16 気持ちの最終落下点
もう空を元気よく漂っているような意志はいない。
うなだれているわけでもない。
全ては、世界の全てのものは、
自分が落ちていくべき場所を知っている。
だから何も言わずに、彼らはそこへ向かっていく。
ただ、それだけ。
秋には落下があるだけ。
昼を過ぎて、ズュートがやってきた。
虫かごを持っていて、なかには大きなムカデが一匹入っている。
「どうだい、この大きさ。見ているだけでうっとりしてくるよ」
「やめて、気持ち悪いだけだから」
ズュートはふふんと鼻で笑って、
私の視界に虫かごが入らないようにしてくれた。
「どうしてそんなに優しいの?」
「何を言っているんだ。人間は普通、優しいものだよ。
そうじゃないやつが異常なだけさ」
「私、トン・イータに酷いことを言ってしまった」
「何の問題が?」
ズュートの後ろで、かたかたと音がする。
きっとムカデが動いている。
この気持ち悪い虫の落下地点はどこだろうーー
でもたぶん、そうじゃない。
このムカデ自身が、何ものかの落下地点なんだと思う。
「彼は純粋に私の幸せを望んでくれているのに、
私は彼を理解できなかった」
「彼を理解できる人間なんているのかな。
いたとしても、僕はそんなやつに近付きたくないね」
「でもきっと彼は、ズュートより優しいわ」
「そう……君がそう思うなら、仕方ないな」
ズュートが虫かごを持って、そのまま部屋を出ていこうとしたので、
私は咄嗟に「待って」と呼び止めた。
彼は立ち止まってくれたけれど、振り向いてはくれない。
「ごめんなさい。あなたを傷付けるつもりはなかったの」
「大切なのは、ポラリスの気持ちをどこに落下させるかってことだよ」
「どうしてそんなまともなことを言うの?
怒ったのなら私を罵ればいいのに!」
ズュートが、ゆっくりと振り向く。
「僕はね、君の痛みを愛しているだけさ」
私は泣いた。突然湧きだした泉のように、
目からぼろぼろと涙がこぼれた。
よく分からない。嬉しいのか悲しいのか虚しいのか、
むしろこの涙は、罪悪感なのかもしれない。
「お願い、ズュート。
この涙を舐め取って」
彼はゆっくりと近付いてきて、
かすかに白衣の擦れる音を立てて私の顔までかがんでくれた。
赤いズュートの舌が伸びてくる。そして、
それは器用に私の涙をすくっていった。
彼の舌が私の皮膚に当たるたび、無数の針で刺すような激痛が生まれる。
それはやがて全身に広がっていき、
頭のてっぺんから足の指の先にまで、図太い電流のような激痛が走る。
私は耐えられなくて声を出し、体は自然に弓反りとなり、
酸欠状態になりながら必死に喘いだ。
ズュートはやめてくれない。
私の涙が流れているから、彼はひたすらその舌ですくってくれる。
私は、この感情に名前を付けることができない。
痛みは、苦しい。でもその苦しさが快感になるとしたら、
私はどうすればいいだろう。
ああーー
私の落下点は……
いったいどこにすればいいだろう。




