●3 使役術式が得意なんですが(以下略)
貧血である。
結果として、僕の予想は当たっていた。
何のことはない。よく考えれば僕とハヌの〝SEAL〟はスイッチで相互接続しているのだから、ステイタス要求のコマンドさえ送ればバイタルの戻り値からすぐにわかったはずなのだ。
もっと落ち着いて行動するべきだった。そうすれば、病院に猛スピードで駆け込み、ロビーで「助けて下さい!」と大声で叫ぶなどという大恥をかかずに済んだのだから。
「話を聞くに、フォトン・ブラッドの過剰使用が原因でしょう。こんな小さな子に無理をさせてはいけませんよ」
ハヌを診てくれた先生は、そう言って造血剤を注射してくれた。
「少し寝かせていれば、いずれ目を覚ますでしょう。今日はもう術式を使わせてはいけませんよ。それでは、お大事に」
「あ、ありがとうございました……」
治療を終えて立ち去っていく先生に頭を下げ、僕はベッド脇の椅子に腰を下ろす。
共同部屋の隅のベッドに寝かされたハヌは、さっきまでのひどい顔色が嘘だったように、安らかに寝息を立てていた。汗で額に張り付いた前髪を、そっと手で綺麗にしてあげる。
たった二回だ。
今日、彼女が術式を使用したのは〈エアリッパー〉二回だけだったはずだ。
なのにお医者さんは、この貧血を『フォトン・ブラッドの過剰使用』が原因だと診断した。
やっぱり、ちょっと信じられない。
あの時、ハヌは手加減もしていたはずだ。それは勿論、彼女なりに、ではあるけれど。
僕が使う支援術式と違って、攻撃術式は籠める術力の調整が利く。二回とも全力全開で術力を籠めたのならともかく、手加減しながら発動させた〈エアリッパー〉二回でフォトン・ブラッドが枯渇するなんて、絶対に変だ。
先程、先生は『今日はもう術式を使わせてはいけませんよ』と言っていたけれど、思い返してみれば、ハヌが一日に一回以上術式を使ったことがあっただろうか? いや、少なくとも僕が知る限りでは、ない。
とすると、ハヌのフォトン・ブラッドは最初から使用可能量が少なかったということだろうか? けど、それならそうと、ハヌならちゃんと言ってくれそうな気もする。
なら、そもそも汎用術式がハヌの〝SEAL〟に合わなかった? うーん……どうなんだろう。確かにハヌが使う術式は見たことも聞いたこともないものだし、言霊を扱うあたり、相当歴史が古いものだとは思うけれど。でも、もしハヌの〝SEAL〟がその系統だけに【特化】したものだとしたら、他の術式が使えない可能性も、無くはない。
海竜を一撃で屠った〈天龍現臨・塵界招〉――威力といい、立体型アイコンという形状といい、【手加減】してアレなのだ。全力で放った時の破壊力は想像もつかない。その点を鑑みれば、それ以外の術式と相性が悪いのも合点がいくけれど――
「……ん……」
ふと、ピクン、と眠っているハヌの眉が動いて、僅かに身じろぎしたようだった。
「……ハヌ?」
耳元に顔を近付け、小声で呼び掛ける。するとハヌの瞼がふるふると震え、ゆっくりとだけど開かれていった。
「……? なんじゃ……わらわは、なにゆえ……らと……?」
枕元に寄っている僕に気付いて、何だかまだ頭がふわふわしているらしきハヌが、うっすらと開いた金目銀目で見つめてくる。
「えーと……おはよう、かな? 大丈夫? 起きられる?」
「んー……」
むずがる幼子のように、ハヌは目と口をむにゅむにゅと動かして唸った。
「……らと……ちこうよれ……」
まだ眠そうな声でそんなことを言うハヌ。寝ぼけているのだろうか。とりあえず言われた通りにもう少し顔を近づけてみると、
「……むー……」
いきなりブランケットの中から、にゅっ、とハヌの両腕が飛び出して、僕の首にまとわりついた。
「――へ?」
そのままハヌに抱き寄せられる形で、僕は枕の隣に顔を突っ込んでしまう。端からすれば、僕がハヌに覆い被さって密着しているようにも見えるだろう状態だ。
「ぶはっ――ハ、ハヌ!? どどどどどうしたの!?」
流石に大声は出せないので、小声で、けれども必死に叫んだ。するとハヌは、僕の耳元でむにゃむにゃと呪文を唱えるように、こんな事を言う。
「……おきれぬ……らとがおこしてた、も、れ……」
「……あー……」
わかった。僕わかっちゃったよ。これ完全に寝ぼけてますね。
