●11 四本腕の強者
「……おぬしら、これはやりすぎではないか……?」
ハヌの声が遠く聞こえる。ゴウゴウと耳の奥で鳴る風音が邪魔で、上手く聞き取れない。背中に感じるルナティック・バベルの床の冷たさが心地いい。けれど心臓は今にも爆発しそうで、口は呼吸以外のことは出来なくて、何も喋れない。
「ごめんなさい、小竜姫。ラグ君は吸収が早いものだから、つい……熱が入っちゃって」
「申し訳ありません。私の管理ミスです……」
「よい、ロゼが謝ることではない。じゃがの、一体何のためにラトへの負担を計算したのじゃ? これでは意味がなかろうに」
「……不覚です……私としたことが……!」
忸怩たる思いを噛みしめているであろうアシュリーさんの声が、どうにか耳孔へと入ってきた。
どうやら計算していた以上のオーバーワークだったらしい。道理である。実は途中から何かがおかしいとは思っていたのだ。
なにせ特訓が始まった途端、インターバルなど一切なしで、ヴィリーさん、ロゼさん、アシュリーさんの順でローテーションしながら、三巡も組み手を続けていたのだから。無論、三人ともそれなりに手加減してくれていたと思うのだけど、僕の方は常に全力か、下手をすればそれ以上の力を出し続けていたので、三巡目のアシュリーさん――つまり九戦目が終わったところで、糸の切れた操り人形のごとくぶっ倒れてしまったのである。
――わかってはいたけど、これはかなりの荒行だ。〝剣嬢〟のヴィリーさんを始め、〝絶対領域〟の異名をとるアシュリーさん、そして〝狂戦士〟――いや、やめよう。この名前は何だか嫌だ――〝アンドロメダ〟と呼ばれるロゼさん。支援術式のない僕では、あまりに荷が勝ちすぎる。
でも、だけど、だからこそ――
「じゃがの、ラトもラトじゃ。おぬし、何故に音をあげなんだ? おぬしから休憩したいと申し出れば、こやつらも手を止めていたであろうに?」
ハヌの声が近付いてきた。どうやら僕に話しかけているらしい。だけど床に大の字でぶっ倒れて、ぜーはーぜーはー、と全身をふいごのように呼吸し、体の隅々まで酸素を運搬することに忙しい僕は、返事することすらままならなかった。
「そういえば、そうですね。今回は珍しく、ラグさんから一度も『待って欲しい』や『休憩しましょう』という言葉が出て来ませんでした」
確かに昨日までの僕は、夜に行うロゼさんとの格闘訓練において、何度かそういった弱音を吐いたことがある。
いや、だけど、誤解しないで欲しい。ロゼさんの訓練は、普段から洒落にならない激しさのだ。なにせマシンガンのごとく拳や蹴りが連続で襲いかかってくる。しかも、休憩なしのぶっ続けで。堪らず「ちょ、ちょっ待っ!?」とか「そ、そろそろ休憩した方がいいんじゃ!?」とか言ってしまうのも無理ないと思うのだ。
でも、今回ばかりはそうもいかない。
「……のう、ラト。おぬし、焦っておるのか?」
閉じている瞼に感じていた光が、ふと遮られる。それと声の距離感から、ハヌが僕の頭の近くまで寄ってきて、屈み込んだことがわかった。
『……ち、違うよ、ハヌ。僕は、焦ってなんか、いないよ……』
肉声が出せないので、ルーターを介した念話で答えた。体が辛い時は、心の声であっても自然と途切れ途切れになってしまう。我ながら不思議なことだ。
『これは、僕が決めたこと、だから。僕が戦うって、決めた、ことだから。そのための、特訓、だから』
今にも過呼吸で気絶するんじゃないかってぐらい荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと瞼を上げる。すると、心配そうに僕の顔を覗き込んでいるヘテロクロミアと目が合った。
