●2 純白の子供
突如、薄茶色の光球が虚空に現れたかと思うと、瞬時に形状を変えて魔物へと転身する。
『GGGGGGGRRRRRRRR!』『GGGGGGYYYYYYYYAAAAAAAA!』『SSSSSSYYYYYYAAAAAAA!』『BBBBBBRRRRRRROOOOOOO!』
当然ながらビバークポイントへの道のりは平坦ではなかった。二重の意味で。
僕達四人――と一体?――の前に出現したのは、チョコレート色の毛皮を持った熊〝チョコベアー〟と、同じくチョコレート色の甲殻を纏う巨大カブトムシ〝チョコビートル〟、そしてやはりチョコ色の鱗に包まれた大蛇〝チョコスネーク〟に、最後は大きなチョコゼリーしか見えない〝チョコスライム〟。
これら四種の群れが一気に出現し、僕達はいきなり百を超えるSBに取り囲まれてしまった。
「私が熊と虫を担当します。皆さんはその他をお願いします」
途中から斥候役を兼ねて先頭を歩いていたロゼさんが、いきなり突撃した。とんでもない瞬発力で茶褐色の地を蹴り、矢のようにSBの群れへと飛び込んで行く。
「――破っ!」
裂帛の気合いを一声。二色四本の銀鎖が音高く跳ね、拳と脚が唸りを上げる。
使役術式使いにして格闘士という、かなり珍しい戦闘スタイルを持つロゼさんは、しかし対多の戦いにおいては無類の強さを誇る。なにせ両手両足がそれぞれ凶悪な武器であるというのに、さらに四本からの鎖を自由自在に操り、その気になれば手元にあるコンポーネントを再生させてSBを使役させることすら可能なのだ。
一人二役どころか、その気になれば三役も四役も可能という、破格の実力の持ち主である。
『GGGGGGGRRRRRRRRRRRR――!?』
『GGGGGGGGYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAA――!?』
チョコベアーとチョコビートルがそれぞれ十体ずつ、計二十体のSBはしかし、たった一人のロゼさんに面白いくらい圧倒された。
蒼銀と紅銀の鎖がそれぞれ個別に奔って絡みつき、チョコベアーやチョコビートルを拘束したかと思えば、それらの巨体をあっさりと持ち上げて振り回す。そうして空いた隙間に素早く身を滑り込ませると、ロゼさんはその四肢を用いて猛然と暴れ回る。
ロゼさんの手足はもうそれだけで凶器だ。その拳はたやすく岩を砕き、その蹴りは大木をもへし折る。チョコベアーの全長は二メルトルを超え、チョコビートルも猛牛のような巨躯を誇るが、まるで相手にならない。全てロゼさんの一撃のもと活動停止へと叩き落とされていく。
『GGGGGGGGGGGRRRRRRR――!?』『GGGGGGGGGGGYYYYYYYYYYYYAAAAAAAAA――!?』『GGGGGGGGGGGRRRRRRR――!?』『GGGGGGGGGGGYYYYYYYYYYYYAAAAAAAAA――!?』
まるで人間台風だ。僕と違って武術を磨きに磨いたロゼさんの動きは、基本的にコンパクトで鋭い。だというのに〝グレイプニル〟や〝ドローミ〟といった鎖のDIFA(ダイナミック・イメージ・フィードバック・アームズ)を存分に振るい、それこそダイナミックに暴れ回るものだから、彼女の周囲はもはや暴風域に等しかった。たとえ味方だろうと下手に近付けば巻き込まれ、ミキサーのような破壊力に揉みくちゃにされて木っ端微塵にされる運命が待っているだろう。
――でも、それにしたって激しすぎのような……?
ロゼさんの鎖捌きや体術の恐ろしさは、エイジャのゲームで実際に対戦した僕には嫌というほどわかっている。この身を以て味わったからこそわかるのだけど、今のロゼさんの動きは、どう見てもあの時より更に速く鋭い。というか、絶好調だ。しかし、なにもこんなところで本気を出さなくてもいいのに――などと考えていると、
「んー……スライムの方はなんか面倒っぽいからパスね! よろしくハルトっ!」
「へっ?」
ロゼさんの戦いに半ば見とれている内に、フリムが敵を値踏みして勝手に動き出した。チョコスライムを任せると言い置いて、チョコスネークの群れへとかっ飛んでいく。
全く以て一体いつの間に開発していたのやら、背中に担いだ飛行武装〝ホルスゲイザー〟の機動力を活かして流星のように飛翔すると、さらに両脚の戦闘ブーツ〝スカイレイダー〟で大気を蹴って僕以上に無軌道なマニューバを行う。
『SSSSSSSSSYYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAA――!!』
なにせ僕から見ても無茶苦茶な軌道だ。襲いかかられるチョコスネーク達にとっては、更にとんでもない脅威に見えたことだろう。甲高い電子音を響かせ、総勢十五体の大蛇が鞭のごとくその身をしならせた。
「いっっっっくわよぉ――――――――ッッッ!!!」
飛燕のごとく、それでいて海面を跳ねるトビウオよろしく宙を馳せたフリムが白銀の長杖――〝ドゥルガサティー〟を大きく振り上げる。
「サティ、トリプル・マキシマム・チャージッ!」
『マママキシマム・チャージ』
励起したフリムの〝SEAL〟から無数のピュアパープルの星屑が煌めき、ドゥルガサティーへと吸収されていく。
『ナギナタブレード』
長杖の先端から純紫の光が噴き上がり、僕が扱う黒帝鋼玄の長巻モードによく似た、薙刀の刃を形作る。前から思っていたけど、正直あのサイズは薙刀というよりはむしろ『斬馬刀』ではなかろうか。まぁ、フリムに言っても聞く耳持たないだろうけど。
「どぉぉりゃぁああああああああああっっっ!!!」
ロゼさんが台風だとするのなら、こっちは竜巻である。流石にロゼさんほどの広い暴風域はないものの、ある意味では狭い範囲に破壊力が凝縮されているので、余計に質が悪い。
自らが開発した光臓機構を搭載した武装に、自己の特殊体質である『永久回炉』が生み出す無尽のフォトン・ブラッドをこれでもかと注ぎ込み、出力全開で猛威を振るわせる――自身の消耗を微塵も気にしないその猛攻は、まさに猖獗を極め、怒濤のごとく突き進んだ後にはぺんぺん草も生えない。
実際に今、そうなっているように。
『SSSSSSYYYYYYAAAAAAA――!?』『SSSSSSSSSYYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAA――!?』『SSSSYYYYAAAA――!?』
ロゼさんのコンパクトにして鋭い打撃とは正反対に、フリムの攻撃は技も何もなく、大雑把もいいところだ。しかし、そのひたすら豪快なだけのスイングによって、チョコスネークの巨身が次々にマグロのごとく解体されていくではないか。
「うわぁ……」
普段から自信満々に〝天才武具作製士〟を自称するフリム。そんな彼女が開発した武装の怖さもまた、直に対戦したことがあるので骨身に沁みている。なので、フリムの標的となったSB達が、僕にはいっそ可哀想にすら思えてきた。
「……ラト」
「え? あ、ああ、うんっ」
アンニュイな声でハヌが僕を呼び、慌てて気を引き締める。ロゼさんがチョコベアーとチョコビートル、フリムがチョコスネークを引き受けたので、僕とハヌは残るチョコスライムを相手にしなければならないのだ。
「……はぁ……よきにはからえ……」
気怠げな溜息。それにしたってハヌのテンションの低さがすごい。出現したSBが全てチョコ系だというのに――否、だからこそ、か――死んだ魚のような目をしている。これは戦力としては期待しない方がいいだろう。
『BBBBBBRRRRRRROOOOOOO!』『BBBBBRRRRROOOOOOOOOOO!』『BBBBBRRRRROOOOOOOOO!』
たっぷん、たっぷん、と水を入れたボールみたいに跳ねてくるのは、名前の通りチョコ色のスライム。大きなチョコゼリーみたいな見た目と、その可愛らしい動き方に、けれど油断してはならない。こう見えて結構厄介な相手なのだ。
他のチョコ系のSBもそうだが、ここチョコレート・マウンテンにおいて、茶褐色というのはこれ以上ない迷彩となる。さらにチョコスライムは半透明だ。チョコ色の熊、虫、蛇などと比べて余計に視認しがたい。
「――よしっ」
が、しかし。そんなことはチョコレート・マウンテンに足を踏み入れる探検者にとっては常識もいいところ。知らずに足を踏み入れるは、命知らずに他ならない。
つまり、対策アイテムがちゃんと存在するのだ。
「じゃあ、こいつの出番だ……!」
僕はストレージからそいつを具現化する。
深紫――あれ? なんだか普段より少し暗いような……気のせいかな?――の光が手元で収束して〝SEAL〟から取り出したるは、一本のペットボトル。
「やっ!」
僕は素早くネジ式キャップを回して外すと、たっぷん、たっぷん、と水風船のごとく飛び跳ねて近付いてくるチョコスライムの群れめがけて、勢いよく中身をぶちまけた。
陽光を受けてキラキラと輝く黄緑の蛍光塗料が、雨のように茶褐色のスライムらに降り注ぐ。
見えにくい相手にどう対処するのか?