そういえば寝起きの時って、まだ頭が完全に動いていないから本能的にスキンシップを求めるとか何とか、聞いたことがある。まぁ、要するにどんなにガードの堅い人でも『甘えん坊』が顔を出すってことなんだけど――
そういうことなら、まぁ仕方ない。
「――うん、じゃあ、起こすよ? よいしょ、っと」
「ん、む……」
ハヌの背中に腕を回し、上体を起こしてあげる。ハヌは軽いから、こんなのは何でも無い。
ところが、抱き起こしたところでハヌが動き出す気配が全くない。僕の肩に顎を乗せたまま、脱力状態が続いている。
「ほらハヌ、起きて? 先生が今日はもう術式を使っちゃ駄目だって言ってたから、もう帰ろう? 部屋まで送っていくからさ」
「……んー……」
気のない生返事である。仕方が無いので、しばらく背中をポンポンと優しく叩きながら、ハヌの目が醒めるのを待った。
大体三〇セカドほど経った頃だろうか。
「……これはどういうことじゃ、ラト?」
と、先刻とは打って変わって、やけに明瞭とした声でハヌが言った。
「え? どういうこと、って?」
「……何故、妾とラトはこのような体勢になっておるのか、と聞いておる」
「何故って……ハヌからこの体勢に持って行ったんだよ?」
「……そんなはずはない」
「ええっ!?」
恐るべきことに断言されてしまった。そんな理不尽な、と思った時、ふと頬にあたるハヌの肌が熱を持っていることに気付いた。体勢上、顔が見えないから想像するしか無いけど――多分、目が醒めて急に恥ずかしくなっちゃったんだろうなぁ、と予想する。
「あ、あー……それはともかく、喉渇かない? 僕、何か飲み物買ってくるよ」
「……うむ、よきにはからえ……」
ストレートに指摘するのは愚策だ、逆ギレして爆発してしまうかもしれない――そう思った僕は適当に話をでっち上げると、ハヌから体を離してそそくさとその場を離れた。
病室を出て行く直前、ちら、とハヌの方を一瞥すると、彼女はブランケットを頭から被ってベッドの上で丸い塊になっていた。
ああ言った手前、本当に飲み物――ハヌのグレープジュースと僕のアイスコーヒー――を購入して戻ってくると、ハヌはすっかり澄まし顔を作り直してベッドの上に座っていた。
何事も無かったかのように飲み物を受け取るハヌに、僕も何事も無かったかのようにこの病院へ来た顛末を話した。
もちろん、ハヌのフォトン・ブラッドについて聞くのも忘れない。
「――いや、このようなことは初めてじゃ。妾はその気になれば、天龍も天輪聖王も天照大神も同時に現臨させることが出来る。〝気〟が足りぬなどということはあるまい」
「う、うんうん?」
テンリンセイオウとかテンショウタイシンって何だろう? などと思いながら僕は頷く。〝気〟っていうのは多分フォトン・ブラッドのことだとは思うけれど――そのあたりはまた後で聞いておこう。
「……ということは、やっぱり普通の術式がハヌの体質に合わなかった、ってことなのかな?」
「ふむ……詠唱の必要がない術を使ったのは初めてじゃったからのう。思うたより加減も難しかった」
結論から言うと、どうやらハヌにも貧血に至った原因はよくわからないらしい。僕とハヌは揃って首を傾げる。
「気息を練っておらんかったからかのう……? 確かにやたらと〝気〟を持って行かれる感覚はあったのじゃが」
ここまでの話で、やはりハヌの〝SEAL〟と僕達のそれとは、そもそものフォーマットが違うのかもしれない、という考えに至った。フォーマットが違えば、そこに乗る術式だって勝手が変わる。普通の人間と現人神と呼ばれる存在とでは、〝SEAL〟の質そのものが異なっているのだ、きっと。
詳しいことは専門家に調査をお願いしたらわかるかもしれないけれど、ハヌは身分を隠しているし、それは難しいだろう。だから、
「――とりあえず、もう〈エアリッパー〉は使わない方がいいかな。ハヌの戦い方については他にも色々考えてるし、また明日試してみようか」
「うむ」
ハヌも素直に頷いてくれて、とりあえずこの件はこれで終息となった。
こうして明日からの方針を決めた僕とハヌは、ジュースとコーヒーを飲み干すと、すぐに病院を辞した。
ちなみにだけど、診療代は僕が払った。当然、海竜の時の報酬を使ったのである。
今日は人目を避けるため早朝からルナティック・バベルに入っていたので、病院から外へ出ると、太陽はまだ空の頂点に達する前だった。
もうそろそろお昼時という頃合いである。