僕の顔は、自然と綻んでいた。
『――だから、絶対、逃げないって、弱音を、吐かないって、決めたんだ。ただ、それだけ、だよ』
そうだ。これは僕自身が望んだことなのだ。僕が選んだ戦いなのだ。みんなは、そのために協力してくれている。
だから他でもない僕が、弱音を吐くわけには絶対にいかないのだ。
「…………」
ハヌの視線がジト目に変わるのを見て、あっしまった、と気付く。そういえば、僕が無茶をする時は大概笑っている時だ、みたいなことを言われていたではないか。こんな時に笑ってしまっては、むしろ逆効果でしかない。が――
「……よかろう、その意気やよし、じゃ」
くふ、と意外にもハヌが笑った。子猫みたいにちんまい唇を、にゅい、と曲げて、ヘテロクロミアを弓なりに反らせる。
「ロゼ、交代じゃ。見張りを頼むぞ」
「はい、小竜姫」
ハヌの正天霊符、ロゼさんのレージングルとドローミは特に索敵や斥候、見張りなどに使える優れたツールでもある。その為、二人には定期的に交代しながら、出入り口の番をしてもらうことが事前に決まっていた。
「ラト、動けるようになれば声をかけよ。次は妾との訓練じゃぞ」
ぺち、とほっぺたに触れる小さな掌の感触。ハヌが僕の頬に手を当て、ペット相手にそうするかのように撫でてくれる。
『う、うん、わかったよ……』
「うむうむ」
満足そうに頷くハヌの蒼と金の瞳に、一瞬、鋭い光が瞬いたような気がしたのは、僕の気のせいだっただろうか?
まぁ結論から言うと、気のせいではなかったわけだけど。
「それ、どんどんゆくぞ、ラト!」
「――うんっ!」
勢いよく宣言するハヌに、僕は硬い返事をする。
ハヌの攻撃の第一波をどうにか凌ぎきった僕は、続けて襲いかかってくるであろう第二波に備える。両手に握った柳葉刀に神経を通すような感覚。
太鼓のバチやドラムのスティックのように、二振りの柳葉刀を打ち合わせ、ギン、と音を立てる。これが現在試している、僕の新しいルーティンだ。
「はっ!」
ハヌが扇状に開いた漆黒のリモコンを横薙ぎに振るう。スミレ色の幾何学模様が刻まれた扇子型リモコンの動きに応じて、宙に浮く十二個の護符水晶――〝正対化霊天真坤元霊符〟が、ブゥン、と低く唸った。
刹那、スミレ色の輝きを纏った一二の護符水晶が、それぞれ別の生き物のごとくてんでバラバラに飛翔する。その姿は、まるで十二条の稲妻にも見えた。
「ッ――!」
奥歯を噛んで集中する。十二個同時に襲いかかってくる正天霊符の攻撃は、考えていては回避も防御も間に合わない。深い集中力と、直感によってでしか捌ききれないのだ。
「――だぁああああああああああっ!」
とにかく視野を広く持つ。十二個の護符水晶全ての動きを感覚で把握する。一つ一つをどう迎え撃つかを瞬時に決定する。
激突。
考えるまでもなく体が動いた。右手が、左腕が、両脚が、筋力を総動員して躍り狂う。ガガガガガガガガガガガガギン! と硬質の音を十二回連続で鳴り響かせて、僕は四方八方から迫ってきた全ての正天霊符を弾き返した。
恐るべきはハヌの成長である。この正天霊符を購入した頃は、十二個の護符水晶を同時に操作するどころか、二つを稼働させるのが精一杯だったのに。いつの間にか十二個全部を自由自在に操れるようになっていて、気付けば正天霊符の本領である〝十二支権能〟まで発動出来るようになっていたのだから。
「まだまだじゃ!」
ハヌの気炎に呼応して、護符水晶が唸りを上げる。弾き飛ばしたはずのスミレ色の光球が、それこそが予定調和だったかのごとく疾駆する。さっきまでの直線的な軌道ではなく円や曲線といった軌跡を描き、光の尾を曳く水晶が宙を飛ぶ。
