●34 混戦・〝剣嬢〟の最終兵器
一気に上昇する。
加速して、加速して、更に加速する。
速度が速すぎてもはや大気が壁のようだ。
スミレ色のワイヤーフレームで形成された鳳が嘴を天に向け、矢のように上昇していく。
僕とハヌはその背中に掴まり、押し寄せる大気の激流に抗いながらも蒼穹を目指す。
「――ダメだよハヌ! 全然振りほどけない!」
「これでもか!? まったく図体がデカいくせに随分と身の軽いことよのう!」
後方を見張っている僕が報告すると、〝酉の式〟の操縦に集中しているハヌは苛立たしげに吐き捨てた。
振りほどけないと言った対象は、もちろんヴィリーさんの〝蒼炎の騎士〟である。
不死鳥から鎧を纏った人型に変形したヴィリーさんの蒼炎〈ブレイジングフォース〉は、変化前よりもむしろ機動力が上がってさえいるようだった。
蒼い猛火で形作られた巨躯の至る所から、なんとジェット噴射よろしく炎を吐き出し、推進力へと変えているのだ。僕の脳裏に、ハウエルと戦った時の記憶が鮮明に蘇ったのは言うまでもない。
だけど、あの時とはスケールが違いすぎる。戦場が地下空間ではなく屋外で本当によかった。あのサイズの相手が超加速で突っ込んで来たら、流石に逃げきれなかっただろう。
「どうしたのかしら、ラグ君、小竜姫? 逃げてばかりいたら戦いにならないわよ? それとも鬼ごっこのつもり? 残念だけど、そんなことでは私の炎は消えない――わよっ!」
重力を振り払いながら急上昇を続ける中、後方――正確には下方だけど、僕達の主観的には後ろなのだ――のヴィリーさんが節をつけて言葉を吐き出し、〝蒼炎の騎士〟が剣を握っていない左腕を突き出す。こちらを鷲掴みにせんと広げられる巨大な掌、燃え盛る柱のごとき五指。その先端から巨大な火球が五つ同時に発射された。
「――ハヌッ!」
咄嗟のこと過ぎて名前を呼ぶことしか出来なかったけど、たったそれだけで僕の親友は全てを了解してくれた。
「舌を噛むでないぞっ!」
スミレ色の鳳が大きく左へ旋回。鋭いバレルロールを打つ。空を穿つドリルのようにめまぐるしく回転しながらヴィリーさんの放った大火球を回避した。
だけどこれだけで終わるはずもない。ヴィリーさんの〝蒼炎の騎士〟は立て続けに火球を連発する。僕達を軽く呑み込んでしまうほどの、まさに巨岩がごとき火炎の塊が乱射される。まるで下から上へと昇る【逆】流星雨。遠くから見ればいっそ綺麗に見えるのかもしれないが、直撃を受けたらそれまで。一体どれほどのダメージを受けるかわからない僕達は必死に躱すしかない。
標的を見失った爆炎の塊が高空の空気に冷やされ、ほどけ、拡散して無になっていくの横目に見ながら、僕はあられもなく周章狼狽してしまう。
「――どうしよう! どうしようハヌ!? 僕の〈ドリルブレイク〉は簡単に止められちゃったし、ハヌの術式も効かなくなったみたいだし、それにあんなに大きな炎を操るなんて……!?」
想定外にも程があった。
ヴィリーさんがその身に〝蒼炎の騎士〟を纏った直後のことだ。長大な炎の剣による振り下ろしを、僕達は咄嗟の機転で回避した。まず強化係数五百十二倍の僕が瞬発力を活かして飛び出し、ハヌの体をすくい上げるようにしてかっ攫い、立体機動を駆使して猛火の刃から逃げ出した。同時にハヌはハヌで乗っていた〝酉の式〟をわざと炎剣の振り下ろしへとぶつけさせ、僕が〝蒼炎の騎士〟の刃圏から抜け出すための時間を稼いでくれた。
回避はギリギリ間に合った。なにせ巨木かと思うような太さの刀身だったのである。言っては何だが、並のエクスプローラーだったら避けきれずに一撃で決められていたに違いない。
無事に初撃を躱した後、ハヌは僕に抱きかかえられたまま再び詠唱に入った。体勢を気にせず紡がれた言霊は、お馴染みの〈天剣槍牙〉。今度は僕という邪魔な障害物がいないから『風の砲弾』を遠慮なくぶっ放せると踏んだのだろう。
『 〈天剣槍牙〉 』
いつになく高速の詠唱によって紡ぎあげられた極大術式は、過たず〝蒼炎の騎士〟の腹部へと命中した。だがしかし、風の牙が穿ったのは、ほんの小さな隙間だけ。先刻の〈天剣破刃〉ではゴッソリと削れた炎が、今度はほとんど吹き飛ばせなかったのだ。
ヴィリーさんの宣言通り、炎の強さは幾段も強化されていた。
それは、さながら湖に岩を投げ込んだかのような光景だった。〈天剣槍牙〉の巨大な固体空気の塊が激突した衝撃で、ヴィリーさんの蒼炎は大きく撓む。湖水が押し広げられるように騎士の鎧はすり鉢状に穿たれ、ついにはほんの少しだけ底を――背後の空間を見せた。
ただ、それはたった一セントル四方ぐらいの小さな穴に過ぎなかったけれど。
無論、炎に確たる形など本来はない。故に〈天剣槍牙〉がへこませた箇所は見る見るうちに再生していき、損傷など最初からなかったかのように回復した。まるで、いつかのヘラクレスやミドガルズオルムの再生能力を見ているかのようだった。
元よりヴィリーさんの蒼炎は『質量を持つ燃焼』という、まっとうな物理法則から考えれば有り得ない代物である。火炎としての特性をそのまま持ちながら、不思議と実体を持つという、矛盾した存在なのだ。
故に皮肉なことだが、これが特徴としては『水』とよく似たものを持っていた。一定の形を持たず流動的で、状況によっては硬くなったり、柔らかくなったりもする。
【柔らかくて強い】――そう、どこかルナティック・バベルの構造材にも似た性質を有しているのだ。
「狼狽えるでないっ! 肝心のおぬしがその調子でどうする! 戦いはもう始まっておるのじゃ! 観念して肝を引き締めよ!」
慌てふためく僕に、今なお〝酉の式〟に激しいマニューバーをさせながらハヌが活を入れる。
「で、でも、いくら覚悟を決めても打開策がないんじゃ――!?」
我ながら情けないことに、僕はそんな風に言い返してしまう。
だって、ちょっと想像してみて欲しい。
ただでさえ、あの〝剣嬢〟ヴィリーと戦うってだけでも畏れ多いというのに。
相手はヘラクレスかミドガルズオルムか、つまりルナティック・バベルのゲートキーパー級かフロアマスター級の硬さと再生能力を持ち。
それでいてハウエルのパワードスーツみたいな超加速力と機動力を持ち。
さらには〝巨人態〟を纏った一号氏よりも大きな体躯に、それに見合ったパワーを発揮し。
なにより、ヴィリーさんの剣技と術式――即ち戦闘能力を有しているのだ。
こういうのを確か、古いゲームで【役満】だとか言うのではなかっただろうか。
チェスで言うなら、もはや『チェックメイト』である。
だけど。
「ばかもの! 始まって早々諦めるでない! 忘れたか! 妾とラトが揃えば絶対無敵じゃ! 切り抜けられぬ逆境などあり得ぬ!」
「――!」
背後から乱発されるヴィリーさんの炎弾を避けるのに必死で、ハヌはこちらを一瞥もしない。けれど、だからこそ、その言葉はやけに胸の奥に響いた。限界スレスレの状況で、人は巧妙に入り組んだ嘘をつくことなんて出来ない。つまりハヌの言葉は、心の底から出てきた本音なのだ。彼女は純度一〇〇%の気持ちで、僕と二人でいれば絶対に無敵で、勝てない相手などいないと信じてくれているのだ。
「よいかラト! あやつの姿に惑わされるでない! 今のヴィリーめは妾達の敵じゃ! 【敵に向ける目】をあやつに向けよ! さすれば活路が見えてくるはずじゃ!」
「敵に向ける、目……?」
ごく当たり前のことを言われたのに、何故か目から鱗が落ちるような感覚を僕は得た。同時に、そうか、と納得する自分もいる。
「――。」
言われてみれば、確かにそうだったかもしれない。僕は心の底から、ヴィリーさんを本気で敵視していただろうか?