とはいえハヌは先生から、今日は安静にするように、と言われている。なので僕は中央区にあるマンションまで、ハヌを背負って送っていくことにした。
もっとも、当のハヌは不服そうだったけれども。
「むぅ……もう大丈夫じゃと言うのに……」
僕の背中でぶーたれるハヌに、僕は少し強い口調で言う。
「駄目だよ、倒れちゃったんだから。今日はゆっくりしないと」
「もう回復した。妾は戦える」
喉元過ぎれば何とやら。ハヌはさっきまでの自分の体調を忘れたように主張する。
普段ならハヌのこういう我が儘に押し切られてしまう僕だけど、こと彼女の健康に関することならば絶対に譲ることは出来ない。僕は前を向いたまま首を横に振り、その意見を却下する。
「だーめっ。だめったらだめ。いくらハヌが戦えるって言っても、一緒にいる僕が心配でまともに戦えないよ。だから今日はもうお休みです。部屋でゆっくりしなくちゃ駄目なんです。わかった?」
突き放すような言い方をすると、ハヌが露骨に唇を尖らせる気配がした。
「むぅぅ……ならば妾一人でも――」
「そんなことしたら本気で怒るよ?」
思わず早口で即答してしまってから、しまった、と気付いた。というか、僕自身が吃驚した。らしくもなく、冷たい言い方をしてしまった自分に。
「……!」
ハヌが驚いたように息を呑んで、口を噤んだ。
その途端、一気に襲いかかってくる気まずい雰囲気。
会話がぶつ切れに途切れ、僕の足音だけがやけに大きく響き始めた。
僕は、ずっとソロでエクスプロールをしてきたので、一人で遺跡に潜ることがどれだけ危険かをよく知っている。
少なくとも、そんじょそこらのエクスプローラーよりも知っているつもりだ。
実際、ついこの間も両腕を喪って死にかけたのだから。
それだけに、ハヌにそんな危ないことをして欲しくない――その一心が声に出てしまったのだと思う。
だけど、やっぱり……今の言い方はまずかった。強く言い過ぎだったと思う。ちゃんと謝らないと――
「…………あ、あの、ハヌ、」
「――すまぬ、ラト……」
「え?」
僕の両肩に載っている手が、きゅっ、と握る力を強めた。
こつん、と後頭部にハヌの額が当たる感触。
「……嘘じゃ。妾が悪かった……じゃから、そんなに怒らないで欲しいのじゃ……」
今にも泣き出しそうな、弱々しい声だった。いや、もう既に目尻に涙が溜まっているかもしれない。話す言葉に、小さく鼻をすする音が混じっていた。
やっぱり言い過ぎだったのだ。
僕は大いに慌て、
「――ご、ごめん、ごめんね、お、怒ってないよ、僕ぜんぜん怒ってないよ! ごめんね、違うんだ、僕はハヌが心配で、別にハヌのことが嫌いになったとか、嫌になったとかじゃなくてっ」
「うむ……」
「あ、危ないからっ、一人で遺跡に行くのは危ないから、そのっ……お、怒るって言ったのは言葉の綾でっ、本当は怒らないしっ、心配だしっ、絶対助けに行くしっ、」
「……うむ……」
ハヌの相槌がもう完全に涙声で。
つられて、なんだか僕の方まで泣けてきてしまって。
「ご、ごめんね……! 僕が悪いんだ、怒るなんて言っちゃったから……ぼ、僕も嘘だよ、怒ったりなんかしないよ、ごめんね、ごめんねハヌ……!」
「な……こ、こりゃ、何故ラトが泣いておるんじゃ、おかしいじゃろっ」
涙に濡れ始めた僕の声に、背中のハヌがじたばたと動く。小さな掌が、たんたんたん、と僕の両肩を連続で叩いた。
「だって、だって……! ハヌが泣くから……!」
「わ、妾は泣いてなどおらぬっ。おらぬぞっ……」
そんなことを言った直後に、ぐすっ、と鼻をすするものだから、説得力なんて皆無だった。
もうどっちもグダグダである。
どうしてこうなったのか、自分達でもよくわからない。
気まずい沈黙が、僕達二人の間に降り立つ。
「……………………本当にごめんね、ハヌ……」
「……………………妾もすまんかった、ラト……」
結局、何故だか僕とハヌはお互いにぐすぐすと慰め合いながら、帰途につくことになった。
端から見たらものすごく情けない姿だったと思う。
周りの人達もまさか、こんな僕ら二人がそれぞれ〝ベオウルフ〟だの〝小竜姫〟だのといった大層な名前で呼ばれていようとは、夢にも思わないだろう。
いくら名を上げたところで、所詮、僕達はまだまだ子供。
本物の英雄なんて、全然遠い。
もしかしてご先祖のセイジェクシエル様も、本当はこんな風に、情けない姿を晒していたりしてたんだろうか――?