答えは簡単だ。
チョコ色の迷彩に対抗して、わかりやすく目立つ色を付けてやればいいのである。
「――はぁあああっ!」
中身を使い切ったペットボトルを勢いそのまま放り捨て、僕は両手に黒玄〈フロッティ〉と白虎〈リディル〉を具現化。術力を注ぎ込み、深紫の光刃を形成する。
フリムがリビルドしてくれた〈フロッティ〉と〈リディル〉は、当の本人との激闘の果てに故障していたはずだけど、しかしそれはあくまでエイジャのゲーム――つまり〝シミュレーション〟内での話。実はあのゲームにおいて、僕達は実物と比べてまったく遜色のない〝仮想体〟を使用していたらしく、現実の肉体には何の影響も及ぼしてなかったのだ。
無論のこと、それは肉体だけでなく所有物にも適用されるわけで。
「――ふっ!」
よって、僕はこうして自分専用にチューニングされた双剣を存分に振るうことができる。
蛍光塗料の目印で捉えやすくなったチョコスライムの群れへ、地を蹴って飛び込み、剣光一閃。二振りの光刃が二つの弧を描き、二体のチョコスライムを両断する。
『BBBRRRROOOO――!?』『BBBRRROOO――!?』
再生能力の高いスライムは、しかし切り離された箇所を元通りにすることも出来ず、そのまま活動停止シーケンスへと突入した。甲高い悲鳴を上げて、薄茶色の光の粒子へと変換されていく。
知っての通り、不定形のスライムは物理攻撃にめっぽう強い。生半可な攻撃では粘性の高い液状の体にダメージを与えることが出来ず。すぐに再生されてしまうのだ。先程フリムが『スライムの方はなんか面倒っぽいからパス』と言ったのは、おそらくそれが理由だろう。
しかしながら、そんなスライム系にも弱点がある。
術式攻撃だ。
一番有名かつ有効なのが火炎攻撃。たとえば〈フレイムジャベリン〉や僕の愛用する〈フレイボム〉。焼いたり、強い力で一気に吹き飛ばすなど、そういった攻撃にスライム系はとても弱い。
けれど、理由は不明ながらも、そもそもからしてスライム系には術力耐性が非常に低いという特性がある。
フリムの発明した光臓機構によって形成される光刃は、その名の通りフォトン・ブラッドに内包される術力を刃に変換したものだ。
これは以前にフリムから説明してもらったことだけど、どうやら光刃の【素材としての力】が、スライム系に与えた傷に対して〝火傷〟にも似た効果を発揮するらしい。
つまり、スライムにとって光刃で斬られるというのは、熱く熱した金属の刃で斬られるようなものであり、斬られた端から傷口が熱で焼かれて塞がれてしまうため、再生機能が発揮できなくなってしまうという。
「――よっ、はっ!」
着地と同時に再び跳躍し、僕は続けざま双剣を振るってチョコスライムを切り刻んでいく。ぶっかけた蛍光塗料のおかげで、たぷたぷの体に生じる波紋の動きまで見て取れそうだ。斑模様を描く黄緑の蛍光塗料が、うねる粘液に合わせて伸びたり縮んだりの変形を繰り返す。
『BBBBRRRROOOO!』『BBBBRRROOOOOOO――!』
チョコスライムの総数は二十体程度。その大きさはちょっとした大型犬か、それより少し大きいぐらい。水の量で言えば六十リットルから八十リットルと言ったところだろうか。
疾風のように動き、迅雷のごとく剣閃を奔らせる。瞬く間に八体のチョコスライムを両断して活動停止させた僕に、残る群れの数体が反撃に出た。
『『『BBBBBBBRRRRRRRRRROOOOOOOOOOO――!!』』』
甲高い咆哮を重ねて、三体のチョコスライムがその身を大きく膨張させた。三方からの同時攻撃。ゲル状の体を風船のように膨らませ、複数同時に体内へ呑み込み、僕の動きを制圧するつもりだ。
「――――ッ!」
奴らの意図を察した瞬間、主観的に世界がスローモーションになった。集中力の極大化――いわゆる『ゾーン』に入ったのだと自覚する。
三方からの同時攻撃とは、単純な戦闘アルゴリズムしか持たない下級SBにしてはなかなかの手だ。だけど、遅過ぎる。今の僕にとってはナメクジが襲いかかってくるようなものだ。
――そこだ。
全てが遅く動くので、奇妙なほど冷静に思考し、僕は包囲の穴を見つけることができた。一体だけタイミングのずれている奴がいる。そいつだけ動き出しがほんの僅かに早かったのだ。他の二体はそいつに追随しているだけに過ぎない。なら、最初のそいつを叩くだけで活路が開く。
――体が軽い。
次の行動を決めた瞬間、当たり前のように四肢が動くので驚いた。おかしいな、今の僕は〝アブソリュート・スクエア〟を発動させている時と同じぐらいの集中力を発揮しているのに。支援術式の強化もない状態で、こんなにもスムーズに体が動くだなんて。
決して速度が上がっているわけではない。筋力も、防御力も。
けれど、意識の伝達速度とでも言うのだろうか。神経の反応速度が異様に速く、正確になっている気がする。高速回転する思考から生まれる稲妻のようなコマンドを、肉体がこれ以上ないほどエレガントに処理している――そんな感じだった。
普通の速度で、けれど必要最低限、最小の動きで僕は体勢を変え、包囲の隙を突く。
「〈ズィースラッシュ〉」
息をするみたいに右手で剣術式を発動させた。体は右斜め前に向かって前傾姿勢。術式のサポートを受けた右腕が魔法みたいに動いて『Z』の斬撃を放った。
『BBBBBBRRRRRRRRROOOOOOOO――!?』
ほとんど予備動作なしで発動した〈ズィースラッシュ〉は、そのチョコスライムにとっては青天の霹靂だったに違いない。深紫の剣閃が膨張したチョコ色のスライムを八つ裂きならぬ四つ裂きにする。
最後に突きを放つはずの〈ズィースラッシュ〉を途中でキャンセル。代わりに左手の〈リディル〉に新たな剣術式を発動。
「〈ドリルブレイク〉」
四つに切断されたチョコスライムに突き込む螺旋衝角は、そいつにとっては死者に鞭打つ行為でしかなかっただろう。しかし、僕にとっては背中から噴き出すフォトン・ブラッドによって加速を得るという目的がある。
ガツン、と背中を蹴っ飛ばされたように加速。目の前のチョコスライムの残骸をぶち抜きながら、残る二方から押し寄せてきていた奴らの粘液を回避した。
数メルトルほど移動したところで〈ドリルブレイク〉もキャンセル。地面にコンバットブーツの靴底を叩き付けて、振り返り様に、
「――〈ヴァイパーアサルト〉」
両手の双剣に刀身が伸び上がる剣術式を発動。深紫の光刃に更なるディープパープルの光輝が上乗せされ、刀身が生きた蛇のごとくうねりながら伸長した。
「――っ!」
急速に伸び上がっていく双剣を平行に並べ、そのままバッドでホームランを打つような勢いでフルスイングする。腰のひねりをたっぷりと加えて。
斬。
長い二条の剣光が閃き、膨張した状態で僕の姿を見失ったチョコスライム二体をまとめて両断した。
『BBBBRRRRROOOOO――!?』『BBBBBBBRRRRRRR――!?』
遠い間合いから長く伸びた光刃によって切り裂かれたチョコスライムらは、理不尽に抗議するかのように断末魔の咆哮を上げる。無論、かかずらう必要などまったくない。
――よし、次っ!