僕の周囲を取り囲む牢を形成するように、十二個の光球が高速で旋回した。
使い手の術力によって威力の変わるSSWである正天霊符には、当然ながら訓練用にリミッターがかけられている。そうでなければ、普段からSBの堅牢な肉体を易々とぶち抜き、風穴を空けている凶器なのだ。今の僕の力で弾き返せる道理がない。
「ラト、敵の攻撃はどこから来るとも知れぬ。じゃが、おぬしには天性の勘がある。意を決せよ。心を研ぎ澄ませ。妾の気を読むのじゃ。さすれば――」
バッ、と衣擦れの音を鋭く立て、ハヌがリモコンを更に振った。
その瞬間、僕をその場に縫い付けるかのごとく空中を周回していた護符水晶が、破裂したように勢いよく散開した。
「――心の眼で全てを見通せよう!」
頭上から降り注ぐ流星雨のごとき正天霊符。人体の構造上、真上から落ちてくる攻撃が一番対応しにくい。いつもなら〈シリーウォーク〉を使って立体機動をするところだけど、今の僕にそれは叶わない。
だから。
「――――――――ッッ!!」
集中だ。〝アブソリュート・スクエア〟の感覚を思い出せ。一セカドを千分割しろ。時間さえ止まれば、護符水晶の隙間を縫って回避するなんて赤子の手を捻るより簡単だ――!
と、そう簡単にことが上手く運ぶわけもなく。
一発目、二発目、三発目を避けたところで、
「――がっ、ぐぁっ……!?」
右肩と左太股に被弾してしまった。しかも連続で。こうなると一瞬とはいえ動きが止まってしまうわけで。つまり、さらなる追撃も回避出来なくなるわけで、
「――うわぁああああああああっ!?」
結果、残り全部の護符水晶が一気に殺到し、僕はタコ殴りにされた挙げ句、床に叩き付けられてしまった。
「ぐっ……ぅっ……!」
全身が痛い。怪我はしていないと思うけど、打撲の痛みはじんじんと骨に染みこむ。痛覚神経をいじめるような刺激に、僕は四肢を震わせて声にならない呻きを噛み殺した。
「……………………立てるか、ラト?」
躊躇するような間をたっぷり置いてから、俯せで倒れている僕にハヌがそう問いかけた。硬く引き締めた声は、きっとわざとだろう。胸中では僕の心配をしてくれているだろうに、敢えて押し殺しているのだ。僕の気持ちを尊重するために。
僕は両手に力を込め、柳葉刀の柄をしっかと握り締める。
「――大丈夫、だよ……立てる、から……もう一回、お願いっ……!」
痛みを堪えて立ち上がる。思わず滲んできた涙を、ジャケットの袖で乱暴に拭う。泣き言を洩らしている暇なんて、無様に寝転がっている余裕なんてどこにもないのだ。
「さぁ、早く! もう一回きて! ハヌ!」
「――ゆくぞっ!」
迷いを振り切るようにハヌが声を上げ、扇子型リモコンに術力を籠めた。ブゥン、と低い音がリモコンと護符水晶の双方から生まれ、高速機動を開始する。
これは、ハヌが提案してくれた特訓を、さらに僕の希望によって護符水晶の機動速度を上げて行っているものだ。
当初、ハヌは正天霊符によるショートレンジ、ミドルレンジからの一斉攻撃を受けることによって、僕の反応速度や直感力を鍛えることを提案してくれた。だけど、それだけでは飽き足らず、リミッターの制限を緩めにして攻撃の速度を上げてもらえるようお願いしたのは、僕の方からだった。当然、
『……本当によいのか、ラト? それでは、おぬしが怪我をするやもしれぬぞ……?』
とハヌは心配してくれたけど、僕は首を横に振って固辞した。
『ありがとう、ハヌ。でも、ごめん。今の僕は、少しでも甘えている場合じゃないと思うんだ。だから……お願い』
