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リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-  作者: 国広 仙戯
第一章 支援術式が得意なんですけど、やっぱりパーティーには入れてもらえないでしょうか

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●7 ゲートキーパーを倒せ!



 というわけで、いやどういうわけだか僕にも全然わからないのだけど、【一九六層】のゲートキーパーが攻略された翌日――つまり、現在に至るわけで。


 後はご存知の通りである。


 何故か昨日の興奮も覚めやらぬ内に、僕はハヌと共に【一九七層】のゲートキーパーと戦う羽目になってしまったのだ。


 何をどこでどう間違ってしまったのか。


「胸が高鳴るのう」


 と、隣のハヌが無造作に一歩前へ進んだことが、全てのトリガーとなった。


 広いセキュリティルームの最奥に浮かぶ、直径三メルトル以上は軽くある巨大なコンポーネント。


 それが内包する情報具現化プロトコルによって、あらかじめ設定されていたゲートキーパーが仮想の世界からこの現実へ、顕現していく。


 昨日の【一九六層】のゲートキーパーは、ゴリラを模した機械ボックスコングだった。ゲートキーパーが機械系のSBであることは確定しているけれど、その形状については階層によって千差万別だ。また、これといった法則性もない。


 果たして僕達の視線の先に具現化したのは、幻想種・海竜を模したと思しき金属の塊だった。


『UUUUURRRRRYYYYYYYYYY!』


 この世界に降誕した喜びか、巨大な顎を開いてゲートキーパーが咆哮する。


 その威容は先程から外のスクリーンで何度も見ていたので、今更驚きはしない。が、直に対峙して初めてわかる重圧というものがある。


 やばい、と本能が頭の中でガンガン警鐘を鳴り響かせた。


 蛇のごとくとぐろを巻くその全長は、とてつもなく長大だ。二十メルトルは決して下らないだろう。ともすると体を目一杯伸ばせば、部屋の端に位置する僕達のところまで頭が届くかもしれない。


 青く煌く金属質の鱗、体の左右から生えている八対十六枚の大きな鰭、王者の風格すら漂っている獰猛な面貌――どこを見ても強そうなオーラが噴出していて、僕は今すぐ回れ右して逃げ出したいのを堪えなければならなかった。


 昨日のボックスコングは、これまでにおける何十回もの情報収集戦のおかげで、その特徴や攻撃パターンがかなり分析されていた。ヴィリーさん達もそれを活用していたはずだ。


 けど、今日のゲートキーパー――便宜上《海竜》と呼ぶことにする――はそうではない。


 今日が初お目見えの海竜には、情報の蓄積がほとんど無い。一応、僕達より前の組の戦いは見ていたが、全員が本気で戦っていたわけではないので、大した情報は得られなかったのだ。


 今のところわかっているのは、水属性の特殊能力を持っていること、長大な身を活かして放つ尾撃が強力であること――これぐらいだった。


 いやいや、これだけの情報でどう立ち向かえと。詳細な情報を以って戦った『NPK』でさえ、ボックスコング相手にあれだけの負傷者を出したって言うのに。


「ど、どどどどど、どうしようハヌ!?」


 あわわあわわと慌てる僕に、一歩だけ前に出たハヌは振り返りもせず、片手を腰に当てて軽く言った。


「ラトよ、妾を守れ」


「へっ……?」


 僕が間抜けな声を出すと、ハヌは肩越しに振り返った。


「妾を守れ、と言ったのじゃ。そうじゃのう……三ミニト、いや、二ミニトでよい。妾は少し長い《詠唱》に入る。その間、妾は完全に無防備じゃ。おぬしには、そこを守ってもらいたい」