つい先刻まで死にかけるほど弱っていたのに、エイジャに治癒してもらった今となっては、驚くほど思考が冴えて、肉体が柔軟に動く。というか、現時点で【僕はまだ支援術式を使っていないというのに】、チョコレート・マウンテンの中腹あたりのSB相手に互角どころか楽勝の勢いで戦えていた。
不思議で仕方なかったが、気分としては決して悪くない。むしろ思い通りに動いてくれる手足に喜びさえ感じるほどだ。
「――づぁあああああああっ!」
刀身が伸びた〈フロッティ〉と〈リディル〉をそのまま振り回し、鞭のようにしならせながら僕は更なる獲物を狙い定める。
必要最小限、コンパクトにして鋭く、円と回転と螺旋を意識し、流れるように連なるように、けれど骨の芯にはしっかり力を込めて、僕は戦闘を続けた。
後に、これまでロゼさんやアシュリーさん、ヴィリーさん達から教え込まれた技術が僕の中で一体化して、一つの完成形にまで昇華したのだと気付く。この時はまだわからなかったが、それ故の意識の冴え、体のキレだったのだ。
しかし今ばかりは、無自覚ながらも成長した自身の力に半ば酔いしれ、僕は踊るようにしてチョコスライムの群れを撃滅していくのだった。
■
突発的な戦闘は、ほんの二分程度で終了した。
「はー、すっきり。ちょーっと以上にフラストレーション溜まってたのよねー、【誰かさん】のせいで。おかげでストレス解消できたわー」
思うさまチョコスネークを切り刻み、丸太のようにして活動停止させまくったフリムが、伸びをしながら気持ちよさげな息を吐く。途中の『誰かさん』には殊更に力を込め、僕の顔を見ながらの言葉だった。言わずもがな、彼女の舌鋒が向く先は僕ではなく、僕の中にいるエイジャである。
「しっかし、遺跡のSBってこんなにたくさん出てくるもんだったかしら? 珍しくない?」
そこら中に浮かんでいる薄茶色の光球を見回しながら、フリムは小首を傾げた。
余談だが、ルナティック・バベルにおいてSBが残す情報具現化コンポーネントは青白いものだったが、ここチョコレート・マウンテンでは見ての通り薄茶色をしているのが基本だ。理由や原因は不明だが、遺跡ごとにコンポーネントの色はそれぞれ違うのである。例えば、ドラゴン・フォレストのコンポーネント薄緑色をしているとか。もちろん、遺跡の数はそこそこあるので、色が被っているところもあるそうだけど。
「確かに、一度に百体以上がポップするのは珍しいですね。ここまで来るとトレイン並です。場所がひらけているからでしょうか」
そのトレインレベルのSBの大半を難なく蹴散らしたロゼさんが、周囲の風景を見ながらフリムの疑問に同意した。
確かにチョコレート・マウンテンは、軌道エレベーターであるルナティック・バベルや、地下大空洞であるキアティック・キャバンと違い、空の見える『屋外』だ。
また、背の高い木々が天然のバリケードとなるドラゴン・フォレストとも違って、障害物となるものがほとんどない。
「ま、確かに見渡す限りチョコレートの荒野って感じだし、出てきやすいっちゃ出てきやすいんでしょうけど」
ふよふよと近付いては〝SEAL〟に吸収されていくコンポーネントを見ながら、フリムは呆れの吐息を一つ。
しかし。
「でも……そんな話、特に聞いた記憶はないんだけど……?」
僕は二人の意見に異を唱えた。
自分で言うのもなんだが、僕は遺跡についてよく調べている方だと思う。情報はエクスプローラーにおける命綱、というのが僕の祖父であり師匠であったトラディドアレス――ヴィリーさんが〝強手〟と興奮気味に呼んでいた人物の教えだったのだ。故に僕は必要以上に遺跡について調べ上げ、その知識を頭に叩き込んでいる。
「今みたいに百体近くのSBがポップするのが当たり前、みたいな特徴はチョコレート・マウンテンにはなかったと思う……それはどっちかと言うと、ヴァルハラ・プレインの特徴じゃないかな?」
僕は記憶の引き出しをひっくり返しながら、宙に視線を泳がせる。〝ヴァルハラ・プレイン〟というのは遺跡の一つで、とにかくだだっ広い平原だ。このチョコレート・マウンテンよりも遙かに開かれた土地であるが故、一度に出没するSBが当然のように百を超えるらしい。数多ある遺跡の中でも、パーティーではなくクラスタで臨むことが強く推奨されている、非常に珍しい場所だ。というか、ソロやコンビだと入場が禁止されるのだとか。
「……そういえば、先日ニュースで何かチョコレート・マウンテンに関する話があったように思います」
ふとロゼさんが何かを思い出したらしく、唇に指を当てながら呟いた。
「ニュース、ですか? あ、僕も何か見かけたような……」
反射的にオウム返しにすると、僕の記憶領域にも何かしら引っかかるものがあった。言われてみれば最近、ニュースサイトの片隅でチョコレート・マウンテンの文字列を見かけたような気がするのだ。
「確か、『チョコレート・マウンテン異常事態』といった見出しがありましたね。残念ながら、記事の中身までは見ていないのですが」
「……ああ!」
続くロゼさんの言葉に、僕の記憶の扉が一気に開いた。思わず両手を叩き合わせてしまう。
ほんの数日前のニュースだ。当時はルナティック・バベルの『開かずの階層』に挑む共同エクスプロールの準備に一生懸命だったのと、チョコレート・マウンテンという自分に関係ない――とその時は思っていた――場所のことだったので、つい流し読みしてしまったのだけど……
「確か……イエティとマウンテンロードが、持ち場を離れて徘徊している……? みたいな記事だった気が……」
そのあたりの文言は覚えていたので、声に出して言ってみる。
それから、一拍遅れて事態の重大さに気が付いた。
「――えっっっ!? あれっ!? 嘘っ!?」
自分で自分に言い返してしまう。おぼろげな記憶から出てきた文章が、あまりにも荒唐無稽すぎて。
「――? ねぇ、ハルト。その〝イエティ〟とか〝マウンテンロード〟って何よ?」
僕とは違って遺跡のことなどこれっぽっちも調べていないであろうフリムが問う。彼女はそんなことを調べる時間があるのなら、武具作製士としての技量を上げるために使う人種なのだ。
「ルナティック・バベルで例えるなら、イエティはルームガーディアン、マウンテンロードはゲートキーパーのようなものですね。そのあたりの名称は遺跡によって千差万別ですから」
「ふーん……そんなの統一しときゃいいのに。面倒くさいったらないじゃない」
エクスプロールの常識に通じているロゼさんが答えると、フリムは言葉通り面倒くさそうに愚痴をこぼした。
遅れて、
「……えっっっ? なにそれっ!? マジで言ってんのっ!?」
このあたりは一緒に育った幼馴染みということだろうか。フリムも僕と似たような反応を示した。
「ちょっ――待って!? つまり……何よ、それって……ルームガーディアンとゲートキーパー級のやつが、そこらを勝手に歩き回ってるってわけ!? どういうことなのよそれ!?」
「ぼ、僕に言われても……!」
何故か僕に向かって詰め寄ってきたフリムに、僕は両手を掲げて防御の姿勢をとる。
そう、これが本当なら正真正銘の異常事態だ。
知っての通りルームガーディアンやゲートキーパーは通常、決まった場所にしか出現しない。それぞれ、アーティファクトが納められた場所であったり、遺跡のセキュリティシステムを守護するために存在するからだ。
そもそもからして、SBは探検者が近付かなければ、情報具現化コンポーネントから変化することもない。侵入者を察知してから、この現実世界へ具現化するのが原則なのだ。
だというのに。
「自律的に具現化し、活動する……SBの原則から大きく逸脱していますね。しかも持ち場を離れてしまっては、セキュリティシステムとしては崩壊していると言っても過言ではありません」
そう、ロゼさんの言う通りである。ガーディアンとキーパーの名称が示すように、あれらは守護者であり番人なのだ。それが持ち場を離れるなど、明らかな【職務放棄】に他ならない。
「ちょっとちょっと、どういうことなのよ? アンタ何も聞いてないわけ?」
「いや僕が聞いてるわけない――」
「違うわよ、アンタじゃなくて、アンタの中の奴に言ってんの!」
またぞろ理不尽な文句をつけられた――かと思ったら、どうやらフリムはエイジャに詰問していたらしい。
