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異世界の銭湯からは逃げられない!

作者: 白福 幸兎

夢に出てきた内容をそのまま書きました。

短編の量に纏めるのって本当に難しい(๑•﹏•)

 風呂場から賑やかな声が聞こえてくる。今、風呂場を使っているのは、年端も行かない少女と、その子の親とも、姉とも取れる柔らかな雰囲気を纏った女性。他に客はおらず、二人の貸し切り状態だ。


 若い身としては覗きたい欲求も少しはあるが、バレた時の事を考えると流石にそんなマネは出来ない。

 時折聞こえてくる声から察するに、湯水をコレでもかと使い、遊びながら身を清めているらしい。



 普段の生活では考えられない贅沢だ。そもそも風呂と言うものがまだ、庶民に普及をはじめて日が浅い。貴族となると各家に風呂が備えられているらしいが、庶民はまだまだ一部の人間しか持っていない。


 そんな時代に、庶民向け大衆浴場を開こうとした父はぶっちゃけ早すぎたと思う。当初こそ物珍しさに人が集まったらしいが、徐々に客足は遠のいてゆき、気がつけば廃業となっていた。後に残ったのは多額の借金と、湯のない浴場だけ。


 それでも何とか俺を育ててくれた両親だが、借金に追われ金策を続けるうちに体を壊し、ついに先日倒れてしまった。幸い命に別状は無いらしいが、しばらくは動けないらしい。だからといって借金がなくなる訳じゃない。


 まだ若い俺が真っ当に稼いでいても埒が明かない。かと言って違法な事に手を出す事は出来ない。浴場の立地自体は良い為、借金取りは早く土地を売れと迫ってくる。



 八方塞がりだった俺に、親父は浴場を立て直せと。今ならやれると断言してきた。正直不安しか無いんだが、どうやら幸運の女神とかいう奴はいるようで、今はこうして無事に開業する事が出来た。その女神が今、風呂場に居る二人の事だ。

 と言うのも――――



◇◆◇



「……駄目ですね。ココとココ……それからこの二つ。要件を満たしておりませんので、承認する事は出来ません」


 目の前のギルド職員がそう事務的に言い、書類を突っ返してくる。


 彼女はこの商人ギルドの看板娘、レイナさんだ。肩口で切り揃えた黒髪と眼鏡、そして頭の上にちょこんと見える狐耳が特徴的な、このギルドの名受付嬢である。


 見た目が整っており、若いのに優秀という事もあって、ギルドに訪れる客や職員を問わず密かな人気があるのだが、何せ対応が冷たい。彼女が笑うところを見た事がある奴は、居ないんじゃないかと思う。冷たくあしらわれた客からは、鉄の女だとか、表情筋が死んでるだとか暴言を吐かれているのを聞いた事もある。

 中にはそう、冷たくされるのが良い、なんて客も居たりするんだが。


 そんなレイナさんがレンズの奥に隠した鋭い釣り目で、こちらを見ながら話を続ける。ちなみに俺は冷たくされるのに耐性はないので、すでに半泣き状態だった。


「何度も言いますが、貴方のお考えは無謀だと思われます。お越し頂くのは結構ですが、要件を満たしてからお越し頂くようお願いします。私共も暇では御座いませんので」


 グサグサとレイナさんの言葉が突き刺さる。慣れない書類で苦労してるんだよ!と叫びたいが、そんなことを言ってもどうせ一蹴されるだけだ。すごすごと帰ろうとした時、不意に一言付け加えられる。


「先程の不備のうち、三つは後でも大丈夫です。ですが……残りの一つ、コレだけは至急満たせないようでは、諦めたほうが良いかと思います」


「あ、ああ……わかった。何とかしてみるよ……」


 トドメを刺された俺は、すごすごと商人ギルドを後にした。



 ◇◆◇



 俺の名前はアイル。アイル・バース。今年で十六になる、現在無職かつ借金持ちの人間だ。借金自体は親がしたものだが、家族ともなればそこは同じ事。身体を壊した両親に代わり、払っていかなきゃならないんだが……。


「だぁぁぁぁぁっ! またダメかよぉ!!」


 通算何度目かは忘れたが、またも書類審査で引っかかった。最初にギルドに入った時、並んでる人が少なかったからと彼女に受付をお願いしたのが間違いだったか。

 今なお身をもって味わい続けているが、彼女はその仕事っぷりを遠目に見るくらいが正解らしい。


 目をつけられたのか何なのか、俺が行くと常に彼女が担当だ。面と向かって担当を変えてくれなんて、怖くて言えるはずもなく、出す書類出す書類、尽く弾かれている。まぁ、一発で書類を作れない俺も悪いんだが……。



 手にした書類を見る。両親から引き継いだ浴場を開くのに必要な書類。特にウチは一度廃業しているから、審査が厳しい。予定客数や見込める利益、その他諸々。まだガキの俺にはチンプンカンプンな事だらけだった。


 最初、両親に聞きに行ったが、全てお前に任せるの一点張りだ。二人共、美味しいところだけ持って行く気じゃ無いかと最近少し疑いだした。


「他の不備はともかく、やっぱりコレが問題だよなぁ……」


 指摘された不備のうち、至急なんとかしろと言われた項目……ギルドへの加盟金だ。


 街で何か商売を始める者は、ほぼ商人ギルドへの登録が必須となる。無許可でもやれない事はないが、何かあった時の対応なんかが全然違う。


 例えばもし、俺と同じく大衆浴場を開く奴が登録していた場合、あらゆる面で優遇される。宣伝や流通なんかは言わずもがな、資金援助も受けられるとか。中には嫌がらせまで受けるという噂もあるくらいだ。


 そんなギルドが代わりに商売人から受け取る運転資金、それが加盟金。まぁ、お金を出したら優遇するよ。っていう話だな。



 しかし現実問題俺には金がない。日々暮らしていくので精一杯だ。浴場は規模が大きい為、加盟金もバカ高い。今回は出せる限界まで書いたんだが、まるで話にならなかったみたいだ。