焦っているつもりはないけれど、やはり彼女からすればそうとしか思えないのだろう。
『……焦りは禁物じゃぞ、ラト?』
『うん、大丈夫。焦ってはないよ。急いではいるけど』
ここで思わず笑みを浮かべてしまい、またぞろしまったと慌てたのは秘密である。
『……うむ。おぬしの覚悟は受け取った。妾に任せるがよい』
ハヌは気性が荒い面もあるけれど、基本的には優しい女の子だ。こうでもしないと無意識に必要以上の手加減をしてくれるだろうから、リミッターが多少緩いぐらいでちょうどいいと思ったのだ。
それに、焦っていないのは本当だけど、急いでいるもまた事実だ。
さっきからヴィリーさん、ロゼさん、アシュリーさんと連続でスパークリングをして、今もなおハヌと特訓しているにも関わらず、僕は上手く『ゾーン』へ入ることが出来ていない。新しいルーティンもいくつか試しているのだけど、どれも今一つしっくりとこないのだ。
このままじゃ間に合わないかもしれない。だから僕はもっともっと自分を追い込まなければいけないのだ。みんなの優しさに甘えているばかりではダメなのだ。自分の体を苛めてでも、成長しなければいけないのだ。
もっと。
「――っはぁあああああああっ!」
雷光のごとく飛来する護符水晶に向かって右の柳葉刀を振り上げ、左の肘を後方から迫る気配へと投げる。すると、申し合わせたように左の剣が、背後から襲ってきた護符水晶の一つを叩き落とした。
しかし次の瞬間、死角から現れた水晶に脇腹を穿たれ、
「がはっ……!?」
またしても動きが止まったところへ集中砲火を受けた。堪らずその場に崩れ落ち、苦痛に悶える。
「――っはっ……はぁっ……も、もう一回……ッ!」
それから一体、何度倒れて、何度立ち上がっただろうか。
正天霊符の弾幕を素早く回避し、しきれないものは双剣で弾き返す。一発でも受けたら動きが途切れ、集中攻撃を受けてぶっ倒れる――そんなことを幾度も繰り返す内、まだ不完全ながらも、ハヌの言う『気を読む』というのが段々わかってきた。それはロゼさんの言った『先々の先』の一種なのか。あるいはアシュリーさんの語った剣の極意『一刀如意』なのか。
気付けば、戦いの流れ、僕の思考、ハヌの考え、刻一刻と変化していく状況――それら全てが一緒くたに混ざり合い、言葉ではなく肌に伝わる感覚として、そこには【在った】。
そうだ――理解る。
【流れ】が――視えるっ!
「づぁあああああああああっ!!」
四方から押し迫ってきた護符水晶の全てを、僕は双剣による連続攻撃で打ち払い、回避した。もはや単純な軌道による攻撃なら、差し障りなくくぐり抜けることが出来るようになっていた。だから、
「ハヌ、もう一回上からお願いっ!」
「ッ――! よかろうっ!」
いきなり僕から出した注文に、ハヌが少々面食らいつつも応えてくれた。
直線移動をしていた正天霊符が、再び円軌道を描く。鬼火にも似た光の尾を引いて、緩くカーブする軌跡を高速で残していく。改めて、僕を取り囲むスミレ色の牢が顕現する。
僕の気合を受けてか、ハヌもまた、真剣な顔で正天霊符を操作してくれている。柳眉を逆立て、眉根に深い皺を寄せたハヌが、叩き付けるように叫んだ。
「手加減はせぬぞラト! ――はぁっ!」
ズバッ、と空を切り裂くように扇子型リモコンを薙いだ。十二個の護符水晶が放たれた矢のごとく上昇し、天井付近で反転する。カッ、とスミレ色の輝きが弾け――瀑布となった。
落ちてくる。
「――!!」
歯を食いしばって顎を上げる。遥か頭上、僕の視界にはそれぞれスミレ色の光点にしか見えない護符水晶を、見るともなしに視る。一つ一つをつぶさに観察している暇などない。全てをこの一瞬で判断しなければならないのだ。
