独身サラリーマンが異世界に勇者として召喚され、高身長イケメン神官と共に冒険の旅に出る話
「ハァ……」
俺は海よりも深いため息を零しながら、暗い家路を独りで歩いていた。
今の会社に勤めて早10年。
この春から主任に昇進した俺は、慣れない中間管理職に悪戦苦闘しながらも、自分なりに粉骨砕身、職務に専念してきたつもりだった。
だが、現実は甘くなった。
上からは売り上げが悪いと叩かれ、下からはこんなスケジュールじゃやってられないと文句を言われ、俺の精神は日々ガリガリとやすりで削られたかのごとく摩耗していった。
今日も新人がやらかしたミスの尻拭いで、こうして終電まで残業していたところだ。
こんなことならトラックにでも轢かれて、流行りの異世界転生でもしてしまいたいものだが、そうも言っていられない。
明日も朝一で、クライアントと打ち合わせがあるのだ。
今日は熱いシャワーだけ浴びて、さっさと寝てしまおう。
そう思っていた俺だったが、結論から言うと、俺がこの日、自分の家に帰ることはなかった。
「……ん?」
突如として俺は、目映ゆい光に包まれた。
「おお、勇者様! ようこそおいでくださりました!」
「……は?」
光が収まると、目の前には見知らぬ高身長のイケメンが立っていた。
RPGの神官のような格好をしており、笑顔がとても眩しい男だった。
光は収まったはずなのに、そのあまりの眩しさに、俺は思わず目を細めた。
てか今、この人俺のことを、勇者様って呼んだか?
辺りを見回すと、一面には牧歌的な平原が広がっており、夜空には月が二つ浮かんでいた。
……え? まさかここは、本当にRPGみたいな世界なの?
「……混乱なさるのも無理はありません。ここはあなた様のいらした世界とは異なる、魔王が支配する混沌とした世界なのです」
「……おぉ」
そのまさかだった。
えぇ……、待ってよ。
普通こういうのって、もっと若い男の子が召喚されるものなんじゃないの?
何で30超えたオッサンが、異世界に勇者として召喚されてんだよ。
ヨレヨレのスーツのままで。
こんな色んな意味でヨレヨレの勇者見たことある?
俺が今持ってる武器っぽい物っていったら、バッグの中に常備してる折り畳み傘くらいしかないけど、これで魔王って倒せるのかな?
「こんなことをお頼みするのは厚かましいのは百も承知です! ですが、この世界を救えるのはあなた様しかいないのです! どうか私達に、お力をお貸しいただけないでしょうか!」
イケメン君は俺に深々と頭を下げてきた。
仕事柄普段は頭を下げることの方が多い俺なので、いざこうして下げられる側になると何ともバツが悪い。
「と、とりあえず顔を上げてくれないかな」
「ハイ」
イケメン君はスッと直立不動の体勢になった。
そして真っ直ぐな眼で、俺を見つめてくる。
うわあ、そんな眼で見られたら切り出し辛いなぁ。
「……君には申し訳ないけど、俺は勇者にはなれないよ」
「っ!……そうですか」
イケメン君は目に見えてションボリとした。
そんな顔をされると俺も心が痛いが、俺にだって譲れないものはある。
「生憎俺もあっちの世界でやらなきゃいけない仕事があるんだよ。明日は先方と大事な打ち合わせがあるんだ。俺が立ち上げた案件だから、絶対に欠席する訳にはいかないのさ」
「あ、それでしたら大丈夫です」
「え?」
何が?
「この世界を救っていただけた暁には、あなた様はちゃんと元の世界にお帰しいたします。しかも、ここに召喚された際の時間軸に」
「あ、そうなの」
じゃあ、勇者やってみてもいいかな。
……とはならないよ!!(ノリツッコミ)
「いやいやいや、それよりも根本的な問題があるんだって! 俺はただのサラリーマンなんだよ!……サラリーマンって言っても、君には通じないかもしれないけど。とにかく戦いに向いてる身体じゃないんだ。勇者なんて俺には無理だよ」
「そんなことはございません」
「は?」
さっきから俺、「は?」とか「え?」とかしか言ってないんだけど。
「あなた様程勇者に向いている方は他におりません。それは私が、命に代えて保証いたします」
「……」
イケメン君は凛とした顔で言い切った。
「……何で初対面の君が、そんなことを保証できるんだい?」
「それは――」
「グガアアアアアアアッ」
「「!!」」
その時だった。
空気をつんざくような咆哮が鳴り響いたかと思うと、次の瞬間、俺達の目前に巨大なドラゴンが降り立った。
えーーー!!!
「なっ!? これは、伝説の魔獣アブソリュートヘルフレイムドラゴン!」
「で、伝説の魔獣!?」
何その滅茶苦茶強そうなやつ!?
そんなの初っ端に出逢っていいモンスターじゃないでしょ!?
最初はチュートリアル的に、スライムとかゴブリンとかと戦うのがセオリーなんじゃないの!?
