調べさせ、た。よほど、あれな領主じゃなかった、らこのくらいは、清潔。」
なるほどちぐはぐだ。
魔法使いがそこらに居るならまだわからんでもないが、そういうわけでもないしな。
風呂に関しては、まぁ中世に風呂文化が無かったのはキリスト教の教えに「自然に出た垢や汗を流すのは神への冒涜」とか、そういった人口を間引く目的があるとしか思えない教義があったからだしな。病気になるでほんま……………。
この世界の宗教、この国の国教である正十字教はそれよりはまともだったってことなんだろうよ。
そんなことを話すとマリアからは
「?………あの、時代、から、近世初期のキリスト教、より、狂った宗教、あるの?人の身で想像、できる?」
なんつー尤もなご意見を貰いました。
地球上でも特に残虐な拷問道具。そのうちの大半を、クッソガバガバな密告システムで晒し上げられた人を虐殺せしめるために産み出した宗教…………なるほどたしかに狂気が極まっている。
これはむしろ地球の中世のが異常だったんじゃねぇかとすら思える。
風呂文化にしても汚物の処理にしても、古代ローマの時代にはすでにほぼ完成していたもんだ。それをワケわからん謎理論で廃したのは考えてみればとても不思議な思考回路な気がする。
あっちの世界、まだ紀元前数千年の文明黎明期の遺跡であるモヘンジョダロからは、水洗トイレが発見されたらしいし。
上水道は普通に作られて都市部の井戸に繋がってたそーだから、水道を作る技術が失伝してた訳でもなし。
この世界がいびつで文化がちぐはぐってより、俺たちの前世のあの時代――――中世ヨーロッパがむしろ文化的にちぐはぐで後退しすぎてたのかもしらん。
「黒死病、の、せいで、複数人、で、お風呂に入るの、が、リスクに、なった、というのも、ある、けど。」
あぁ、なるほどあの時代のヨーロッパったらペストか。その他にも疫病とかで、他人と風呂に入るのが忌避され始め、さりとて個人で風呂を所有するほどの余裕もなく………ならまだペストやらなんやらの疫病のパンデミックが起きてないこの世界では風呂やらなんやらの文化も健在だわな。
「でも、宗教、の違いは、あると、思う。」
そんなマリアの呟きに頷きを返す。
万人オーダーで無辜之民が焼かれ切り刻まれていた前世の近代初期の暗黒時代。そして蒙昧と狂気が世界をおおっていた中世時代。
それまでに発見されていた真理も事実も全て否定して世界の知が停滞したあの時代。
この世界は、別の宗教を選びとったことで、それを回避したのかもしれない。
あぁ、ちなみに、この世界の技術に関しては、これは普通に14世紀から15世紀、中世末期ヨーロッパ位だ。
トレビュシェットと呼ばれる投石機やバリスタが攻城兵器として用いられ、あとは極々初期の火砲である臼砲やカノン砲なんかもじょじょに製造され始める頃。
とはいえ基本的には戦場ではまだまだ騎兵や弓兵が主役で、切り札として竜騎兵が出てくる程度。今のうちに差をつけておきたいね。
前世地球であれば14世紀ごろにはマスケット銃もできてたはずでそろそろ出てきてもおかしくない。
とはいえ、この世界ではすでに俺がそれより先進的なセミオートライフルを各国に売り付けてるのでマスケットはスキップされて、ライフルの生産が始まっててしかるべきじゃねぇのという感じだが。
「あと文化がそこそこできてる理由としては、侵略国家お馴染みの奴隷制度かな。」
近代、機械が労働力を担うようになるまでどの国でも共通した法則。
侵略をたくさんする国、奴隷をよく使う国ほど、文化的に洗練される。
他国から略奪した替えの効く奴隷は、生活を支える労働力となり、本来のその国の人間にはたっぷりと余暇を楽しむ余裕が生まれる。
そうなると必然的に文化は洗練されると言うわけだ。
「ま、タスマニア王国は腐っても大国かつ、元とはいえ侵略国家だからな。」
そう、まさしくそれは前世で隆盛を極めた古代ローマやギリシャのような。
この国では、街を歩けば必ずと言っていいほどには奴隷を見かける。
彼らが、間接的にこの国の文化的発展を支えているのだ。
「奴隷、解放、は、する?」
「わかってて聞いてるだろ。やった方が得になるまではやんねぇよんなもん」
やったらこの国は壊れる。どころか、この世界も無事じゃすまない。
前世の世界で、先進国からロボットがなくなるとどうなるか。
この世界、この国ではそのロボットの役目を奴隷が担っているのだ。
それを無くすとか、本当にとんでもないことになるぞ。少なくとも今はまだ頃合いじゃねぇよ。
「俺は世界平和を最終目的にしてるが、自己犠牲やってまでジャスティスを貫くほどヒューマニストじゃねぇんだ。」
そう吐き捨ててぬるくなった紅茶をすする。
テーブルの上のチェス盤では、俺のキングがマリアのルークにチェックメイトされていた。