●2 見えない弾丸
「君を我が騎士団に迎えたいというあの話を、無かったことにして欲しいのだが、いいだろうか?」
というカレルさんの衝撃発言の翌々日である。
この日の昼前、僕とハヌはフロートライズ中央区東側にある『アーバンエリア』へと来ていた。
ルナティック・バベルを挟んで反対方向にある西の露店街と違い、大きなビルや複合施設が立ち並ぶ区域である。
その一角にある、時間制レンタルのミーティングルーム。そこがカレルさんから指定された集合場所だった。
ミーティングルームと言っても、軽く百人ぐらいが入れるほどの広さがある。
こんな所で何をするのかというと――
「それでは『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』のこれからについて、話し合いたいと思う。司会進行は僭越ながら自分、『蒼き紅炎の騎士団』のカレルレン・オルステッドが務めさせていただく」
我ながらちょっと信じられない。
どうして、こんな大それたことになってしまったのか。
広い部屋に並べられた椅子に、ざっと見て五〇人ほどのエクスプローラーが座っている。彼らは総じて壁際にいる僕とハヌ、そして取りまとめ役であるカレルさんとヴィリーさんへと、歴戦の勇士らしい鋭い視線を注いでいた。
ここにいる誰も彼もが、各々のクラスタを代表する人間なのだという。
それも、僕達二人の加入を希望するクラスタの。
――こ、こんなにも大勢の人が……!?
瞠目する僕の隣で、マイクを持ったカレルさんが泰然自若とした様子で話を切り出した。
「さて、事が大きくなり、騒動を予防するため便宜上このような形となってしまったが、以前から再三言っている通り『BVJ』の二人に対する強制だけは絶対に看過できない。この事は当然、ここにいる全員が承知しているものと思う」
ずらりと居並ぶ人達の半数ぐらいが、うんうん、と頷いた。残る半数の方々が何を考えているのか、ちょっと怖くなってくるけど。
クラスタリーダー達の反応をじっくり見渡してから、カレルさんは話を続ける。
「では今日の段取りだが、まず『BVJ』の二人に対する意思確認――つまり、どこかのクラスタへ所属する気があるのかないのか。あるのであれば、その際に希望する条件を確認。しかして、条件に合致するクラスタから抽選で順番を決め、交渉を開始する――以上の手筈となる。当然ながら、最初の段階で『どこにも所属する気が無い』ということであれば、そこからの話は無かったことになるが……」
不意にカレルさんが僕の方へ翡翠色の視線を向けた。
瞬間、ぞろっ、という感じでその場にいる全員の目線が僕に殺到した。
これでぎょっとするなというのは無理な注文である。
「――っ!?」
大勢に注目されることに慣れていない僕は、即座に石化してしまった。
「あ……え……」
冷や汗をダラダラ流しながら物言わぬ彫像となった僕に、周囲の皆から『何か言わないのか?』的なプレッシャーが与えられる。
――えっと、えっと……!? な、何か、何か言わなきゃ……!?