「――なんだ、オレに言っていたのかい? ミリバーティフリム。そうならそうと、オレの名を呼べばいいものを」
戦闘に際して僕の内部へと戻っていたエイジャが、再び背中からひょっこり姿を現した。どうでもいいけど、どうせ立体映像なのだから変な登場の仕方はしないで欲しい。どうせその気になれば、目の前に忽然と現れることだって出来るに違いないのだから、エイジャなら。
「さて、その質問にはこう答えよう。わからない――とね」
ふふ、と笑って肩を竦めたエイジャは、茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せた。いや、ここはもう少し申し訳なさそうに告げるところではなかろうか。悪びれなくフワフワと宙に浮く虚像のエイジャは、
「何故かというと、ここはルナティック・バベルではないからね。言ったろう? オレの力を十全に発揮できるのは、あの軌道エレベータ内だけに限られる。基本的にね。他の場所には当然のことながら、他の管理者がいるんだ。他所の管轄までは知ったことじゃないのさ」
さも当然のことのように嘯く。本人にとっても不本意だったとはいえ、その『他所の管轄』に僕らを連れて来たのは彼自身だというのに。
はぁ、と僕は重い吐息を一つ。
「……エイジャ、君の事情もわかるけど、もう少し建設的な話はできないかな? 予想でも推測でもいいから、少しでも情報を――」
呆れ気味に注意しようとした途端だった。
「ああ君がそう言うのならいくらでも建設的な話をしようじゃないかマイマスター!」
「わ、わわっ!?」
いきなりこっちに顔を向けて大声を出すものだから、思わず飛び跳ねて距離を取ってしまった。さっきまでの戦闘の緊張が、まだ体に残っていたのだ。
フリムと話している時とは全然違う、喜色満面を僕に向けたエイジャは、今度は精力的にペラペラと喋り始めた。
「先程も言った通りオレの仕様上、他の遺跡について詳しいことはわからない。だが、類推することなら可能だ。精度はともかくね。それでオレが見るに、確かに定位置に配されたオブジェクトが勝手に動くというのは大問題だ。それが本当ならね。オレの管轄であるルナティック・バベルにおいても、君達がルームガーディアンやゲートキーパーと呼んでいるオブジェクトが勝手に館内を動き回るようなら、せっかくの設計が台無しになってしまう。オレもアレらも、人類が軌道エレベーターの機能を復活させないようにと、阻止防衛機構として制作されたのだからね。君達に利するようなことをするのなら、それは本末転倒と言わざるを得ない。だがしかし」
何だか【しれっと】とんでもないことを言っているような気がするエイジャは、けれど上機嫌に語っているようなので、僕達は敢えて相槌は入れずに傾聴する。
「逆に考えてみよう。例え意図したものでないとしても、結果として【困らない】となれば、どうだろうか?」
ぴっ、と人差し指を立てるエイジャ。僕達は自然、その指先へと視線を吸い寄せられる。
「そう、おそらくだけれど、このチョコレート・マウンテンの管理AIは【困っていない】。意図してのことか、そうでないかはわからないが、対処されていないということは、畢竟そういうことに他ならない。あくまで推測だけれどね。先程の大量のSBがポップした件についても同様さ。見たところ【バグっている】ようだが、デバッグされた様子がない。発端が数日前で、今なお状況が続いているのであれば、それはここの管理者にとっては【都合がいい】ってことなのだろうさ。――以上、一AIとしての考察終了さ。どうだい、少しは建設的だっただろう?」
エイジャは、ひょい、と肩を竦めて僕にウィンクを送る。どうだい褒めてくれよ、という声ならぬ声が聞こえてくるようだけど、僕は努めて無視することにした。
「つまりは、イエティとマウンテンロードが歩き回っている理由はわからず、その状況が時間経過によって解決していないということは、自然に収束する可能性は低いということですね」
能面のような無表情のロゼさんが、エイジャの話を手っ取り早く要約してくれた。先刻の『わからない』よりはマシな情報量ではあるけれど、何の解決にもなっていないのは同じである。
「エクスプロールにおいて大切なのは〝臨機応変〟であることです。ここからはイエティやマウンテンロードが出没する可能性を頭に入れて移動しましょう」
流石は僕達の中で一番エクスプロールの経験を積んでいるロゼさんである。わかりやすく簡潔に方針を定めてくれた。これは本来なら、クラスタリーダーである僕がしないといけないことなのだけど。
「……どうでもよい……」
その時、はぁぁぁぁ……と深い溜息と共に、陰気に満ちた声がやけに透って響いた。
「ハ、ハヌ……」
これまで会話どころか戦闘にも参加していなかったハヌが、やっぱり生気のない目でぼんやりとあらぬ方向を見つめていた。未だにチョコレート・マウンテンが本物のチョコレートでなかったショックを引き摺っているらしい。
「……ほれ、もう行くのであろう……? 疾く行こうぞ……」
はぁぁぁぁ……とまた三百キロルぐらいありそうな重い溜息を吐きながら、足を動かし始める。カラン……コロン……と、ぽっくり下駄の鳴らす音まで陰気に犯されているようだ。
「あ、あの、ハヌ……?」
「……んー……なんじゃ……ラト……」
心の底から億劫そうな返事。やる気が全くない、というか、ハヌのやる気が完全に死んでいる。虫の息とかのレベルではなく、とっくに終了しているようだった。
「……えっと……ビバークポイントに着いたら、おやつでも食べよっか……?」
流石に見かねての提案だったのだけど、効果は抜群だった。予想の遙か上をいくレベルで。
「……………………まことかっ!?」
僕の言葉を頭で理解するまでの長い沈黙の果て、凄い勢いでハヌのやる気が復活した。しぼんでいたヒマワリが時の流れを逆転させて一気に咲き誇ったかのようだ。蒼と金の瞳――いや、それどころか顔全体から光が生まれ、輝きだしたかのようでもあった。
カラコロカラコロと忙しない足音を立ててハヌが僕のところへ寄ってくる。小さな拳を、ぎゅっ、と胸の前で握り込み、息せき切って。
「――ラト、ラトっ! それはあれか!? 例の果実の缶詰か!? それとも他に何ぞあるのか!? ――ああいや思い出したぞ! 妾は思い出したぞ! そういえばおぬし、妾をたばかって蜜柑やパイナポとやらの缶詰を隠し持っておったことがあったの! あの時のことを妾はまだ許しておらぬぞ!」
いきなり元気になりすぎである。しかも以前にあったことを掘り返して僕を責めにかかるものだから、思わず防御姿勢を取ってしまう。
「え、ええっ!? あ、あれについては後ですぐにパイナップルの缶詰食べたんだから、ノーカンじゃないかなっ……!?」
「いいやならぬっ! ならぬぞラト! おぬし五つも隠し持っておったのじゃ! だというのに、あの時は一つしか食べておらぬではないか! それも蜜柑とパイナポの二択を迫りよって! さぁ、潔く全てを妾に献上するのじゃ!」
ムキー! とハヌが両手を上げて抗議する。言っていることが結構な勢いで理不尽だ。流石にこの要求を呑むわけにはいかない。僕は両腕で『×』を作って、
「だ、ダメだよ、ダメったらダメ! 前にも言ったけど、アレはあくまで非常食なんだから! 全部は絶対にダメ! ビバークポイントについたら一個だけ! 一個だけなら食べていいから!」
断固として譲らない僕に、ハヌが唇をつーんと突き出した。
「ぐぬぬぬ……ラトにしてはなかなか頑固じゃのう……!」
悔しげな顔をするハヌに、僕は胸の前で両腕を交差させたまま、深く頷く。
「そうですー、街にいる普段ならともかくエクスプロール中は流石の僕も厳しくなるんですー。なにせ今実際に非常事態だしねっ」
そう、遺跡から遺跡へと転移したのだ。食料だって温存しなければ――
「――って、あれ? そういえば、ゲーム中の僕達って仮想体だったんだよね? ということは、あの時食べたものって……?」
はたと気付いてエイジャに質問を振る。すると、エイジャは笑顔で頷きを一つ返し、
「当然ながら、それも仮想の食べ物だったということだね。ストレージを確認してごらんよ、マイマスター。数は減っていないはずさ」
「――おおっ!!」
エイジャの返答に大きな声を上げたのは、もちろん僕ではなくハヌである。