勿論、先述したように以前からヴィリーさんを仮想敵とした戦術は考案していた。それを実際に使用することによって、僕はヴィリーさんを敵として認識したつもりでいた。
だけど、違った。
そうではなかったのだ。
なんだかんだ言っても『これはヴィリーさんの鬱憤を晴らすための戦闘』というのがどこかにあった。無意識に状況を軽視していたのだ。
だから、ちょっとでも相手が強そうに見えたら気持ちが挫けてしまう。知らず知らずの内に『本来は味方同士』という事実に甘えてしまっていたのだ。
思えば、ロゼさんやフリムと戦った時もそうだったかもしれない。所々で詰めが甘かったのを、今更ながらに自覚する。
――ヴィリーさんは敵……僕は敵を相手にしている時、【いつもどうしていた】? そう、泣き言なんて漏らしている暇なんてない。現状を嘆く余裕があるのなら、勝利への道筋を探すべきだ。自分の持っている手札の中で、何を切れば相手を打倒できるか……それだけを考えていたのではないか?
「……そうだ、ごめん……ごめん、ハヌ! 僕、勝手に思考停止して、勝手に諦めてた……!」
ようやく己の不明に気付き、僕はハヌに謝罪した。
「ちゃんと考えるよ、【勝つための方法】を……!」
観察だけして、分析をしていなかった。
圧倒されるばかりで、勝ち筋を見出そうとはしていなかった。
あるいは先程のヴィリーさんの言葉は、僕の中にある〝油断〟を見抜いていたからこそ、だったのかもしれない。
くふ、と前を向いたままのハヌが笑う気配。そうしながら彼女は〝酉の式〟の舳先を変え、上昇から旋回へと移行させた。
「よかろう。ようやっと火が入ったようじゃな、ラト。業腹じゃが、ヴィリーめは強敵じゃ。妾とラト、二人で力を合わせねば勝てぬかもしれぬ。このような時、肝要なのは相手を知ることじゃ。ラト、先程おぬしは直にヴィリーとやりおうたはずじゃが、何か気付いたことはなかったか?」
「気付いたこと……」
ハヌに思索の糸を引っ張られ、僕は改めて考え直す。ヴィリーさんと剣を合わせた時に感じたこと。覚えた違和感について。
「――強すぎる……?」
我知らず、率直過ぎる言葉が唇から滑り出た。
そう、いくらなんでも強すぎるのだ。
もちろん、僕の攻撃を止めた〈フォーティファイルド〉や〝蒼炎の騎士〟を作り出した〈アチャラナータ・クリカラ〉といった術式は、ヴィリーさんの弛まぬ研鑽によるものだ。どちらも彼女の代名詞とも言える〈ブレイジングフォース〉から派生しており、凄まじいとは思うが特に違和感はない。剣士であり火属性に特化したエレメンター――即ち火炎術士でもあるヴィリーさんであれば、到達してもおかしくない境地である。少なくとも、僕の知っているヴィリーさんの延長線上にある姿なのは間違いない。
だから、おかしいのはやはり〈ドリルブレイク〉を真っ向から受け止めたあの膂力だ。
古代人ならいざ知らず、現代の人類の筋力は見た目に依らない。腕の太さと腕力に比例関係はほとんどないのだ。
しかし、だからと言って、
「……ヴィリーさんはどちらかと言うとスピードタイプの剣士のはずなのに、どうして僕の〈ドリルブレイク〉をあんな簡単に防御できたんだろう……?」
それも、ただの〈ドリルブレイク〉ではない。身体強化の支援術式を九回も重ね掛けをした僕の、二十個も重複させた〈ドリルブレイク〉だったのだ。それこそヘラクレスの装甲をぶち抜くぐらいの破壊力があったはずの。
なのにそれを、ヴィリーさんは余裕の表情で受け止め、完全に停止させた。あの瞬間はすわ硬気功かとも思ったけれど、今になってみればそれは不正解と言わざるを得ない。いくらなんでも硬気功だけであれほどの怪力を発揮できるわけがないのだ。
「――ラト身を屈めよッ!」
「――!?」
ハヌから早口の指示に、僕は慌てて周囲を見回すなんて愚を犯さず、素直に従った。
野太い風切音と大気の焦げる音とが混じり合い、下げた頭の直上を、とんでもない熱源が勢いよく通り過ぎていくのを感じた。
「な……!?」
直感的に理解した。僕達を追いかけてくるヴィリーさんの〝蒼炎の騎士〟が、右手の炎剣を更に伸ばして斬撃を放ってきたのだ、と。
「いかん、単純な軌道では狙われてしまうの……! 一気に下降するぞ、しっかり掴まっておれ!」
言うが早いか〝酉の式〟が嘴をほとんど真下へ向けた。ガクン、と体が揺れ、同時にフワッと内臓が浮く感覚。ほぼ直角に曲がる軌跡を残して、僕とハヌを乗せたワイヤーフレームの鳳が急降下を始めた。
どうやら安定飛行に入るとヴィリーさんはより積極的な攻勢に出るようだ。それも当然か。こちらの飛行が安定する時、それはあちらも同様だ。攻撃の手を強めることはあれど、緩める理由は微塵もない。
急激な機動でもヴィリーさんは追い縋り、なおも長距離砲かと思うほどの斬撃を畳み掛けてくる。〝蒼炎の騎士〟の各所から噴き出すスラストで加速しながらの剣閃は、下手な砲弾より破壊力において効果的だろう。ぶっちゃけ、一発でももらったら終わりだと思う。
「――ラトよ、力の弱い者が強い力を有していたのであれば、その答えなど決まっておろう!」
炎の龍が群れをなして襲いかかってくるような攻撃を、けれどハヌは背中に目がついているかのような正確さで躱しつつ、僕の疑念に答えを出す。
「【支援術式】じゃ!」
「――ッ!?」
あっ、と思わず声が漏れた。それぐらい僕にとっては衝撃的な結論だった。
そうだ。何故気付かなかった。スピードタイプの剣士であるヴィリーさんが、重剣士みたいな腕力を発揮したのだ。ロゼさん言うところの硬気功だけでは説明のつかない怪力でも、支援術式であれば充分以上に説明がつく。
「何故おぬしが気付かぬのか――と思うたが、そうじゃな。【おぬしだからこそ】気付かなんだか。〝灯台もと暗し〟とはまさにこのことじゃの」
ハヌの言う通りかもしれない。僕にとって、いや、支援術式使いにとって支援術式は身近に過ぎる。いわば己の手足のようなものだ。それでいて、これまでは他者に忌避される要因にもなっていた。
変な話、己のおかしな部分を他者も同様に持っている――とは人間、なかなか思い至らないものらしい。ハヌからしてみれば一目瞭然のその答えに、僕はまるで気が付かなかったのだから。
「――そっか……! そうだ、言われてみれば確かに……!」
思わず唸ってしまう。思い返せば『放送局』の前で支援術式を褒め称え、僕を担ぎ上げてくれたのは他ならぬヴィリーさんなのだ。そのヴィリーさんが今でも〝SEAL〟に支援術式をインストールしていない道理があるだろうか。
かてて加えて、攻撃術式とは違い、支援術式には起動音声を発しないといけないなんて制限はない。原則は無音声で起動および発動が出来るし、その気になれば僕のように術式アイコンを隠すことだって可能だ。隠形術で目の前にいながら姿や気配を消すことのできるヴィリーさんに、その程度のことが出来ないはずもない。
「じゃが、カラクリさえわかってしまえば後は簡単じゃ。ヴィリーめは支援術式を使うて己を強化しておる。ラトの攻撃が通用しなかったのも道理じゃの。強い者がさらに強くなれば、弱い者がどれほど足掻いても届かなくなるのは当然の理じゃ」
「うっ……」
グサッときた。ハヌに悪気がないのはわかっているけれど、どんなに足掻いても高みに到達できない弱者とはつまり僕のことであり、もちろんその自覚は十二分にあるので余計に精神的ダメージが深かった。
ハヌの操る〝酉の式〟は急降下しながらバレルロールを打ったり、いきなり角度を変えたり、なんだったら再び急上昇したりとジェットコースターのように宙を飛ぶ。
もちろん、ただ逃げているのではない。距離を取りながら機を窺っているのだ。
「――しかしじゃ、ヴィリーめが支援術式を使うておるのは僥倖じゃ。なにせこちらにはラトがおる」
「え……?」
見ずとも僕が軽くへこんでいる気配を察したのか、ハヌがやけに明るい声で言った。僕の大親友は空を自由自在に飛び回りながら、くふ、と笑う。
「支援術式においてはラトに一日の長がある。即ち、おぬしが知っておる支援術式の【弱点】を突けばよい。そうであろう?」
「支援術式の……弱点……?」
