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No.05 自由な野良猫

 秋。


 それは、青々しい葉が少しずつ色あせる時期。

 栗やサンマなどが食べ頃で、冬の寒さを肌で感じ始める。

 服屋では半そでのたぐいから、長そでの物に入れ替え。電気屋では扇風機に代わり、ストーブが店頭に並び始める季節だ。

 勿論、山々に囲まれた、小さな町や村でも同じ事。


 しかし、田舎町では微小ながらも過疎化が進み、人が減っていく。

 少子化の影響もあるが、若者達は羽を伸ばすために都会へと旅立ち、更に人は減る。残るのは年老いた者や、進んでその町に居ついた変わり者だけであり、小さな町はまた小さくなっていく。


 この物語はそんな小さな町で起こる、小さな、小さなお話し。




自由な野良猫




 都会とは反対に煌びやかな物がない田舎。緑溢れ、畑が広がるこの地に、ちょこんと佇む小さなうどん屋があった。

 他に建物が無いわけではないが、家と家の距離が多少あり、置き去りにされた印象を持つ店である。

 一軒家を改築して店を開いており、正面から見ればうどん屋、裏から見れば完全な二階建ての家となっていた。

 壁の至る所が変色し、少しでも栄えている街で暮らす人間であれば、かなりの確率でボロ家と呼び、その家を哀れむ様な目で見るはずだ。

 だが、その店の裏に取り付けられた縁側に正座をしている老人の表情は、それを完全に否定していた。

 年老い過ぎたため、顔中皺だらけではあるが、朗らかな表情を浮かべ、湯呑を優しく手で包み込むその様子はどこか幸せそうである。


 ゆったりとした時間を漂わせながら、老人は細くなった眼で目の前の地面にいる真っ白な猫を見つめ、かすれそうでありながらしっかりとした声で呟く。


「シロや、隣の美弥みやさんがくれたサンマはおいしいかい?」


 その声を聞きつつ、器用に前足で頭と尾を抑え、魚を食べ続ける猫に老人はうんうんと、微笑みながら頷く。

 答えが返ってくる事に期待していたわけではなく、返事を待っていたのでもない。

 ただ老人は、シロと呼んだ猫が満足している。

 それだけで嬉しいのだ。

 町から人が居なくなろうが、古びた家に住もうが、人生を賭けたうどんとこの猫が喜ぶ姿さえあれば、老人は十分であった。


「お〜い。じいちゃん、うどん食いに来たぞ〜」


 店の方から響く男性の声。耳が遠くなった老人にも、はっきりと聞こえる元気の良い声は、毎日聞く常連のモノだ。

 老人はそれを聞き、ゆっくりと湯呑を自分の隣に置いた。


「もうそんな時間になったのか。年を取ると、時間の進みが早いの」


 一日一度は口にする口癖を呟いた後、老人は昔より幾分か重くなった腰を上げ、しっかりと二本足で立ち上がった。

 毎日欠かさずうどんを作ってきた賜物たまもので、実際の年齢より足腰が強い。麺を作る時に行う生地を踏む動作が、老人の強じんな足腰を生み出したのだ。


 杖要らずの老人はこの場を立ち去る時、シロに話しかけるのが日課である。


「シロ、わしは店に出てくるよ。お前も来たかったら後でおいで」


 老人の言葉を聞いたシロは食べる口を止め、魚まみれになった顔を上げた後、可愛い鳴き声を発した。

 シロは老人の言葉の意味など分かってはいない。ただ、毎日同じように語り掛けては、店に行く老人に返事をするのが、シロにとっての日課となっていたのだ。

 いつの間にか出来た、一人と一匹の短い挨拶である。


 老人はシロの返事に再び頷き、ジッと自分を見続けている猫を見つめ返す。

