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No.06 楽園の虹

 あの日、あの時、あの場所で見た世界一美しい空のことは一生忘れない。

 いや、忘れたくても忘れられないと言ったほうが正しいのだろうか。

 なぜなら、今までに見たことも無いぐらい美しくて、脳裏にやきつく景色は、私と友人達の人生を大きく狂わしてしまったからに違いなかったからだ。

 それは、悪魔が私達の魂と引き換えに見せてくれた最初で最後の絶景だったのかも知れない・・・ 

 


 1954年当時の私は海をこよなく愛する青年だった。

 その頃の私は、朝から晩まで、暇を見つけては地元のサンタモニカの海岸で友人達と一緒に時間を忘れてサーフィンに没頭する毎日であった。

 そんな楽しい日々を過ごしていた夏の終わりに、ある白人の男に私と友人達は浜辺で出くわしたのだった。

『兄ちゃんたち、楽な仕事してみないか?』

 そう言って、男は私たちに声をかけてきた。

『楽な仕事ってなんだよ? ヤクの運び屋だったらお断りだぜ!』

 私達の中で一番血気盛んなマーカスがおっさんに詰め寄って聞いた。

『そんな危ない話こんなとこでするもんかい。ちょっとした軽作業するだけでヤクの密売くらい高給を貰えるっておいしい話なんだけどな・・・』

 半パンツに無知のシャツというラフな出で立ちをした男は、人懐っこい笑顔でそう言った。

『まぁ。話だけでも聞いても損はないと思うよ、兄ちゃんたち。立ち話もなんだから、そこのレストハウスにでも行って、うまいもん食いながらでも、おじさんの話でも詳しく聞いてみないかい。もちろん飯代はおじさんが派手に奢るよ』

 男は、口元を緩めて二カっと笑みを浮かべると、任せておけと言わんばかりに胸を二、三度叩いて私達を誘ってきた。私は男の目が笑っていないのに違和感を感じたが、マーカスともう一人の友人のトムはすっかり男に心を奪われてしまっていた。

『おっさん、奢ってくれるのだったら、話だけでも聞くぜ』

 お調子者のトムが飯に釣られて勝手に決めていた。

『じゃ、兄ちゃんたち。うまいもんでも食いに行くか』

 マーカスとトムは、男の隣に立って、一緒にレストハウス目指して歩き出した。

 私は男に胡散臭さを感じていたので行くのを躊躇していたのだが、なかなか一緒に来ない私を見かねてマーカスが叫んだ。

『ロバート早く来いよ! お前の分まで食っちまうぞ』

 気がつくと、私は砂浜に足をとられながらも小走りで仲間たちの元に駆け寄っていた。


 


 レストハウスに入ると、男は私達に約束した通りに飲食物を派手に注文した。

『兄ちゃんたち、まずはビールで乾杯としようじゃないか』

 金髪で水着姿のウエイトレスが、ジョッキに並々とつがれた黄色い液体をウッドテーブルに置いていった。

 各々に、程よく泡立ったジョッキを片手に持つと男の合図で乾杯した。

『運命的な今日の出会いを祝して・・・』

 軽くレストハウス内にジョッキの硝子があたる音が響いた。

 乾杯をした後に、肉の焼ける美味そうな匂いが鼻を刺激すると、テーブルにステーキが並べられた。

『遠慮なく食べてくれ』

 私達は腹も減っていたので、遠慮などするはずもなく、がっつきながら肉を胃袋につめこんだ。

 男は、ニコニコと私達の食べっぷりを見ながら、ビールのお代わりを次々と注文していった。

 不思議な事に、男は私達をレストハウスに誘っておきながら、なかなか本題の仕事の話を切り出さなかった。ただ、ビールを私達が飲み干すと、どんどん追加で注文して『さぁ、飲んで、飲んで』と勧めるばかりだった。私達は、そんなわけで、気がつくとすっかりほろ酔い気分になってしまっていた。