大して珍しい言葉でもないのに、不思議と新鮮な響きのように感じられた。それはきっと僕が、支援術式は元々からして弱点だらけで世のエクスプローラーから忌避され続けてきた――という歴史を知っているからかもしれない。今更取り立てて弱点と呼ぶほどの弱点が、支援術式にはないのである。悪い意味で。
いや――違う。そうか。確かにそうだ。そうではないか。
「そんな、支援術式の弱点なんて……」
我知らず口元がほころび、僕は思わず、ふふっ、と笑ってしまった。
「……ありまくり、だよ。本当に、ものすごくたくさん、いっぱい!」
自分で言うのも何だし、ヴィリーさんの機転であれほど世間にアピールしてもらっておいて何だが、やはり現行の支援術式は欠陥だらけのどうしようもない代物なのである。
あまりにもピーキー過ぎるその仕様は、使い手を選ぶ。そしてハヌの言う通り、支援術式の扱いについてはヴィリーさんよりも僕の方が上だ。
なら、攻める方法はいくらでもある。
力の差をひっくり返すことだって十分に可能だ。
そう考えた瞬間、脳裏に光が閃いた。
意識が切り替わったせいだろうか。堰を切ってアイディアが溢れ出す。湯水のごとく湧き上って来る。
「――ハヌ、作戦を思い付いたよ。ちょっといい?」
「んむ?」
僕はハヌの背中に身を寄せ、彼女の耳元へ口を近付ける。お互い高速飛行中だ、どうせヴィリーさんには聞こえないだろうけれど、念のため。
「……ほう、それはおもしろい考えじゃな」
僕が囁いた作戦内容に、にやり、とハヌが笑う。実に好戦的な表情だ。よく似合っているけれど。
「ど、どうかな? だ、大丈夫かな? 自分で言っておきながら、結構ものすごいことだと思うんだけど……」
自ら提案したくせについつい気後れしてしまう僕を、ハヌは声を上げて笑い飛ばす。
「あっはっはっはっはっはっ! なんじゃ、とんでもないことを言い出したかと思えば、今度は怯えるのかラト! 本当におぬしは大胆なのか臆病なのかよくわからぬ奴じゃの!」
「え、えっ? そ、そうかな……?」
何やらハヌのツボを押してしまったようだけど、何がそんなに面白いのか僕にはよくわからない。まぁ、馬鹿にされたり呆れられたりするよりはマシなので、気にはしないけれど。
「うん、じゃあタイミングは僕が計るから、合図したら……お願いするね、ハヌ」
「よしきた、任せよ!」
ハヌが胸を叩かんばかりの勢いで請け負ってくれて、心なしか〝酉の式〟の飛行速度が上がった気がする。
僕は体を翻し、完全に後方を向いた。
ハヌのめちゃくちゃな飛行機動に、しかしヴィリーさんの〝蒼炎の騎士〟はしつこいぐらいに追い縋っていた。ハウエルのパワードスーツもそうだったが、ああいった噴射による飛行はとにかく勢いがすごい。加速力だけに関しては他の飛行方法の追随を許さないだろう。
が、逆に言えば小回りが利かないという欠点がある。実際、ハヌの攪乱するような飛行のおかげで、ヴィリーさんはどうしてもこちらに追いつくことが出来ないでいた。時々すごく近くまで迫られることもあるが、そんな状態からでは手指から火炎弾を乱射するのが精一杯で、しかもそれらの命中率は決して高くない。ヴィリーさんも多分、当たるとは思っていないだろう。あれはあくまで牽制で、こちらが安定軌道に乗ったところを炎剣で攻めたいのが本音だと思う。
「…………」
僕は唇を引き結び、じっと〝蒼炎の騎士〟を見つめる。迫り来る脅威に観察の目を向けながら、〝SEAL〟の意識下ログを確認して戦闘開始時間を逆算。
これまでのことを時系列順に並べ、僕は思考する。
ヴィリーさんが支援術式を発動させた正確なタイミングはわからない。だが、おおよその予想ならつく。少なくとも僕の〈ドリルブレイク〉を受けるよりかは前のはずだ。
筋力もそうだが、急激に向上した蒼炎の防御力も支援術式に依るものと考えていいだろう。となれば、〈プロテクション〉を使ったのも同じぐらいのタイミングか。
諸々を総合して考えると、戦いが始まってからのヴィリーさんの言葉はそのほとんどがフェイク。ポーカーフェイスもあわせて、自分の底を見せないよう演じているのだ。カレルさんもそうだったが、やはり強い人はまず弱味を見せない。当たり前の話ではあるけれど。僕も強くなったら、あんな風に上手く内心の焦りや不安を隠すことが出来るようになるのだろうか。
とにもかくにも、ヴィリーさんはとっくに【本気】だったのだ。純粋な戦闘力だけに限らず、言葉や態度を使った駆け引きまで仕掛けてきている。むしろ最初から全開だったと言っても過言ではないだろう。
であれば、あの〝蒼炎の騎士〟の形状にも意味がある。意図があるのだ。
そこにさえ気付けば、あとは簡単だ。
見た瞬間、あれは『鎧』だ、と僕は真っ先に思った。そう、『鎧』なのだ。
鎧は武器ではない。何のための物かといえば、身を守るための物だ。防具なのだ。
無論、あそこまで大きければ質量を武器にすることだって可能ではある。ハウエルだってそうしていた。
だけど、【それは剣士の発想ではない】。
ハウエルは『探検者狩り』であり、奴の趣旨は言うなれば『安全重視の強盗』である。己が身を守りつつ、暴力と恐怖をもって標的から金品を強奪できれば、それでいい。目的さえ達成できれば手段などどうでもよく、そこに誇りはないのだ。
でも、ヴィリーさんは剣号を授与されるほどの剣士だ。誇りある人だ。この場合、手段と目的はしばしば入れ替わる。経過を重んじない目的はなく、時には目的よりも手段の方が重要視されることも多い。
非効率ではある。だが、それこそが矜持というものだ。手段を選ばず目的を達成できる人間は多いかもしれないが、手段を限定してもなお目的を達成できる人は、前者よりさらに素晴らしい。そういう考えだ。
だから、ヴィリーさんはあの炎の鎧で僕達を押し潰そうなどとは、欠片も考えていないだろう。そんな無粋な――はっきり言えば、そんな『ダサい』真似は剣士として、〝剣嬢〟としての矜持が許さないのだ。
これは別に、防御を軽視しろ、という話ではない。攻撃と防御は分けて考える、という話だ。
ハウエルのように『硬い鎧でぶん殴れば一石二鳥』と考えるのではなく『攻撃は武器で、防御は防具でしっかりと使い分ける』というのがまっとうな剣士の考え方なのだ。
前置きが長くなった。つまり何が言いたいのかと言うと、ヴィリーさんの巨大な『鎧』は身を守るためだけのものに過ぎない、ということなのだ。
しかし、ただ身を守るだけなら普段の〈ブレイジングフォース〉でも十分だ。ただでさえ炎の密度を増やして硬さを増したところに、支援術式〈プロテクション〉を発動させたのなら、まさに鉄壁と化すことだろう。あんなに巨大な鎧を作る必要などない。
が、ここは逆転の発想だ。
必要だったとすれば?
少なくとも、ヴィリーさんが必要だと思って〝蒼炎の騎士〟を形作ったのであれば、それは何故?
答えは簡単だ。
【僕とハヌを近付けさせたくないのだ】。
理由はもうわかっている。支援術式だ。支援術式の、特に身体強化系は、知っての通り体の感覚を激変させる。それは僕のように重ね掛けしなくとも、一回の発動だけでもかなりのものだ。なにせ一回だけで素の能力が二倍になるのだ。『1』が『2』になるぐらいなら大したことはないが、これが『1000』が『2000』に、『5000』が『10000』となるのなら話は別だ。
今更言うまでのないことだが、ヴィリーさんの能力は僕なんかより遙かに高い。ものすごく高い。滅茶苦茶に高い。
であればこそ、支援術式による恩恵はより劇的であり、その感覚の変化もまた甚大なのだ。
ヴィリーさんは支援術式の効果時間が終了した瞬間の感覚変化を恐れている。大きく増幅されていた能力が元に戻る――その急激な落差による酩酊感は、戦闘中において致命的な隙となる。
例えるならそれは、全力疾走している時の目眩にも似ている。直前までは全身から力が漲り、自由自在に動けていたのに、突如として手足が重くなり、鎖に繋がれたかのごとく動かなくなってしまうのだ。あるいは、ロゼさんの〈グラビトンフィールド〉の圏内に入ったように体に掛かる重力が倍加するのだ。
元の力が強ければ強いほど、解除した時や効果が終了した時の影響が大きい――これもまた、支援術式が忌避されてきた理由の一つである。いつだったかハヌにも語ったけれど『強い人ほど損をする』のが支援術式の最大の特徴だと言っても過言ではないのだ。
――だから、今はそれがヴィリーさんの弱点になる……!