後になって思えば、この瞬間、僕の頭の中は空っぽだった。自分が集中しているのか、いないのかも意識していなかった。ただ、自分めがけて落ちてくる強烈な光弾のことしか考えていなかったように思う。
だからだろうか。
未来すら視えた気がした。
「――――――――ッッ!!」
降り注ぐ雨のごとき護符水晶の隙間をすり抜け、体捌きだけで回避する。だけど十一個の正天霊符を躱し切った時、初めてハヌの仕掛けた罠に気付いた。これまでの十一個は全て囮。本命は最後の一つ。避けたつもりでいたのは、実は僕をその場に縫いとめるための針だったのだ。
手加減はしない――その言葉に嘘はなかった。
けれど、何となく【それもわかっていた】。
「ッ!」
直上、僕の脳天を狙う最後の護符水晶めがけて双剣を振り上げる。頭上で交差した柳葉刀の刀身に、ちょうど最後の一撃が激突した。
快音。鉄槌で金床を打つような音が鳴り響き、ルーム内で大きな反響を生んだ。
僕は真上から叩き込まれた威力を跳ね返すのではなく、そのまま受け流すことにした。交差させた柳葉刀の刃の角度を咄嗟に変え、受け止めた力のベクトルをわずかにずらす。高速の一撃はそれだけで直撃コースから外れ、僕の目と鼻の先を通過し、両足の間へ高速で落下した。
ゴッッッ、と鈍い音と振動が、靴底から全身へと伝わる。
「――――」
足元に転がる十二個の護符水晶を見下ろして、僕はしばし呆然としてしまった。
「…………」
頭の中が空っぽだっただけに、正天霊符の攻撃を凌ぎきると、次に何をすればいいのかわからなくなってしまったのである。
やがて足元に落としていた視線をゆっくり上げると、僕と同じようにキョトンとした顔でこっちを見ていたハヌと目が合った。
ようやっと自覚する。
「……せ、成功、した……?」
呟いてみた途端、どばっと溢れるように実感が湧いてきた。すると、
「――おお、おお……! ようやった、ようやったぞラト!」
ハヌも呪縛が解けたのか、ぱぁっ、と花咲くような笑みを浮かべて走り出した。カラコロカラコロと音を鳴らして僕に駆け寄ってくる。近くまで来ると、すばしっこい兎みたいにピョンと跳ねて抱き付いてきた。僕は小柄な体をどうにか受け止め、
「ハヌ……! やったよ、僕やったよ!」
「うむ! うむ! 見ておったぞ、妾も見ておったぞ!」
まるで我がことのように喜んでくれるハヌに、僕もついはしゃいでしまう。ハヌを抱き止めた状態で、笑い合いながらその場でクルクルと回ったりして。
しかし、どうもそれがいけなかったらしい。
意図せず、カクン、といきなり膝が折れた。
「――あれ……?」
と思った時には遅かった。
「わ、わわっ!?」
「ぬぁっ!?」
僕とハヌは抱き合ってクルクルと回転していた勢いのまま、派手にすっ転んでしまった。
「い、いたた……ご、ごめん、ハヌ……大丈夫?」
「う、うむ……ちと驚きはしたが……ラトこそ平気か?」
「う、うん、ちゃんと戦闘ジャケット着てたから……」
倒れるときにハヌの体を抱き寄せ、背中から落ちたのが功を奏したようだ。
そこへ、
「あなた達……仲が良いのは結構だけれど、遊びに来ているわけじゃないのよ?」
亀の親子みたいに重なって純白の床に寝っ転がっている僕達に、呆れ笑いのヴィリーさんが歩み寄ってきた。
「さ、そろそろ交代よ、小竜姫。まぁその前に、ラグ君には休息が必要みたいだけど」
深紅の双眸が茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせると、僕の胸の上に顎を置いているハヌが、むぅ、と膨れた。じろり、と不満げな金目銀眼をヴィリーさんに向け、