そんなことを考えながら僕は空を見上げて、すん、と鼻を鳴らしたのだった。
ハヌを部屋まで送った後――彼女は今日一日ちゃんと静養することを約束してくれた――、僕は一人、『カモシカの美脚亭』へと足を向けていた。
ハヌにあんな事を言ってしまっただけに、僕も一人でルナティック・バベルへ入るわけにはいかない。それは明確な裏切り行為だ。
けれども、だからといってやることが無いわけではない。
成り行きではあるけれど、僕達は大勢のエクスプローラーの前でクラスタ設立を宣言してしまった。
元々は僕とハヌとのコンビ名である『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』をクラスタとする上で、やはり必要となってくるのは【人数】だ。
二人で『コンビ』。それ以上で『パーティー』。更にそれを二倍、三倍として初めて『クラスタ』を名乗れる。
つまり、今のままでは、僕らはどこまでいっても『自称クラスタ』であり、『実質コンビ』以外の何物でもないのだ。
というわけで、とにもかくにも人集めである。
日中はカフェ、夜はバーを兼ねる『カモシカの美脚亭』の扉を押し開き、足を踏み入れる。
時間的には、無所属のエクスプローラー達が集まって即席パーティーを作る時間帯はとっくに過ぎている。だから店内は空いているものと思っていたのだけど、意外とテーブルは埋まっていた。
そうか、考えてみればもう昼前だ。食事目的の人達が来ているのだ。
僕はなんとなく音を立てないよう、そーっとカウンターに忍び寄り、近くにいたウェイトレスさんに声をかけた。
「あ、あの……」
「あ、はーい! いらっしゃいませ! なんですかにゃ?」
振り返ったのはここの看板娘、アキーナさんだった。
両手で猫の真似をして愛想を振りまくその姿は、殺伐としがちな男性エクスプローラー達の『心の癒し』とまで呼ばれ、噂によると振った男の数は優に百を超えているとかいないとか。
肩の上で切り揃えた明るい赤色の髪がサラサラと揺れ、本当に猫みたいな水色の瞳がコケティッシュな視線を放つ。
「あ、あのっ……!」
他人との接触を苦手とするところ、人後に落ちない僕である。ましてやこんな美人さんとお話をするのだから、緊張しないわけにはいかなかった。お茶の注文ぐらいなら、すんなりと出来るのだけど――
「あ、あの僕、き、昨日、ぼ、募集依頼をお願いしたブルリッ」
「あ、はいですにゃ。『BVJ』のラグディスハルト様ですにゃ? 少々お待ちください」
皆まで言うことなくこちらの意図を察してくれたアキーナさんは、ぺこりと頭を下げると、ツバメのような軽やかさで身を翻し、店の奥へと消えていった。
ところで、接客基本用語の時だけつかないあの『にゃ』って、やっぱりキャラ付けってやつなんだろうか……? いや、似合っていると思うので、別にいいのだけれど。あと何気に僕の名前がすんなり出てきたあたり、アキーナさんが看板娘なのは可愛さだけが理由じゃないんだな、と思わせた。
さて、僕がここに来た用件はというと。
実は昨日、人集めの一環としてこの『カモシカの美脚亭』に、『メンバー募集のおしらせ』を出してもらえるようお願いしてあったのだ。
例えばお客さんの〝SEAL〟に、メンバー募集のARメッセージが表示されるよう、店内放送のCMに混ぜてもらったり。また、店内の壁に設置してある物理ICから、ARポスターが表示されるよう設定してもらったり。もちろん他にも同じ依頼を出しているクラスタもあるから、ランダム表示に混ぜてもらう形にはなったけれど。