「借金に比べたら少ないが、それでも出せる金額じゃ無いよなぁ……」


 アレから家に戻り、どうしたものかと頭を悩ませているが、何も解決策が思いつかない。本当なら日雇いの仕事にでも行って、稼ぐべきだろうが今日はどうしても働く気になれなかった。


 冬の冷たい風がすきま風となって身を包む。色々売ったり持って行かれたりしたこの家は、正直ボロい。それまでは家族三人いた分、少しはマシだったが、一人で居ると凍えてしまいそうだ。


「はぁー……ゴロゴロしてても仕方ないか。寒いし、風呂場にでも避難しよう」


 浴場は浴場でボロいんだが、ここよりはまだしっかりしている。住むには向かないが、少なくともすきま風が入ってくることはない。



 風呂場はこの家から少し歩いた先にある。歪み、建付けの悪くなった扉は簡単には開かなかった。半ば壊すような形でこじ開け、中に入る。

 中では男女別に仕切られ、受付と脱衣場、それぞれの浴室への通路と扉がある……筈だが、


「扉、思いっきり壊れてるな……」


 脱衣場と浴室を仕切る扉は、外れて床に倒れていた。入り口から浴室まで一直線に遮るものが何もない状態だ。奥に、湯の張られていない浴槽が寂しく佇んでいる。


「よっと……扉は……駄目だなコリャ」


 倒れた衝撃だろうが、扉は折れたり割れたり、使い物にはならなさそうだった。


「まぁ、今は必要無いから良いんだけどさ……」


 いざ開業! となった時、どれだけ修理費がかかるのか、目眩がする。許可が降りても開業出来ないんじゃ無かろうか。


「やれやれ……この様子だと浴槽も怪しいな」


 壁や扉は至る所が壊れている。これで浴槽だけ無事という事も無いだろう。そう思い浴槽に近づくと――


「……いや、誰だこれ。なんでここで寝てるんだ?」


 空の浴槽。その中で、小さな女の子がスヤスヤと丸まって眠っていた。



 ◇◆◇



 歳は五歳か六歳位だろうか。ボロボロの、服とも布切れとも言い難い物を身に纏っている。

 本来は銀色なのだろうが、その髪はボサボサでくすんで灰色になっている。まるで頭から灰を被ったようだ。

 布から見える手足も黒く汚れ、正直に言うと浮浪者か孤児に見えた。おおかた、寒さを凌ぐためにここに潜り込んだんだろう。

 寝苦しいのか、時折苦しむような表情も見せる。


「うーん……どうしたもんかな。追い出すのも可哀想なんだが……」


 とはいえこのまま置いておくわけにも行かない。孤児なら孤児院に連れて行くべきだ。第一、俺には養うだけの余裕もない。


 とりあえず起こして話を聞くか、と思った時、ふと入ってきた時のことを思い出した。


「あれ……入り口開かなかったよな。何処から入ったんだ?」


 入り口は子供が開けられる固さではなかった。俺でもこじ開けてようやくだったんだ。流石に外から入れる穴なんかが開いてる訳じゃない。

 じゃあこの子は何処から入ったんだ?


 ひとまず身体を揺すって声をかけてみる。


「おーい、起きろ」


 ユサユサと揺すって見るが、女の子はムズがるだけでなかなか目を覚まさない。


「おい、起きろって。ほら!」


 強目に揺すると、徐々に女の子の目が開いてきた。彼女は寝ぼけた目でこちらを見た後、辺りをキョロキョロ見回し不思議そうにこちらを見ている。


「あー、君は誰だ? どうやってここに入った? なんで浴槽で寝てるんだ?」


 つい矢継ぎ早に質問を重ねてしまう。女の子は首を小さく傾げ、キョトンとした顔でこちらを見た後、見る見る瞳に涙を浮かべだした。


「う……ふぇ……うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!」


 その小さい身体の何処から出るのか不思議なほど、大声で泣き出す女の子。それはビリビリとした振動が伝わってくるようだ。

 とっさの出来事に硬直していると、女の子が急に立ち上がり走りだそうとした。が、寝起きな上にボロい床である。案の定、床に躓き盛大にコケた。そりゃもう、ビタン!とコケた。


「お、おい! 大丈夫か!?」


 女の子は倒れたまま再び派手に泣き出している。どうでも良いがコケた衝撃で小さいお尻やらなんやらが丸見えである。可哀想だが、どことなくちょっとシュールな光景だった。


「ほら、大丈夫か? 怪我してないか?」


 女の子を抱き上げ、怪我がないか確認する。良かった、多少膝に擦り傷があり、鼻の頭が赤いが大きな怪我は無いみたいだ。

 とりあえず話は後だな。まずは落ち着かせないと。


 服の袖を破り、女の子の膝に巻いてやる。まぁ、こんなのでも無いよりはマシだろう。


「よっと。これでもう大丈夫だからな」


 そうして女の子の頭を撫で続けていると、少し落ち着いたのか、泣き止んだ女の子がこっちをジット見ていた。


「あ……ありがとう」

「どういたしまして。えーと、俺はアイル。君の名前は?」


 女の子は少し悩んだ後、小さく首を横に振った。


「名前が分からないのか? じゃあ、どこから来たのかも?」

「わかんなぃ……」


 名前も家も分からないか。しかし、いくら小さいとはいえ、自分の名前が分からないなんて事があるのか?