ヴィリーさんが使用した支援術式の解除される瞬間は必ず訪れる。〈プロテクション〉を発動させておかないと、ハヌの術式を防げないからだ。だから今この瞬間も、ヴィリーさんは支援術式の恩恵にあずかっているに違いない。
「――今だよ、ハヌっ!」
ここぞと思ったタイミングで、僕は合図を出した。
「心得たっ!」
打てば響くような反応で、ハヌが〝酉の式〟の進行方向を変える。
真上。
クンッ、と釣り糸に引っ張られるかのようにスミレ色の鳳が嘴を持ち上げ、天上へ向かって勢いよく上昇する。
加速して加速してどんどん加速していく。重力を振り切るように空を昇っていく。
もちろんヴィリーさんも離れずについてくる。〝蒼炎の騎士〟の全身各所から猛然と噴射炎を吐き出し、〝酉の式〟の矢のような急上昇に追いつこうとする。
火炎弾の連射がきた。照準もくそもない、滅多打ちならぬ滅多【撃ち】。ハヌは急上昇を続けながら鳳を旋回させ、下から上へ飛んでいく火炎弾の群れを回避する。その姿はさながら、捕まえようと躍起になればなるほど手から逃げて行く羽毛のごとくだ。
「――ここだよ、ハヌっ!」
再び僕の直感が指し示したタイミングで合図を出すと、
「うむ。任せたぞ、ラト」
今度は静かな応答があった。僕への信頼に満ち満ちた、とても優しげな声音で。
僕は振り返り――というか、上昇方向へ体を向け直し、ハヌの背中を視界に入れる。
途端、ハヌが背筋を伸ばして両手を広げ、ふっ、と全身の力を抜いた。
「――――」
急上昇中の鳳の上でそんなことをしたら振り落とされるに決まっているわけで。上昇する〝酉の式〟の背中から滑り落ちて、重力に囚われて落下するしかないわけで。
だから僕は両腕を広げて、胸元へ落ちてくる小柄な体を抱き止めた。そうしながら、膝を伸ばして空気を蹴る。
カタパルト発射。
戦闘に入る前にかけた支援術式は既にいったん解除しているし、つい先程こっそり新しいのをかけ直した。よって僕の強化係数は今でも五百十二倍のままであり、〈シリーウォーク〉の効果だって健在であり、タイムリミットはあと二分と五十数秒もある。
加速しながらなおも上昇を続ける〝酉の式〟から飛び出し、既に得ていた慣性へさらに勢いを乗せる。靴底に発生する力場を蹴って跳躍する僕は、バットに打たれたボールのように超がつくほどの急上昇を行った。
「 あまねく大気に宿りし精霊よ 我が呼び声にこたえよ 」
僕にお姫様だっこされたハヌが、身を丸めて胸元で印を組み、詠唱に入る。途端、集中力をまったく注がれなくなった〝酉の式〟が即座に空中分解を起こす。ワイヤーフレームで組まれた鳳が輪郭を崩し、スミレ色の光線が次々と千切れていく。あっという間に、元の十二個の護符水晶の群れへと戻ってしまった。
だが、ここで発動するのが正天霊符の自動防御モードである。かのSSWに搭載された高機能AIは、迫り来る〝蒼炎の騎士〟を脅威として認定したらしい。スミレ色の輝きを帯びた十二個の護符水晶は、使用者であるハヌの判断を待つことなく、それぞれが別個の生物のように自律行動を開始した。
十二個の流星が一斉に〝蒼炎の騎士〟へと襲い掛かる。
「――!」
すかさず〝蒼炎の騎士〟は右手の剣を振るう。長大過ぎる炎の刃が高速で振り回され、大気を焼きながら掻き回す。
羽虫に纏わりつかれたかのような鬱陶しさからか、ヴィリーさんの上昇速度がわずかに落ちた。その隙に僕はさらに〈シリーウォーク〉の足場を蹴って超跳躍を繰り返し、さらに空を昇っていく。
やがて、ハヌの詠唱が終端へと達した。
「 森羅万象を裂断する破魔の刃と化し 我に刃向かいし愚か者を過たず断罪せよ 」
僕の腕の中にいる小さな女の子が、スミレ色の輝きを強烈に放つ。至近で練り上げられる言霊と術力の量には胸やけがしそうだけど、四の五の言っていられる状況ではない。
「――よいぞ、ラト」
「うんっ、じゃあまた後でっ」
術式の発動を維持しながら告げられた合図に、僕は素早く頷いた。軽い挨拶だけして、ハヌの体を手加減しつつ真上へ放り投げる。
ポーン、と軽いハヌの体はバスケットボールのように高い位置へと飛んでいった。
「ほっ、とな」
重力と大気の抵抗によって勢いが減じ、高さが頂点に達したあたりでハヌはかけ声を一つ。ぽっこり下駄の靴底に展開した〈シリーウォーク〉の足場に着地して、体勢を整える。
両手で印を組んだ状態で、空中に仁王立ち。
その姿を確認した僕もまた、空中で体を捻って宙返り。天地を逆にする。足裏を空へ向け、頭を下へ。
右手に抜くは脇差モードの白帝銀虎。左手に抜くは蒼いエーテリニウムのナイフ――『月光』。
「〈ドリル――」
すかさず〝SEAL〟の出力スロットに剣術式を同時装填。その数は二十。さっきと同じように二振りの短剣をレールのように並べて、一つの武器として術式に認識させる。
戦闘靴スカイソルジャーの靴底が〈シリーウォーク〉の力場を踏み、僕の体の上昇が止まる。いつだったかヘラクレスと戦った時にもそうしたように、【天井に着地する】かのごとく膝を曲げ、腰を落としていく。
身を撓めながら、力を溜め込んでいく。
刹那。
「 〈天剣破刃〉 」
背後でハヌの術式が発動した。
巨大なスミレ色のアイコンが展開していく光景など、もはや見ずともわかる。足裏から首筋にかけて伝わる振動や術力が、その全てを物語っている。
ハヌの術式の波動に背中を押されるようにして、僕は剣術式を一斉発動。
「――ブレイク〉ッッ!!」
積み重なって現れるディープパープルの螺旋衝角。背中から噴き出すフォトン・ブラッド。
後方から、僕を避けて〈天剣破刃〉の風波が勢いよく通り過ぎていく。さっきと同じ八房の固体空気の粒の集まりは、タコの足のようにうねった軌道を描きながらヴィリーさんの〝蒼炎の騎士〟へと殺到する。
――ここだっ!
次の瞬間、僕は体を押す推力とタイミングを合わせて全力で足場を蹴った。
弾丸より、流星より、稲妻よりも速く撃ち出される。
落ちるのは直下。重力の力も借りて一挙に加速。
猛烈に回転する〈ドリルブレイク〉が狙う先はもちろん〝蒼炎の騎士〟――ではなく、そちらへ押し寄せていく〈天剣破刃〉の風の波涛が行き着くところ。八房の風波が集束する、合流座標だ。
「――ぁあああああああああああああああああッッッ!!!」
高速の世界の中、我知らず吼える。何もかもが加速する中、僕の主観では全てがスローモーションになる。
ハヌの〈天剣破刃〉は元よりヴィリーさんを狙っていない。むしろ、ヴィリーさんに届く手前で全ての風波を一点に集めてもらうよう、僕がお願いした。
寄り集まった風の波涛がぶつかり合い、混ざり合い、やがて捻れを作って渦を巻く。
生まれるのは八本の風粒の流れを集めた、大気の渦潮。
中心部は奥へと伸長し、まるで〈ドリルブレイク〉のような形状と化している。横から見れば、漏斗状になっている形だ。
僕が〈ドリルブレイク〉を構えて飛び込むのは、もちろんその中心。
ハヌの〈天剣破刃〉を、僕の〈ドリルブレイク〉に【纏わせる】のだ。
「いっっっけぇぇぇ――――――――――ッッ!!」
突っ込んだ。
極度に高まった集中力によって〈ドリルブレイク〉の切っ先は過たず風渦の中心を捉えた。高速回転する深紫の螺旋衝角が〈天剣破刃〉の渦を巻き取り、捻れを加速させる。
巻き取った。
まるで鍵穴に鍵を差し込んだかのよう。ただでさえ激流が渦を巻いていたところへ、さらに勢いを増す〝芯〟が入ったのだ。俄然〈天剣破刃〉の流れは加速し、漏斗状に伸びた【中心部】はもはや指向性を持った【槍】と化した。
これぞ僕がハヌに耳打ちした作戦の一つ。
僕とハヌの連携――合体攻撃だ。
名付けて『天剣破刃ブレイク』――とでも言いたいところだけど、流石にこれはちょっとどうだろうか。我ながら微妙なネーミングではある。
ともあれ乾坤一擲の挑戦は成功した。
僕の〈ドリルブレイク〉とハヌの〈天剣破刃〉は相互に干渉し合い、共鳴し合い、増幅し合う。
「ぐっ……!」
荒れ狂うエネルギーの根幹にあたるのは、当然ながら僕の両手に握られた白虎と月光である。運転稼働している洗濯機を持ち上げて支える感覚、とでも言えばいいのだろうか。ただでさえ暴れ回る〈ドリルブレイク〉にハヌの〈天剣破刃〉までもが加わり、凄まじい負荷が僕の両腕、ひいては全身にのしかかる。支援術式で肉体を強化していなければ、とっくに全身が五裂四散していたかもしれない。
さもありなん。あのハヌの極大術式を身に纏って利用しようというのだ。普通に考えても自爆に等しい手法だし、強化係数五百十二倍の状態であっても一歩間違えれば巨大なミキサーに巻き込まれてミンチになるような、そんな危険な作戦なのだ。
――でも、だからこそっ!