「守る……? え、それだけ……?」


「うむ。それだけでよい。時間さえ稼げば――」


 くふ、とハヌは笑った。くい、と顎で海竜を示し、


「妾が一撃であやつを倒してくれよう」


 自信に満ち満ちた声でそう断言した。


 なんて頼もしい台詞だろうか。


 と、ここで僕は、昨日ハヌが放った凄まじい威力の術式を思い出した。なるほど、あれなら確かに期待できる。できるけれど――


「あ、でもハヌ、あんまりやり過ぎると――」


「大丈夫じゃ、抜かりはない。コンポーネントを残せばよいのじゃろう? 手加減ならばちゃんとするつもりじゃ」


 僕の言葉を遮って、これまた軽快にハヌは言う。


「――それ、来よるぞ?」


 視線を前に戻したハヌにつられて、僕も海竜に目を向けた。


『UUUUURRRRRRYYYY!』


 あっちはもう完全に臨戦態勢だ。


 海竜の戦意を示すかのごとく、その長躯の周囲に薄い霧が立ち込み始めている。眼窩に填まった翠色のアイレンズからは、敵意の籠もった視線が僕達に向けて照射されていた。


「――――」


 ハヌは僕に、妾を守れ、と言った。


 それは支援術式を使うエンハンサーにとっては、むしろ打って付けの役割だ。そう、仲間を支援し、守ってこそのエンハンサーなのだ。


 僕は覚悟を決める。というか、決めるしかない。一歩前にいるハヌの、さらにその前へ出る。


「――わかった、任せて……!」


 右手で白帝銀虎を抜きつつ、僕は左手の指先に術式のアイコンを灯した。


〈カメレオンカモフラージュ〉、〈アコースティックキャンセラ〉、〈タイムズフレグランス〉で光、音、匂いを消し、念の為に水中で呼吸が出来る〈ダイバーラング〉、服が水を吸って重くならないよう防水効果のある〈アンチリキッド〉をそれぞれ《SEAL》の出力スロットに装填。これらの支援術式は複数の対象に同時に作用させることが出来るので、個別に使用する必要はない。


 五つのアイコンが同時に弾け、術式が発動。


 この瞬間から、海竜からは勿論、外の観客の目からも僕達二人の姿は消失する。


「ほう、昨日の術式か。考えたのう、ラト」


 そう、身を守る最大の方法とは、脅威から身を隠すこと。海竜だって僕達がどこにいるのかわからなければ、攻撃のしようがないはずだ。


 それでもちょっと不安で、僕はつい油断無く白虎を構えてしまう。


「……ハヌ、ちょっと移動しよう。今ならあいつには僕達の姿は見えていないはずだから――あ、昨日も言ったけど走らないでね? 動きが激しいと隠蔽術式は効果が切れちゃうから」


「うむうむ」


 緊張した声で言う僕に、ハヌは軽い感じで、それもどことなく満足げに頷く。


 が、当然ながら相手はそんなに甘くなかった。


 僕達が歩き出してすぐ、海竜が身を仰け反らして吼えた。


『URRRRRRRRRRRRRRRYYYYYYYY――――――――!!』


「ッ!?」


 その甲高い咆哮に、違う、と直感した。これはただ吼えているだけじゃない。別の意図がある、と。


 ソナーだ。海竜は、音の反射で僕達の居場所を探っているのだ。


 まずい。〈アコースティックキャンセラ〉は音を吸収するけど、反射で対象を探査するソナーじゃ『音の喪失』によって居場所が突き止められてしまう。


 さらに、海竜の周辺に発生していた霧が急速にその範囲を広げ始めた。お返しのつもりか、今度はあっちの方が濃霧に紛れて姿を消そうとしているのだ。


 隠伏作戦は失敗した。僕はすぐに頭を切り替える。


「――ハヌはそのまま詠唱に入って! 僕が囮になるから!」


 返事も聞かずに走り出した。途端、僕を覆っていた隠蔽術式が切れる。


 走りながら白虎を一度鞘に収め、両手で術式を起動。


〈プロテクション〉、〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈フォースブースト〉の四つをそれぞれ二回ずつ自分へ。