「何か、分かることはないかい? 両親の事とか、いつからここに居るかとか」


 しかし女の子は何も分からないらしく、首を横に振り続ける。


「参ったな……どうしたら良いんだ」


 ひとまず孤児院に連れて行くか。そう考えていたところに、くぅ、と小さい音が鳴った。見ると女の子が顔を真っ赤にして俯いている。


「ははっ、そっか腹減ったか。良し、なんか食いに行くか」


 女の子は恥ずかしいのか、フルフルと首を横に振っているが、再度腹が鳴る。ついには涙を浮かべ泣くのを必死にこらえだした。


「あー、なんか俺も腹が減ったな。悪いけど付き合ってくれないか?」

「あぅ?」


 いまいちフォローが伝わってない様だがまぁ良い。ここは無理矢理にでも連れ出してしまおう。


「ほら、行こうぜ。まずは着替えからかな」


 差し出した手を見て、少し逡巡する様な素振りを見せた後、ニッコリ笑ってギュッと握ってくる。

 うんうん。子供は素直が一番だ。



 ◇◆◇



 ひとまず家に帰り、ボロボロの布切れから俺の服でも着せてやることにする。おっと、着替えさせる前に身体くらい拭いておかないとな。

 台所……と言うのも憚られるボロい炊事場で湯を作り、準備をする。


「あー、まず身体を拭いてやるからな。後ろ向けー」

「ん……」


 素直に後ろを向き背中を出す女の子。小さな背中をゴシゴシと拭いてやる。いつから拭いてないのか、湯はすぐに真っ黒になっていった。


「ほれ、前は自分で拭きな」


 一応女の子だし、気を使っておこう。布を受け取った後、ゴシゴシと自分で拭いていく女の子。

 さすがに一回では綺麗にはならなかったが、とりあえずという点では十分だろう。夏なら髪も洗うんだが、この季節、風邪を引いても困るしなぁ。


「ほい、コレに着替えような」


 俺の手持ちから比較的綺麗なシャツを渡してやる。女の子は布切れをおもむろにバサッと脱ぐと、一息にシャツを頭から被っていく。慌てて横を向いたが、この歳の子に意識し過ぎかもしれない、と思った。


 身体の大きさが違いすぎるから、シャツ一枚でも十分だった。まるでワンピースのようになっている。ひとまずはコレで我慢してもらおう。


「じゃあ、ご飯食べに行こう」

「うん!」


 手を差し出すと、元気よく返事をして、そのまま手を握り返してくる。一人になるのが不安なのだろうか、小さい手で力強く、しっかりと握っていた。



「ごちそうさまでしたっと」

「ご、ごちそうさまでした」


 アレから適当な飯屋に入り、さくっと食事を済ませた。本当ならちゃんとした飯屋に連れて行ってあげたいが、あいにく今は持ち合わせが少ない。女の子が満足そうだったのが救いだが。


「さて、これからどうしようかな……」


 このまま孤児院に連れて行くべきか。行くべきだろうなぁ。情けない話だが、俺じゃこの子の面倒を見る事も出来ないし。


「住んでた所とか分からないんだよな?」

「うん……わかんなぃ」

「前からこの街に住んでたのか?」

「覚えてないの……」


 うーん、どうも不思議な子である。住んでた所すら覚えてないなんてあるんだろうか?


「浴場で寝てたのは?」

「起きたらあそこにいたの」


 誰か……あるいは親が置いていった? しかし侵入した形跡は無かったんだよな。


「仕方ない。もしかしたら親が探てるかもしれないし、一旦戻るか」


 浴場で寝てたからには、あの近くにまで来たのは間違いないだろう。何か見落としてるかもしれないと、俺達は浴場まで戻ることにした。



 ◇◆◇



 女の子を連れて浴場まで戻っていた俺達だが、普段は行き交う人とすれ違う大通りで、不思議なくらいすれ違う事が無かった。何かあったかと遠目に見てみると、どうやら一箇所で人が集まっているらしい。


「あの場所……うちの浴場じゃないか?」


 もしや遂に浴場が倒壊したかと、サッと血の気が引く。建物が倒壊したなら色々諦めもつくが、もし、誰か入り込んでいたらと思うと、自然に早足になっていく。手を引かれている女の子が、必死になってついて来ているがそこに気を回す余裕も無かった。


「はあ、はあ、はあ……」


 最後は小走りになりつつ、浴場の前までたどり着いた。


「何があったんだ……」


 人垣が邪魔でよく見えない。どうやら建物自体は無事なようだが、どこか違和感がある。見慣れた筈の建物が、初めて見るような……。


「おお、アイルか! お前何やったんだ!?」

「え……?」


 浴場近くで店をやってるおじさんが声をかけてくる。何をやったと言われても何が起こってるのかもさっぱりわからない。


「ちょっ、ちょっと通してくれ!」


 人垣をかき分け、前に出る。何が起こってるかと浴場を見ると、ついさっき迄ボロボロで、それこそ倒壊を危惧する位だった建物が、新築同様にピカピカになっていた。


 正面玄関には浴場を表す文字がデカデカと書かれた、看板がかけられ、建付けの悪かった扉はガラス張りの立派な物になっている。

 道に面した壁も、ひび割れ一つなく白い面を堂々と晒している。


「な、なにが起こったんだ? おじさん、何が起こったんだ!?」

「いや、それはこっちのセリフだよ! 何か騒がしいと思って出てみりゃぁこの始末だ!」


 集まっている人達も、皆何も知らないという。気がついたらこうなっていたらしい。

 誰かがこっそり直した? いや、僅かな時間で誰にも知られずに直す事なんて不可能だろう。


「わーい! ピカピカになってるー!」

「ちょ、待てって!」


 そう言いながら女の子が中へ駆け込んでいく。中がどうなっているかわからないと、慌てて後を追う。



「中も綺麗になってやがる……」


 ホコリだらけ傷だらけの受付も、脱衣場も、全て新品同様だ。壊れて倒れていた扉も、曇りガラスがしっかり付いて、中を見えなくしている。

 ふと棚を見ると、見たこともないタオルがキチンと折り畳まれ積まれている。恐る恐る触ってみると、ビックリするくらい柔らかな手触りだった。少なくとも庶民が使うものではない。


 更に壁際には人ひとりが横になれそうな、大きな椅子。何やら不思議な部品が付いたその椅子は、黒一色で派手さはないが、見たことも無い素材で出来ていた。



「これは何だ……? 冷たっ!」


 正面がガラスで出来た背丈ほどの棚。表面は触ると冷たい。氷を触っているようだ。その中にはガラスで出来た瓶が何本も陳列されている。



「あー! お湯! お湯だよ! あつーい!」


 浴場から女の子の声が聞こえてくる。お湯……そんな馬鹿な。浴場用にお湯を張ろうと思ったらどれだけの薪が必要か……。


 何事かと浴場に入ると、ムワッとした熱気が顔にまとわりつく。冬の冷たい風に冷え切っていた身体が暖かな空気に包まれ心地よい。


 かつてデカイ浴槽一つだけだった浴場には、大小様々な浴槽が備え付けられていた。その全てに湯が張っている。中には不思議と色が付いた湯や、沸かし過ぎなのかボコボコと泡を出している浴槽もある。