打開の一撃となり得る。
果たして僕とハヌの――これが初めてと言っても過言ではない――合体攻撃は、迅雷のごとくヴィリーさんの〝蒼炎の騎士〟へと襲いかかった。
「――はぁああああああああああああッッ!!」
裂帛の気合いが迸るのは、ヴィリーさんの唇から。〝蒼炎の騎士〟の巨体をぶち抜いて、〝剣嬢〟の雄叫びが空を貫く。
刹那、〝蒼炎の騎士〟がヴィリーさんの写し身として火炎の長剣を構え、下からすくい上げるような対空斬撃を放った。
激突。
僕達の『天剣破刃ブレイク』と炎の巨人の大斬撃とが高空の一点でぶつかり合い、耳を劈く轟音を響き渡らせた。
「――――――――――――――――ッッ!?」
拮抗する。わかってはいたが、もはやハヌの〈天剣破刃〉の風波はヴィリーさんの蒼炎を削れなくなっている。風と炎が衝突しているとは思えない音が絶えることなく鳴り響く。チェーンソー同士をぶつけ合っているかのようだ。蒼い火の粉が飛び散って、美しい花火のように広がっていく。
この瞬間、空に本日三輪めの巨きな華が咲いた。
それは蒼い炎の花柄を持ち、圧縮された風の白と深紫の光が入り交じった台を有し、半透明のガラスのような花弁を広げる――美しくも恐ろしい華。
膨大な力と力のぶつかり合いによってのみ咲く、残酷な山荷葉。
壮麗な華は強く強く咲き誇る。
何故なら、僕達の風とヴィリーさんの炎が鬩ぎ合い、一瞬ごとに一進一退を繰り返しているから。ほぼ同等の力が伯仲しているから。
――だけどっ!
考えなしで突っ込んだわけではない。始めからこうなることは予想していた。
【だから】、
――〈フォースブースト〉!
声には出さず支援術式を発動。
術力を倍加させる強化術式を――ハヌへ。
「――!」
途端、僕の周囲を取り巻き、〈ドリルブレイク〉に纏わり付く〈天剣破刃〉の勢いがとんでもない勢いで増した。
「――な……!?」
ヴィリーさんの驚きの声が耳に届く。それもそのはず。〈フォースブースト〉を受けたハヌの〈天剣破刃〉は、再びヴィリーさんの蒼炎を喰らい始めたのだから。
拮抗が崩れる。
ただでさえ強大なハヌの術力。それを倍加させた日にはきっと世界が滅ぶ――とまでは言わないが、どう考えても大変なことになるぞ、と思ってこれまでやってこなかったけれど。
こうして実際にやってみると、骨から震えがくるほどの怖れを感じる。
さっきまで鋼鉄のごとき堅固さだったヴィリーさんの炎が、一瞬にしてプリンかババロアのように脆くなってしまったのだ。信じられない変化である。
だが、さきほど僕はこう言った。『元の力が強ければ強いほど、解除した時や効果が終了した時の影響が大きい』――と。
けれどヴィリーさんではないが、これを逆に言えば『元の力が強ければ強いほど、支援術式を受けた時の恩恵もまた大きい』とも言えるのだ。
利点と欠点は表裏一体。大切なのはそれを理解した上で上手く運用すること。
そしてその点に置いて、僕にはヴィリーさんより一日の長がある――!
「づぁああああああああああああああッッッ!!!」
果たして『天剣破刃ブレイク』は〝蒼炎の騎士〟の剣も鎧も喰い破り、無力な火の粉に変えて撒き散らした。
「――!?」
轟、と唸りを上げる烈風の螺旋衝角がヴィリーさんから〝蒼炎の騎士〟を剥ぎ取り、丸裸にした。今再び、ヴィリーさんが僕の前に戦闘装備しか纏っていない姿をさらけ出したのだ。
僕らの『天剣破刃ブレイク』は止まらない。長く伸びた風の回転槍は今度こそヴィリーさんの胸を穿った。
突き刺さる。
「――――……~ッ!?」
自身を守護していた炎の鎧を一瞬にして奪われ、そう思った刹那には巨大な槍に胸を貫かれたヴィリーさんの表情が、一瞬だけ無になった。
目が合う。真っ正面から。
ヴィリーさんの深紅の瞳は、まるで信じられないものでも目にするように見開かれていた。有り得ない光景を前に、呆然とするような。己が身に起こっていることが現実だとは思えないような、まさしく自失の顔をしていた。
だけど、それも一瞬だけのこと。
「――やるわね……ッ!」
笑った。これまで見せてきた微笑みとか、余裕のあるそれではなく。
壮絶で、凄絶で、好戦的な笑みを見せたのだ。
ハヌに似ている、と頭のどこかで思った。
まなじりを決し、眉間に獰猛な皺を寄せ、口の端を釣り上げたその表情は、心を躍らせて戦いに臨む時のハヌにとてもそっくりだったのだ。
ヴィリーさんのこんな顔、初めて見た。
ヴィリーさんがこんな表情をするなんて、初めて知った。
「――――」
意外な驚きが僕の心を占める。そこにいるのはもはや誇り高き〝剣嬢〟ではなく、〝燃え誇る青薔薇〟と呼ばれた女傑でもなく、ただ凶暴なまでの戦意を昂ぶらせる一人の剣士でしかなかった。
渦巻く風の槍に胸を突き抜かれたまま、ヴィリーさんは高速で落下する。あちらの勢いは完全に失せ、しかし僕の背中から噴き出すフォトン・ブラッドはいまだ健在だからだ。
下へと向かう力に押され、貴族然とした戦闘服に包まれた手足がハグを求めるように上空へと伸びる、そんな中。
般若のごとき歯を見せる笑い方を見せたヴィリーさんが、その喉から発動音声を迸らせた。
「〈ノーブル・プロミネンス・ナイツ〉!」
何故こんな時に自分のクラスタの名前を? と思う暇もあればこそ。
再びヴィリーさんの全身から、空恐ろしいほどの勢いで膨大な量の火炎が溢れ出した。
「ッ!?」
爆発的というか、ほとんど爆発だった。
ヴィリーさん自身を爆心地とした蒼い爆炎は、僕を包む『天剣破刃ブレイク』にかき回されながらも燃え広がり、拡散する。
四度、空に華が咲いた。
大きく広がった蒼の猛火はそのまま形状を変化させ、無数の火炎鳥と化した。翼を広げて飛び立つのと同時、火炎鳥の体内に一振りの剣が出現する。おそらくヴィリーさんの〝SEAL〟のストレージから具現化したものだ。核となる剣を与えられた火炎鳥の群れは、尾羽をバーニアとして推進の炎を噴き出して加速。編隊飛行をするように翼を並べて空を翔る。
その光景はまさしく、蒼い薔薇が咲き誇るかのごとく。
だが美しい花が咲いたのは一瞬だけのこと。
飛び立った無数の火炎鳥は腹に剣を孕んだまま、宙を旋回してこちらへ戻ってくる。加速をつけて、勢いを増して、重力すら味方につけて。
「――――――――!?」
火炎鳥達が狙う先は、もちろん僕。今なおヴィリーさんの胸を穿ちながら真っ逆さまに落下するこちらの尻へ喰らいつかんと、嘴を並べて追い縋る。
実体化した硬い炎、体内に宿した剣、どちらか一方だけでも十分すぎるほどの質量兵器だ。しかも、そんなものがどう数えても百以上はいる。一気に殺到されたらヤバいなんて話じゃない。
――だったら、このまま地面スレスレまで逃げ切ってやる……!
死なば諸共、というわけではもちろんない。このまま地表ギリギリまで落ちて、激突する寸前でヴィリーさんだけ残して横へ逃げる。タイミングはシビアだが、上手くいけばヴィリーさんと後ろの火炎鳥の群れをまとめて地面にぶつけて、自爆させることが出来るはずだ。
なら、追いつかれるわけにはいかない。逃げるタイミングが一層難しくなるけど、ここは臆せず加速だ――!
「〈ドリル――」
さらに剣術式を発動させようとした瞬間だった。
「【させないわよ】」
高速で落下――というより地面に向かって突進していく中、風や炎が鬩ぎ合うやかましい音響の中で、ヴィリーさんのその声はひどくはっきり聞こえた。
「――!?」
現在進行形で全身から炎を噴き出しているヴィリーさんは、しかし胸のあたりだけは『天剣破刃ブレイク』のせいで蒼炎が剥ぎ取られている状態だ。そんな状態だというのに不敵な笑みを浮かべて、なんと両手に握った愛剣を頭上に振りかぶっている。刀身には勿論、揺らめく実体化した蒼炎が纏わり付いている。
――まさか、こんな状態から剣を振るつもりじゃ……!?