「いちいち言われずともわかっておる。妾は頑張ったラトを労っておるだけじゃ。おぬしに邪魔される道理はないぞ、ヴィリー」
つーん、とそっぽを向くハヌを、くす、とヴィリーさんは笑った。
「ええ、そうね。でも、ラグ君を労おうと思っているのはあなただけではないのよ?」
言いながら歩を進め、僕の傍らにしゃがみ込む。何をするかと思えば――
「今のはいい感じの集中だったわよ、ラグ君。さっきの感覚を忘れないで、次の組み手をやりましょ」
ふわり、と何だかいい匂いが鼻腔をつき――気付けば、ヴィリーさんの繊手が僕の頭を優しく撫でていた。
「……は、はい……」
まさかのスキンシップ。僕は驚きのあまり、さっきとは別の意味で頭の中が真っ白になって、馬鹿みたいな顔でヴィリーさんの言葉に頷きを返した。すると、
「――ラト……」
ずぅん、と重苦しいハヌの声が胸の上に現れた。
「はっ……!?」
唐突な圧迫感に振り向くと、そこには、曰く言い難い目付きで僕の顔を見据えている現人神が。
まるで、ゴミ捨て場を漁る野良犬でも見るような眼差しをしていた。
「ハ、ハヌ!? や、ちが――いや、あの、今のは違くて、そのっ!?」
「……妾はまだ何も言うておらぬが……」
にゅっ、とハヌの唇がヒヨコみたいにとんがった。
「いっ!? い、いや、だ、だからね? い、今のはちょっとビックリしただけで、別に変な意味は、」
「……じゃから、妾は別に何も言うておらぬのじゃが……」
つつーっ、とハヌのジト目があらぬ方向へ逸れつつも、時折こちらを窺うように、チラ、チラ、と目線が動く。
「じゃ、じゃあその眼っ!? その眼はなんなのっ!? お、お願いだからそんな眼で見るのはやめてよハヌっ!?」
「…………」
ハヌは応えてくれず、ぷいっ、と顔を背けると、そのまま僕の胸にほっぺたをくっつけて、ふて寝の体勢に入ってしまった。
「は、話を聞いてよハヌ~っ!」
「今のを見て、あなたはどう思った? アシュリー」
「どう……とは?」
ベオウルフと小竜姫の下を離れ、こちらへと戻ってきた上司の問いに、アシュリーは意図を掴めず逆に聞き返した。再び横に並んだ、輝くようなプラチナブロンドをポニーテールにした剣嬢は、ベオウルフに視線を固定したまま、
「さっきのラグ君の動きよ。小竜姫のSSWを回避していた」
「ええ、確かに見事な〝浮身〟でしたね。……それが?」
「あれは、あなたが教えたの?」
「……いえ。むしろ、団長か、あるいはロゼさんの指導によるものかと思っていましたが……」
「私ではないわね」
「……であれば現在、外で見張りをしているロゼさんの指導によるものでは?」
「本当にそうかしら?」
何か確信でもあるのか、アシュリーの上司である少女は深紅の眼光を鋭く研ぎ澄ませ、じっとベオウルフを観察している。
「……何か気になるところでも?」
「……昨日、私と彼が試合形式でスポーツチャンバラをした、という話はしたわよね?」
「ええ、確かベオウルフも支援術式を使用して、半ば本気に近い戦いだったと……」
アシュリーの確認に頷くと、しばしの間を置いてヴィリーは重い口を開いた。
「……私、その時にいくつかの歩方と体捌きを彼に見せているのだけれど……」
「……?」
何故、自らの上司である剣嬢ヴィリーがここまで緊迫した雰囲気を纏っているのか、それがわからないアシュリーは小首を傾げ、後頭部に結った赤金色のシニヨンを軽く揺らした。
一途にベオウルフを見つめるヴィリーの唇の両端が、徐々に吊り上がっていく。もはや笑うしかない、といった表情を浮かべ、