と、混乱と焦慮の坩堝で喘いでいたら、
「――が、その前に我ら『蒼き紅炎の騎士団』から、集まってくれた卿らに言っておきたいことがある」
結局、僕が口を開くより先にカレルさんが話の続きを始めてしまった。
途端、僕に集中していた視線の束がカレルさんへと移動する。
肩にのし掛かっていた重圧が消えて、僕は胸を撫で下ろした。
が、ほっとしたのも束の間、カレルさんはいきなり音と光のない爆弾を放り投げたのである。
「今回の件、恐縮だが我々は辞退させていただくことにした。つまり、〝ベオウルフ〟と〝小竜姫〟との交渉を断念するということだ」
『――!』
クラスタリーダー達が一斉にどよめいた。
誰も予想だにしていなかっただろう。
よりにもよって、こうして取りまとめ役を担っている『NPK』が、肝心の交渉についてまさか辞退を宣言するとは。
誰もが驚愕と動揺を隠せず、互いに顔を見合わせている。
当然ながら僕やハヌは事前にその理由まで聞かされていたので、驚きはしなかった。けれど、初めて耳にした時は大いに意表を突かれたので、驚歎の声を漏らす彼らの気持ちがとてもよく理解できた。
やがて、クラスタリーダーの一人が挙手した。カレルさんは掌で彼を示し、
「どうぞ」
と促す。発言を許可された人は立ち上がり、皆を代表するようにこう言った。
「――差し支えなければでいいんだが、是非とも辞退を決めた経緯を聞いておきたい」
おお、そうだそうだ――と同意する声がいくつも上がった。
質問者は周囲の声を受けて、さらに言葉を続ける。
「我々は、おたくがヘラクレス戦よりも前からベオウルフに声をかけていたと聞いたから、今回の取り纏め役を任せることにした。つまり、あんた達『NPK』が交渉の優先権を破棄するというから、取り纏めの権限を渡したんだ。勿論、公正を期すため機会を平等に分けてくれたのは嬉しいんだが……流石に辞退とまでなると……」
人が良すぎて逆に信用ならない、という言葉を彼は飲み込んだようだった。
おそらく、この質問はカレルさんにとっては予想済みだったのだろう。
僕の気のせいでなければカレルさんは、くい、と口の端をわずかに吊り上げて、薄く笑ったようだった。
「勿論、それについては説明させていただく。おそらく卿らにも当てはまるであろう理由だ。参考までに聞いて欲しい」
カレルさんは中空に手を伸ばし、自身の〝SEAL〟のARメニューを操作した。
すると、部屋の壁内に物理ICが埋め込まれていたのだろう。左右の壁際に大型ARボードが浮かび上がり、それぞれ二つの映像を同時に流し始めた。全員の視線がキョロキョロと室内を往復する。
何の映像かを理解するまで、一〇セカドほどかかった。
どちらも僕とハヌが映っていた。より詳しく言うと、僕から見て右の画面では一九七層の海竜戦、左では二〇〇層のヘラクレス戦の様子が映し出されている。
それらの映像を背景に、カレルさんは語り出した。
「我々が今回の交渉を辞退する理由は、実はそう難しい話ではない。実に単純な話だ」
そう前置きしてから、カレルさんはその理由をたった一言で言い切った。
「彼らは強すぎる」
あっけない言葉に、しかし誰も何も言わなかった。
しん、と静まり返る中、ただ僕達がゲートキーパーと戦っている映像が無音のまま流れ続ける。
自分の言葉が染み込むのを待つような間を置いてから、カレルさんは語を繋げた。
「考えてもみて欲しい。確かにベオウルフと小竜姫の力は破格だ。実際『スーパーノヴァ』が実行したように、ゲートキーパーの連続撃破――いや、それどころか、これまでとは比べ物にならないほど短期間で、ルナティック・バベルの頂点まで到達できるかもしれない。【しかし】」
強い逆接続詞が、残酷なほど冷たく響いた。
「私は卿らに問いたい。この中で、我こそはベオウルフより強い戦士だと、そう断言できる者はいるだろうか? あるいは、我こそは小竜姫よりも強い術士だと胸を張れる者は?」
自分で言ってしまうのも何だけど、酷な質問だと思った。
片や、一人ぼっちでゲートキーパーを倒したエンハンサー。