 猛烈な違和感と共に、僕の基礎能力が四倍にまで強化される。


「 あまねく大気に宿りし精霊よ 我が呼び声にこたえよ 」


 スイッチの共用プロトコルで繋がっているハヌの詠唱が、僕の聴覚に届く。よほど遠く離れない限り、コンビやパーティーは距離に関係なく連絡を取り合うことが出来るのだ。


 海竜の視線が僕を捉えた。奴の鼻先が、くん、とこちらへ向く。それでいい。僕がこのままハヌから遠ざかり時間を稼げば、目的は達成できる。


 不意に、煙のような濃さの霧が海竜の足元――というか腹元?――から噴き出した。霧は煙幕そのものとして、海竜の巨体を覆い隠していく。


「ッ!」


 このパターンはさっき映像で見た。確かこの直後、奴は霧に乗じて――


 突如、白い霧を貫いて五本の水槍が飛び出した。高圧噴射された液体凶器が僕に殺到する。


「――〈スキュータム〉!」


 咄嗟にブレーキ、ブーツの底を床に滑らせながら両手を前に突き出し、防御術式を三重掛けで使用。淡く紫紺に光る六角形の半透明シールドが三枚重ねで現れ、僕の前方に展開する。


 ガガガガガン! という強烈な衝撃。まるで鉄の槍で突かれたような重さだ。高さも幅も僕の身長程度の術式シールドで、その威力を何とか受け止める。


 三枚のうち一枚がひび割れて砕けてしまった。念のために量ね掛けしておいて本当によかったと思う。


 今の水槍が奴の遠距離攻撃だ。あれでチクチク攻撃してきて、近付いてきた相手には尾や鰭、あるいは牙を用いて接近戦を行うのが奴の基本スタイルなのだ。


「こっちだ!」


 僕は残る二枚の術式シールドを構えたまま、再び走り出した。ただし、今度は奴に向かうのではなく、ハヌがいる方向とは逆の方へ。


 今回、僕は無理に接近して戦う必要は無い。ハヌの詠唱が終われば、あのすごい威力の術式が発動する。そうすれば――


 とか考えていたら、まるでこちらの戦術を読んだかのように海竜が突然、僕を無視してハヌのいる方向へ鎌首を差し向けた。


「ちょっ……!?」


 何でさっきから思った通りにいかないかな!?


 僕は慌てて行動変更、海竜の関心を引くために術式シールドを解除して、右手で背中の黒玄を抜く。


 大丈夫、身体強化はしている。さっきの水槍だって見てから対応できた。戦えるはずだ。


 床に強く踏み込んで、鋭角に方向転換。加速して海竜へ突っ込む。


「〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈フレイボム〉〈エアリッパー〉〈エアリッパー〉……」


 走りながら小声で、左手の五指に攻撃術式を装填。もはや霧の向こうの影にしか見えなくなった海竜に左の手刀を向け、


「僕はこっちだよ――っと!」


 まずは親指と小指の〈エアリッパー〉を発動。名前の通り、風の刃がスローイングナイフよろしく撃ち出される。


 威力には期待していない。僕の術力ではそれこそ『針よりはマシ』という程度の風刃だ。今は〈フォースブースト〉で術力を増幅しているから、それでようやく『果物ナイフよりマシ』といったところだろうか。だけど、核である個体空気の周囲には余波である風が渦巻いている。それが海竜の纏った霧を少しは吹き飛ばすはずだった。


 二本の風刃が霧の中に突っ込み、


『――UUUURRRYYYYY!?』


 当たった。海竜の不愉快そうな鳴き声と共に、その姿が打ち払われた霧の中から現れた。僕は露出した奴の頭に向かって、人差し指、中指、薬指に装填された〈フレイボム〉のアイコンを向けて照準。紫紺の細い光線が海竜に向かって伸びる。


 術式を起動させてから、実際に発動させるまで維持するのも術式制御の内だ。ほとんどの人が起動と同時に発動させるけど、僕は基本、こうして事前に装填して、ここぞという時に撃つというスタイルを取っている。何故なら、知っての通り僕の術力は十年に一人という貧弱さなので、ちゃんと当てないとほとんど意味が無いからである。