 右を見ると、壁の上から細い滝のように湯が何本か流れ落ちていた。結構な勢いのその滝は、そのまま垂直に落ち、最後には地面に備えられた排水溝へと消えていく。


 その奥には、洗い場だろうか? 等間隔で区切られた区画に、椅子と鏡が一組ずつ備えられている。壁には謎の器具と、蛇のように細長く、先の方で急に太く丸い何かが付いていた。他にもガラスの様な透明の容器が区画ごとに三つ、並んでいる。



「訳がわからない……。これは何なんだ……?」


 困惑して入り口から動けないでいると、女の子が興味津々な様子でいろいろと触っている。


「これ、まわるよー! あ、これは押せるのかな!」


 洗い場らしき区画に付けられた器具はどうやら一部が回るらしい。それらを適当に回した後、中央にあった黒い部分を体重をかけ、両手で押していく女の子。


 「わぁぁぁっ! 冷たいー!」


 とたん、蛇の先端から勢い良く水が吹き出す。頭上から思いっきり水を被った女の子は、驚いたあまり尻餅をついて水をかぶり続けている。やがて、水は勢いを弱め止まった。


「だ、大丈夫かっ!?」


 慌てて女の子に駆け寄るが、水浸しでキョトンとしているだけで特に何も無いようだ。


「ううー……冷たいよぅ」

「これ、水が出るのか……」


 器具を見ると、回していた部分には何やら印らしきものが書いてある。青から赤へと変わるそれを見て、ピンときた。


「これ、もしかして水の温度か……?」


 試しに真ん中くらいまで回し、蛇を横に向け黒い部分を押して見る。女の子は体重をかけていたが、大人なら片手で押せるくらいの固さだ。

 押すと同時に今度はぬるい水が出てくる。どういう原理かは分からないが、温度が一瞬で変わるらしい。


「あー……駄目だ。これは理解の範疇を超える……」


 ひとまず赤寄りに回し、温度を確認してから女の子にかけて行く。身体が冷えきった所にお湯だ。女の子はホッとした表情でお湯を浴びている。


「服は後で乾かすとして……取り敢えず色々確認するか。表の人達にはどう説明したもんか……」


 一瞬でこんな未知の浴場が出来るなどただ事では無い。どう誤魔化したもんかと頭を抱えつつ、表に出ることにした。



 ◇◆◇



「うーん、なるほどなるほど……」


 アレから表の人達にはとりあえず後日説明するからと解散してもらい、中を色々確認していた。が、全く分からない。


 こういう物だ、と理解は出来ても、原理はサッパリ分からない。そもそも何処から水が来て、何故お湯になるのかすら分からない。俺は何もしていないのだ。



 風呂はどうやら温度別にいくつか別れているらしい。ボコボコしていたのは高温では無く、下から突き上げることで泡を出しているようだった。

 変な緑色のお湯は触るとピリピリとした感触が返ってくる。これは風呂なのか?


 洗い場に備え付けられた容器からは、ヌルヌルした液体が出てきた。よく見ると身体用、髪用と使用方法が書いてある。

 一人一人専用なのか? 貴族でも多分、ここまで贅沢してないぞ……。



「サッパリ分からないけど、これは借金返済に使えるか?」


 誰も知らないような未知の浴場。そして無限に湧き出る水やお湯。コストのかからない浴場だと考えれば、客が来るだけ稼ぐ事が出来る。


「後は……ギルド加盟金だけか」


 これならギルドに加入する必要は無いかも知れないが、後々の事を考えたら加入しておく方が正解だろう。危険な風呂なんてデマを流されたらたまったもんじゃない。



「あれ……そういやあの子はどこに行った?」


 確認に夢中になって女の子の事をすっかり忘れていた。慌てて浴場から出ると――


「そう、コレはこう、腰に手を当ててグイッとのむんですよー」

「こう?」


 女の子と、見知らぬ女性があの冷たい棚から容器を取り出し、二人並んで妙なポーズでグビグビ飲んでいた。

 何故だかわからないが、様になるポーズだった。


「あ、あのー……その子のお母さんですか?」


 その女性は、艶やかな、月の光を閉じ込めたような長い金髪を腰まで伸ばし、溢れんばかりのその大きな胸を張りながら腰に手を当て、白い何かを飲み干している。

 ついその胸に目が行きがちだが、注目すべきはそこでは無い、女性の頭からは、ウサギの様な、細長い耳がついていた。


「あらー、私、まだ子供を持った覚えは無いですよーー?」


 間延びした声で女性が答えてくる。


「じゃあ一体貴女はどこのどなたなんです……?」


 この浴場の事について知ってるみたいだし、コレを起こした犯人か?


「私はー、マリエと申しますー。そうですねー、この子と同じ、神様ですよー」

「はぁ!? 神様!?」

「はいー。私は幸運を司る女神で、この子はお風呂の女神ですねー」


 よりにもよって神様ときた。しかも幸運の女神とお風呂の女神? なんでお風呂限定なんだ……。


「えーと、いきなり神様って言われましても……」

「あらー、でも貴方、恩恵を受けているじゃ無いですかー」


 恩恵を受けていると言う自称幸運の女神。幸運の恩恵なんて何も受けた覚えは無いぞ……。


「違いますよー。この子のです。お風呂の恩恵ですよー」

「お風呂の……ああっ! それでこの浴場が!」


 突然綺麗になったのも、見た事のない設備もこの子のお陰っていう訳か?