片や、術式一つでゲートキーパーを撃破した現人神。
あえて他人事として言わせてもらうと、客観的に考えた場合、この二人に勝てると胸を張って言える人間はそう多くないと思う。
いや、本当に自慢でも何でも無くて。
――というか、僕自身が、この間の僕に勝てる気がしなかったりするのだ。もう一度同じ事をやれって言われても、絶対に無理だって言い張れるほどに。
「自信のある者がいるなら、手を上げて欲しい。どうだろうか?」
カレルさんが視線を巡らせる中に、動く人はいない。
しんしんと雪が降り積もる野原のように、冷たく暗い静寂。
誰もが言葉を失い、押し黙ってしまった。
しかし、そんな中で、
「はい」
凜とした声と、すらりとした手を上げた人がいる。
僕は、やっぱり、と思いつつ、カレルさんのすぐ隣に立つ女性へと目を向けた。
しなやかで均整の取れた肢体に、マリンブルーのシャツと純白のジャケット、黒のスキニーパンツを着こなしている。トレードマークである輝くような金髪は、今日はストレートに下ろしていた。
『蒼き紅炎の騎士団』の団長である、剣嬢ヴィリー。
美しい深紅の瞳が静かに、けれど、どこか剣呑な輝きを覗かせて右隣のカレルさんを見据えていた。
全身から滲み出る怒気は、もはや隠すつもりもないらしい。
この集会が始まってからずっと静かにしていたヴィリーさんが、ここで動くのはある意味、予想通りといえば予想通りだった。
何故なら一昨日のファミレスでも、彼女はカレルさんに対して猛反発したのだから。
僕が予想していたぐらいだ。カレルさんが想定していないはずがない。
彼は隣で手を上げ、突き刺すような視線を向けてくるヴィリーさんを一瞥すると、
「すまない。うちの団長のことは気にしないで欲しい」
至極冷静に対応し、あっさりとヴィリーさんの件を打ち切ってしまった。
そして何事も無かったかのように話を続ける。
「私は思った。ベオウルフ、小竜姫――彼と彼女は強すぎる。そう、強すぎるが故に、制御が利かなくなることもあるだろう。その時、彼らの行動を掣肘することが出来るだろうか。いや、暴走するだけならまだいい。もし彼らが野望を抱き、クラスタ内で【下克上】を画策したとしたら、どうだろう?」
僕としては、そんなことはきっと考えないと思うし、実際に一昨日のカレルさんに対してそう言ったのだけど、
――ラグ君、重要なのは【君がどう思うか】ではない。【周囲がどう思うか】なんだ。
と逆にカレルさんに諭されてしまった。
「また、強すぎる力は不和をも生む。諸君らのクラスタの意思統一は充分だろうか? ご覧の通り、恥ずかしながら我々の内部でも意見が割れている。このまま交渉に入った場合、例えベオウルフと小竜姫の返事が色よいものだったとしても、クラスタ内で起こる不協和音は防ぎきれないだろう。それが結果的に、クラスタの崩壊を呼ぶかもしれない」
ここで、ちら、とカレルさんは自分の剣の主を視線でひとなでする。
「――少なくとも【私は】そう考えた。故に、今回の交渉権については、我々『蒼き紅炎の騎士団』は辞退させていただくことにした。少なくともこの二人を受け入れなければ、最悪の事態は避けられるだろう、という判断だ。以上が、辞退の理由になる」
言い終えて、カレルさんは一度マイクを下ろした。
すると、これまでの話を聞いていたクラスタリーダー達が徐々にざわめき出す。
耳に届くのは「お前のところはどうする?」「いや、言われてみれば確かにな」「乗っ取られる可能性までは考えていなかったな……」「だがあの力はすごいぞ」「トップ集団の仲間入りをするためには彼らが必要だ」「リスクは織り込み済みだろう」――などという声。
反応としては、カレルさんの話を聞いて考え直すのも、それでも僕達の獲得を諦めないのも、半々と言ったところだろうか。
ふと僕の腰のすぐ近くで、くふ、という笑い声が生まれた。
「――ちょうど良い。そういうことであれば、妾からも先に言っておくべきことがある」
何と言うことだろう。可愛らしい声が、なんだか妙に不穏当な事を言い出した。
この時、僕の胸に去来したものは、嫌な予感以外の何物でもなかった。