 なので海竜の目の辺りを狙い、〈フレイボム〉を三つ同時に撃った。


 重複して炸裂する爆発音。


『URRRRRRYYY!?』


 が、照準失敗。少し逸れて、奴の頬辺りに着弾してしまった。多分、身体強化系の支援術式を使用していて、身体の感覚が普段とは違っているせいだ。身体強化は戦闘において強力な手段だけど、微妙な感覚の狂いがどうしても生じてしまう。


 でも術力の強化と〈フレイボム〉の特性『連鎖爆発』のおかげでそれなりの威力が生じたらしく、海竜がハヌのいる方向から顔を背ける。爆風によって〈エアリッパー〉で作った霧の隙間が、さらに吹き広げられた。


『UUUUURRRRR……!』


 怒りに燃えている――ように見える――海竜のアイレンズに僕の姿が歪に映った。途端、怖気が僕の背中を何往復もする。


 けれど、これでまた奴の敵意がこっちに向いた。これでさらに時間を稼げ――


『URRRYYYYYYYYYYYYYY!』


 シャア、とご丁寧に作れた舌状マニピュレーターまで出して海竜が咆吼した。


 直後、海竜の巨体が激しくうねった。かと思った瞬間、奴は顎門を全開にして僕に襲いかかってきた。


「なっ!?」


 いきなりこっちに身体を伸ばしてきたので距離感が完全に狂った。不規則な軌道を描いて迫る巨大な牙は、〈ラピッド〉で敏速性を強化していてやっと知覚できるほどに速かった。


「やっば――!?」


 海竜の方へ走っていた僕に対してカウンター気味に突っ込んできたため、出来ることなんて殆ど無かった。


 左手の五指に防御術式〈スキュータム〉を五つ起動し、すぐに発動。六角形の術式シールドを五枚、少しずつ位置を変えて防御範囲を拡げつつ重ねて展開させた。


「――いっ!?」


 足を止めようとして止まれず、避けることも出来ず、僕は術式シールドを構えた状態で海竜と真っ向から衝突した。




 飛んだ。




 それはもう、おもしろいぐらいよく飛んだ。


 勿論、僕の方が。


「うわぁああああああああああああ――!?」


 棒で打たれたボールみたいに斜め上方へ弾き飛ばされた。海竜の突撃を受け止めた左腕がすごく痺れていたけど、僕は空中を弾丸のごとく高速飛行しながら支援術式〈レビテーション〉を発動させる。


 ピタ、と僕の吹っ飛びが止まった。身体が上下逆さまだったので、くるん、と回転して天地を合わせる。


「――って、うわっ……!? あ、危なかった……!」


 恐るべきことに、あと五〇セントルぐらいで天井にぶつかるところだった。あんな勢いで壁や天井に激突していたら、今頃どうなっていたことか。ぞっ、と寒気が走った。


 支援術式〈レビテーション〉は、その名の通り浮遊することしか出来ない。上下移動は出来るが、前後左右には別の術式を併用しないと無理なので、僕はすぐに五メルトル下の床面に降り立った。ただ浮いているだけじゃ無防備もいいところだ。


 当然、海竜の攻撃がそれだけで止むわけもなく。


『UUUURRRRRRRRRRRRYYYYYYYYY!』


 完全に激昂モードに入っているゲートキーパーが僕に追い縋り、続けざまに躍りかかってきた。


 ぞろりと生えた大きな牙、鋭利な鰭、長大な身を駆使して放たれる尾撃。それらが間髪入れず僕へ殺到する。


 僕は〈ラピッド〉を追加で発動。さらにギアを上げ、これを時に避け、時に黒玄で受け流した。昨日のヴィリーさんみたく弾き返せたら良かったのだけど、腕力はともかく技術が足りなかった。


 外の観客からは海竜の周囲でピョンピョン飛び跳ねる僕が見えて、さぞ笑いものにされていることだろう。だけど知ったことではない。今は時間を稼いで生き残るのが最優先事項だ。こんな化け物の相手なんて、例え僕が百人いても足りないのだから。


