徒戦
タスマニア東部に程近い平原、そこに設えられた遊牧民の陣で鎧を着た髭面の男がよたよたと歩いていた。
ふと中央の広場のように開けた場所に目をやると、はるか東の華漢と呼ばれる国から略奪してきた品々、金品や文化財、そして女といったものたちが――――盛大に焚き上げられていた。
散々に暴行され、悲鳴をあげることすらなくうめきながら肉が焼けていく様はリアーナが見れば赫怒して砲爆を賜ることだろう。
だが、こんなものはどこの国でも、戦士階級なら皆やっていることだ。
タスマニアが支配する以前の大陸西部でも、極東の島国でも、果ては今回ばかりは被害者側となった華漢でも―――――勝ったものは負けたものの全てを奪っていく。
命も、誇りも、文化でさえも踏みにじり塵のように棄てる。
だからこそ、それをしようとしないタスマニア王は侵略によって広がった国土を反乱もなく治めているし、敗者に慈悲深い―――ジュネーブやハーグといった国際人道法の理念を教え込まれた―――――リアーナの軍団は侵攻先の国で歓迎されるのだ。
(アタシたちがリアーナ様を主と仰ぐように、ね。)
つらつらと、そんなことを益体もなく考えながら髭面の男は陣中を進み続ける。
前から歩いてきた将軍格の遊牧民とすれ違い、フラりと足元をよろけさせ、テントの影へと消えていった。
「…………ん?」
「どうした?スフバトル千戸長」
兵士とすれ違った将軍、彼らの中では千戸長と呼ばれるその人がいぶかしげに振り替える。
「千鳥足の兵士だ。宴も開いていないのに酔っていたのか…………?」
彼らの軍団では酒と女に関することにおいて規律と言う概念が形骸化している。宴などを開いて野営中に酔うことはさほど不自然なことではない。
だが、それでも、昼間から何もないのに酒を飲むようなのは稀だ。
「…………くそ、やられた。すぐに兵を動かしてさっきのやつを見つけろ。」
腰元の違和感に目をやると、そこに収納してあったはずの木簡がどこかに雲隠れしていた。
スリだ――――――そう即座に看破したのは、さすが将を任せられるだけの人物と讃えられてもいいだろう。
だが、相手が悪すぎた。
「ぬるいなぁ、大カーンの名が泣くよ。」
つけ髭を引き剥がし、鎧を手早く別部族のものに着替えたスリの犯人は、そんなことをぼやきながら悠々と離脱していった。
…………………各地で虐げられやむを得ず身につけた業ではあるが、使い方次第では護国のための武器となる。
リアーナ小飼の諜報機関のエースとして、放浪民の女は情報収集に勤しんでいた。
――――――同時刻、国境付近山中
「山道での行軍なんか糞の極みだ……………。」
「にしちゃあ涼しい顔じゃあねぇか。」
休憩から暫く、俺たちは山道を進行していた。
砂利で敷き詰められているわけでもない、土の道は容赦なく体力を奪っていく。
「慣れだよ、慣れ。鍛えてるのもあるし…………ただ、他のやつらは会敵前に休憩を挟まないと戦闘に支障が出そうだな、こりゃ。」
ぐるりと周囲を見回してみると、かなり息の上がった奴等が目立つ。
傭兵は兵士とは言っても鍛練とは無縁なやつが殆どだ。殺し合いに慣れてるだけで、体力はそう一般人と変わらない。
「嬢ちゃん、やつら平原に布陣してるらしいぞ。こっちは山から逆落としに突っ掛けると話しておった。」
…………逆落し………ねぇ。
「相手がそれでビビってくれりゃあ良いがな。それ系の奇襲ってのはバレた瞬間にジリ貧になるんだ。」
基本的に、奇襲作戦というのは相手が予想しない所から突っ込んでいくものだ。
相手が間抜けならともかく、精鋭であればあるほどその予測は精度が高く、こちらの有利になるポイントに睨みを利かせてきやがる。
その間断を突こうと言うのだから自然、不利な難所から攻撃を仕掛けることになり―――――