「この子を綺麗にしてくれたでしょうー。この子とココは一心同体。この子が綺麗ならお風呂も綺麗になりますよー」


 確かにあの女の子を拭いて多少綺麗にしたが……。


「じゃあ、それで浴場がこうなったと?」

「はいー。この子はまだ小さいので自覚はないでしょうが、立派に女神の力ですよー」


 最初ボロボロだったのは浴場がボロかったからか?いや、この子がボロボロだったから浴場が? ダメだ、卵が先か鶏が先か、みたいになってきた。


「それで……貴女はどうしてココに?」

「女とお風呂は切っても切れない関係ですよー」


 説明になってない……。風呂が出来たから釣られて来たのか……?


「まぁ、いろいろ言いたいことはあるが別に害は無いんだよな……むしろ助かった」

「お礼はこの子に言ってくださいなー」


 そうだな。浴場が綺麗になったのはこの子のお陰だ。


「ありがとうな。助かったよ」

「……?」


 自覚はないと言っていたが、気にせず頭を撫でてやる。女の子はきょとんとしているが撫でられるのが嬉しいのかニコニコしていた。



「そういや、この子の名前はなんて言うんだ?」

「まだ小さいので名前は無いんですよー」


 そうなのか。しかしいつまでも名前が無いのも不便だな。


「じゃあ、いつまでも名前が無いのもアレだし、そうだな……アーニャでどうだ?」

「あーにゃ?」

「そ、君の名前だ。名前が無いと不便だろ?」


 そう、軽い気持ちで呼び名をつけてやろうとする。


「あっ! ちょっとまってー……」

「あーにゃ! 私、あーにゃ!」


 マリエさんが止めようとしていたが、女の子が自分の名前をアーニャだと認識した瞬間、俺とアーニャの間に光が走った。


「ああー……間に合わなかったですー」


 見るとマリエさんが間に合わなかったと、がっくり落ち込んでいる。


「えと……名前つけちゃ駄目でしたかね……」

「はいー。神に名前をつけると言うのは、その神を自分のモノにするという事ですー」

「自分のモノに……つまり……」

「分かりやすく言うと恋人とかお嫁さんとかですねー」


 はあっ!? え、ちょっと待って、なんだって!?


「あーにゃ、およめさん! およめさん!」

「ちなみに、振ったり捨てたりしたら……天罰モノですよー。何せ女神ですからー」


 どうやらこの歳で俺は嫁を娶ったらしい。しかも相手は年端もいかない幼女だ。大変な事になってしまった。


「ごめん! そんな事になるとは思わなくて!」


 思わずアーニャに謝るが、彼女は、


「あーにゃ、アイルのおよめさんで良いよー!」


 そう、にこやかに返して来るのであった。満面の笑みを浮かべたこの子を前に、間違いでしたとは言えそうにもない。


「ああ……よろしくアーニャ」


 そうして、金無し職なし未来なしだった俺は、この日、一つの未来と小さな嫁を手に入れた……らしい。



 ◇◆◇



「さて、アーニャのお陰で浴場は立派になったんだが……」

「何か問題でもー?」

「ぶっちゃけ、金が無い」


 日々の生活もカツカツな、貧困レベルだ。このまま無許可で開業したら、口コミで広まるのは目に見えている。そうすれば間違いなくギルドに話が行く。

 この規模の商売を見逃していたら、周りから不満続出だ。すぐにでも潰しにかかられるだろう。


 現実は非情である。目の前に金のなる木はあっても、実は取れないのだ。

 もどかしさとやるせなさに頭を悩ませている俺に、マリエさんが声をかける。


「お金ですかー……困りましたねー。このままじゃ、アーニャもちゃんも困りますねー」

「あーにゃ、困るの?」


 こんな小さい子一人も養えない自分に嫌気がさす。


「勿体無いが風呂は当面、自分達用にして出稼ぎに行くか……」


 それでも借金の返済を考えると、開業出来るのはいつの日か……


「仕方ないですねー……私にも止められなかった責任がありますしー……うん、決めました! 私も養ってください、アイルくん」


 マリエさんが突拍子もない事を言ってくる。確かにマリエさんは美人で俺なんかには勿体無い人だが、お金が無いと言ってるのに養ってくださいとは、どういう事だ。


「私は幸運の女神ですよー。アーニャちゃんほど繋がりはありませんが、家族に幸運をもたらすくらい訳ないですよー」

「マリエ、マリエもおよめさん?」

「第二夫人ですねー」


 サラッととんでもない事を言ってくるマリエさん。アーニャは良く意味も分かってないのだろう、第二夫人第二夫人と、連呼している。


「えーと、冗談は横に置いて、幸運をもたらすとは?」

「えー冗談なんかでこんな事言わないですよー」


 マリエさんが頬を膨らまして拗ねている。


「いや、言葉の綾ですよ……」

「本当ですかー? まぁ、良いですー。えーと、そうですね、普段より事が上手く運ぶとか、道でお金を拾うとかですかねー」


 連れて歩くとお金が拾いたい放題なんだろうか……。大金が落ちてても怖くて拾えないけど。

 しかし事が上手く運ぶか……。審査書類が通りやすくなったりするかな? レイナさん以外に当たるとか?


「じゃあ、試しにちょっとついて来てもらっても良いですか?」

「はいー。何処へでもついて行きますよー」

「あーにゃも! あーにゃもついてくー!」


 ひとまず不備のあった箇所を直して、もう一度ギルドへ向かう事にする。マリエさんが、「両手に花ですねー」とからかってくるが、あえて何も言うまい……。



 ◇◆◇



 本日二度目の商人ギルド。時間帯が時間帯だが相変わらずココは人で賑わっている。

 ちなみにここに来るまでに小銭を拾った。幸運ではあるが、これで効果が終わりだと困るんだが……。


 開いてる受付は……と見ると、レイナさんと目があってしまった。手で来い来いと言っている。どうやら今日もレイナさんとの戦いは避けられないようだ。


「こ、こんばんはレイナさん。審査書類を持ってきました」


 恐る恐る書類を渡す。レイナさんは不備のあった箇所を順に確認していく。この無言の時間がまた辛い。


「…………不備のあった部分は大丈夫です。後は加盟金ですが……後ろの女性がお支払い頂けるのですか?」

「いえ、加盟金は俺がちゃんと払います。ですが……お願いします! 開業後まで待ってください!」


 周りから何事だと注目されるが知ったことか。精一杯頭を下げて、何とか後払いに出来ないかお願いする。


「その様な事は認められません。皆、事前にお支払い頂いていますので」


 やはりレイナさん。ズバッとこちらのお願いを切り捨ててくる。まぁ、そうだよな……。やっぱりさっきの小銭で幸運は終わってたか……。


 泣きそうになるのをぐっと堪え、帰ろうと振り返った時だった。仄かにマリエさんが、光っている?