踏ん張る足場もないどころか、体勢が悪すぎる。こんな状態で剣なんて振っても大した威力は出せない。
と思ったのが僕の浅はかさで。
「――はっ!」
ヴィリーさんが剣を振り下ろした。地に足がついている確かな太刀筋で。
快音。
ヴィリーさんの蒼炎の剣と『天剣破刃ブレイク』が激突して火花を散らす。信じがたいことに、あんな体勢から放った斬撃だというのに、そして当の『天剣破刃ブレイク』に胸を貫かれているというのに、かなりの威力があった。じんとした痺れが僕の手に伝わる。
だけど、この程度で僕とハヌの合体攻撃は決して揺るがない。言っちゃ悪いが無駄なあがきである。
しかし。
「な……っ!?」
驚きの声は僕の喉から。いきなり目の前に現れた光景に度肝を抜かれたのだ。
ヴィリーさんの周囲に何十本もの剣が出現していた。アイスブルーの光を放って現れたのだから、彼女のストレージから取り出されたのは間違いない。だが、それだけなら驚きには値しない。さっきも言った通り、ここで何振りもの剣を取り出したところで悪あがきに過ぎないことは変わりないのだから。
だけど、それらの剣を突如として出現した〝蒼炎の騎士〟達が握ったとなれば、話は別だ。
――なんだ、これ……何十人も出てきた……!?
ヴィリーさんの纏う炎から生まれた小さな〝蒼炎の騎士〟は、まるで本当に生きているかのような動きで手を伸ばし、剣柄を握る。
ストレージから取り出した剣の本数と同じ数だけ現れた〝蒼炎の騎士〟は、僕の〈ミラージュシェイド〉で作った鏡像と同様、総じて同じ動きを取った。さっきのヴィリーさんと同じように手に持った種々様々な剣を大きく振りかぶり、全く同じタイミングで振り下ろす。
激音。
「ぐ――っ……!?」
先程のヴィリーさんの斬撃が、そのまま数十倍になったかのような衝撃。手どころか腕、そして肩から背中にかけて痺れが一気に走り抜ける。流石の『天剣破刃ブレイク』にも揺らぎが生じた。
そこを狙われた。
「――〈フェニックスレイブ〉ッ!」
いくらHPが残っていて肩代わり出来るとは言え、自分自身の肉体にもそれなりのフィードバックがあるだろうに。ヴィリーさんはさらに必殺の術式を発動させた。
しかも、信じがたいことに彼女自身だけでなく、この場に揃った全ての〝蒼炎の騎士〟もが同じような構えをとったではないか。
――まさか、まさか、まさかまさかまさかまさかまさかっ!?
嫌な予感が的中した。
炎を纏った剣による超高速連続攻撃、それがヴィリーさんのオリジナル術式〈フェニックスレイブ〉。かつてゲートキーパー・ボックスコングをも圧倒した強烈な術式が今、ヴィリーさんとその周囲に出現した数十体の〝蒼炎の騎士〟によって一斉に発動した。
「――はぁあああああああああああああああああああッッッ!!!」
大爆発。
さっきの術式〈ノーブル・プロミネンス・ナイツ〉が発動した時も大概だったが、今度はその数十倍である。ただでさえヴィリーさん一人で発動してもゲートキーパー級の進軍を押し止めるほどの術式を、何十人もの規模で同時発動されたのだ。
正直、ひとたまりもなかった。
「――――――――――――――――――――――――――ッッッ!?」
全ての斬閃が『天剣破刃ブレイク』に集中し、流石の〈天剣破刃〉の風波も大きく削られた。ついでに言えば〈フェニックスレイブ〉は突進系の攻撃でもある。ヴィリーさんの背中、即ち地表方面からバーニアスラストが噴射され、僕達の落下速度をわずかに減速させた。
――くそっ、こんな……っ!?
そのわずかな減速が致命的だった。僕の背後、つまり天頂方向からは剣を内包した火炎鳥が追いかけてきている。このままじゃ地面に落ちるまでに絶対に追いつかれる。
――今から再加速して間に合うか……!?
ガリガリガリガリと一斉〈フェニックスレイブ〉が『天剣破刃ブレイク』を削り、崩壊させていくのがわかる。背後から百体以上もの火炎鳥の質量爆弾が迫ってくるのをヒシヒシと感じる。
「――ブレイク〉――――――――ッッッ!!!」
他に道はなかった。そのまま僕は〈ドリルブレイク〉の重ね掛けを敢行。『天剣破刃ブレイク』に〈ドリルブレイク〉×二十を追加発動させ、螺旋衝角をより分厚く、背中の噴射フォトン・ブラッドをより増大させる。
「――~ッ!」
空から降りてきた巨大な掌に背中を押されるようにして加速。『天剣破刃ブレイク』がさらに深くヴィリーさんの胸へと突き刺さる。
だけど、案の定だった。
やはり間に合わなかった。
結局のところ、あともう少しで地上――というところで火炎鳥の群れに追いつかれた。
また、ヴィリーさんと〝蒼炎の騎士〟達の一斉〈フェニックスレイブ〉によって、〈ドリルブレイク〉が纏っていた〈天剣破刃〉の風波のほとんどが剥ぎ取られていた。
そこが限界点だった。
率直に言って、滅茶苦茶になった。
『――――――――――――――――!?』
だけどこの状況はヴィリーさんにとっても、ほぼ自爆みたいなものだった。
天頂方向から殺到した火炎鳥の群れにもみくちゃにされ、僕はたまらず吹っ飛んだ。しかし、僕が『天剣破刃ブレイク』を解除してその場から離れた後も、後続の火炎鳥達は残されたヴィリーさんへ向かって突進を続けていたのだ。ダメージがないはずがない。
連続かつ重複して爆発する蒼い炎。
お互い前後不覚になっても、加速を続けてきた膨大な慣性に引っ張られ。
盛大な音を撒き散らしながら、僕とヴィリーさんは流星のごとく地面に墜落した。
爆音が二つ同時に轟き、深い蒼穹に吸い込まれた。
だからと言って、ここで終わるはずもない。
二人して落ちたのは浮遊大島の中央区、朽ちた都市群の東側。
ほとんど減速することなくひび割れたアスファルトに激突した僕とヴィリーさんは、それぞれ巨大なクレーターを穿ち、いくつものビルを崩落させた。
当然だ。音速などとうに超えていた。そんな速度で衝突したのだから地震だって起こるし、崩壊を示す罅は蜘蛛の巣状に広がるし、土煙は空に触れるほど爆発的に膨張する。
もうもうと立ち上る土煙の中、轟音を立ててビル群が崩壊していく最中、僕はクレーターの中央ですぐさま立ち上がり、ヴィリーさんの姿を探した。自分で作った坂を一足飛びに駆け上がる。
ダメージがないと言ったら嘘になる。だけど気にしてなどいられなかった。ヴィリーさんはきっとまだ止まらない。否、止まっていないに決まっている。つまり、あの人はまたすぐに襲いかかってくる。僕を探して剣を振るうに違いない。視界が悪かろうが何だろうがあの人は絶対にそうする。だから僕も大人しく寝てなどいられないのだ。
風が吹いた。頭上から叩き付けるように吹く強い風だ。多分、さっきの僕達が起こした衝撃や風の余波が遅れて落ちてきたのだ。
風船のように膨らんでいた土煙が一気に晴れた。落ちてきた勢いが勢いなら、その余波で生まれた風圧も風圧だった。
いきなり深紅の瞳と目が合った。
「「――――」」
思いがけず、僕達は互いの近くにいた。十メルトルほどの距離だったけど、僕達にとってはないにも等しい間合いだった。
やはりヴィリーさんも爆煙の中で立ち上がり、僕を探していた。自ら穿ったクレーターを飛び出し、剣を振ろうとしていたのだ。
「「…………」」
互いに動きを止め、無言のまま見つめ合う。
ヴィリーさんはひどい格好になっていた。いつもの綺麗な姿は欠片も残っていない。今や戦闘コートも軽鎧もあられもなく土埃に汚れ、それ自体が光を放つようだったプラチナブロンドのポニーテールすらもくすんで見える。
多分、僕も似たようなものだったろう。
しかし僕もヴィリーさんも、手にはそれぞれの得物を握ったまま、手放してなどいなかった。
戦いはまだ、終わっていない。
「――でやぁああああああああああああああッッッ!!!」
動いたのは僕の方が先だった。地面を爆発させるつもりで足を踏み込み、弾丸のように飛び出す。
「はぁあああああああああああああああああああッッッ!!!」
ヴィリーさんはその場に足を止め、僕を迎え撃つ態勢に入った。剣を構え、裂帛の気合いを叫ぶ。