「……多分、その時に【盗まれた】……のだと思うわ。だって、それ以外に納得のいく理由が思い浮かばないもの」
「!? な、ぬす……!?」
度肝を抜かれる発言に、アシュリーは絶句する。陸に上がった魚のごとく何度も口を開閉させてから、ようやく声が出る。
「――あ、あり得ません! いくらなんでも、そのような短時間で……!」
「声が大きいわ、アシュリー。少し押さえて」
「ッ!? も、申し訳ありません……」
慌てて両手で口を塞ぎ、アシュリーは、しゅん、と肩を落とす。そんな少女の頭に、くす、と微笑んだヴィリーが手を載せ、優しく撫でた。
「……どうしてそう思ったかというとね。彼、私と打ち合ったときは一切使っていなかったのよ。浮身の歩方も、体捌きも。もし最初から使えるのなら、いくらでも使う場面はあったはずだわ。それなりに追い詰めたもの。なのに、一切使わなかった。いいえ、きっと使えなかったのよ。あの時は習得できていなかったから。だけど……」
「……その時に見た団長の動きを覚えていて、今ここで再現してみせた、と……?」
大人しく頭を撫でられながら上目遣いに問うアシュリーに、ヴィリーは小さく頷く。
「……もしかしたら、習得するための基礎は既にあったのかもしれないわね。〝膝抜き〟は覚えていたようだから。でも、特にコツを教えたわけでもないのに、見様見真似で今の動きをやってのけたのだとしたら……」
刹那、ぶるっ、とヴィリーの背筋が怖気を催したかのように震えた。電流にも似た震えの波は脊髄を駆け抜け、彼女のトレードマークでもあるポニーテールにまで伝播したようだった。輝く光の束のようにも見える髪が、小刻みに揺れる。
「――アシュリー、あなた昨晩、ラグ君には〝純然たる基礎〟があると教えてくれたわね?」
「え、ええ……いえしかし、それは、そんなものが実在するのであれば、という仮定の話です。あれはあくまで迷信ですし、私の観点から〝純然たる基礎のようなもの〟をベオウルフに見出しているだけで、必ずしもそうとは限らない――」
「そうだとしても、よ」
困惑しつつも、あくまで言葉の綾だと主張するアシュリーに対し、ヴィリーはゆっくりと首を横に振った。
「少なくとも、初めて会ったときに比べて彼は格段に成長しているわ。それも、極めて短期間のうちに。初めてラグ君を見た時は、どう見ても素人に毛が生えた程度の動きしか出来ていなかったのに……〝純然たる基礎〟の実在はどうあれ、彼の成長速度が並大抵でないのは確かだわ」
ヴィリーの視線に釣られて、アシュリーもまたベオウルフに瑠璃色の瞳を向けた。件の少年は床に仰向けに転がり、その上に俯せになって重なっている小竜姫と何やら痴話喧嘩のような言い合いをしている。
「……はい。そこには私も驚きました。あのヘラクレスを倒したエクスプローラーが、まさか支援術式だけに特化したエンハンサーで、しかもそれ以外は並以下の人物だったとは……彼が『師匠』と呼ぶ御仁は、一体何を考えてあのような【基礎しかない】人間を育てたのか、理解に苦しみます」
溜息交じりに呟かれた言葉に、ヴィリーの嗅覚が素早く反応した。
「――師匠? 待ってアシュリー。ラグ君には正式な師がいるの?」
「は、はい、そのような話を聞いておりますが……」
唐突に振り向き、剣で切り込んでくるかのような鋭い問いに、アシュリーは内心驚きつつそう答える。
「名前は?」
「いえ、残念ながらそこまでは聞いておりません。あ、ですが……」
「何? 何でもいいわ、教えてちょうだい」