「アイルくん、もうひと押しですよ」


 小声でマリエさんがそう囁いてくる。もうひと押し? よく分からないが、言って損することも無い。再びレイナさんに振り返り――


「お願いします! 絶対、絶対に支払いますから! 無茶を言ってるのは承知です! どうか、お願いします!」


 言った。これで駄目なら仕方ない。そう思いながら頭を下げ続けているが、レイナさんからの反応が無い。頭を上げると、即断即決なレイナさんが、珍しく悩んでいた。これは……。


 それからしばらく無言の時間が続いた後、レイナさんの考えがまとまったようで、こう、言ってきた。


「わかりました。そこまで仰られるのなら、余程お店に自信があるのでしょう」

「じゃ、じゃあ!」

「早とちりしないで下さい。その自信が信用に足るかどうか、私自身で確認させて下さい」


 まさかのレイナさんによる視察が行われるらしい。普段のレイナさんからはあり得ない譲歩だ。……これがマリエさんの幸運効果なんだろうか。

 遠巻きに見ていた客も他の店員も、信じられないと言った顔をしている。


 見ればマリエさんがグッと、親指を上に、握り拳を突き出している。なるほど、これがマリエさんの……。


「コホン。後少しで私の業務が終わります。それまでお待ち頂けますか」

「は、はい! よろしくお願いします!」



 そうして、俺は恐らく最初で最後のチャンスを手に入れた。後はレイナさんを納得させるだけだ。



 ◇◆◇



「これが……バースさんのお店ですか。確か、大衆浴場と……」

「はい! 誰でも気軽に入れる風呂を考えています」


 ピカピカの入り口を見て、レイナさんの動きが止まる。まぁ、加盟金が払えないのに見た目は豪華だからな……。ギルドを蔑ろにしてると思われただろうか。


「ねえねえ、おねぇちゃんも、およめさん?」

「……はい?」


 黙っているのに飽きたのか、アーニャが爆弾を落とす。

「あのね、ナイショなんだけどね、あーにゃ、およめさんなんだよ。おねえちゃんは、だいにふじん?」

 

 アーニャが嬉しそうに、レイナさんに教えている。と、そこにもう一人爆弾を抱えた人がやって来た。


「あらあら、第二夫人は私ですよー。アーニャちゃん、二の次は何かなー?」

「あれ? えーと、いち、に……あっ、わかった! だいさんふじんでしょ!」


 アーニャが指を折り、三の形を作ってレイナさんに見せている。アーニャだけなら子供の言う事だったんだが、わかってかどうか、マリエさんまで加わってしまった。レイナさんの纏う空気が、ピシリと凍るのがはっきり分かる。