もし希望者がいれば、お店の人に言ってもらい、後日こちらからコンタクトをとるという形式になっている。今日はその希望者がいるかどうかの確認をしに来たのだ。まぁ十中八九、希望者なんていないとは思うけれども。
とりあえずカウンター席の一つに腰掛けてアキーナさんを待っていると、何だか周囲から注がれる妙な視線に気付いた。
ひそひそといくつもの声が聞こえてくる。
「おい、あそこの」「おう、あの紫のか?」「間違いねぇ、〝ベオウルフ〟だ」「ふーん、意外と小さいわね」「妙だな。弱そうだぞ」「あいつ本当に強いのか? この間のゲートキーパー戦、何かトリックが……」「いや、ああ見えてすごいらしい」「俺も聞いた。肉を生で食って、血を啜るらしいな」「水分は酒でしかとらないって友達が言ってた」「俺が聞いた話だと、すげえ女好きの絶倫だと。で、美女をわんさか囲ってハーレムを作ってるんだと」「え、待てよ、なら小竜姫はなんなんだ」「ロリもいけるってことなんじゃね?」「いや、実は娘って説も……」「妹じゃなくて!?」「俺が聞いたのは、あんな細っこくても素手でSBを活動停止させて、力尽くでコンポーネントを抉り出すって」「うお、まさに〝怪物〟じゃねぇか」「けど前はみんな、あいつのこと〝ぼっちハンサー〟とか呼んでなかったか?」「だから、ヤバすぎて誰も近付かなかったんだろ? それ故の〝ぼっち〟だったわけで」「うちが聞いた話だとホモで『NPK』のカレルレン様と恋人同士だって! やばい萌える!」「しかしあの強さ……実は別の世界から転生してきた奴なんじゃないか?」「は? なんだそれ?」「知らないのかよ、大昔に流行ったストーリーラインのテンプレート」「ああ、一度死んで別の世界に転生すると、いつの間にかすげー強くなっているっていうアレ?」「そうソレ」「疑問なんだが、生まれ変わることと強くなることがどう直結するんだ?」「知らんよ。お前さんは、王子様のキスで目覚めるお姫様に理屈を求めるのか?」「〝ベオウルフ〟って、実は男装した女の子って噂、本当なのかなあ? ぐふふ」
いや、あの。
待って?
待って、待って。
ごめんなさい、本当にちょっと待ってください。
どうしよう。意味がわからない。
なんでこんな事になっているのか。
予想外の想定外。
人の口に戸は立てられないとか、根も葉もない噂とか、そんなレベルじゃない。
全くありもしない話が完全に一人歩き――否、暴走している。
僕はカウンターに座ったまま、背を丸めてガチガチに固まり、全身の毛穴という毛穴から冷や汗を垂れ流した。
強そうとか弱そうとか、そういう話はまだいい。なんだ、生肉食べて血を啜るって。それどころかハーレムでロリって。ホモで恋人って。いやもう、この時点で明らかに矛盾しているじゃないか。そしてそれ以外の噂については、もはや突っ込む気力さえ沸いてこない。
恐ろしい。
トップ集団のエクスプローラーはみんな、こんな風に適当な流言飛語を広められているんだろうか。あのヴィリーさんやカレルさんも例に洩れず。
これでは風評被害もいいところだ。この調子では、僕達のメンバー募集に申し込む人なんて絶対いないに決まっている。
居心地も悪いし、変な人に絡まれても怖いし、ここは早いところアキーナさんから希望者ゼロの報告を聞いて、即座に退散した方がいいかもしれない。というか、許されるなら今すぐそうしたい。
それから数十セカド――体感的には何ミニトにも感じられた――が経ち、戦々恐々と待ちわびていた僕の前にようやくアキーナさんが戻ってきて、ぺこりと頭を下げた。
「大変お待たせしました。残念ながら『BVJ』様への加入希望者は、たった一名だけですにゃ」
よし、残念でした。すぐにお礼を言って帰ろう!