「――よっ! はっ! ほっ! とっ! だぁっ! づぁっ!? ちょっ!? うわっ!? うわわっ!」


 避けきれず、黒玄でも受け流せそうにない攻撃は〈スキュータム〉の盾で受け止めるしかない。その度に僕は玩具みたいに吹っ飛ばされて、天井や壁に激突する寸前で〈レビテーション〉を使って停止する。床に降りたら、またその繰り返しだ。


 時々、攻撃が捌ききれずに傷を負ったりもしたが、それは隙を見つけて〈ヒール〉で回復していた。


 そんな無様な戦いを繰り広げながら、僕はハヌの詠唱が終わるまでの時間を必死に稼いだ。


 極限状態だったのと、〈ラピッド〉を使用しているせいもあったろう。たった二ミニトという時間が、僕には一アワトにも二アワトにも感じられた。


 ハヌの詠唱はずっと耳に届いていたけれど、それどころではなかったので内容はほとんど聞いていなかった。けど、次第にクライマックスへ近付いてきていることだけは、感覚でわかっていた。


「 あらゆる物を裂き あらゆる物を砕け 其は絶大なる者 我は意志と力を持つ者 敵は我らが理に叛する者 」


 時間を確認。《SEAL》の体内時計は、もうすぐハヌの詠唱が始まってから二ミニトが経過することを示していた。


 その時、


「――ラト! もうよいぞ! 下がれ!」


「ま、待ってたぁ――――ッ!」


 ドンピシャでハヌの指示が来て、僕はすかさず逃走態勢に入った。ちょうどよく海竜が放った尾撃を〈スキュータム〉で受け、わざと吹き飛ばされる。


 もう慣れたもので、僕は壁にぶつかる直前で〈レビテーション〉で停止し、着地する。


「その場から動くでないぞラト! 巻き込んでしまうからな!」


 ハヌから追加の指示が飛んできて、僕は一体何が起こるのかわからないまま、それに従った。


「 我らが手を合わせ 息を合わせ 心を合わせれば 全てはただ滅するのみ 」


 言霊が籠もったハヌの詠唱、それが今、最高潮に達する。




「 〈天龍現臨・塵界招〉 」




 すみれ色の輝きがセキュリティルームを満たした。


 攻撃態勢に入ったことで、ハヌを隠していた術式が解け、その姿が露出する。


 外套を頭からすっぽり被っていたはずの女の子は、その身に纏う風のせいか、フードが外れて顔が露わになっていた。


 磨き上げられた細い鏡を束ねたような短めの銀髪。宝石を二つ填め込んだような金目銀目。ヴァイオレットパープルに輝く《SEAL》の幾何学模様。


 幼くて可愛らしい顔に浮かんでいるのは、しかし似付かわしくないほど好戦的な表情だった。


 そんな彼女が前へ差し出した両掌の先には――すみれ色の光に照らされた海竜の巨体がある。


 気が付けばセキュリティルームの床面のほとんどを、なんだかよくわからない奇妙なアイコンが埋め尽くしていた。


『UUURRRRRR……?』


 ゲートキーパーをして経験したことがない状況なのだろう。海竜が動きを止め、奴にとっては忽然と現れたであろうハヌに鼻先を向けて、怪訝そうな鳴き声を発した。


 風が渦巻く。


 ハヌが起動させた術式は、まだ発動していない。だけど、満ち溢れる術力がすでにこの場の理を変化させつつある。


 それにしても、ハヌは一体どうするつもりなのだろうか? 昨日見た限りでは、彼女の術式はルナティック・バベルを構成する謎の金属すら破壊する。そんな彼女が二ミニトもかけて詠唱した術式だ。どれほどの威力を発揮するのか、僕には想像もつかない。


 なのにハヌは、戦いが始まる前に「手加減ならばちゃんとするつもりじゃ」などと嘯いていた。けれど、それは一体どうやって?