 誰も毛づくろいしていないはずが、常に整ったフワフワの白い体毛。その事でシロ自身がきれい好きな猫だと想像させた。

 そして、サファイヤを連想させるような青く大きな瞳。不思議な透明感も合わさり、どんな宝石よりも美しい、と老人はいつも思っている。


「そんなにきれいな目ん玉をしとるんだから、鼻の周りもきれいにしておかんといかんぞ?」


 魚の身や油ですっかりと汚れてしまったシロの口周りを見て、老人は呟く。

 シロも気にしていたのか、前足で顔をこすり、それを舐めるという動作を始める。

 しかし、前足も顔同様に脂だらけであったため、被害を拡散させるだけであった。

 その様子を見た老人は、はははっと笑い、ようやく店へと足を進め出す。




「おまたせ。しょう油うどんだよ」


 老人はそう言って先ほど声を上げていた――頭にタオルを巻いている三十代半ばの――男性の前に、うどんの入ったどんぶりを置いた。

 土色をしたどんぶりは普通のより少々大きめで、二人前くらい余裕で入るほどだ。

 少しいびつな形をしたそれは、この町にいる陶芸職人の作品である。

 職人と老人は、古くからの知り合いであり、店を開く記念に渡されたどんぶり。数十年前の物にも関わらず、今でも使用出来るのは、職人の腕が良かった事と老人の丁重な扱いが長生きさせているのだろう。

 秋の季節に合った紅葉の模様も、風流を感じさせる。


 ここにはないが、春を連想させる桜、夏に涼しさを与えてくれる風鈴、冬の醍醐味である雪だるま。それぞれの季節に合わせた模様の焼き物が、数点ずつこの店にあり、季節の変わり目を知らせる店と常連の間では広まっていた。

 それは老人の目の前にいる、浅黒く日焼けをした男性も知っており、うどんの味もさる事ながら名物の一つとなっている。


「おっ、朝が少し寒くなってきたかと思えばもう秋か。早いもんだなぁ、じいちゃん」

「ほんとだね。そう言えば、今度こたつを出したいのだけど、幸人ゆきと君。手伝ってはくれんか?」

「おう、いつでも呼んでくれよ。こんなウマいうどん作ってくれるじいちゃんの頼みだ。オレに出来る事なら何でもしてやるさ」

「はっはっは、頼もしいね。じゃあ、明日にでもお願いしようかな」


 任せとけ、と言いつつ、幸人と呼ばれた男性は力強く、筋肉の発達した胸を叩く。だが、少し強くやり過ぎたのか、情けなさそうに自ら痛めた部位をさすった。

 老人は、そんな彼の行動をニコニコしながら眺めつつ、近くにあったしょう油瓶を手に取る。


「はい、しょう油」

「おっ、悪いな。そんな事させちまって」

「いやいや、大事なお客さんだからね。これぐらいはするよ」


 笑顔を絶やす事もなく老人はそう言い、しょう油を幸人に渡した。

 礼を云いつつ受け取った彼は、中に入っているモノをためらわずうどんにかけ始める。

 どんぶりの中に入っていたうどんには、汁が入っていないためだ。

 入っているのは、光に反射し、つやつやと輝くコシの入った太麺と、その上に小さな山を築く大根おろしと天かす。それらを包み込むように、出汁をたっぷりとしみ込んだ油揚げが乗っているのみであった。

 そこにしょう油を垂らし、食べるうどん。それがしょう油うどんである。

 どんぶりの大きさに見合って、多めに入っている麺達をしょう油と絡ませる様に混ぜ合わせ、幸人は大きな口を更に大きく広げた。


「んじゃ、いっただっきま〜す」


 箸で、これでもかと言うほどの量の麺を掴み、一気に口に運ぶ。

 少し寒い季節にはなったものの、流石に昼間はそれ程ではなく、むしろ暑い日すらある。そのため、幸人は冷たいしょう油うどんを注文し、麺の熱さで食べる速度が緩む事もなくどんぶりの中を制覇していった。