「えっ? ハ、ハヌ? あの、どうし――」
「カレルよ、それを寄越すのじゃ」
僕の声を無視して、ハヌはカレルさんの持つマイクを指差して要求した。
カレルさんは無言でそれに応じた。いつの間にやら手を下ろして腕を組んでいたヴィリーさんを挟んで、マイクの受け渡しが成される。
「――皆の衆、聞くが良い」
突如マイクで増幅された幼い声に、ざわめき立っていたクラスタリーダー達が一斉に動きを止め、振り返った。
彼らが『小竜姫』と呼んでいる少女は、今日も頭から外套を被っていて、その顔はほとんどが隠れている。僅かに見える口元には、実に彼女らしい不敵な笑みが刻まれていた。
すぅ、と息を吸う音に、僕はもう駄目だと諦めた。手遅れだ、もう止められない――と。
「妾達はどこのクラスタにも入らぬ!」
目に見えないガラスが一斉に叩き割られたような、ものすごい台無し発言だった。
五〇個ぐらいの顔が一様に呆気にとられるというこの光景を、僕は多分一生忘れないであろう。
ハヌの大胆発言は止まらない。
「そもそもの話、何故に妾達がここにいる者らの下につくことが決まっておるのじゃ? ふざけるでない。【下につくのはおぬしらであろうよ】。弱き者が強き者に従うのが自然の摂理、世の理じゃ。ここはおぬしらが妾達を取り合うのではなく、揃って額を擦りつけ、配下にしてくれと哀訴嘆願するところであろうが。それを何を勘違いしたか、妾達を傘下に加える算段じゃと? 分を弁えぬか、この恥知らず共!」
舌の剣は命を絶つ――とは言うけれども、ハヌの舌剣によって起こる舌禍は、彼女のみならず僕までも巻き込むわけで。
けれどそんな些事に頓着しない現人神の少女は、なおも鋭い舌鋒を繰り出し、ついにはこんな事まで言い放った。
「よいか、よく聞け! 妾とラトは今日より、『BVJ』を世界最強のクラスタにすることを今ここに宣言する! 我こそはと思う者は申し出よ! その者に資格があれば、仲間となることを認めてやろう!」
ハヌは遠慮とか謙虚さとか慎み深さとかを、お母さんのお腹の中に置いて来ちゃったのかもしれない。そうとしか思えないほど剛胆なことを言ってのけた挙げ句、そういえば、という感じで、
「あ、ちなみにじゃが、弱い者はいらぬ。また、肝心なのは【妾達と友情を育めるかどうか】じゃ。そのことをしかと心に刻んでおくがよい。のう、リーダー?」
最後の最後で、いきなり僕に振ってきた。
「……えっ!?」
ちょっと待って。今、何て言ったの?
「……リ、リーダー?」
僕はフルフルと震える指で自分の顔を指し、聞き返した。
「うむ。ラトがクラスタのリーダーじゃ。当然じゃろ?」
何を今更、という風に小首を傾げて、フードの奥から蒼と金のヘテロクロミアが僕を見上げてくる。
驚きは遅れて爆発した。
「えっ――えええええええーっ!? なにそれ!? 聞いてないよ!? 僕知らないよ!? 全然、まったく、これっぽっちも! 聞いてないよぉぉぉぉっ!?」
「そりゃそうじゃろう。いま言ったからのう」
「だからそれを『聞いてない』って言うんだよ!? というか、どうしてハヌがリーダーじゃないの!?」
僕が噛み付くように問うと、くふ、とハヌは馬鹿を見るような目で笑った。そして、どこか憐れむような声で、
「のうラト……考えてもみよ。……妾がリーダーという器に見えるか?」
「ええええええええええぇぇぇぇっ!?」
だったらどうしてさっきあんな勝手にとんでもない大胆不敵発言しちゃったんですかぁぁぁぁっ!?
僕は驚きのあまり頭が真っ白になってしまい、ただひたすら目を剥いて唖然とするしかなかった。
そこに横からカレルさんがやってきて、ハヌの手からマイクを抜き取った。
集まってくれたクラスタリーダーの皆さんに向かって、無駄な贅肉を全て削ぎ落とした端的な言葉でこう言う。
「諸君。――だそうだ」
集会はグダグダのまま、どさくさ紛れで終わった。
結局、ハヌの発言によって雰囲気が白けてしまい、潮が引くように解散と相成ったのだ。
集まっていた人達はブツブツと不平不満を漏らしながら、けれども僕達に直接何かを言うことも無く、ぞろぞろと帰っていった。