「あ、はい! ゼロですね! ごめんなさいありがとうございますそれでは僕はこれで――って、えっ!?」
腰を浮かせて早口で言っている途中で齟齬に気付いた。
ゼロだなんて、アキーナさんは一言も言っていない。
「……えっ、あの……い、一名? いらっしゃる?」
「? そうですにゃ、一名いらっしゃいますにゃよ?」
僕のおかしな反応に、不思議そうにアキーナさんが可愛らしく小首を傾げる。
まるで想定していなかった回答に、しばし頭がフリーズしてしまった。さっさと逃げ帰ることしか考えていなかったので、そうでなかった時にどうすればいいのか、さっぱりわからなくなってしまったのだ。
「あっ……えっと、あの……」
僕がしどろもどろとしていると、アキーナさんは、にっこり、と素敵な営業スマイルを浮かべた。
「そのお客様はちょうど店内にいらっしゃいますにゃ。ご案内いたしますので、こちらへどうぞですにゃ」
右掌を店の奥へ向けて、僕を誘導する。
「あ、は、はい……」
事ここに至って断れるはずもなく、僕は素直にその背中に従った。
アキーナさんが案内する先には階段があり、先に昇りながら彼女は説明してくれる。
「メンバー加入希望のお客様は、二階の個室にいらっしゃいますにゃ。規定通りに手続きの流れを説明したのですけれど、どうしてもここで待つと言って聞かなかったのですにゃ」
「はぁ……」
頷きながら、それはまた珍妙な御仁だな、と思う。自分で募集をかけておいて何だけど、昨今の情勢下で『BVJ』への加入を希望するのは、大した度胸と褒めるべきか、それとも正気を疑うべきか。
嫌がらせ目的の悪戯でないことを、切に祈るばかりである。
「こちらですにゃ」
『カモシカの美脚亭』の二階は個室フロアだ。長く伸びる廊下の両側に、いくつもの扉が一定間隔で並んでいる。アキーナさんはその中の一つの前で立ち止まり、こちらへ振り返った。
「この部屋ですにゃ。良ろしければ、ここでそのまま面接などやっちゃってどうぞですにゃ。それでは失礼いたします」
丁寧にお辞儀をしつつそう言い残すと、アキーナさんは一階へと戻っていった。その律動的な歩調で去って行く背中が見えなくなってから、僕は件の扉を控えめにノックする。
『――どうぞ』
中から小さく声が帰ってきた。扉に阻まれて籠もってはいるけれど、間違いなく女性の声だと思う。
一気に動悸が激しくなった。
まさか女の人だったとは。どうしよう、こんなことになるんだったらハヌと一緒に来ればよかった。
「し、失礼、します……!」
ノックした手前、入らないわけにもいかない。
僕は上擦った声を出し、緊張で汗ばみ始めた手でノブを回す。
開いた扉の向こうは、六人も入ればいっぱいになる小さな個室だった。
建前としては、カフェでもありバーでもあるこの店の、美味しい料理と飲み物と静かな空間を提供するための専用個室。
だけど、エクスプローラーが多く集まるようになってからは、ミーティングや面接をするための『密室』にもなっているという。
果たして、部屋中央にあるテーブルの向こうに座っていたのは、声から予想出来た通り、うら若い女性だった。
いや、女性というか――女の子?
「はじめまして」
涼やかな琥珀色の瞳と目が合った瞬間、その下にある小さな唇から抑揚の薄い声がするりと滑り出た。
「――――」
しばし魅入られた。
まず目を奪われたのは、少し緑がかったアッシュグレイの髪。上品な光沢を持ち、豊かに波打っている。髪質はふんわりとしていて、量も多く、長い。お尻の辺りまで伸びているようだ。
背丈は、僕より頭一つ分ほど小さいぐらいだろうか。身に着けているのは、藍色を主とした淑やかなツーピース。髪の色と相俟って、とても似合っている。また、それを纏う全身が描く流線は――その、こんなことを言うとハヌから『やはりラトは大きい胸が好きなんじゃろ!』と怒られてしまいそうだけど――肉感的というか、グラマラスというか、そんな感じで。
こちらを見つめる琥珀色の双眸は落ち着いていて、そこだけならとても大人びて見えるけれども。
よく見ると顔の造りは幼く、おそらく僕と同じか、もしくは一つか二つしか違わない程度の年頃に思える。
総じて一言で言うなら、幸薄げな美少女――それが僕の抱いた第一印象だった。
「――お目にかかれて光栄です。勇者ベオウルフ」
ぼけっとしていると、不意にテーブル席に腰掛けていた少女が立ち上がり、僕に向かってカーテシー――スカートの裾をつまんでお辞儀をする挨拶――をした。
育ちの良い人なのだろう。礼儀正しく頭を下げ、その姿勢を綺麗に保持したまま彼女は自己紹介に入る。
「私はロルトリンゼ・ヴォルクリングと申します。どうかお見知りおきを」
「あ、えと……」
一方のこちらは礼儀礼節について多少の知識はあれど、実践経験は皆無の庶民である。
どう返答してよいものかわからず、とりあえず後ろ手にドアを閉め、言葉を探しながら、
「ぼ、僕はその……ラグディス、あっ、じゃなくて、『BVJ』の、ラグディスハルト、です。こ、この度はク、クラスタメンバーの募集にお申し込みいただき、えっと、あの、あ、ありがとうございますっ」
たどたどしく自己紹介を返した。我ながらなんて下手くそな話し方だろうか。〝勇者ベオウルフ〟が聞いて呆れてしまう。
と、ロルトリンゼさんがカーテシーを終えた状態のまま固まっていることに気付いた。そうか、こういう時はこちらから着席を勧めないといけないのだった。
「あ、す、すみません、どうか楽にして、座ってください」
「はい。ありがとうございます」
ロルトリンゼさんはにっこりと笑って――ということもなく、それどころか表情筋をピクリともさせることなく姿勢を戻し、再び席に着いた。
――なんだろう、この感じ……人形めいているというか、機械的と言うか……?