「ということは――ということはじゃぞ!? またあの桃の缶詰を食べられるということじゃな!? じゃな!?」
「ああ、そういうことになるね、小竜姫。もちろん、ご主人様が許してくれれば――だろうけれど」
くす、と笑ってエイジャが僕に振る。すると、ハヌの色違いの視線が勢いよく僕に突き刺さった。
「ラト、ラト……!」
わくわく、という効果音がどこからともなく聞こえてきそうなハヌの声音。拳を握って熱心に僕を見つめている。期待に満ちた瞳で。
「…………」
しまった、藪蛇だったか――と気付いても後の祭りである。こんなことなら、後でこっそりエイジャに確認しておけばよかった。ついつい口を衝いて出てしまったのが悔やまれる。
「……まぁ、本当ならなくなっていたはずの缶詰だしね……いいよ、ビバークポイントについたら一緒に食べよっか?」
「おお……おおおおおおお……!」
感激のあまりか、ハヌの語彙力がすっかり退化してしまった。さっきまでゾンビみたいな顔をしていたのに、すっかり表情を輝かせて感動の呻きを漏らしている。
視界の片隅で、フリムが苦笑しながら肩を竦め、ロゼさんが『然もありなん』と頷くのが見えた。
「ぃよし、そうと決まれば急ぐのじゃ! 皆のもの、疾く行くぞ!!」
急にキビキビした動作で、ビシッ、と進行方向を指差し、先導して歩き出すハヌ。さっきと同じ構図なのに、雰囲気が正反対だ。カランコロンカランコロン――とぽっくり下駄の足音も軽やかに、茶褐色の山道をズンズン進んでいく。
「小竜姫、ご注意を。強力なSBがいつどこから出てくるかわかりません」
「構うものか! 邪魔な化生など出てきた端から妾の術で消し飛ばしてくれる! ほれ、おぬしらも着いて来い! 早う安全地帯とやらへ行くのじゃ!」
ロゼさんの忠告にも何のその。ハヌは豪語して歩む足を緩めようとしない。こと甘いものが絡むと、ハヌは無敵になるのである。
ともあれ、ハヌが元気いっぱいになったことはいいことだ。さっきまでの死んだ魚のように濁った目をしているよりも断然いい。
「――何をしておるのじゃラト! おぬしが来なければ始まらぬではないか!」
「あ、あははは……」
でも、これはちょっと元気になりすぎなのでは? と思わないでもない僕なのであった。
■
噂をすれば影がさす。
順調にビバークポイントに到着できれば一番だったのだけど、現実はなかなか甘くはない。
「……何故じゃ。何故、こうして隠れなければならぬ?」
切り立った岩山の陰に身を潜めていると、ハヌが不満の塊のような声で言った。
「あったり前でしょー、アタシが言うのもなんだけど、余計な戦闘はしないに超したことはないわよ。第一、あんなデカブツ相手にドンパチやってたら、絶対に他の奴だって集まってくるじゃない。泥沼に嵌まるだけよ、どーろーぬーまー」
不平を垂れるハヌを、珍しくフリムが正論でたしなめる。うん、本当に珍しい。いつもならハヌと一緒に無茶をするのが常なのに。フリムなりに、現状の緊急具合を理解しているということなのだろう。
「ところでマイマスター? ちょっとした疑問なのだけれど、どうして君達は空を飛ばないんだい? 飛行する手段ならあるのだろう?」
さっきから外に出っぱなしのエイジャが、こんな時に変なことを聞いてくる。
「オレが言うのも何だけれども、転移ができないなら空を飛べばいいんじゃないか?」
ズシン……ズシン……と重苦しい足音を大地の揺れとして感じている僕に、パンがなければお菓子を食べればいいじゃないか的なノリで言うエイジャ。
「あの、エイジャ……今はそれどころじゃ――」
「ルナティック・バベルと同じです。チョコレート・マウンテンでは、飛行するものに対して遺跡の防衛機構が働くという話を聞いたことがあります。つまり、徒歩で移動するのが一番の安全策なのです」
口を閉じてもらおうとしたところ、ロゼさんがエイジャの問いに簡潔に答えてくれた。
「ああ、なるほど。【反則】になってしまうというわけだね」
それなら納得だ、とエイジャは空中で頷く。
そう、どういった仕組みかはわからないが、遺跡にはそれぞれ特有の仕組みというか、ルールがある。
その一つが『行動制限』だ。
例えば、ロゼさんが言ったようにルナティック・バベルは飛行機などで高層に近付くと、防衛機構が稼働して撃墜されてしまう。かつて、大幅なショートカットを目的として飛行機やエアバイクといった乗り物を使い、攻略中の階層より上層へ行こうとしたエクスプローラーがいた。しかし、そのことごとくが防衛機構によって撃ち落され、全滅したという。
ルナティック・バベルではそのような『行動制限』が作用するのは、セキュリティシステムが解除されていない階層から上となる。つまり僕らがゲートキーパーを倒して解除するシステムには、上層のロックだけではなく、外部の防衛機構をも含まれているのだ。
それ故、僕達エクスプローラーは地道にゲートキーパーを倒し、セキュリティシステムを解除しながら、軌道エレベーターを昇っていくしか高層へ行く手段がないのである。
「マウンテンロードが活動停止されたエリアであれば飛行は可能らしいのですが、少なくともこのエリアにおいては、見ての通りです」
「なるほど、確かにあのオブジェクトがここに存在するのなら、空は安全とは言えないね」
ロゼさんの追加の解説に、エイジャが顎に手を当て、うんうん、と納得の頷きを返す。
むしろ何故、君がそんなことも知らないのか――と僕は思わざるを得ない。遺跡の管理AI同士は、それほどまでに交流というか、共通点がないものなのだろうか。
「ま、アタシ達、【不本意ながら】この遺跡に来るのは初めてだものねぇ? 現在地がどこかもよくわかってないんだから、念には念を入れて行動するってのは基本中の基本よ。武器防具の制作でも、初めて作るタイプの時には慎重に慎重を重ねなさい、ってアタシの師匠も言ってたし」
フリムからエイジャへのあてこすりが、これまた強い。そして、やっぱりエイジャはどこ吹く風だ。微笑を浮かべただけで軽く受け流す。
「……面倒じゃの、まったく……」
一秒でも早くビバークポイントでフルーツの缶詰を食べたいハヌは、唇を尖らせて渋面を作った。
さて、今更のようだが僕達がこうして岩山の陰に隠れているのは、すぐそこを例の〝マウンテンロード〟が闊歩しているからである。
それがどんな奴かと言えば――
一言で言えば『ゴリラ』である。
全長は四メルトル以上あるだろうか。ゲートキーパーと同じく、全身これ機械の巨体。ご丁寧にも漆黒の装甲には毛皮っぽい、デコボコした装飾がついているようだ。
『GGGGGGGGRRRRRRRR……!』
甲高いくせに不穏な響きにしか感じられない、電子音の唸り。その音はゴリラの口元に似せた部分から漏れ出ている。
つまりところ『ゴリラ型ロボット』とでも呼ぶべき存在だが、かつてヴィリーさん達が戦ったルナティック・バベル第一九六層のゲートキーパー〝ボックスコング〟とは、似て非なる形状をしている。ボックスコングは体格と比してなお巨大な両拳が特徴だったが、こちらはどちらかと言えば、下半身がえらいことになっていた。
腰から下がやたらと大きい。腕に比べて脚がめちゃくちゃ太いのだ。足首から先も、体格から考えると異常なサイズになっている。その分、ボックスコングと比べたら安定度は抜群なのだろうけれど。
おそらくだけど、設計思想がボックスコングと正反対なのだ。ボックスコングは巨大な拳で殴り潰すのがコンセプトだったが、このマウンテンロードはゴツい下半身でもって【踏み潰す】のがそれなのだと思う。
便宜上、名前をつけるとしたら――〝スカッシュコング〟となるだろうか。
「――本当に、勝手に出歩いてるんだね……」
偵察用に飛ばしておいた〈イーグルアイ〉の視覚情報――これはルーターで接続した全員と共有している――を眺めながら、僕は戦慄を覚える。
これだけの巨体かつ、ロボット型のSBなのだ。奴がルナティック・バベルで言うところのゲートキーパー級――即ち、チョコレート・マウンテンのマウンテンロードであることは、疑う余地もなかった。
僕らが身を潜めている岩山の向こうは開けた平地になっていて、ちょうど階段で言うところの踊り場みたいな場所になっている。大きめの公園が一つか二つ作れそうなそこを、何故か定位置にしか現れないはずのマウンテンロードが一体、重苦しい足音を立ててうろついていた。