「結局誰もが、本気で君達を獲得できるとは思ってなかったということだよ」
終始冷静沈着であり続けたカレルさんは、やっぱり落ち着いた声で僕を慰めてくれた。思わず「どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」と聞いたら、彼は少し笑って、
「なに。先日、君に手を振り払われた時に比べればこんなことは何でも無いさ」
そんな風に切り返されて、たまらず恐縮してしまった。その件に関してはファミレスで会った時に謝罪していたのだけど、この様子だと、これからも同じネタでからかわれ続けることになるかもしれなかった。
カレルさんはそこで話を打ち切ると、むすっとした顔でそっぽを向いているヴィリーさん――そう、ヴィリーさんは僕が思っていたより少し子供っぽい人だったのだ――に声をかけた。
「言った通りだったでしょう、団長? ラグ君も小竜姫も、おそらく自分達のクラスタを結成するだろう、と。これで貴方も――」
「私は納得はしているけれど、諦めてはいないわよ。カレルレン」
金色に輝く髪を振って素早く振り向くと、ヴィリーさんはカレルさんの言葉を遮り、定規の角のような鋭い視線を彼の顔に突き刺した。
「確かに貴方の考えも判断も正しいと思うわ。【だから】、もう反対はしない。――【けれども】、私は彼らをナイツに迎え入れることを諦めたわけではないわ。その事を忘れないでちょうだい」
言いたいことだけ言って、ヴィリーさんは再びにべもなく顔を背けた。
これだよ、という感じでカレルさんが僕に困ったような苦笑いを見せ、肩を竦めて溜息を吐くポーズをとる。
不意にヴィリーさんの目線が僕に向けられた。すると、さっきまでの般若面が、急に満面の笑みへと変化する。にっこり、と音が聞こえてきそうなほど完璧な笑顔だった。
「ラグ君、聞いての通りよ。残念だけど、【今回は】機を見送らせてもらうわ。でも、貴方と小竜姫と共にエクスプロールしたいという気持ちに変わりは無いの。いつかきっと、貴方を騎士として迎え入れてみせるわ」
「あ、えっと……」
こういう時ってどう返事をすればいいのだろうか? カレルさんの手前「是非に!」と言う訳にもいかず。かといって、ヴィリーさんに「結構です」なんて口が裂けても言える訳も無く。
そうやって悩んでいると、ヴィリーさんは僕から視線を外し、いきなりその場に屈み込んだ。今度はハヌと話すつもりらしい。
ハヌと真っ正面から目を合わせて、ヴィリーさんは言う。
「小竜姫、私は貴女より強いわよ。それなら、額を地面に擦りつける必要はないわよね?」
「ふん。言うてくれるのう、ヴィリー」
確かこの二人は、僕が病院で眠っている間にそこそこ仲良くなったという話を聞いている。
というか、ハヌに『助けてもらったお礼なら、ラグ君にキスしてあげるのなんてどうかしら?』というとんでもない事を吹き込んでくれたのが、他ならぬヴィリーさんなのである。
あれは本当に心臓に悪かった。いや、嬉しくなかったと言えば嘘になるのだけれど……
そういった経緯があるせいだろうか。二人の会話は挑戦的な言葉ばかりなのに、何故か互いの表情には笑みが含まれていた。
ところで、二人の間で火花が散っているような気がするのは、僕の気のせいだろうか? 気のせいであって欲しいと、心の底から思うのだけれど。
「試してみる? なんならラグ君も入れて二対一でも構わないわよ」
「ほう? ならば妾達の勝利は確定じゃな。ラトがおぬしなんぞに負けるわけが無い」
「さあどうかしら? 戦いは単純なパワーだけでは決まらないわよ」
「ふん、おぬしを跪かせるなど妾一人で十分じゃ。剣嬢だか何だか知らぬが、一撃で吹き飛ばしてくれよう」
「言ってくれるわね。強がりもそこまで行けば可愛らしいものだわ。うふふふ」
「そう言うおぬしこそな。天に唾する姿は実に滑稽じゃぞ。ふははは」
とうとうお互いの額をグリグリと擦りつけ合わせ、真っ向からにらみ合いを始めてしまった。
あ、あれ? これって仲が良い……んだよね……?