胸に生じた小さな違和感をとりあえずは無視して、僕はテーブルに歩み寄りロルトリンゼさんの対面に座った。
「…………」
「…………」
しん、と静まり返る。な、なんだろう、この空気。とってもやりにくい。
とりあえず僕は〝SEAL〟のメモ機能を起動させ、書き取りをする体勢をとる。
「で、では、えっと……お名前は、ロルトリンゼ・ヴォルクリングさん、でしたよね」
「ロゼ、とお呼びください」
「あ、はい」
するりと放たれる抑揚の薄い声は奇妙に鋭く、思わず反射的に返事をしてしまった。
僕はロルトリンゼさん改め、ロゼさんにいくつか質問を投げかけていく。
「そ、それでは、今回は僕達『BVJ』のメンバー募集に、加入を希望しているということでよろしかったでしょうか?」
「はい」
「そ、そうですか……えと、失礼ですが、ご年齢は……?」
「十八です」
思ったとおりだ。僕より二つ年上である。
「で、では、ご出身はどち」
「パンゲルニアの西にあるリザルクという街です。ちょうど近くに〝ドラゴン・フォレスト〟があります」
「な、なるほど。では、こちらへ来たのはいつ」
「今朝です」
語調は抑え目で声もけして大きくは無いのだけれど、何故かスピーディに話が進む。むしろ僕の質問にかぶせ気味で返答してくるので、どうにも気圧されてしまう始末だ。
だというのに、試しに僕が舌を止めると、
「…………」
「…………」
途端に音が消えて室内が静寂に満たされる。
――うん、この空気、やっぱりやりにくい……
「……えー、その、当然ながら僕達はエクスプロールをするわけですが……その、もちろん安全には気をつけますけど、もしもの場合もあるわけでして、そのあたりは」
「問題ありません」
ぴしゃり、と無表情で断じるロゼさん。こちらを真っ直ぐ見返す琥珀色の瞳からは、しかし何がしかの感情を読み取ることは出来ない。
つまり、何を考えているのかわからなくて、ちょっと怖いです。
僕は思っていることが顔に出ないようにしつつ、気を取り直して、おほん、と咳払い。
「――で、では、ロゼさんのエクスプローラーとしてのタイプを教えていただけますか?」
「タイプ、ですか」
「は、はい。似たタイプでもいいんですが……」
エクスプローラーのスタイルは、当たり前のことだが十人十色だ。戦い方や動き方には各々の個性が出るし、誰もが皆、画一的なスタイルをとるわけでもない。
例えば僕なら、いわゆる〝エンハンサー〟タイプとして周囲から認識されている。ついたあだ名が〝ぼっちハンサー〟だったことからもそれは明らかだ。だけど、僕個人としてはエンハンサーであると同時に剣士――〝フェンサー〟でもあるつもりなのだ。また少ないながらも攻撃術式だって使えるので、厳密に言えば、世間が言うところの〝エンハンサー〟とは一線を画していたりする。そう、勝手に言葉を造ってしまうならば、〝エンフェンサー〟と言ったところだろうか。
これがハヌなら、彼女はほぼ純然たる〝ウィザード〟タイプと呼べるだろう。今のハヌの戦闘スタイルは、術式を中心とした遠隔攻撃系。別名〝エーテルストライカー〟とも呼ばれるスタイルだから。
さらに言うとヴィリーさんなら、剣と炎系術式の双方に秀でた〝フェンサー〟と〝エレメンター〟の複合タイプ。カレルさんなら、得物や二つ名から察するに〝ランサー〟タイプ、もしくはボックスコング戦での役割だけで言うなら〝コマンダー〟タイプとも言えるだろう。
他にも〝ヒーラー〟、〝エンチャンター〟、〝ガーディアン〟など多くのタイプがあるのだけど、それはともかく。
問題は、ロゼさんが何をメインとしているのか。もし彼女の得意とするところが、僕やハヌと合わないタイプだったとしたら、お断りも視野に入れないといけないのだ。
見た感じでは、ハヌと同じウィザードかエレメンターあたりかと思うのだけど――
ロゼさんの答えは、やはり簡潔だった。
「私は〝ハンドラー〟です」
「――。」
予想の斜め上のそのまた斜め上を行く名詞に、僕はしばし硬直した。
この僕の前に鎮座する御仁は今、その機械のごとく変化に乏しい顔で、とても凄まじい単語を言い放ったのだ。
「……す、すみません、あの、【ハンドラー】というと――」
「はい、あの【ハンドラー】です」
僕の言葉を先読みして、遮断するようにロゼさんは言う。
