●7 まさかの戦力低下 1
チョコレート・マウンテンは、チョコレートによく似た鉱物の山だ。
しかしだからと言って、なんだそれだけか――と思うのは早計である。
山は山でも、ただ盛り上がっているだけの土地ではない。大自然の摩訶不思議が、それはもう山のごとく山積みなのである。
山だけに。
なんちゃって。
「マイマスター? なんだか背筋が寒くなってきたのだけど、オレの気のせいかな?」
「えっ? き、気のせいじゃないかなっ?」
ボクの内心の声を聞いていたかのようなタイミングでエイジャが話しかけてきたので、思わず声が上擦ってしまった。いや、君はAIなのだから背筋が寒くなるとかない気がするのだけど。
「のう、ラト。あれは一体どういう原理でああなっとるのじゃ?」
僕と手を繋いで山道を登っている――カラコロと音の鳴るぽっくり下駄はいかにも歩きにくそうだ――ハヌが、空いてる手で指差すのはチヨコニウムの小川や、沼である。
「ああ、あれはね」
ここチョコレート・マウンテンが『チヨコニウム』という名の、チョコレートによく似た鉱物の塊であるのは先述の通り。
ただこの鉱物には奇妙な特性があって、本当にチョコレートみたいに溶けたり固まったりを繰り返すのだ。
「この山はこう見えて火山なんだ。だから局所的に地熱の高いところがあって、あんな風に溶けたチヨコニウムが流れて小川になったり、沼や湖になったりするんだよ。そういえば、ハヌが最初に舐めようとしていた細い滝もそうだったね」
「ぬぅ……」
舐めようとしていたチョコが毒だったことを思い出して、ハヌが眉根を寄せる。甘い物はさっき食べたはずだけど、それはそれ、これはこれらしい。
「あ、でも迂闊に触っちゃ駄目だよ? ああ見えて割と高温なんだ。ハヌが指ですくったのはもう大分温度が下がっていたみたいだけど、溶けたチヨコニウムは軽い火傷じゃすまないぐらいの温度だからね。基本的には近付かない方がいいよ。さっきみたいに毒の成分が蒸気に含まれていることもあるし」
口にするのも危険だが、触れるのもよくないことを説明する。
「……つくづく生殺しを体現したかごとき山じゃのう……いや、真綿で首を絞めるがごとき、か?」
辺りに充満する溶けたチョコレートの匂いは、むせるほどに濃密だ。僕はもう鼻が慣れて気にならなくなってきたけど、甘い物が大好きなハヌにとっては、ずっとご馳走の匂いがしている状態なのだろう。お預けを食らっている子犬みたいな、実に辛そうな表情をしていた。
「……ん? しかしラト、ここが火山なのであれば石は全て溶けてしまうのではないか? なにゆえ一部だけが溶け、他の部分は硬いままなのじゃ?」
ハヌが首を傾げるのも無理はない。それはチョコレート・マウンテンのことを知ると、誰もが疑問に思うところなのだ。
しかし。
「……ごめん、それはまだわかってないんだ。山の内部で何かしらの〝流れ〟があるんじゃないか、って説はあるみたいなんだけどね。あ、それとチヨコニウムの融点が一定じゃないってのも関係あるみたい。なんだか不思議な特性を持つ合金みたいなところがあって、違う場所で採取すると同じ見た目なのに、微妙に成分が違ってたりするんだって」
基本、遺跡は未知の塊だ。ルナティック・バベルだって、その〝柔らかくて強い〟構造材の謎は解明されていない。チヨコニウムはあくまでチヨコ・カタギリ氏が発見した物質に過ぎず、かの人が作り上げたものではないので、その特性は未だ神秘に包まれているのだ。
「なるほどのぅ……聞くだに面妖な山じゃの――お、おおっ!?」
顰め面のままだったハヌが、足を進めていく内に驚きの声を上げた。
さもありなん。僕達が山道を登っていった先に、大きな間欠泉がいくつも待ち構えていたのだ。
「な、なんじゃあれは……!?」
茶色の水柱――ではなく、チヨコニウム柱が幾本も盛大に噴き上がっている光景に、ハヌが目と口をあんぐりと開けて立ち止まる。
「間欠泉、だね。普通はお湯とか水蒸気が出るものなんだけど……地中の空洞に溜まったチヨコニウム液が蒸気圧で噴き出してるんだよ。ものすごく熱いからね、気をつけて通らないと」
「おお……巨大な化生が呼吸をしておるようじゃ……!」
一つ一つは周期的に、全体で見るとランダムで噴き上がっているように思える間欠泉の群れに、ハヌがキラキラと目を輝かせる。
そうか、ハヌは現人神で、いわゆる『下界』のことをあまり知らない。知識にはあったかもしれないけれど、間欠泉――しかもこんなに多数のものを見るのは、きっと生まれて初めてなのだ。
「ちょっとハルトー、なぁに立ち止まってんのよー?」
ドドドドド……と縦棒グラフのオーディオエフェクトみたいに、噴き上がったり止まったりを繰り返す間欠泉を眺めていると、後ろからムーンと手を繋いだフリムが追い付いてきた。