僕は白虎と月光を両手に握り、一気に間合いを縮める。強化係数五百十二倍の速度は十メルトルの距離を一瞬でゼロにした。
途端、時間が粘性を帯びる。
僕は嵐のごとき連続攻撃を仕掛けた。
応じたヴィリーさんの剣が光のように奔る。
接近戦が始まった。
一瞬にして無数の光が煌めく。夜空の星屑のように瞬くのは、僕の二刀流とヴィリーさんの剣とがぶつかって生まれる火花。自分でも数え切れないぐらい一斉に狂い咲く。
戦いながら僕の思考。ハヌとの合体攻撃でヴィリーさんを仕留めることは出来なかったけれど、これは想定の範囲内だ。こうして地上で切り結ぶことは最初から計算に入れていた。何故なら畢竟、狙いはヴィリーさんの支援術式の時間切れだからだ。
後もう少しなのだ。正確な時間はわからないが、あと一分もないはずだ。その内ヴィリーさんの動きが鈍る。支援術式が解除された影響の落差にやられる。そこが最大のチャンスなのだ。
その時、僕は出来るだけ近くにいなければならない。ヴィリーさんの隙はきっと一瞬だけしかないから。絶好の瞬間をものにするため、僕はヴィリーさんの懐に居座り続けなければならない。
そこがどれほど、刃金に満ちた地獄であっても。
「おおおおおああああああああああッッッ!!!」
無我夢中で双剣を振るう。手数とスピードが肝だ。軽くて扱いやすい脇差の白虎とナイフの月光を得物に選んだのはそれが理由だ。ヴィリーさんの速度と技術に追いつくためには僕自身の戦闘スタイルを先鋭化させる他に術がなかった。
ヴィリーさんの剣術はいわば正道。騎士らしく系統だった真っ直ぐな太刀筋に、僕には真似できない超高等技術の粋を尽くした駆け引きを仕掛けてくる。
一方、僕の戦法は邪道。師匠から、ロゼさんから、アシュリーさんから、ヴィリーさんから学び、そして我流まで混じったまさに無手勝流。師と仰ぐ人達から教えられ、または盗んだ技術を合成獣のごとく混ぜ合わせ、異形の技とする。
ちょうど今のように。
「――ッ!!」
アシュリーさんから学んだ連環双撃術を駆使しながら、〈シリーウォーク〉の足場を蹴って立体機動。猿よりも俊敏にヴィリーさんの周囲を飛び跳ね回り、攪乱する。かつてヴィリーさんとスポーツチャンバラでやり合った時は身体強化の支援術式しか使ってなかった。自分で言うのも何だか縦横無尽の立体機動は僕の専売特許と言っても過言ではない。ヴィリーさんをとして初めて見る動きのはずだ。
――と思ったのだが。
「ふ――ふふっ……! うふふっ……!」
ヴィリーさんはものともしなかった。それどころか、いつかの再演のごとく僕の連続攻撃を全て凌ぎきってしまう。しかも、抑えきれない笑みをこぼしながら。
信じられない。初見の攻撃パターンをこうまで見事に見切ってしまうのか――ではなく。こんな時にまでヴィリーさんは笑うのか――と。僕は全力全開で動き回りながら瞠目した。
かつてのスポーツチャンバラと状況は似ている。だが、【似ている】ということは【決して同一ではない】ということだ。あの時は遊びという名分だったし、やはり双方共にどことなく遠慮があった。
だけど、今は真剣勝負だ。HPというゲームシステムはあるが、それがゼロになれば死亡することはもうわかっている。振るっている武器だって刃のついた本物だ。
なのに。
「あは――」
とうとう口を開いて破顔した。何もかも忘れたように朗らかさで、ヴィリーさんは満面の笑みを浮かべる。
「――いいわ! いいわよラグ君! この戦いは本当に最高よ!」
「ッ!?」
無邪気に笑うヴィリーさんが喜色に塗れた声を吐いた途端、また一つスピードのギアが上がった。ただでさえスポーツチャンバラの時より速かった剣捌きがさらに加速する。
多分〈ストレングス〉や〈プロテクション〉だけでなく〈ラピッド〉も使っているからだろう。ヴィリーさんは強化係数五百十二倍の僕に勝るとも劣らぬ速度で動き、剣光で文目を描く。
風切り音が遅れてやってくるほどの高速斬撃。三手目を受けたあたりで一手目の音がやっと耳に届くぐらいだ。高速極まる世界にいる僕達にとってもはや音は【遅過ぎる】。目に見えるものが全て。後は直感だけがものを言う。それほどのスピードで攻防を繰り返す中、僕は不意に不思議な感覚にとらわれた。
これは、否、【ここ】は『剣の世界』だ――と。
ふと、頭の裏側でそう思った。
今この瞬間、この戦いにおいて、手に握った剣以外に意味のあるものは存在しない。
攻撃術式や剣術式を使う暇などない。そっちに意識を振り分けたら、その瞬間に相手の剣に斬られる。互いにそれがわかってしまう。だから僕もヴィリーさんも術式を発動させない。発動させようと思うことすらない。
ただ無心で剣を振る。相手の隙を探して。あるいは防御をこじ開けようとして。
ここは、とても純粋な世界だ。
あるのは力と、速度と、技術だけ。それ以外には何もないし、何もいらない。
どれだけ自分の実力を引き出せるか。
どこまで自分の能力を高められるか。
あるいはこれは、そういう勝負なのかもしれない。
相手に勝つと言うより、自分に勝つ。
より正確に言えば『相手が知っている〝自分〟よりも、今ここにいる〝自分〟が強くなれば、勝てる』――そういう戦いに思えた。
だから、戦うべきは目の前にいるヴィリーさんではなく。
乗り越えるべきなのは、今までの自分で。
ヴィリーさんの中にある〝ラグ君〟のイメージを超えた時に初めて、僕はヴィリーさんに手が届く。
だから、変わらなければ。
進化しなければ。
これまでの僕にはなかった新しい一面を見つけ出さなければ――
表側では神経が擦り切れるほど高速回転で戦闘演算を続けながら、つかの間、そんなことを思った。
そして、激流の最中がごとき戦いの中へと意識が戻る。
我ながら驚くべきことに、僕の肉体は稲妻の雨と見紛おうほどのヴィリーさんの斬撃を全て受け流しながら、短すぎる間合いを維持していた。
互いの刃どころか手が届くほどの距離。
互いの息づかいが聞こえる程の間合い。
ヴィリーさんは少しでも僕から離れようとして。
僕は少しでもヴィリーさんに近付こうとして。
立ち位置を目まぐるしく入れ替えながら何百合、何千合と切り結ぶ。
ビルとビルの谷間に入る。薄暗い路地に剣光が閃き、花火のように煌めく。ヴィリーさんが跳躍。左右のビルの壁面を蹴って三角飛びを繰り返しながら上昇していく。僕も後を追う。励起した〝SEAL〟の残光が軌跡を描く。アイスブルーの軌道をなぞるように深紫の光の尾を残していく。ビルの間をジグザグに飛ぶ。何度も交差を繰り返しながら斬り合いを演じ、やがては屋上へ。
空へ飛び出し、僕とヴィリーさんはそれぞれ違うビルの屋上へと降り立った。
もちろん停止などしない。僕達はすぐさまコンクリートを蹴って再び跳躍。もはやお互いのことしか頭にない。相手に近付いて剣を振ることしか考えられない。
激突。
そのまま刃をぶつけ合いながら屋上から屋上へ。ビルとビルの間に氷蒼と深紫の光の橋を架けていく。都市の上空を飛び跳ねながら僕達はなおも戦い続ける。
街を駆け抜ける。
やがて一際大きな屋上へと降り立った。元は駐車場だったらしい。足を止めて戦うには十分な広さだと、二人揃って認識する。これまで踏ん張りの利かない空中で切り結んでいたのもあって、僕らは申し合わせたようにその場所を戦場に選んだ。
対峙。そして激発。
これまでに倍する金属音。それが瞬時に何十、何百と折り重なる。
ヴィリーさんの剣閃は時を経るごとに鋭く、そして激しくなっていた。目にも止まらぬ速度で蒼い剣が奔る。まるで空中に残された残像の軌跡に触れただけでも斬られそうな鋭さ。なのに鞭のようにしなっては機関銃のように畳み掛けてくる。回転数がどんどん上がっていく。
だけど僕も負けてはいない。ヴィリーさんの動きと速度に慣れてきた。癖もわかってきた。いつぞやは翻弄されまくった剣術に不思議なほど対応できている。思えばヴィリーさんと相対するのはこれで二度目。前情報のあるとなしとでは大違いなのだ。ヴィリーさんがあの時よりも本気で斬りかかってきているのに、それでも互角以上に戦えているのはそれが理由だろう。
しかし、それはあちらも同じこと。