「確か……彼の師匠は、実の祖父であるようなことを言っていました。口を滑らせたように」
この時、アシュリーの耳には『これは僕のお祖父ちゃ――じゃなかった、師匠が言っていたことなんですが……』と話すベオウルフの声が蘇っていた。確かに、そう彼が口にしたのを覚えている。
「祖父……?」
真剣な表情で呟くとヴィリーは視線を足元に落とし、顎に手を当て、しばし沈思した。深紅の双眸がここではないどこかを見つめ、記憶内の全データを検索している。
「――!? まさか……」
やがて、はっ、と弾かれたように顔を上げ、驚愕を露わにした。
「あの子の祖母は〝光り輝く翼〟――ということは、その祖父は……まさか〝強手〟トラディドアレス……!? あの、お父様が〝化け物〟とまで呼んだ……!?」
「け、剣聖様が……!?」
愕然とするヴィリーの言葉に、アシュリーも度肝を抜かれた。彼女からしてみれば、〝剣聖〟ウィルハルト・ファン・フレデリクスこそが剣持つ〝化け物〟だ。そんな雲の上の存在がさらに〝化け物〟と呼ぶ人物とは、一体全体、どういう存在なのか。全く想像もつかない。戦慄と共に、アシュリーは問いを口にする。
「な、何者なのですか? その〝強手〟という人物は……?」
アシュリーにとっては聞き覚えのない名前だった。あの少年の祖父であるということは、相当古いエクスプローラーなのだろう。しかし、あの剣聖が〝化け物〟とまで称した人物であれば、その強さに応じて名が通っていてもおかしくはない。否、むしろ誰もが知る名前であるべきだ。なのに、アシュリーは〝強手〟という異名も、トラディドアレスという名前も耳にしたことがない。
ヴィリーは戸惑いを隠せない表情のまま、右手で口元を覆い、軽く首を横に振る。
「……あなたが知らないのも無理はないわ。だって〝強手〟は正しくは【エクスプローラーではなかったのだもの】。でも……ええ、そうね。確かに納得だわ。もし本当に、ラグ君の師匠が〝強手〟トラディドアレスだったのなら、彼の【おかしさ】にも説明がつくわ……」
独り言のように語るヴィリーに、アシュリーは首を傾げるしかない。
「エクスプローラーでは、なかった……?」
意味がわからない。この世の中で、エクスプローラー以外で世界中に名を馳せることが可能な生業など、そう多くはないはずだ。あの剣聖ウィルハルトが〝化け物〟とまで呼ぶ相手――ベオウルフの祖父とは、一体何者だというのだろうか――?
好奇心が抑えきれないアシュリーの視線に、ヴィリーは再び首を横に振った。深紅の眼に申し訳なさそうな光を湛え、アシュリーを見つめ返す。
「……ごめんなさい、アシュリー。私もまだ考えが上手くまとまっていないの。拠点に戻ったらカレルレンにも話して、情報を整理するわ。説明はそれまで待ってもらえるかしら?」
「は、はい。団長のご判断とあれば……」
ヴィリーにそう言われてしまっては、アシュリーとしては呑み込まざるを得ない。普段から彼女とカレルレンが無駄な、あるいは不用意な情報で団員の動揺を誘わぬよう腐心していることを、アシュリーは知悉していた。
「ただ、これだけは言えるわ」
いったん引き下がったアシュリーに、ヴィリーは妙に確信の籠もった声音で告げる。彼女は再びベオウルフと小竜姫へと目線を送り、
「これはあくまで、お父様の言うことを鵜呑みにすれば、の話だけれど……ラグ君の師匠こと〝強手〟トラディドアレスは――」
「…………」
含みのあるような低い声で語るヴィリーに、我知らずアシュリーは生唾を嚥下する。急激に高まる緊張に身を強張らせる少女の耳に届いたのは、にわかには信じがたい言葉だった。
「――とんでもない変人よ」