 その疑問の答えは、すぐ目の前に現れた。


 床いっぱいに広がったアイコンが、不意に盛り上がったように見えた。


「――?」


 かと思った瞬間、すみれ色の輝きが逆巻く瀑布のごとく噴き上がった。


「……ッ!?」


 息を呑むことしか出来なかった。目の前の光景があまりにも予想外過ぎて、頭の中が真っ白になった。


 目だけが、貪欲なほど魅入られていた。


 僕の視界に映るのは、幾本もの【すみれ色の光線】で編まれた巨大なドーム。そして、そこに閉じ込められている海竜の姿。


『UUUURRRRRYYYY!?』


 己が置かれた状況に気付いたのか、海竜が拒絶の意を表して咆吼を上げ、激しく暴れ出した。自身を取り巻くすみれ色の輝きに突進して体当たりを喰らわせるが、あえなく弾き返される。宙空に生成して撃ち出す水槍も、振り回す鋭い牙も鰭も同様だ。


 僕は奴をとりまく、ハヌのフォトン・ブラッド色のドームの名前を、我知らず呟いていた。


「――り、立体型の……アイコン……!?」


 そう。そうとしか言いようの無い【モノ】が、セキュリティルームの空間のほとんどを覆いつくし、まるで檻のように海竜を封印していたのだ。


『UUUUUUUURRRRRRRRRRYYYYYYYYY――――――――!!』


 これまでにない大音量の雄叫び。海竜が体を反らして天井に向かって吼えると、その全身から大質量の水が溢れ出た。


 水はあっという間にドームの内部を満たし、嵐の海のごとく荒れ狂う。


『UUUUUURRRRRRRRRUUUUUUU!』


 翠色のアイレンズに赫怒の光が瞬き、海竜を中心とした全方向へ波動が走った。ズン、とセキュリティルーム全体が震動し――一拍遅れて、水面が一斉に膨れ上がった。


 すみれ色のドームの天頂へ届かんほどに達した怒涛が、そのまま立体型アイコンの全外縁部に激突し、星屑のような飛沫を散らせる。が、それでも奴を囲むハヌのフォトン・ブラッドの輝きはビクともしない。


「…………!」


 ビクともしなかったが、僕は海竜の起こした行動に度肝を抜かれた。


 多分、今のが海竜の本気だ。もしこれが、ハヌの立体型アイコンの内部でなかったとしたら――そう考えて、戦慄が駆け抜ける。


 もしあの波濤の勢いで壁に激突していたら――もし水に飲み込まれて前後不覚になってしまったら――トップレベルのエクスプローラーとて、間違いなくただでは済まなかったはずだ。


 だけど、それ以上にすごいのはハヌの術力だ。海竜の本領を全て、フォトン・ブラッドで形作ったドームに封殺してしまっているのだから。


 目の前で展開する光景に、ただ愕然とするしかない僕の耳に、ハヌの声が届く。


「ラトよ、よう頑張ってくれた。これで――」


 本来なら平面でしかないアイコンを立体型に制御した彼女は、前へ突き出した両の掌をぐっと握り込むと、高らかにこう叫んだ。




「――妾達の勝利じゃ!」




 術式が、発動した。


 ハヌムーン・ヴァイキリル。


 その名は『極東』の現人神が一柱、風と西方を司る荒神。


 その化身の一つである天龍の力を以て、この世と塵界とを繋ぐ。それこそ〈天龍現臨・塵界招〉が真骨頂。その荒ぶる風は全てを塵芥へと帰し、生きとし生きるもの全てに滅びを与える――というのは、後になってハヌ本人から聞いた話だ。


 要は『高周波による分子分解』であると僕は理解したが、目の前で起こったのは、そんな一言で終わらせられるようなものではなかった。


 立体型アイコンの内部で風が荒れ狂った。海竜が生み出した水が掻き回され、あっと言う間に先程の怒濤以上に水面が乱れる。水を巻き込んだ細い竜巻が幾本も生まれ、森の木々のごとく乱立した。