「一体、何をしているのでしょうか。目的もなく、ただ同じ所を歩き回っているように見えますが」
僕と同じように、共有した視覚情報を眺めるロゼさんが独り言のように囁く。
まったく彼女の言う通りで、さっきからずっと様子を窺っているのだけど、スカッシュコングは広い平地を意味もなくグルグルと時計回りに周回しているだけで、それ以外のことをほとんどしないのだ。
僕達の目指すビバークポイントは、この平地の向こう側にある道の奥にある。先述の通り空中を飛んで行くのは、遺跡の防衛機構が稼働する危険があるので――どこからともなく急に狙撃されるなど恐ろしい話だ――歩行で進むしかないのだけれど、そうするにはマウンテンロードがあまりに邪魔すぎる。
「このままどっかに行ってくれたらいいんだけど……ま、そうもいかないわよねぇ……?」
フリムがぼやくように、僕も最初はそうなることを期待していた。ああやってどう見ても無目的にうろついているのだから、時間が経てばどこか別の場所へ行ってくれるのではないか――と。
だけど、祈り虚しくそうはならなかった。僕達が見つけてからスカッシュコングは平地を既に三周ほど巡っている。他へ行く様子は微塵もない。チョコレート・マウンテンにいくつもある頂上の一つを守る役目を捨て、今度はこのあたりを周回するルーチンを刻まれたかのようだ。
ここで奴と戦って勝てない――というわけではもちろんない。が、出来ることなら無駄な消耗を避けたい、というのが本音だった。だからこそハヌが不満に思うだろうことを知りつつ、こうして身を隠していたわけだけど――
「――もう仕方ない。ここは短期決戦で一気に突破して、ビバークポイントに向かおう。僕とロゼさんが前衛、ハヌとフリムは後衛。ハヌの術式はひとまず無しでお願い。強い術力で他のイエティやマウンテンロードを呼び寄せたら大変だからね。ロゼさんは足止めをお願いします。僕が支援術式を重ね掛けして、一気に活動停止させます」
腹を括った僕は、表情を改めてみんなに指示を出した。これでもクラスタのリーダーなのだ。たまにはそれらしいことだってしなければ。
「……ふむ。ラトにしては剛毅果断な面構えじゃのう。あいわかった、おぬしの言う通りにしようではないか」
「了解しました」
「ま、そーなるわよねぇー」
ちょっとは反対意見が出るかも――と思っていたけれど、三人とも普通に頷いてくれて、想像以上にすんなりと話が通ってしまった。
「え……? あ、あれ? えっと……?」
というか、あまりの手応えのなさに僕の方が戸惑ってしまった。肩透かしもいいところである。
「――? どうした、ラト? まだ何かあるのか?」
「い、いや、あの……い、いいの? 今の作戦で……?」
軽く焦った僕の問い掛けに、当たり前だけどハヌは小首を傾げた。
「? 何をわけのわからぬことを言うておる。おぬしが考えた作戦であろう? ……何じゃラト、おぬし、よく考えもせず策を出したということか?」
「う、ううん、そういうわけじゃないけど……」
思いがけない返しに、僕は首を横に振る。すると、くふ、とハヌが笑った。
「ならば自信を持たぬか。おぬしの指示は理に適っておる。故に妾だけでなく、ロゼもフリムも即諾したのじゃ」
「ええ、現状を打破するためにはラグさんの仰った作戦が一番だと、私も考えます。他のルートを探すのも手間です。ここは私達らしく、正面突破といきましょう」
既に臨戦態勢に入っているロゼさんが、ハヌの言葉に同意する。僕の出した作戦は的外れではない、と。
「ま、さっきも言った通り泥沼に嵌まるのは勘弁だけど、ここにずっといるってのもそれはそれでジリ貧でしょ? なら、とっととぶち抜いて次に行くしかないじゃない。大丈夫よ、ここで小竜姫に暴れさせないってアンタの方針、お姉ちゃん大賛成なんだから」
手に持ったドゥルガサティー、両脚のスカイレイダー、背中のホルスゲイザーを戦闘モードへ移行させながら、フリムが屈託なく笑う。
「みんな……」
なんてことない話なのだけど、僕は深く感動してしまった。なんというか、こういう〝やりとり〟って、途轍もなく【仲間】って感じではなかろうか。僕達四人がクラスタになってまだ全然日は浅いけれど、それでも確かに一歩ずつ前に進んでいるのだと――そう思えるのが、たまらなく嬉しかったのである。
『愛されているね、ご主人様。ああ、もちろん、オレも君のことを愛しているよ。安心しておくれ、マイマスター……』
戦闘の気配を察して既に僕の中へと舞い戻った――実際には立体映像として姿を現しているだけで、最初から外に出ているわけではないのだろうけど――エイジャが、他のみんなには聞こえない声で囁く。
「……待って、その変に無駄な吐息が混じったような言い方はやめて欲しいんだけど……」
耳元で囁くような声が頭の中に直接響く、というのはなかなかに気持ち悪いというか、変な気分になってしまう。
『おやおや。なんだい、オレは愛の告白すら許されない、哀しきAIというわけかな?』
そうだった。エイジャは『ああ言えばこう言う』タイプだったのだ。残念ながら、何を言ってもめげずに返してくる相手に構っている暇は、今はない。
「……そういう軽口は後で」
僕が溜息交じりに告げると、
『了解さ。ああ、最後にこれだけ。――君の肉体の損傷はこちらで防ぐからね。遠慮なく全力を出してくれたまえ』
その言葉を句切りに、エイジャは本当に沈黙した。
誰かが自分の中にいる――というのは何とも言い難い感覚で、正直あまり落ち着かないのだけれど。それでも〝アブソリュート・スクエア〟の反動をなんとかしてもらえるというのは、非常に助かる。何をどう計算してもプラスになるぐらいには、ありがたいことだった。
――そうじゃないと、今度こそ死んじゃうだろうからね……
だから、エイジャが体内に居座るのは我慢する他ない。少なくとも、当面は。僕はそのように考えて、自分を納得させる。そうやって自身の違和感に折り合いをつけなけいと、やってられないのだ。
「――じゃあ、まずはロゼさんから」
先行をお願いします、と言おうとした時だった。
「待て、ラト」
いきなりハヌから鋭い制止が入った。
「えっ?」
「――【アレ】は何じゃ……?」
緊迫した声に、一気に場の空気が引き締まった。
「小竜姫、アレとは?」
ロゼさんが短く問う。
「見えぬか? 向こうにおる……あの白いやつじゃ。ほれ、あっちからやってくるぞ」
ハヌが岩山の陰から、平地の向かい側にある山道を指差した。僕達はその指に従って陰から頭を出す――ような愚は犯さず、揃って〈イーグルアイ〉の送ってくる視覚情報へと意識を傾けた。
「え、ちょっ……何? 何なの? ……え、誰?」
確かにいる。ハヌの言う通り、あちらの山道から何かが――否、フリムが『誰』と言ったように〝何者か〟が、平地に向かって歩いてきているのだ。
「……子供……?」
我知らず、僕の唇から呟きが漏れた。
スカッシュコングのうろつく平地の向こう――つまり、僕達の目的地であるビバークポイントへと繋がる山道に現れた白い人影は、やけに小さいように見えた。しかし、茶褐色だらけのチョコレート・マウンテンにおいては、これが驚くほど目立つ。逆説的な言い方になるが、純白のシャツについた油染みのように。
突然の闖入者に、僕達は出鼻を挫かれた形となった。思わずそのまま、人影の出方を見守ってしまう。
人影がゆっくりとこちらへ近付いてきて、徐々に姿形がはっきりとしてくる。
「――子供、ですね。それも小竜姫と同じ年頃の」
ロゼさんが僕の言葉を肯定するように、顎を引くようにして頷いた。そう、見間違いではなかった。白い人影は、当初に抱いたイメージ通りの【子供】だった。
髪の色は白、いや、銀? ハヌとよく似た髪質で、ざっくりと刈った感じのベリーショート。驚くほどの白皙で、着ている服も純白。けれど両眼は蒼で、そこだけ神様が色を塗って放置したかのような、未完成の塗り絵みたいな印象がある。
「…………」
不意にハヌから不満そうな、ムスッとした雰囲気が伝わってきた。けれど確かにロゼさんの言う通り、白い子供の年頃はハヌと同じぐらいに見えた。おそらくは八歳か九歳ほど。10代にはなっていないだろう、という程度の幼さを感じる。
――というか、ハヌに似てる気が……?