「ガアアアアアアアッ」
「くっ!」
伝説の魔獣アブソリュートヘルフレイムドラゴンは、丸太のような太く鋭い爪が生えている前脚を、俺達に振り下ろしてきた。
「っ! 危ないッ!!」
「勇者様!?」
俺は咄嗟にイケメン君をタックルで突き飛ばした。
結果、間一髪伝説の魔獣アブソリュートヘルフレイムドラゴンの爪は、俺の肩を掠めただけで済んだ。
「大丈夫か、君!!」
「は、はい、私は……。でも、勇者様が」
「俺のことはいい! 早くここから逃げ――」
「グガアアアアアアアッ」
「っ!」
だが、無情にも伝説の魔獣アブソリュートヘルフレイムドラゴンの二撃目が、俺達に襲い掛かった。
クソッ、ここまでか――。
「勇者様に手を出すなッ!!」
「っ!?」
目にも止まらぬ速さでイケメン君は魔獣アブソリュートヘルフレイムドラゴンの胸元まで駆け寄った。
そして右拳を突き出すと、一撃で魔獣アブソリュートヘルフレイムドラゴンは夜空の彼方まで吹っ飛ばされていった。
ええええええーーーー!?!?!?
「これでもう安心です。今、傷を手当ていたしますので」
「あ、うん……」
イケメン君が俺の肩の傷に手をかざすと、傷は見る見るうちに塞がった。
「一応は私も神職に身を置くものです。回復魔法は得意なのです」
「……そうなんだ。ありがとう」
それよりも俺には、もっと気になることがあるんだけど。
「……君、凄く強いんだね」
「はい。この10年間、勇者様にお仕えするため、一日たりとも鍛錬を欠かしたことはございませんから」
「……へえ」
そんなに前から?
「そういえば、さっき言いかけてたよね。君が俺を勇者に向いてるって言う根拠って、何なんだい?」
「……やはり、覚えてはおられませんよね」
「え?」
何を?
「――今から10年程前、あなた様は先程のように、一人の少年をお助けになったことがあるのです」
「10年程前?――あっ」
思い出した。
そうだ、あれは確か俺が入社して間もない頃だ。
俺が朝、会社に向かって歩いていると、信号が赤になったにもかかわらず、横断歩道を渡ろうとしていた高校生くらいの男の子がいたので、さっきみたいにタックルして止めたんだった。
「……それが、私です」
「あれが君!?」
そんなバカな。
あの時の少年は俺より背が低かったし、身体も華奢で、女の子みたいな子だったぞ。
「毎日、鍛錬を重ねましたから」
「……そう」
鍛錬でも、背は伸びなくない?
いや、それ以前に――。
「何でこの世界の君が、あっちの世界にいたの?」
「……ここでは、神官が召喚する勇者様を選別することになっているのです」
「……!」
「そして神官を志す者は、18歳の誕生日を迎えると同時に、あちらの世界に赴き、勇者様に相応しい方を探すしきたりになっているのです」
「なっ!?」
……そうか。
あっちの世界に初めて来た時だったから、信号がわからず赤信号でも渡ろうとしてたのか。
「――あの瞬間、勇者様に相応しいのはこの方しかいないと思いました」
「……」
それは大袈裟じゃない?
「私は勇者に一番必要なのは、敵を倒す力ではないと思っています」
「え?」
じゃあ、何?
「……それは、『人々を守ろうとする意志』です」
「っ!」
「あなた様には、それが備わっておいででした」
「……いや、それは」
咄嗟に身体が動いただけなんだけど。
「それは誰しもが持ち合わせているものではありません。そしてその意思こそが、人々に勇気を与え、世界を平和にするための礎となるのです」
「……」
「ですから私は、あなた様をお支えするための懐刀となるべく、この10年を費やして参りました。――そして正式に神官の資格を得た今夜、満を持してあなた様をこの世界にお呼び立てした次第です」
「……そっか」
俺の知らない10年に、そんなことが。
「ですから今一度お願い申し上げます。どうかこの世界を、闇から救い出してはいただけないでしょうか!」
イケメン君は再度俺に頭を下げた。
ここまでされては、俺にはもう、返す言葉は一つしか残っていなかった。
「……顔を上げてくれよ」
「……はい」
顔を上げたイケメン君の眼には、涙が薄っすらと浮かんでいた。
まるで神からの審判を待つ子羊のようだった。
「……やるよ」
「え」
イケメン君は眼を見張った。
「やってみるよ、勇者。俺なんかに務まるか、自信はないけど」
「……勇者様!」
イケメン君の顔が、太陽みたいにパアッと輝いた。
「その代わり、あまり期待はしないでくれよ」
「大丈夫です! 勇者様なら、絶対に大丈夫です!!」
うーん、イケメン君からの信頼が重いなあ……。
まあ、やると決まった以上は、最善を尽くすしかないが。
「そういえば君、名前は何ていうんだい?」
「私ですか……」
イケメン君は、照れくさそうに答えた。
「――ライトと申します、勇者様」
「――!」
とんだ偶然もあるもんだ。
「そうか、俺の名前は光っていうんだ。奇遇だね」
「――っ! 光様!!」
ライト君の笑顔が眩し過ぎて、目が潰れそうだ。
こうして俺とライト君、二つの光がこの世界を照らすための冒険が、ここに幕を開けたのだった。
俺がライト君の絶品手料理に舌鼓を打ったり、一緒に同じベッドで寝たりするようになるのは、また別の話だ。
おわり