 もはや嵐の海なんていう例えは見当外れもいいとこだろう。


 すみれ色の光で編まれたドーム内部は、瞬く間にミキサーへと変わったのだ。


 触れたら最後、巻き込まれて微塵切りにされる死の空間に。


 風そのものか、あるいは散り散りにされた水か、はたまたその双方か。もはやアイコン内は白い靄で曇ってしまい、そこに閉じ込められている海竜の姿は影も形も見えなくなってしまった。ただ、


『UUUUUUUUUUUUUUURRRRRRRRRRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY――――――――』


 断末魔の声と思しき長く伸びる声が、風と水が立てる轟音の向こうから遠く聞こえてきた。それは途切れることなく続き、けれど徐々に小さくなっていき、ゆっくりとフェードアウトしていく。


 ハヌの術式が発動していたのは、一体どれほどの時間だったのだろうか。《SEAL》のログによると、それはわずか七セカドのことだったという。けれど、僕にはその十倍以上にも感じられた。


 やがて海竜の今際の声も聞こえなくなった頃、術式は唐突に終わりを迎えた。


 広いセキュリティルームの殆どを占めていた巨大な立体型アイコンが、光の粒子となって弾け、消失する。ドーム内部に密封されていた術式の残滓が解き放たれ、出し抜けに強い風が吹いた。


「わぷっ――!?」


 白い靄が吹き荒れ、思わず両腕で顔を覆う。


 身体に掛かる圧力が弱まってから、そろそろと腕を下げた僕の視界に映ったのは――ついさっきまで海竜がいた場所に浮かぶ、巨大なコンポーネントだった。


「……本当に……」


 海竜がシャットダウンされた証拠であるコンポーネントが、宙を滑ってハヌに近付き、彼女の《SEAL》へ吸収される様を眺めながら、僕は呆然と呟いた。


「……本当に……手加減、できたんだ……」


 完全に予想外の方法ではあったけれども、確かにハヌは外壁を壊さず、核であるコンポーネントも破壊せずに、ゲートキーパーを倒してみせたのだ。


 ただの一撃で。


 僕と、たった二人で。


「……やった……」


 本当に、やってしまったのだ。


 あの『NPK』ですら総掛かりで、あの《剣嬢》ヴィリーでさえその剣技の粋を尽くして倒した、あのゲートキーパーを。


「……やった……!」


 僕と、ハヌの、二人だけで。


 倒してしまったのだ。


「……ぃやったァ――――――――――――――――――ッッッ!!!」


 衝動は叫びになった。


 僕は体内で爆発した感情の塊に突き動かされて、自分でも訳の分からないことを喚きながらハヌへ駆け寄った。


 ハヌは走り寄ってくる僕に気付き、こちらを向いて、くふ、と微笑もうと


 僕は走ってきたそのままのスピードで抱き付いた。


「ハヌーっ!」


「うなぁぁぁあーっ!?」


 僕に飛びつかれたハヌが変な悲鳴を上げ、二人揃ってもんどり打って床に転がる。ごろごろと転がりながら、僕は笑う。


「ははは! あははははは! すごいよハヌ! すごいよすごいよ! すごすぎるよハヌ!」


「こ、こりゃラトぉ! 落ち着けっ! 落ち着くのじゃ! 訳がわからんぞおぬし!?」


「だって、だってだってすごいんだもん! ぼぼぼぼくくたたたたた」


「ええい落ち着けというにぃぃぃぃ!」


「へぶっ!?」


 とうとうまともに舌が回らなくなった僕の頬を、ハヌがぱちーんと引っぱたいた。それでも僕のテンションは下がらず、いきなり立ち上がると、両腕を高く掲げて何度も「やったーやったー!」と叫びながら飛び跳ねた。