僕の第一印象がそれだった。ハヌに似ているというか、ハヌの姉妹か、あるいは親戚か――何かしらの共通した雰囲気が漂っているのだ。
両足にはハヌと同じぽっくり下駄――というわけではもちろんなく、ごく普通の白いシューズ。身にまとった白の上下もあわせると、どこかの病院から抜け出してきた入院患者のような出で立ちである。
「――――」
その姿のあまりのとっかかりのなさに、僕達は身動きが取れなかった。
あの白い子供は何者なのか? どうしてこんなところに? それも一人で? どうしてビバークポイントから? ここに来るまでSBは出なかったのか?
様々な疑問が、炭酸水の泡のごとく湧き上がっては消えていく。
ここはチョコレート・マウンテン。過酷な遺跡なのだ。そんな場所に小さな子供がたった一人でいるなんて――あまりにも怪しいではないか。
『――GGGGGGGRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAA!!』
スカッシュコングが白い子供に気付いた。グルン、と巨体を回転させ、チョコケーキに載せたホワイトチョコのデコレーションみたいな人影に、その強面を向ける。
「あっ――!」
明らかな照準行動に思わず声が出た。ほとんど無意識に体が動いて、僕は子供を助けに
「待てラト。動くでない」
行こうとした出足を、まるでこうなることを予見していたかのようなタイミングでハヌが止めた。あまりにも見事なタイミングだったので、僕はまんまと動きを停止させてしまう。
「――えっ……!? な、なんで……!?」
後一瞬でもハヌの声が遅かったら振り切って飛び出していたところを、本当にギリギリのタイミングで止められてしまったので、思わず体がつんのめってしまった。
なのに、ハヌは僕には一瞥もくれず、
「いいから見ておれ。あやつなら大丈夫じゃ」
「えっ? えっ? ええっ? え、あの、ハ、ハヌ、ちょっと意味が――!?」
ごく当たり前のように落ち着いた声で言うものだから、僕の混乱はさらに深くなってしまう。なんでハヌが待てというのかがわからない。どう考えても危ないのに。どう見たって子供が虐殺されるところなのに。
「い、いやいやちょっとちょっと、ハルトじゃないけどアレはヤバイんじゃないの!? ほら――ほらっ!? どーすんのよっ!?」
流石にこの状況では、フリムでも平静ではいられないらしい。僕と同様、少し声を荒げて事の次第を質す。
「よい。心配いらぬ」
けれど暖簾に腕押しとはこのことで、ハヌはそう言うばかりで、ちゃんとした答えを返してくれなかった。
「小竜姫……?」
「よいと言っておろう。妾を信じよ」
念を押すようなロゼさんの声にすら、ハヌはいっそ不満げに応じた。まるで未来を見通しているかのような口振りで。
そうこうしている内に事態は勢いよく進行した。
『GGGGGGGRRRRRRRAAAAAAAAAAWWWWWWW――!!』
白い子供――男の子なのか女の子すら判然としない――めがけてスカッシュコングが飛び出す。強靱な下半身を存分に活用した跳躍と加速。
「――~ッ……!?」
誰がどう見ても、子供とマウンテンロードの体格差は歴然。象と蟻は言い過ぎかもしれないが、それでも象と子犬ほどの差がある。
――踏み潰される……!?
グングンと彼我の距離が縮まっていく中、そんな残酷な未来が僕の脳裏に思い浮かんだ。スカッシュコングの太すぎる両脚に比べて、子供の小ささ儚さと言ったら、もはや風前の灯火である。
一瞬後には子供が機械の怪物に蹂躙される――そう思っていた。
しかし。
「 テンケン 」
吼え猛る怪物を前に怯えるどころか、たじろぐ様子すら見せなかった子供の口から、奇妙な【言霊】が発せられた。
「「「――!」」」
予想外のこと過ぎて僕は勢いよく息を呑んだ。それはフリムも、ロゼさんですら同じだった。ただ一人、ハヌだけが何の反応も示さなかったけれど。
『GGGGGGGRRRRRRRAAAAAAA!!』
数瞬で間合いを詰めたスカッシュコングが高く右脚を振り上げ、叩き落とす。
巨大な金属の足が子供を踏み潰す、その直前。
轟、と風が吹いた。
爆発的に生じた烈風は、スカッシュコングの足の裏に向けた子供の掌から生じたようだった。
『GGGGRRRR――!?』
凄まじい勢いで発生した風は、爆発となってスカッシュコングの大足を受け止め、それどころか弾き返した。真っ逆さまに落ちようとしていた金属の足が、バットで叩き返されたように跳ね上がる。
「――――」
それほどの爆風だったというのに、白い子供の方には何の影響もない。一切の反動もなく、一方的に強烈に吹きつける風――まるでハヌの〈天剣槍牙〉のような……
「 マジョウ 」
再び、子供の口から言霊が放たれた。抑揚の薄い、台本を棒読みしているかのような口調で。
焼、と火炎が生じた。やはり、子供の掌から。
赤黒い炎は未だ残っていた烈風の残滓に巻き込まれて瞬く間に燃え広がり、バレリーナのように片足を持ち上げたスカッシュコングの全身を包み込んだ。
『BBBBBBBBRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAWWWWWWW――!?』
凄まじい火勢だった。一瞬にして火だるまになったスカッシュコングがけたたましい悲鳴を上げ、身をよじる。不安定な体勢で無茶な動きをしたものだから、マウンテンロードは重心を崩して無様に転倒した。ズゥン、と重低音が震動と共に響き渡る。
すると、白尽くめの子供はその場にしゃがみ込み、風と火を生み出した掌を茶褐色の地面に触れさせた。
「 メイシン 」
三度の言霊。
刹那、スカッシュコングの倒れ込んだ地面が、ぼこり、と盛り上がった。
途端、地中で爆発が起こったかのごとき勢いで、巨大な岩槍が真上に突き上がる。
『BBBBBBBBRRRRRRRRRRAAAAAAAAAA――!?』
スカッシュコングからしてみれば、背中から地面に倒れ込んだところ、いきなり地中に棲む大地の魔神から蹴り飛ばされたようなものだったろう。
地中から垂直に飛び出した岩槍の大きさはスカッシュコング以上。真下から巨大パイルバンカーの一撃を喰らったスカッシュコングの巨体が、玩具の人形のように宙を舞う。
「――――」
僕は唖然とするしかない。目の前で何が起こっているのか、さっぱり理解できない。驚愕のあまり指一本動かせず、ただ事の推移を見守ることしか出来なかった。
全身を猛火に包まれた怪物が、十数メルトルもの高さから地面に落下する。
轟音。激震。
大きく重い体躯が逆に仇となった。重力と自重が生み出した破壊力に、メキメキと音を立ててスカッシュコングの全身が歪む。
『GGG R RR RRR AA AA……!?』
驚くことに、早くもスカッシュコングは死に体となっていた。電子音に不穏なぶつ切れが発生し、炎に焼かれ続けている関節のアクチュエーターから、ガリガリと引っ掻き削れるような音が漏れ出る。
「…………」
夏の終わりの蝉のごとく蠢くスカッシュコングの姿を、純白の子供は興味なさそうに見つめている。その無表情、無感情っぷりはどこかロゼさんを彷彿とさせた。