 気持ちの良い音を立てて食べ続ける男性に、老人は嬉しく思いつつも、少し表情を険しくさせる。


「……幸人君、作ったわしが言うのも変な話だけど、もっと栄養のある物を摂らないといけないよ。奥さんだって、心配していると思うな」

みどりなら平気だって。秀人ひでとのおしめが取れるまではあまり迷惑掛けらんねぇしさ」

「確かに、赤ちゃんのお世話は大変だけど、それで幸人君の身体を壊したら元も子もないよ」


 いつも優しい雰囲気の老人が、暗い顔で幸人を諭す。

 周りのみんなにも気を使わないといけないけど、それ以上に自分を大切にしないと。

 そう言う老人の言葉に、幸人は少しばかり言葉を詰まらせた。

 他人を心から心配する老人。その表情を再度見た彼は、諦めたかのようにため息を吐き、後頭部を掻いた。


「……はぁ、分かった。なら、明日から三日にいっぺんは自分で弁当作るようにする。だけど、これ以上は譲れないからな。じいちゃんのうどんはオレの生きがいなんだからよ」


 そう言って真剣な顔をした幸人。老人はそんな彼に、大げさな、と呟きながら苦笑する。

 苦笑とは言え、老人に笑顔が戻った事で、幸人は自然と嬉しくなり、ニカッと白い歯を見せ、笑った。

 すると、笑い合う二人に近づくモノがいた。

 老人よりも先にその事に気付いた幸人は、そのモノを手招きして呼んだ。


「シロ、お前もこっち来いよ」


 幸人の言葉に反応し、老人も彼の視線を追う。

 そこで目にしたのは、魚の脂が顔全体に広がり、ワックスを付けたかのように毛がボサボサと跳ねているシロであった。

 無駄にテカテカしている猫を見た老人は、少しばかり呆れつつも、いつもの笑みを浮かべる。


「まったくお前は、きれい好きなのも良いけど、少しは状況を考えて行動しないといけないぞ。やり過ぎも禁物」


 そう言った老人は、近くにあったティッシュを数枚手に取り、割れ物を扱うようにしながらシロの顔を拭く。

 猫はその行為が気持ち良いのか、目を細め、次第に寝そべってしまった。


「呑気な野良猫だな。じいちゃんがいるから食い場にも困らねぇし。のんびり出来て羨ましい限りだぜ」

「わしもそう思うよ。尤も、こんなシロが大好きなんだけどね」

「そりゃ〜、オレもだ」


 幸人の軽快な笑い声をBGMに、きれいになったシロを老人は優しくなでる。

 顔を拭かれる事と食事後で腹が膨れた事が合わさり、満足そうなシロはとても静かな寝息を立て始めた。


 飼い猫ではないシロ。老人が一年前、妻を亡くした時にヒョコっと現れた子猫に、餌を与え始めたのがきっかけでここに居つき始めた野良猫。そんなシロが老人の下に辿り着いたのは幸運だったと言える。

 老人も大事な人を亡くした寂しさを紛らわすための行為であった。

 都会にいる息子夫婦からの誘いを断り、この地に残り続けていても消える事がない悲しみ。そんな辛さから早く逃れようと足掻いた結果が、目の前にいるグータラな猫との付き合いとなったのだ。


 だが、それも昔の話し。今では老人にとって、かけがえの無い大切な家族となっていた。

 年からするとひ孫かな、と思い老人は小さく笑った後、シロから手を離す。


「そう言えば幸人君。美弥さんがサンマをくれたのだけど、君もいるかい?」

「貰えるんなら貰うけど、良いのか?」

「少しばかり多く貰っちゃってね。わしとシロだけじゃ食べきれそうもないのだよ。じゃあ持ってくるから、ゆっくりして行ってね」

「いいって、後でオレが取りに行くから。じいちゃんもこいつみたいに休んどけって」


 幸人はそう言って寝転がるシロに向かい顎をしゃくる。

 寝相は良くないようで、不規則に転がる白い猫に対し、老人は困ったような笑みを浮かべつつ、幸人に向い口を開いた。


「シロは夢の中で何かと闘っているみたいだから、わしも動かないといけないよ」

「相手がネズミだったら笑えるけどな」


 幸人の言葉に、そうかもしれないと思いつつ、老人は店の出入り口のドアを開けた。

 薄暗い室内に居たため、真っ先に飛び込んできた日の光に老人の目が眩み、右手を薄くなった眉毛に当て、敬礼に近いポーズで光を遮る。

 明るい太陽の下、進む度に目が慣れてきた老人は、ふと空を見上げた。

 幾つか漂う大きな雲。その遥か先にある青い空。

 老人は、そんな空を見て、不思議とシロを思い浮かべた。


 自由気ままに流れる白い雲は、色もそうだがシロに似ている。

 なにより、空の色を見ていると、シロの青い瞳を思い出す。

 無邪気で、それでいて変なところは素直な野良猫の瞳。

 寒くなり始め、澄み出した空は水色でありながら奥が深く、まさにそっくりだと老人は思った。


「ははっ、親馬鹿ここに極まり、か。いや、ひい爺馬鹿だった」


 そう呟き、老人はサンマを取りに足を進める。

 いつも以上に軽い足取りで進む老人は、少し先の事を考えた。


 こたつが出たらシロと一緒に丸くなろう。

 雪が降ったらシロと足跡を作ろう。

 春になったら縁側で一緒に眺めよう。

 シロそっくりの、きれいで自由な青空を……

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