 けれど。


「――はっ……!?」


 そんな阿呆な姿を外の観客に見られていることに気付いたのは、もちろん頭が落ち着いてきてからで、後悔先に立たず、今更我に返って恥じたところで全ては後の祭りだった。


 歓喜の天国から恥がましさの地獄へ堕ちて立ち尽くす僕に、起き上がったハヌが呆れ顔で嘆息する。


「全く……ラトよ、おぬしは少し精神鍛錬をするべきじゃのう」


 返す言葉もありません。ハヌは僕の背中を、ぽん、と叩き、


「しかし、よくやったの。おぬしの力量、しかと見せてもらった。妾の宮殿につとめておったどの護衛よりも、おぬしは強かったぞ」


 一転、くふふ、と笑って彼女は言う。


「妾の見立て通りじゃ。ラト、三ミニトの間だけなら、おぬしは世界最強の剣士なのではないか?」


「や、やめてよ、ハヌ……そんなわけないじゃないか」


「そうかのう? おぬしが本気を出せば、それこそあのヴィリーとかいう女にも勝てると思うのじゃが」


「ヴィ――!? む、ムリムリムリムリムリ! ムリだってそんなの! か、勘弁してよハヌ!」


 いきなりとんでも無いことを言い出したので、僕は慌てて全身で否定した。僕があのヴィリーさんよりも? 無茶を言うにもほどがある。


 でも、と頭のどこかでちょっとだけ考える。


 もし本当に僕がそれぐらい強かったら、ハヌとのコンビもちゃんと釣り合いがとれるのだろうか――と。




 わあ、と叩き付けてくるような大歓声。


 僕とハヌが並んでセキュリティルームを出て行くと、そこで待ち構えていたのは昨日以上の狂騒だった。


 人は奇跡を目の当たりにすると、そら恐ろしいほど興奮する。さっきの僕がそうだったように。


 喜び跳ねる自分の姿を恥じたのは無駄だったと思えるほど、外の人達の盛り上がりは凄まじかった。


『うおおおおおおおおおーっ! すげえ! すごすぎるぜBVJ! 名前に偽り無し! お前らマジでジョーカーすぎるぜぇぇぇぇぇ!』


 司会進行役の人がマイクでそう煽ると、さらに歓声が爆発した。地響きのような音圧が腹の底を震わせる。


「――あ、え……?」


 正直、ここまでとは凄いことになっているとは予想できなかった。そりゃ確かに僕だって、夢にも思わなかったゲートキーパー撃破を達成できたのは望外の喜びだったけれど。


 そう。考えてみれば、前代未聞の出来事だったのだ。


 新層が解放され、その初日にゲートキーパーが倒されたことなど、これまで一度もなかった。


 ましてや、それを成したのが一組のコンビ。それも年齢から言えば、双方共に子供と言っていい二人だったのだから。みんなが大騒ぎするのも無理からぬことだったのだ。


 くい、とハヌが僕の手を引いた。


「これはまずいの。ラト、ここは逃げるのじゃ」


「えっ? あ、そっか――う、うん!」


 一瞬、何で? と思ったが、すぐにハヌがあまり人目につかないようにしていることを思い出した。あんなとんでもない術式を使用したのだ。絶対、根掘り葉掘り聞かれるに決まっていた。


 だったらこんな目立つようなことをしなければ良かったのに、とも思うけれど、今はそんなことを言っている場合ではなかった。


 僕は再び隠蔽術式を発動。ついでにいくつかの身体強化術式を使用すると、


「ハヌ、ちょっと大人しくしていてね」


「む? お、おおっ?」


 ひょい、とハヌをお姫様だっこする。人混みを抜けるのは骨が折れそうなので、その場で深く屈んで、思いっきり跳躍。人垣の頭上を飛んだ。


「おおおおおお! いいのう、いいのうラト! これは気分が良いぞ!」


 空中でハヌがすごく嬉しそうに声を上げる。そうやってはしゃぐ顔は、その身の軽さも相まって、小さな女の子そのものだった。


 人のいない場所に着地して――すでに背後では僕達の姿が見えなくなったことで騒ぎが起こっている――駆け出しながら僕は改まった声で言う。


「えーと……お姫様におかれましてはご機嫌麗しゅうございます――です?」


「なんじゃその言葉遣いは? まるでなっておらぬぞ」


「あれ? やっぱり?」


 あは、と僕が笑うと、ハヌも、くふ、と笑った。


 こうして僕達は二人して笑い合いながら、その場から逃げ出したのだった。




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