僕の愛する時渡りの魔女
彼女の事をひたすら語る僕。
僕が彼女に始めて出会ったのは8歳の時だった。
とある伯爵家の三男として生まれた僕は遠乗りに出かけ、うっとおしかった従者を巻いた先でたどり着いた湖のほとりに彼女はひっそりと立っていた。
木々の間から差し込む光と、水に反射した光が幻想的に煌めき美しく、僕は彼女が女神か妖精なのではないかと思った。
今の彼女より少し大人びた彼女は湖を見ていた青とも緑ともとれるその美しい瞳を8歳の僕に向けると静かに微笑む。
「初めまして、スウェン様」
そう言った彼女に、なぜ名前を知っているのか、なぜここにいるのか、そんな疑問が吹き飛ぶほどにその波打つ黒い髪とその美しい瞳、凛とした立姿は美しく。あの瞬間から僕にとって君は唯一になった。
いつだったか、彼女を魔女だと誰かが言った。
それは誰だったか覚えてもいないがなかなか的を得ていると思う。
あの澄んだ空気と、黒く豊かな髪、幻想的な瞳は昔読んだ物語に出てきたとても美しい魔女のようだったから。
「こんにちは、ミトラ」
城下より離れた彼女の屋敷に訪れ、顔見知りの衛兵にあいさつをし、侍女に通してもらった中庭で彼女は椅子に座ったままこちらをゆっくり振り返った。
「御機嫌よう、スウェンシーク様」
そう目を細め微笑む彼女はこの屋敷の持ち主である男爵家の娘であり、17歳の少女である。
「またいらっしゃいましたのね、お暇ですの?」
「いやだな、これでも僕は宰相補佐の1人ですよ。忙しくても貴方に会いたくて会いたくて思わず会いにきてしまった男になかなか冷たい」
「毎日のようにいらっしゃるから、うっかり暇な方だと勘違いしてしまいそうになりますわ」
穏やかに微笑んだままそう皮肉を言う彼女は、見た目は17歳の少女だが中身は僕よりもずっと多くの時間を過ごしている、この世界の特別な存在だ。
「座っても?」
「もう座ろうとしてるではありませんか」
向かいの席の椅子を引きながら声をかけるとその顔に呆れを含ませながら仕方なさそうに侍女にお茶を持ってくるよう声をかけた。それを了承ととり、腰をかけると向かいに座る彼女を見つめる。
彼女は決して絶世の美少女というわけではない。いや、どちらかといえば同年代の少女達と比べれば地味な部類に入るだろう。格好も化粧も社交界に出ている少女と並ぶと見劣りしてしまう。だが、その中で目を引くのはやはりその目の色だ。
青とも緑とも、もしくは黒ともとれない光の角度で色を変えるその不思議な瞳と、どこか浮世離れした雰囲気が妙に人目を引く。一度彼女の存在を意識してしまえばもう無視はできない存在感だ。
「今日は誰か来ていたのかい?」
「先程まで。さっさとお帰り頂きましたけれど」
そう言う彼女の元にはこの静かな場所にしては来客が多い。それは感謝を伝えにくる者も多いが、それだけではない。なんにしろ彼女からしてみれば全員同じらしい。"今の"彼女自身に用事がない者は基本門前払いが常なのがこの屋敷の常識だ。
この世界には神が存在する。
もちろん僕は会ったことはない。むしろ会ったことがある人にすら会ったことはない。
それでもこの世界には神が確実に存在する。
矛盾しているかもしれないがその声が聞こえる者がこの世界にはいるからだ。迷信でもなんでもなく、実際に今目の前にその1人が座っている。
彼女は時渡りだ。
時渡りとは生まれた時に彼女と同じ目の色をした石を持って産まれるらしい。それゆえに他の時渡りも同じ目の色をしているらしい。時渡りには身分は関係なく突如として現れる、らしい。
らしい、らしいと言うのも僕は他の時渡りに会ったことがない。
今も昔も彼女だけだ。
時渡りはその名の通り時を渡る。