「バースさん……どういう事です? こんな小さい子がお嫁さん? しかもこちらの方が第二? まさか貴方……」

「ご、誤解です誤解! いいい嫌だなぁ! ちょっとした冗談ですよ! ハハハ……」


 導火線に火が付いているのがわかる。誤魔化さないと査定どころじゃ無い……。

 オロオロしていると、マリエさんがアーニャに何か耳打ちしているのが見えた。あの人、完全に楽しんでるな。


 駆け寄ってきたアーニャが、目に涙をいっぱいに浮かべ、


「わたしのことは、あそびだったの? もうわたしのことは、いらないの?」


 なんて言ってくる。やめてくれ、小さい子に変な事教えないでくれ……。


「そ、そんな訳ないだろ。アーニャは大事だよ」


 アーニャを悲しませる訳にもいかず、ついそう返してしまう。


「バースさん……貴方やっぱり……」


 完全に何かを誤解したレイナさんが、若干俺から距離を取りつつ、疑いの眼差しを向けている。

 本当の事が言えないだけに、上手く言い訳出来ない。


 その後、誤解を解く為に、ある事無い事言ってお茶を濁したつもりだが、レイナさんの距離が戻らずちょっと悲しかった。



「で、では中にどうぞ。御説明します」

「はい。よろしくお願いします」


 やや緊張気味にレイナさんを中へ案内する。

 そして、脱衣場までを一通り説明した。噛んだり言い淀んだりしたが、概ね説明出来たと思う。しかし――


「……あのー、レイナさん?」

「これは……なんとも……離れがたい……ですね」


 普段からの激務が身体を蝕んでいたのか、備え付けの不思議な椅子――調べたらマッサージ機能付きの椅子だった――に座ったまま、動かなくなってしまった。


「えーと……まだ肝心の浴場を案内して無いんですが……」

「すみません……後、五分だけ……」



 結局たっぷり三十分は堪能して、ようやくレイナさんは立ち上がった。我に返った時、真っ赤な顔をしていたのがちょっと可愛かった。


「あの……すみませんでした。ですが、これは素晴らしい椅子ですね」

「あはは、気に入って頂けて何よりです。じゃあ、浴場にご案内しますね」


 乾いた笑いで濁しつつ、浴場について一つずつ説明していく。

 最初は真面目に聞いていたレイナさんだが、途中から心ここにあらず、といった感じだった。実際に入りたいと、ソワソワしているのが誰の目に見ても明らかだった。


「折角ですし、入ってみますか? 勿論俺は外で待ってますし、初めてのお客さんという事で」

「流石にそれは……いえ、利用しないと分からないですからね。あくまで査定ですよ査定!」


 さっきの失態があるからか、素直に入るとは言いづらい様子。まぁ、今更な感じがしないでもないが。

 だってレイナさん、目が浴槽に釘付けだし……。


「じゃあ、俺は入り口まで戻ってますね。あ、一人で大丈夫ですか? 何ならマリエさんにお願いしますが……」

「ひ、一人で大丈夫ですっ!」


 そう言って脱衣場に戻るレイナさん。ちょっと心配だが男の俺が一緒に入る訳にもいかない。ここで一緒に入りましょうなんて、そこまでの幸運は無いって……。


「出たら声をかけてください。ごゆっくりどうぞ」

「す、すぐに出ますから!」


 脱衣場を出て、待ってくれていたアーニャとマリエさんに事情を説明する。さて、上手く行くと良いんだけど。



 ◇◆◇



「レイナさん……遅いな」


 あれからたっぷり二時間は経っている。恐らく堪能するだろうとは思っていたが、流石に遅すぎないか? まさか事故でも……と、不安が頭をよぎる。

 心配になった俺は、マリエさんにお願いして見てきてもらう事にした。女性同士なら問題ないだろう。


「マリエさん、ちょっと見てきて貰えますか?」

「はいはいー。任せてー」


 駆け足でマリエさんが確認しに行く。アーニャは待ちくたびれた様で、椅子でスヤスヤと眠りについている。



「きゃあ! アイルくーん! 大変! 早く来て!」


 浴場からマリエさんの悲鳴が聞こえてきた。やっぱり何かあったかと、慌てて浴場に飛び込んでいく。

 この時、レイナさんが浴場に入っている、その格好を完全に失念していた。いつだって、焦った時は冷静にはいられないものだ。


「マリエさん! 何があった……んです……か」

「レイナちゃん、のぼせちゃったみたいなのよー」


 そこには、恐らくマリエさんが浴槽から引っ張りだしたんだろう、浸かり過ぎて全身真っ赤にしたレイナさんが、マリエさんに抱きかかえられていた。

 

 濡れた髪が頬に貼り付き、えも言わぬ色気が醸し出ている。レイナさんの――けして本人には言えないが――その慎ましい胸が荒い呼吸と共に上下し、弾みで水滴が可愛らしいおヘソ、そして下腹部へ滴り落ちていく……。


「あらー、アイルくん。女性の裸をそんなにじっと見るのはマナー違反よー」

「スススススミマセンッ!?」


 慌てて後ろを向く。余りに綺麗で思わずじっと見ていた。やばい……全部見えてしまった。ちょっと待て。怒られたけど呼んだのはマリエさんだ……いや、イキナリ突入したのは俺だな。満場一致で俺が悪いか。


「大丈夫なんですか、レイナさん……」

「ええ、少し休めば大丈夫だと思うわー。アイルくん、タオル持ってきて貰えるかしらー」


 そうしてタオルを持っていった後、脱衣場に備え付けられた長椅子へ横にし、レイナさんが起きるのを待った。対処法についてはマリエさんが詳しく、テキパキと冷たいタオルで首や脇の下なんかを冷やしていった。


 それから少しして――


「ん……あれ、私……っ!?」


 気が付いたレイナさんが勢い良く起き上がる。弾みで身体を覆っていたタオルが、はらりと落ちた。着替えさせてはいない訳で、シミひとつないレイナさんの柔肌が外気に晒される。


「え……きゃあっ!!」


 慌てて後ろを向く俺と、レイナさんが悲鳴をあげタオルで身体を隠すのはほぼ同時だった。やばい……また見てしまった……。


「み、見ました!? バースさん……」

「い、いえ! その……す、少しだけ……ゴメンナサイ」

「〜〜〜っ!」


 見てないと言うべきだったかも知れないが、素直に謝っておいた。少しも何もさっきじっくり見てしまったんだが、それは内緒にしておこう。墓まで持ってく秘密だ。


 ゴソゴソと、レイナさんが動く音が聞こえる。恐らくタオルできつく身体を隠してるんだろう。


「あの……もう大丈夫です。すみません……お見苦しい物を……」

「いえ! 見苦しいだなんて! 凄く綺麗で素敵でした!」


 頭の中が混乱して、思わず本音が漏れてしまう。まずい……これは怒られると恐る恐るレイナさんを見ると、


「しっかり見てるじゃないですか……もぅ……バースさんのバカ……」


 そう言って頬を紅くし俯いてしまった。あれ、これは本当にレイナさんか? あのいつも真面目でしっかりしたレイナさんとは思えない姿だった。


「あの……」

「あの……」


 無言に耐えられず、思わず出した言葉が二人同時に重なる。


「あ、何でしょうレイナさん」

「あ、えと……その、いえ……着替えたいのですが」


 違う事を言いたかったようだが、かぶりを振っていつもの調子に戻るレイナさん。相変わらず顔は赤いままだったが。


「あ、すみません! すぐ出ます!」


 バタバタと脱衣場から出て行く。曇ったガラス越しに何やらマリエさんとレイナさんが話しているのが見える。お礼か何かしてるんだろうと、受付まで戻った。



 しばらくして、マリエさんときっちり服を着たレイナさんが戻ってくる。とりあえず水分補給よーと、マリエさんがレイナさんに例の冷たい飲み物を手渡していた。飲み方まで教えていたが、レイナさんは腰に手を当てることなく普通に飲んでいた。



「あの、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 開口一番、レイナさんが謝ってくる。どうやらもう、いつものレイナさんのようだ。


「いえ、こちらこそ色々すみませんでした」

「っ……バースさん、今日見たことは忘れてください。良いですね?」


 眼鏡越しにレイナさんが鋭い眼差しでにらんでくる。


「は、はい……わかりました」


 とはいえ、俺もそういう事に興味津々な歳だ。今日見たものは心のお宝箱にしっかり保管しておこう……。


「ホントに忘れてくださいね? でないと、審査を取り消しますからね」


 ん? 審査を取り消す?