 そんな、私達の状態を待っていたかのように、男は割りのいい仕事の話をしだした。

『君達は愛国心ってものがあるかい?』

 突然、男は唐突に真面目な顔をして話し始めた。

『はぁ? なにを言い出すんだよ、おっさん!』

 一番酔いが回っているだろうマーカスが男に絡んだ。

 男は、マーカスのことなど無視するかのように話を進める。

『実は、おじさんのこれから話す、おいしい仕事ってのは、国のためになることなんだ。しかも、海外にも行けて給料もいいときてる』

『おっさん、海外に行けるって本当か?』

 トムは目を輝かせて男に聞いた。

『あぁ、もちろん本当だよ。南の楽園で仕事をしてもらうのだけど――もちろん休みの日はサーフィンし放題だよ』

 男は、私達の興味のあることのツボを心得ていた。

『で・・・その楽園での仕事って具体的に何するんだよ』

 私は、はっきり要点を言わない男にいらいらして聞いた。

『仕事っていうほどのものでもないんだがな、楽園に行って、穴を掘るんだよ、具体的に言うと壕を掘る仕事をしてもらうだけだ。どうだ? 簡単な仕事だろ。穴堀りなんかは、うまくやりゃ、半日もかからない仕事だぜ。それで月収500ドル貰えるんだぞ。いい話だとおじさん思うんだけどな』

『おっさん、本当に穴堀りだけで、そんなに貰えるのか?』

 マーカスが信じられないといった顔で男に確認した。

『もちろん本当だよ。あとは、この書類にサインしてくれたら、労働契約成立って運びになる。あぁ、そうそう、もし今すぐにサインしてくれたら、特別に100ドルを支度金として即金で君達に渡すことが出来るのだけどな・・・100ドルあったら、新しいサーフボード買ってもお釣りがくるんじゃないの』

 男は、いつのまにかウッドテーブルの上に契約書なる書類を広げて、サインするように誘ってきた。

 私達、三人は、書類を詳しく読みもしないままにサインをしていた。

『君達が聞きわけがよくて利口なのでおじさん助かったよ! じゃ、これ約束の金だよ』

 男は、私達がサインした書類の横に新札のドル紙幣を置くと、一緒に名刺を置いた。

『申し遅れたが、おじさんはここで働いているんだ』

 名刺には、国防総省と書かれていて、名詞の中央に刻まれた鷲が誇らしげに私達を見つめていた。


 

 サンタモニカの海岸で国防省の男と出会ってから、三ヶ月後には、私達はマーシャル諸島の洋上を航行する空母の甲板にいた。空母の目的地はマーシャル諸島にあるビキニ環礁地帯にあった。なんでも、新型爆弾の投下実験をするとの事で、キャッスル作戦という大袈裟な名前までつけられているものだった。でも、そのような作戦名までつけられているにも関わらず、私達には作戦の具体的な説明は一切なされてはいなかった。

所属の上官に聞いても『お前達は英雄になるために、ここに来たんだ! ただ粛々と歴史の目撃者になるだけだ』と抽象的な事しか言ってくれなかった。

 でも、その時の私達は、新型爆弾の投下実験なんて全く興味のない事柄であった。興味があるのは空母の甲板の下に広がるエメラルドグリーンの海だけであってして、その海でサーフィンをして遊ぶことしか頭になかった。

 最初、軍隊に入隊させられた時は、国防省の男に騙されたと酷く後悔したものだったが、男の言ったことは、まんざら嘘でもなく、仕事らしい仕事はほとんどしなくて、普通に働くよりは何倍もの給金が私達には支払われていた。しかも、空母から見えるマーシャル諸島近辺は、サンタモニカと比べ物にならないぐらいに美しく、時々、空母の周りをイルカの群れがドルフィンダイブをして私達を歓迎してくれたのだった。

 そんな、何をすることもなく、ただ海だけを眺めていたある日のこと。

 私達は上官に呼ばれて、仕事らしいことを言われた。

『明日、諸君達はビキニ島に揚陸船に乗って行ってもらい、そこで、来るべき投下テストに備え壕を掘って待機してもらう。投下実験は三日後にとり行われるため、仕事が早く完了すれば、実験までの間は休暇にあてればいいだろう』

 私達は上官の指令を聞いて飛び上がりそうに嬉しかった。それは、穴さえ掘れば、待ちに待った休暇が貰えてサーフィンを存分に楽しめるからだった。


 