仲の良い二人がじゃれ合っているのか、本気で皮肉の応酬をしているのか判断しあぐねていると、
「団長、戯れもそこまででお願いします。そろそろ行きましょう。制限時間も近いので」
カレルさんが二人を止めてくれた。どうやらこのミーティングルームのレンタル時間の区切りが近いらしい。
「それじゃ、また会いましょう、小竜姫」
「うむ。頭を下げる気になったらいつでも来るがよい」
「減らず口ね」
ふふ、とヴィリーさんは楽しそうに笑って――よかった、やっぱりじゃれ合っていただけなんだ――、深紅の瞳がいきなり僕を見た。
「え?」
思わぬ視線の強さに我知らず声が漏れた。
何と言えばいいのだろう。僕を見つめるヴィリーさんの瞳は、凜としていながら、どこか蠱惑的というか、妙に胸がドキドキする妖しい光をたたえていたのだ。
ヴィリーさんの右の繊手がすっと持ち上げられ、人差し指の先端が僕の顔に突き付けられた。
その右手が拳銃の形を作り、
「絶対に逃がさないから。覚悟しておきなさい」
ヴィリーさんはパチッとウィンクを一つ。
バン、という感じで拳銃を撃つ真似をした。
「――――」
ただのジェスチャーだったはず――なのに。
何だかよくわからない力が、確かに僕のどこかを撃ち抜いたような気がした。
颯爽と背を向けて去って行くヴィリーさんとカレルさんを見送り、どうやら僕はしばしの間、呆然としていたらしい。
我に戻った時にはとっくに手遅れで、何故かハヌがものすごく拗ねていた。
その後、ハヌを喫茶店に連れて行って甘い物で機嫌を直してもらったのが二日前。
そのままクラスタ結成について話し合い、それならばまずはゲートキーパー戦だけじゃなくて、普段のエクスプロールもちゃんと二人で出来るように訓練しようという話になって。
で、昨日は通常戦闘の為、ハヌの〝SEAL〟に〈エアリッパー〉をインストールしたり、色々と準備をしたりして。
――現在に至るわけである。
ルナティック・バベル第一階層、中央エレベーターホール。
つい先程、第五三層でど派手な破壊行為をしでかしてしまい、からがら逃げ出してきたところである。
何なのだろうか。なんだかよくわからない成り行きでクラスタを作ることになったり、そのリーダーをする羽目になったり、せっかくインストールしたハヌの汎用術式は強すぎて使い物にならなかったりで、最近は踏んだり蹴ったりだ。
おかしいなぁ、ハヌと出会って、これまでの僕と何かが変わったような気がしていたんだけどなぁ……
――とと、いけない。へこんでいるところをハヌに見咎められたら、また怒られてしまう。
「えっと、じゃあハヌ、気を取り直して次はアレやろうか。昨日買ったオーブ型の……ハヌ?」
気が付くと、ハヌは俯いたまま固まっていた。僕の声にも全く反応しない。
「ハ、ハヌ?」
外套を被っているため、どんな顔をしているのかわからない。まさか、立ったまま寝ちゃってるなんてことは……
「どうしたの? 大丈夫?」
近付いて膝を突き、回りに人がいないことを確認してから、外套のフードを摘まんでずらす。
ハヌは寝てなどいなかった。
ただ、顔がびっくりするぐらい真っ青で、今にも死んでしまいそうなほど絶え絶えの呼吸をしていただけで――えっ!?
「――ハヌ!? ど、どうしたの!?」
「…………」
ハヌは何か言おうとして唇を開いて、でも結局、何も言わないまままた閉じた。焦点の合わない金目銀目が何もない足元の床をゆらゆらと見つめていて、ちっちゃな口が「はぁ……はぁ……」と薄い吐息を繰り返す。
この症状には心当たりがあった。もし予想が当たっているなら、これはいきなり死ぬようなことではないけれど――でも、信じられない、だって、こんな急に――
「――ッ!? ハヌ!」
限界に達したのだろう。ハヌの体がぐらりと傾いで、その場に崩れ落ちた。慌てて手を伸ばして小さな身体を抱き留める。
僕の腕の中で、ハヌは糸の切れた操り人形みたいにくったりとしていた。綺麗な銀髪が、汗で顔に張り付いている。彼女は完全に意識を失っているようだった。
気を失ったその顔を見ただけで、胸が破けそうなほど痛んだ。
「……ま、待っててハヌ、今すぐ病院に連れて行ってあげるからね!」
僕は軽い体をしっかりと抱きかかえると、自分とハヌに支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉を重ね掛けし、さらに〈シリーウォーク〉も発動させた。
考えるのは後だ。
今はとにかく、ハヌを病院へ!
僕はハヌを抱いたまま疾風迅雷の勢いで塔を飛び出し、比喩でも誇張でもなく空を駆け上って病院への最短距離をぶっ飛ばした。