「……え、マジ? ちょっと、あの子ってば何者なのよ……? っていうか、もうこれで終わり……?」
揃って固唾を呑む中、最初に言葉を取り戻したのはフリムだった。その軽い調子のおかげで、僕達を取り巻いていた空気がやや弛緩する。
ふぅ、と僕は息を吐き、いつの間にか握り込んでいた掌を開く。そこには自分で軽く引いてしまう程、じっとりと汗が滲んでいた。
「――小竜姫、あの人物はもしや……」
「ふん」
ロゼさんの推察に、けれどハヌは強く鼻を鳴らすだけで答えようとはしなかった。得も言えない憤懣が小さな体から放たれていて、それ以上の言及を拒否しているように見えた。
『GGGGRRRR RRRAAAA AAAAAA――!!』
そうこうしている内に、金属の擦れ合う音を響かせながらスカッシュコングが起き上がった。不思議なことに金属製のロボットであるはずの巨躯は、未だ全身を劫火に覆われて、凶暴な熱に炙られ続けている。あの火炎はまっとうなそれではない。燃料もなしに燃え続ける、呪いに等しいものだ。
油の切れた機械が無理矢理に動くと、こんな音を出すだろう――ガリガリ、ギチギチと各部を壊しながら、しかしスカッシュコングは立ち上がり、赤黒い炎のフィルターを透過するほどの眼光を放った。敵意に満ちた深紅の輝きをアイレンズから放射し、再び白い子供を照準する。
『――GGGGGGGGGGGGRRRRRRRRRRRRRROOOOOOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAWWWWWWWWW!!!』
耳を劈く大絶叫。大気が帯電したかと思うほどビリビリと震えた。
蝋燭は燃え尽きる直前に一際激しく燃え上がるという。火事場の馬鹿力という言葉もある。スカッシュコングの雄叫びは、まさにそれらを連想させた。
雷鳴がごとき大音声を轟かせ、巨体が跳躍する。高い。岩槍に突き上げられた時ほどではないが、マウンテンロードは自身の全長よりも高い位置まで飛び上がった。
『GGGGGGRRRRRRRRAAAAAAAAAAA!!!』
白い子供めがけて流星のごとく落下する。今度はただの踏み潰しではない。怪物の全体重を注ぎ込んだ、本気のスタンピング。子供の立つ平地ごと破壊せんばかりの、究極の一撃。
「 カイショウ 」
自らに降り掛かる危険に対し、やはり純白の子供は感情の揺らぎなど一切見せずに対応した。またしても小さな口から言霊を放ち、掌をスカッシュコングへと向ける。
逆巻く瀑布が生まれた。
まさしく、地から天へと昇る大滝だった。葉っぱのように小ぶりな掌から、間欠泉のような勢いで、しかし膨大な量の水が噴き出したのだ。
同じ流体でも、水は風よりも密度が高い。豪風によってすら吹き飛ばされたスカッシュコングの体は、氾濫した河に押し流されるように――
『GGGGGGGGGGGGRRRRRRRRRRRRRROOOOOOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAWWWWWWWWW――!!!』
退けられたりなどしなかった。
突如、スカッシュコングの腰を支点として、下半身が猛烈な回転を始めたのだ。瞬時に最高速まで達した回転は、押し寄せる怒濤がごとき水流を掻き分け、弾き飛ばす。まるでドリルのように。
「――っ!?」
見覚えがあり過ぎた。あれは、ルナティック・バベルのボックスコングと同じ『奥の手』だ。ヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団』が危うく壊滅寸前にまで追い詰められた光景は、僕の記憶に深く刻み込まれている。
拳を主とするボックスコングが上半身を回転させたのだから、下半身を主とするスカッシュコングが下半身を回すのは、ある意味では当然の帰結だった。
ともあれ、スカッシュコングは『奥の手』を出した。それにより子供が言霊によって生じさせた激流の中を、穴を穿つようにして突き進む。
このままではいずれ、あの巨大過ぎる足が子供を踏み潰す――
「――!」
今度こそ僕は動いた。ハヌの制止も今度ばかりはなかった。
その場から素早く、後ろへ大きく飛び退く。これから行うことの余波を、ハヌはロゼさん、フリムに及ぼさないために。
次いで支援術式〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉を十個ずつ、三連続で同時発動する。〝SEAL〟が励起して、全身の皮膚に深紫の幾何学模様が駆け抜ける。
いきなりの〝アブソリュート・スクエア〟。けれども不安はない。何となくだけど実感がある。僕の体内のエイジャが、のし掛かる『反動』に対する防波堤になってくれていることを。
支援術式〈シリーウォーク〉を発動させながら、背中の長巻を抜き放つ。長い柄を両手でしっかと握り、跳躍。大気を蹴ってさらに跳躍。
極限まで高まる集中力。かつてないほどスムーズに僕の意識は『ゾーン』へと没入する。
次の瞬間、僕は雷光と化した。
狙うはもちろん、子供を踏み潰し、踏みにじり、蹂躙せんとするマウンテンロード。
奴は『奥の手』を出したが故に、どこから見ても隙だらけだった。
そう、あの時のボックスコングと同じだ。致命的な隙を晒したが故に、奴はヴィリーさんの〈フェニックスレイブ〉によってズタボロにされ、最後には〈ディヴァインエンド〉によって止めを刺された。
回転する攻撃は進行方向に対してはめっぽうな強さを発揮するが、反面、横からの攻撃には非常に弱い。
だから、そこを狙った。
「〈ドリル――」
空中で体勢を整え、黒帝鋼玄の切っ先をスカッシュコングの側面に向ける。〝SEAL〟の出力スロットに一気に十五個の剣術式をセット。
即座に発動させた。
「――ブレイク〉ッッッ!!!」
一瞬だった。
深紫の閃光と化した僕の一撃。
矢よりも銃弾よりも稲妻よりも速く奔った回転衝角が、過たずスカッシュコングの腰の支点をぶち抜いた。
激音。
スカッシュコングの巨体が、枯れ木のようにへし折れる。
『GGGGGRRRRR――!?』
ゴリラ型ロボットの上半身と下半身とが泣き別れになった。上半身はへし折られた反動で猛烈に回転しながらあらぬ方向へと飛んでいき、動力を失った下半身は子供の生み出した逆巻く瀑布に呑み込まれた。
『――――――――!?』
二つに分かたれたマウンテンロードの機体は、そのどちらもが地面に落ちる前に活動停止シーケンスに入り、そのまま地面に触れることなく消滅したのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
本作『リワールド・フロンティア』のIFストーリー
『支援術式が得意なんですが、やっぱり仲間には入れてもらえないでしょうか!?-支援職ぼっち、世界最強への道-』
ただいま公開中です。
現在、18万文字ほどで一応の完結をしております。
「ラトがもしフロートライズでハヌと出会わず、ドラゴン・フォレストでアシュリーと出会っていたら?」という、違う世界線のお話です。
本編を楽しんで頂けている方には、かなり面白いと思いますので、是非とも読んでいただければと思います。
下の方にリンクがありますので、なにとぞよろしくお願いします。