ただ渡れる時は時渡り本人が産まれるよりも過去だけだ。いつ時を渡るのか、いつの時間に戻るのか彼女にもわからないらしい。
過去に渡った先にどれくらいの時間いるのかもわからない。本人が居なくなってこちらでは10分しか経っていないにも関わらず過去には数ヶ月いたと言うこともあるということだ。その逆も然り。
そして帰ってくる条件が誰かにその神の声とやらを伝えることで帰って来れるのだという。
それが国にとってすごく重要なことであったり、とても個人的で些細なことであったり内容は様々であるがそのおとぎ話のような奇跡に助けられた者はこの世界に多くいる。
そうやってこの世界は神が時渡りという伝言役を使って運命という歯車を廻しているらしい。
正直そんなものは直接神様が本人に伝えればいいじゃないかとずっと思っているが、神様の考えはただの人である僕には遠く及ばないのだろう。
そしてここには過去に彼女に助けられた者がたまに訪れる。彼女が産まれて17年になるので、彼女に助けられた者からしたら17年よりも前の出来事になるはずなのだが、噂を聞きつけどこからともなくやってくるのだ。
しかしそれは今の彼女が時渡りをした時の出会った人だけでなく、未来の彼女が時渡りをした時に出会った人もいる為今の彼女にはまったく見に覚えもないものも多いらしい。
それゆえに最近は時渡りの際に関わった全てのものを今の彼女には持ち込まないようにしているようだ。
その中には王族も含まれているので彼女の存在が噂程度で収まっているのは王族のところによるものだろう。
時渡りの元に訪れるのは何も感謝を述べる人だけではない。希望を持って、時渡りに頼り過去を変えようと試みる者もいれば時渡りを利用して金儲けを考える者までいる。だからこそ彼女は実家のある城下から離れた森の近くにひっそりと住んでいるのだ。
「…何かございまして?」
あまりに見すぎたのか、彼女はこちらをちらりとも見ずに優雅にティーカップに口をつける。
僕はそれを視線で追いながら頬杖をついた。
「今日は何か薬はある?」
「…昨日全部貴方様が買い占めたのですからもうございませんわ」
「そうか、それは残念。また今度化膿止めを多めに作ってくれると助かるな。あれは騎士団でとても評判がいいんだよ」
「時間がございましたら。いつ時を渡るかわかりませんからお約束はできませんが」
「…わかっているさ。だから僕は毎日君に会いに来てるんだ」
そう。時渡りはいついなくなり、いつ帰って来るかもわからない。
時空の狭間を行き来するとても不安定な存在だ。
だから彼女は貴族でありながら社交界にも出れず、時渡りの名が知れぬよう友達も作れない。
変わりに彼女はこの僻地でひっそりと薬草を作りながら誰にも深く関わらず、どこかであの男爵家の娘は魔女だと噂されようと、ひっそりとここにいる。
僕はそんな彼女に毎日毎日会いに来る。
いつ消えてしまうのか不安で仕方ないからだ。
「…もの好きですわね。何年も何年も、本当に貴方様はうっとおしいですわ」
そう言って泣きそうに笑う彼女の皮肉な物言いは不安で仕方ない両親、弟妹を安心させる為だと彼女の弟から昔こっそり教えてもらったことがある。
「うん。だから早く諦めて僕と結婚して」
そういうと彼女は困ったように笑っただけだった。
彼女が産まれる少し前、今の君より大人びた君は僕を見て静かに微笑んだ。
「初めまして、スウェン様。未来の貴方様の妻になります、ミトラと申します」
17年前、そう言ったのは君なのだから、早く僕の所にお嫁においで。
君が僕のものになる未来ならば神の支配下だろうと喜んで受け入れよう。
それだけは神に感謝してもいい。
だからね、ミトラ
早くこの愛を受け止めて