「あ、あの! 取り消すって事は!?」

「……ここまで堪能しておいて不十分だなんて言えません。ええ、合格です。加盟金は待つよう、上と掛け合ってみます」


 思わず夢ではないかと疑ってしまう。今日一日、夢のような出来事が多すぎる。

 ギリギリと頬を抓って確かめてみるが、痛い。確かに夢じゃないようだ。


「あ、ありがとうございます!!」

「ほ、本当に忘れてくださいね!? もし誰かに言ったりしたら……」

「い、言いません! 一生秘密にします! 墓まで持っていきます!」

「で、す、か、ら……忘れてくださいって言ってるでしょう!?」


 そこには鉄の女と言われる女性は居なかった。そこに居るのは、他の子と何も変わらない、普通の女の子だった。

 照れながら怒るレイナさんを見て、普段からこういう表情を魅せれば良いのにと思いつつも、俺だけが見た表情に少しの優越感も抱いていた。



 ◇◆◇



 明けて翌日、浴場で寝ていた俺達に、審査について話がしたいと、商人ギルドからの呼び出しがかかった。

 ちなみに浴場で寝るのは家で寝るよりよっぽど快適で、もういっそここに住もうかと思ったくらいだ。



 二人には留守番を頼んで、一人でギルドまで行くことにした。マリエさんについて来てもらえば、また幸運が舞い降りるかも知れないが、それに頼りっぱなしもどうかと思った。

 二人にはもう十分助けられたしな。



「あ、バースさん。おはようございます。どうぞこちらへ」


 ギルドに行くとレイナさんが迎えてくれた。心なしか昨日までと比べて対応が少し柔らかい気がする。

 どうやらギルド二階の個室へ案内されるらしい。


「朝から御足労ありがとうございます」

「いえ、大丈夫ですよ。それよりレイナさん……何か綺麗になりました?」


 移動がてら、ふと気になって声に出してしまう。うん、いつものレイナさんより、何割増しか綺麗な気がする。切り揃えられた黒髪はいつもより艶があり、歩く度にサラサラと流れていく。


「何を言ってるんですか……と言いたい所ですが私もびっくりしています。おそらく昨日のお風呂だと思いますが……」

「昨日の……」


 つい昨日の事を思い出してしまう。隣を見るとレイナさんも少し頬を紅くしていた。


「……やっぱり取り消した方が良いですか?」

「すみません忘れました、ハイ!」

「全く……」


 溜息をつきながらレイナさんが呆れている。と、気がつけば到着していたようだ。


 レイナさんがコンコン、とドアを叩くと中から男の返事が返ってくる。


「どうぞ」


 レイナさんに扉を開けてもらい中に入ると、年季というものをシワにして、顔に刻み込んだような、威圧感のある爺さんが待っていた。


「ギルド長、バース氏をお連れしました」

「うむ、ご苦労。二人共こっちへ」


 ギルド長!? レイナさんは上に掛け合うって言ってたけど、上も上、トップじゃ無いか。



「さて、バースと言ったかの。何でも加盟金を後日にして欲しいとか」


 その何でも見透かしそうな眼光で、こちらを見てくる。ぶっちゃけると怖い。が、ここでビビっても道はない、と覚悟を決める。


「はい! 必ずお支払いしますので、少しだけ待ってください!」


 深々とお辞儀をし、向こうの反応を待つ。やがてギルド長がゆっくりとした口調で、話し始める。


「本来なら加盟金を待つなど前例がない。不公平じゃからの」

「はい……重々承知です」

「そこを捻じ曲げて通せと、お主は言う訳じゃ」

「我儘なのはわかっています。そこを――」

「じゃがの――」


 俺の言葉を遮るように、ギルド長が続ける。


「――前例がないだけで、やってはいけない訳ではない。結果的に支払うのであれば同じじゃからの」


 ギルド長の言葉に、思わず頬が緩んでしまう。


「と言うことは……」

「うむ。特例じゃが認めよう。そうじゃの……一ヶ月といったところか。レイナが言うにはそれだけ期間があれば十分だと言うことじゃ」

「あ、ありがとうございます!!」


 正直一ヶ月で貯めるのは大変だと思うが、あの浴場ならやれる。それくらいは俺でもわかる。


「あのレイナが朝一から熱弁するんじゃ。よくもまあ、ここまで落としたの」

「ちょ、ギルド長!?」


 そんなに言ってくれたのかとレイナさんを見ると、恥ずかしいのかそっぽを向いていた。


「レイナさんも、ありがとうございます」

「いえ……私は冷静に判断しただけですから……それに、また入りたいし……」


 最後の方は小さく聞き取れなかったが、とにかくこれでなんとか開業出来る。後は俺が頑張るだけだ。


「しかしそんなに良いものなら、開業したらワシも邪魔するかのう」

「是非いらしてください! 極上のおもてなしを約束しますよ!」

「その時を楽しみにしておこう。頑張るんじゃぞ」

「はい!」


 それから、如何にレイナさんの熱弁についてや、働きっぷりを面白おかしく聞いて、ギルドを後にした。

 ギルド長は見た目は歴戦の猛者って感じだが、話してみると気さくなおじいちゃんだった。

 色々暴露されたレイナさんは少しむくれていたが。

 


 ◇◆◇



 いよいよ明日から開業だ。しばらくは加盟金に借金もあるから、バタバタするだろうが、先の見えないあの日までに比べたら、随分と気が楽だった。


 二人はそのまま店を手伝ってくれるらしく――曰く、「妻だから当然」とのこと――人手もなんとかなりそうだ。

 さっきも開業の宣伝にと、街中を歩いて回ってくれた。

 ギルドとしても加盟金の問題もあり、大々的に告知をしてくれるそうで、客足も期待できる。レイナさんだけは、混むと入れなくなるかなと、複雑な顔をしていたのがちょっと面白かった。



「おきゃくさん、いっぱい来ると良いね!」

「アーニャも宣伝、ありがとうな」


 ニコニコしながらアーニャが店を見上げている。きっと大丈夫だ。なんたってここには女神が二人も居るんだから。


「そう言えばー、お店の名前は何にするんですかー?」


 最後まで決めてなかった浴場の名前をマリエさんが聞いてくる。元の名前でも良かったんだが、心機一転、店名だけは最初から変えるつもりで決めていた。


 俺は店名の入ったのれんを店先に掲げる。



『女神の湯殿』



 それでは明日より開業です。どうぞ皆様、ごゆっくりおくつろぎ下さい。


ここまでお読み頂きありがとうございますm(_ _)m

これを書いてる間、ずっと銭湯に行きたかった……(行けてない)

どうぞよろしくお願いします。

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