振り返ると、そこには面倒臭そうな顔をしたフリムと、今のハヌと同じような表情を浮かべたムーンがいる。
「…………!」
いや、あるいはハヌよりも劇的な反応だったかもしれない。ムーンは目も口も丸くして、派手に噴き上がる間欠泉の群れを青い瞳で見つめ、声もなくフルフルと感動に打ち震えていた。
ムーンの小さな体の震えが、手から伝わってきたのだろう。フリムは得心がいったように声を上げた。
「あー、なるほどそういうことね。これは確かに絶景……いや、うーん……もう少し色合いが鮮やかだったら、そう言えたかもしれないわね……?」
片手で眉のあたりに庇を作って間欠泉群を見やったフリムは、いまいちどころか【いまさん】ぐらいの評価を下した。
確かに青い空と茶色の間欠泉というのは、あまり美しい色合いとは言えない。そもそもチヨコニウムの茶色は、見ようによっては汚泥に見えなくもないのだ。
「――この辺りは地熱が高いようですね。そういえば、チョコレート・マウンテンは場所によっては極稀に噴火する時もあるとか。可能性は低いと思いますが、気をつけていきましょう」
四人で何とも微妙な風景を眺めていると、最後尾のロゼさんまで追い付いてきた。とはいえ、これはこれで好都合である。
「じゃあ、ここからは僕が支援術式でガードするから、みんな離れないようについてきてね」
しっかりタイミングを見計らえば、間欠泉のまったく出てない瞬間に走り抜けることも出来るだろうが、ちょっと面倒臭い。ハヌはぽっくり下駄だし、ムーンも足が短いのでちょっと不安が残る。
なので、僕は防盾の術式〈スキュータム〉を複数同時発動させた。六角形の術式シールドを立体的に展開させて、僕達五人を包み込むドームを形成する。
薄紫の角張ったドームが出来上がると同時に、僕は足を前に進める。この〈スキュータム〉のドームは、頭上から降り掛かる間欠泉の飛沫から身を守るためのものだ。下方に展開すると上手く歩けなくなるので、そちらはがら空きである。
とはいえ、間欠泉の真上でも通らない限りは問題あるまい。
「ふむ、これは快適じゃな。確かにフリムの言う通りじゃ、色彩鮮やかであれば、こうして通るのもまた乙なものであったろうにな」
定期的に噴き上がる間欠泉の隙間を縫うようにして歩いていると、ハヌが周囲を見回しながら感想を述べる。
「でしょー? つかここって茶色くて甘そうなだけで、それ以外は何の変哲もない山だと思ってけど、こんな面倒なところもあんのね。もし今のタイミングでイエティやマウンテンロードとか出てきたら、ガチで面倒臭いってレベルじゃないわよねー」
あははは、とフリムが冗談めかして、洒落にならないことを言って笑う。
「おや、なんだ、気付いていたのかい? ミリバーティフリム」
唐突に、これまでずっと黙りこくったままだったエイジャが、急に僕の背中から現れた。
「――へ?」
虚を突かれたフリムが間抜けな声で聞き返す。
刹那、閃光のように嫌な予感が走り抜ける。
「え、ちょ……!?」
僕も思わず声が出た。
今のエイジャのセリフが何を意味しているかなど、もはや言わずもがなだ。
瓢箪から駒とはまさにこのこと。
「――きます!」
最後尾で背後を警戒していたロゼさんが、彼女にしては珍しく緊迫感に満ちた声音で警告を発した。
――いやもうフリムが変なフラグ立てるから……!?
と八つ当たり的な思考が脳裏をよぎった、次の瞬間だった。
そこらにある間欠泉の中から、勢いよくイエティやマウンテンロードの群れが飛び出してきたのは。
いつもお読みいただき、まことにありがとうございます。
コミックス新刊のお知らせです。
6月1日に「リワールド・フロンティア@COMIC」の3巻が発売となります。
小説版の第一章、ヘラクレスとの決戦および決着、ハヌとの仲直りエンドまで収録されております。
荒木先生のものすごい漫画力で原作以上に面白い作品になっておりますので、是非ともお手にとっていただければ幸いです。
TOブックス様のオンラインストアで購入された場合は、特典として水着ハヌのイラストカードがつきます。
サンプルを下に張りますので、どうかご検討下さい。
また、小説の書籍版は残念ながら打ち切りとなってしまいましたが、コミカライズは売れ行きによってはまだまだ続くとのことです。
皆様、どうか2度目の打ち切りが回避できるよう、お力を貸していただければ、これに勝る喜びはありません。
とはいえ、お金のかかること。無理は申しません。
御助力いただける方が、御助力できる範囲で……応援していただければ、と。
以降、もしリワフロが1年ほど更新されなかった時は「ああ、駄目だったんだな……」と察してやってください。
洒落抜きで、打ち切りは作者の心を深くえぐりますので……
繰り返しになりますが、発売日は2021年の6月1日です。
何卒、よろしくお願いいたします。
国広仙戯