「ふっ――!」
突如、ヴィリーさんの剣筋が絶妙に変化した。力強く真っ直ぐ揺らぎないものから、脱力して不安定で揺れ動くものへ。ベースボールで言えば硬球から軟球へ変わったようなもの。傍目から見れば大した変化ではないだろう。だけど実際に斬撃を受ける僕にとっては大違いだ。
「く……っ!?」
変化するタイミングもまたいやらしい。僕の一番嫌がる瞬間を狙ってやったのだ。
剣と剣がぶつかり合う〝点〟はいわば一つの〝座標〟だ。計算するつもりがあろうがなかろうが、戦闘中はどうしても意識してしまう。右手の白虎はあの〝座標〟で打ち返されるだろうから、その反動を使って左の月光をあそこの〝座標〟へ向かわせ、そこでまた弾かれるだろうから――という風に。
だが、その〝座標〟が狂わされた。
二手先、三手先どころか十手先、二十手先と、僕が読んでいた流れが全てご破算になったのだ。全部最初から演算し直しである。
流石はヴィリーさん、人間相手の駆け引きおいてやはり僕は足元にも及ばない。
【だけど】。
「――」
僕はその剣を知っている。
【だから】。
「――――」
交代する。
今までずっと、そっちの太刀筋で演算を続けていた、
「――――ッ!」
【もう一人の僕と】。
カチッ、と頭の中でスイッチが切り替わった。
「――だぁああああああああああああッッッ!!!」
順応した。
変化したヴィリーさんの剣筋に合わせて僕も動きを変えた。
ピッタリと。
吸い付くように。
「――っ!?」
ヴィリーさんの顔に驚愕が走る。あちらとしても会心の一手だったのだろう。突然の変化の落差に僕はついてこれまい――そう思っていたのだ。
だけど、僕はそれを覆した。ヴィリーさんの変化に見事に対応してのけたのだ。
「らぁあぁっ!」
連続する金属音。
変化したヴィリーさんの太刀筋に合わせて僕の両手の動きも換わり、こちらへ降り注ぐ斬撃の雨を全て力が乗せられる前に弾き返した。
この刹那、ヴィリーさんの顔に明らかな焦燥が浮かび上がった。
「――~ッ……!」
そして、【時が来る】。
きっと、あと十秒もない。
ヴィリーさんが支援術式を発動させた時間と思しき候補の中から、一番遅いもの。そこから計算しても、もうすぐ三分が経過する。
考え得る一番遅い可能性であっても、あと十秒もしない内に【その瞬間】が訪れる。
僕はまだまだヴィリーさんの猛攻に耐えきれる。
だけどヴィリーさんには、今から十秒以内に僕を倒すことなんて出来まい。いくらヴィリーさんが〝剣嬢〟で、僕が〝ぼっちハンサー〟であろうと、それだけは絶対、意地でもやらせはしない。何が何でも。
――勝てる……!
だから、確信した。手応えを感じた。希望の光が見えた。
このままヴィリーさんの支援術式が解除された瞬間の隙を突き、一気に勝負を決める。
この戦いに決着をつけるのだ。
――絶対に勝つッ!
と思った瞬間だった。
「……これまでね」
ふっ、と表情から力を抜いたヴィリーさんが、いきなり、
戦いの最中、
【剣を手放した】。
――えっ……?
一瞬、頭の中が空白に染まる。
あまりにも有り得ない事態に、僕はどうしようもなく虚を突かれてしまう。
剣を、捨てた? 真っ向から斬り合っている途中で? 勝負を捨てたというのか? いや馬鹿な、そんなの有り得ない。何かの罠か? ブラフだ、そうだそうに違いない。だけど一体どういう意図で? 何が狙いだ? ここから一体何をどうすれば逆転の一手になる? やばい、わからない。読めない。ヴィリーさんの考えていることが全然理解できない。違う待て。こうやって僕に考えさせることがヴィリーさんの狙いじゃないのか? 思考を飽和させて僕の動きを止める魂胆じゃないのか? だったら駄目だ。考えるな、動きを止めるな、術中に嵌まるな、あちらの思う壺だぞ、動け、斬れ、動け動け動け動け動け動け――!
「こっ――のっ……!」
ヴィリーさんの手から落ちたリヴァディーンが、まだ地面に触れてもいない刹那。僕の高速思考は焼け付くような回転数で空回りをした挙げ句、躊躇わずに討て、という結論を弾き出した。普通なら隙にもならない、僅かすぎる間。あるかないかの一瞬の隙。
なのに、そこを突かれた。
「私の負けよ」
と、あっさり宣言したヴィリーさんが両手を挙げて降参の意を示した。
「!?」
今度こそ掛け値なしに僕は驚愕の稲妻に打たれた。全身が硬直し、一瞬だけど完全に動きを止めてしまう。袈裟斬りを放とうとした右手がピタリと静止して、僕は茫然自失となった。
完膚なきまでに致命的な隙だった。
ヴィリーさんが剣を握ったままだったら、斬られていたのは僕の方だったろう。
そこへ、ヴィリーさんが腕を上げたまま、すっ、と特殊な歩法で間合いを詰め、肉薄した。
何故かそのまま、抱きしめられる。
「――は……?」
いつもなら『へあ』とか『ぶは』とかいった間抜けな声をこぼす僕だけど、今ばかりは流石に戦闘モードだったので、割と真剣味のある疑問の声が出た。
ベアハッグ――ではなかった。ヴィリーさんは柔らかく僕の背中を抱き寄せ、緊張して硬くなった体を懐へと誘った。
目の前が真っ暗になり、顔全体が柔らかいものに覆われる。
――えっ、ちょっ……!?
意味がわからない。何がどうなっているのか、さっぱり理解できない。いい匂いがする。すごくいい匂いだ。頭の中がポワンとする。
カララッラン、と今更のようにリヴァディーンがコンクリートに落ちる音が耳に届いた。
「ありがとう、ラグ君。とても素敵だったわ」
頭の上からヴィリーさんの囁き声が降ってくる。いまだ緊張の解けない、というかむしろ逆に緊張の度合いが昂ぶっている僕には、その言葉がまるで異国の響きに聞こえた。顔の前が温かい。ふんわりしている。甘い感触がする。
――え、なに、どういうこと? まって、ぼく、いま、ヴィリーさんにだきしめられ、むね
そこで思考回路がショートした。
バチン、と頭の中で何かの線が切れる音がした。
「本当に楽しかったわ。ええ、これ以上ないくらい満足よ。後で小竜姫にもお礼を言わないといけないわね」
もはや石像と化した僕には、ヴィリーさんの感謝の言葉が念仏か何かのようにしか聞こえなかった。
「でもその前に、私の勇者様には今すぐ感謝の意を表すべきよね」
眼前にあった柔らかいものが離れ、目に光が入ってきた。だけど、僕はそれでも動くことが出来なかった。
すっ、と右耳で囁き声。
「また私と戦ってちょうだい。次こそ負けないわよ」
ちゅっ
さっきのとはまた違った、柔らかくて温かいものが右頬に押し当てられた。
「あ……」
思わず声が漏れた。喉が勝手に震えて、勝手に音が鳴った――そんな声だった。ぶるりとした震えが背筋を走り抜け、全身が痺れるのを感じた。
しまった、と真っ先に思った。
これは――否、これこそがヴィリーさんの最大の攻撃。
乾坤一擲の最終兵器。
さっき口では負けを認めてはいたけれど、いや実際にヴィリーさんとしては本気で負けたと思っているのだろうけれど――これは駄目だ。
やられた。
やられてしまった。
だって、こんなことをされて、僕が倒れないわけがない。
そのことをヴィリーさんはよく知っているはずだ。
一度ならず目撃しているはずだ。
なのにヴィリーさんは、こうして僕の頬に【キス】をした。
だから、間違いない。
絶対にそうだ。
ヴィリーさんは〝試合〟に負けて、〝勝負〟に勝つ道を選んだのだ。
降参と言いつつ、最後に立っている方を選んだのだ。
ずるい。
騎士の誇りはどこに行ったのだ。
いやまぁ、スマートと言えばスマートだし。
ヴィリーさんらしいと言えば、ヴィリーさんらしいのだけど。
駄目だ、頭が真っ白になる。
意識が遠のいていく。
――ああ……ハヌ、ごめん……
多分、耳の先まで真っ赤に染まっているだろう僕は、やっぱりいつも通りに気を失った。
起きた時が怖いなぁ、と闇に落ちる直前に思う。
斯くして僕達は、ヴィリーさんとの〝試合〟に勝って、しかして〝勝負〟には負けたのだった。
※コミカライズ版の3話が公開されております。
ご興味のある方は、下の方にある画像のリンクからどうぞ。