 次の日に、私達を含めた二百人ばかりの兵士達は揚陸船に乗って、ビキニ島におりたった。

 ビキニ島につくと、指定された場所に壕を掘る作業をした。作業はラッキーな事に半日もしないままに終了して、夕方からは、念願のサーフィンに時間を当てることが出来た。正に楽園での休暇を満喫することが出来たのであった。サーフィンが終わると、浜辺で軍から支給された物資で盛大なバーベーキューをして仲間達と楽しんだ。そんな、最高の時は投下実験の日まで続いた。



 投下実験まで10分前になった時、私とマーカスとトムは投下予定ポイントから50キロは離れた壕の中で待機していた。

 私達の前後には100メートル間隔で同じような境遇の仲間達が緊張しながらテストを待っている。投下三分前になると、上空を爆音を立てながら、B−29と呼ばれている爆撃機が飛んでいくのが見えた。ほどなくすると、遥か後方の飛行場からけたたましいサイレンの音が鳴り響き、実験開始の合図がなされたのだった。

 私達は、支給された望遠鏡でB−29の姿を追った。B−29のぼてっとした格納庫が開くのが望遠鏡で確認すると、誰かが『サングラスをつけろと叫んでいた』

 私達が慌てて、サングラスをかけた瞬間に、遥か前方から、激しい閃光が走った。閃光の後、海がぽっかりと穴が開いたように見え、すぐに巨大な水柱が上空を飛んでるB−29にかかってしまうかと思うぐらい舞い上がった。まるで、この世の終わりかと思うくらいの地響きが耳をつんざき、数秒後には熱風が私達の頬を伝わっていった。熱風はまるで、頬を焼き尽くすかのように熱い。

 私はあまりの熱さのために、壕の中に頭を隠した。どれくらい、壕の顔を突っ込んでいたか分からないが、次に顔を上げた時には、爆弾が投下されたところの海上には、超巨大なマッシュルームの形をした雲がニョキニョキとのぼりたっていた。海面にも同じように雲が映っていて、どちらが上下なのか錯覚を覚えるほどのものだった。遥か50キロは離れているのにも、爆風によって舞い上がった水柱が熱風によって水蒸気となり、雨となって私達に降り注いできた。

 私は閃光が収まったのでサングラスを外した。

 サングラスを外した先には、見たこともない幻想的な景色がビキニ環礁を包みこんでいたのだった。

 それは、投下ポイントから、私達の壕まで、空一面に広がる無数の虹であった。一つや二つの虹なんかじゃない。数百、いや数千の虹が大小様々に点在しており、その虹を見た全ての者の心を奪った。

 まさに、楽園にふさわしい見るものの魂を奪い去る光景だったのだ。

 虹の余韻が残る中、投下実験終了を告げるサイレンが鳴ったのは、それから数分後のことである。



 その美しい虹を見た、次の日にマーカスの体に異変が現れた。いや、マーカスだけではない、トムや私や壕の中でテストを体感したもののほとんど全員が程度の大小はあれど、体に不調をきたしたのだった。それは、あの景色を見た見物料を取るかのように、私達に代償を求めるものだった。

 特にマーカスの状態は悪くて、顔は紅潮して、綺麗にパーマーのかかった髪の毛が全て抜け落ちた。手足もなぜだか分からないが、野球のグローブのようにパンパンに腫れあがってしまい、その日のうちにうわ言を言いながら死んでしまった。

 基地にいた軍医はマーカスのように死んでいく仲間をなんとかしようと、無線で本部に連絡していた。

 しばらくすると、宇宙服をきたような兵士達が何人もやってきて、私達の体に変な音のする器機をあてて、振り切った針の数値をノートに記入するばかりであった。

 私は、『何があったのか?』と軍医に聞いてみたが、彼はただ首を横にふるだけであった。


 それから、数年後には、私は軍を退役していた。

 正確に言うと、働けなくなったという方が正しいだろう。

 軍からは、生活に困らない程度の金は貰ったが、その代わり、もうサーフィンは出来ない体になってしまった。もう私には、腕も足もないからだ。

 私は、たまたま四肢を失うだけで虹の代償を支払う事が出来たが、友人のトムは全身ガン細胞に侵されて命を代償に持っていかれ、もうこの世にいない。

友人達を失った私に残されたものは、あの楽園で見た脳裡に焼きついて離れない虹だけなのかもしれない・・・

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