刹那、まるで宝石そのもののように無感情だった琥珀の双瞳に、強い想念の炎が揺らめいた気がした。
ロゼさんは抑揚の薄い口調で、しかし早口でまくし立てるように言葉を続ける。
「まさしく『仲間にしたくないタイプ』で一二を争うあの【ハンドラー】です。遺跡で回収されたコンポーネントの一部を修復してSBを元の状態まで回復させ使役するあの【ハンドラー】です。完璧に元通りに復元させてしまうため多くのSBを同時に使役すると敵味方が入り混じって見分けがつかなくなってしまい戦闘を混乱させることで有名なあの【ハンドラー】です。そのせいでパーティーに加えるのを多くのエクスプローラーが嫌がり挙句には『ソロでエクスプロールすればいいと思うタイプ』でも一二を争うあの【ハンドラー】です」
ずらずらずらずらと、ハンドラーがどんなタイプでどういう理由で敬遠されているのかを淀みなく流れるように並べ立てるロゼさん。
もはや言わずもがなだが、つまりはそういうことである。
〝ハンドラー〟の別名は、〝SBテイマー〟。その名の通り、SBを使役して戦わせる戦闘スタイルが特徴のエクスプローラー。
そして、下手をすれば〝エンハンサー〟よりも忌避されている希有な存在。その理由は、先程ロゼさんの口から出た通り。
それ故ハンドラーの絶対人口は少ない――そもそもSBを使役するために必要な条件などが多くて面倒くさい――ので、僕も実際に会うのは初めてなのだけど。
まさか、よりにもよってそのハンドラーが、僕達のメンバー募集に申し込みをしてくるだなんて。
否、考えてみれば、これはある意味必然だったのかもしれない。世間に流れている噂を考えれば、まともな人ほど僕らに近付いてこようとはしないはずだから。
「ですが、ご安心ください。私の術式は特別製です。他のハンドラーのように敵味方が入り交じって混乱するようなことはありません」
逆接続詞をつけ、自信満々――と言っても声の抑揚が相変わらず薄いのでわかりにくいのだけど――にロゼさんは断言する。
「え……と、それはどういう」
「私のテイムしたSBは他にはない特徴を持ちます。そのため、遺跡にポップするSBと見間違えることはありません」
「と、特徴といいますと」
「必ずやお役に立ちます。私を『BVJ』に入れてください」
僕の質問は完全に無視される形で、いきなり核心に踏み込まれた。
どうしよう。
メンバー加入の是非を決定する権利なら、一応僕が持っているはずである。ハヌが言ったのだ。僕がクラスタのリーダーである、と。
だけど、かといって僕が勝手にロゼさんの加入を決めたとして、それをハヌが黙って受け入れてくれるだろうか? いや、考えるまでもない。多分、ほぼ間違いなく、ハヌは怒る。『親友である妾に一言の相談もなく決めるとは!』みたいに。
だから、ここはいったん保留させてもらわなければ。
「あ、あの、申し訳ないんですが、ここはちょ」
「どうしても駄目でしょうか」
「あ、いや、そうじゃなくて、ちょっとだけ待っ」
「お願いします。どうしても勇者ベオウルフ、あなたの傍にいたいんです」
「いえ、で、ですから、少し落ち着い」
「どんな形でも構いません」
いきなりテーブルの上に置いていた僕の両手を、ロゼさんのそれが包み込んだ。
柔らかくて暖かい感触に、どきりとする。ハヌともヴィリーさんとも違う、しっとりした手触り。
「お願いです」
両手を寄り合わされ、しっかと握り締められる。ロゼさんはテーブルの上に身を乗り出し、顔をずいと近付けてくる。
至近で真っ正面から視線がかち合った。透明感のある黄褐色の瞳には、先程まで一切混じることが無かった感情――焦燥感が滲んでいた。
必死。初めて表情らしきものを浮かべたロゼさんの唇から、とんでもない言葉が飛び出した。
「何でしたら愛人でも構いません。よくわかりませんが何度か男性から声をかけられたこともあります。体にはそこそこ自信があります。私は処女です。あなた色に染めてください」
正真正銘、僕の頭の中は真っ白に染まった。
本気で、心底、彼女の言っている事が理解できなかったのだ。
「――?」
と首を傾げ、曖昧な表情でロゼさんを見つめ返すことしか出来なかった。
そんな反応をする僕に対し、真剣そのもののロゼさんは強い視線でこちらの目を貫くと、むしろ囁くような掠れ声でこう言い放った。
「私を、買って下さい」