「バレた時の被害が雪だるま式に膨れ上がる、と。」
「そういうこと。ばれさえしなきゃあそのデメリットを補って余りある効果を発揮するが、そうじゃなきゃ戦力が優越していたとしてもひっくり返されうる。諸刃の剣なんだよ。」
ましてや、今回みたいな歩兵主体の部隊で騎馬相手に山から奇襲するとなると、機動力も突破力もなにもかも足りない。
「歩兵の強みと弱みはなんだと思う?爺さん。」
そんな俺の問いに、少し考えたあとで口を開く。
「数と行動の揃えやすさ。弱みは火力と突破力、機動力の足りなさ。
あぁ、成る程な、わかったわい嬢ちゃんの言いたいことが。」
「そ、奇襲作戦ってのは突破力と機動力がなきゃあ逆に防衛側に擂り潰されて終わる。山から突っ込んでいく歩兵は向いてない。こういうことに向いてるのは歩兵じゃなくて騎馬なのさ、機械化歩兵ならともかくな。」
現代の軍隊では奇襲こそ正道とされる。歩兵が機械化し、多くの兵科が高機動化高火力化した現代では。
迂回侵攻に敵の準備が終わらないうちの速攻、歩兵ですら車両によってこの時代の騎馬を遥かに越える速度を持つからこそ、そういったことが“前提“にまでなるわけだ。
逆に言えば、この世界のとろくさく有機的な連携もろくにできない歩兵でそんなことをやっても―――――
「死ぬぞ。皆死ぬ。敵に楔を打ち込む前に遊牧民の騎馬部隊に側面を取られて蹂躙される。爺さんも今のうちに遺書を書いといた方がいいぞ。」
そんなふうに、くすくすと笑いながら、俺はこれからの流れを語り聞かせた。
―――――同時刻、タスマニア南部。
「わぁ……………。」
感嘆の声をあげるのは、獣耳獣尾の異形の少女。
目の前には一面の麦畑が広がっている。
「ルー。」
傍らに立つ眠たげな目をした表情のない女性が彼女の名を呼掛ける。
それに応えるように振り替えると、ふわりと花がほころぶような笑みで駆け寄った。
「マリアさん………すごいね、こんな一面の麦畑、始めてみた。」
「ん、みんなの、おかげ。」
ぎゅう、と抱き締めて頭を撫でさするその姿はまるで仲の良い姉妹を描いた一枚の絵画のようで、通りかかった農民たちも思わず足を止める。
「みんな、お腹一杯、たべられる、ように。」
子供は親を選べない
子供を捨て、無責任にも道具や玩具のように扱う親などありふれている。
現代ですら例外ではないのだ、この世界ではどれ程悲惨かなど想像するに容易い。
マリアはスラムに棄てられ、地獄の中で暮らしてきた人間だ。「子供はみな望まれて産まれてきた」という言葉が上部だけの欺瞞に過ぎないことなど良く良く知っている。
(もしそうなら――――私はあんな思いをしなくてすんだんだから。)
社会規範と、なによりスラムで男に犯されないために缶詰の蓋で行った女性器切除。
生きるために盗みを働き、捕まえられて売り払われた先でスナッフムービーに出演させられそうになったこともある。
そんな肥溜めの底のような境遇の子供など、ありふれていた。
それは、あちらもこちらも変わらない。
乙女ゲームでは編集されきれいな部分だけが見せられていたこの世界にも、現実ともなれば濃い汚泥の帳が確かに存在しているのだ。
(でも)
それでも
あぁ、それでも
(親が愛さないなら、近しい人たちが手を差しのべないなら―――――それを救うのがわたしたちの責任だ。)
貴族として、国家の側に立つものとしての、責務を。
なによりも、かわいい子供たちが泣いているのが、自分と同じ目に遭う子供たちが居るのが、許せないから。
「ルー。」
「ん………なに?マリアさん。」
「まもる、から。」
そのためにもまずは………………今タスマニアに迫る遊牧民の軍勢、それを粉砕するところから始めよう。
姉ならやってくれるはずだ。私を助けたときみたいに、きっと。