●27 自由騎士の折衝
「……見てるよね、エイジャ? ちょっと出てきて欲しいんだけど……」
近くにあった廃墟ビルの一つ――比較的劣化がマシに見えるもの――に潜り込んだ僕は、〝SEAL〟にインストールされている専用アプリ『Lコンシェルジュ』を起動させつつ、声を出した。
硬いコンクリートの上を進むコンバットブーツの靴底は、けれど〈アコースティックキャンセラ〉のおかげで物音一つ立てない。僕の腕の中で胎児のように体を丸めたハヌは、未だ涙の衝動が収まらないのか、小刻みに背中を震わせている。
壊れた窓枠や壁に空いた穴から差し込む陽光が、建物内の暗闇をカーテンのように切り裂いている。光と闇の編み目のような空間を慎重に進んでいると、僕の視界の中に一枚のARスクリーンが浮かび上がった。
『やぁ、マイマスター。お呼びかな? 君やチームを有利にするための助言や協力は出来ないが、聞きたいことがあるなら答えよう。それが答えられることなら、だけれどね』
真四角のスクリーンに顔を出した赤毛の佳人は、相変わらずの調子で話しかけてきた。目に映る画面には笑顔のバストアップしか表示されていないけれど、枠の外で先端が三角に尖った尻尾がユラユラと揺れていることだけは間違いない。
「……これだけのことをやってくれておきながら、よく笑顔で出てこられるね……」
自分で言うのもなんだけど、僕は珍しくジト目になって遠回しの皮肉を口にしてしまう。
エイジャは朗らかに頷いた。はは、と笑い声を立て、
『ああ、それは仕方のないことだね。オレはそういう存在だから。いわゆる一つの〝仕様〟というものだよ。改善は諦めて、笑って許して欲しいところだ。ま、君にとっては笑えない話だろうけれど』
僕は建物の奥側にある陰、それでいて出入り口側がよく見える場所を見繕って足を止める。この位置と距離であれば、誰かが出入り口に姿を現してもすぐに対応できるはずだ。
「……そういえば君と僕が主従関係を結んだら、君は僕の従者ってことになるんだよね? ならその時、仕様変更の要求って出来ないのかな」
これまた珍しく嫌味を言ってみたのだけど、エイジャは飄々を肩を竦めて、こう嘯いた。
『出来るとも。是非とも君色に染めてくれ、マイマスター。ただ残念なことに、それは【今】じゃない』
建物内部は以前は何かのお店だったのか。部屋のあちこちに透明なショーケース――ただし破損しているものが大半――があったり、今はボロボロに風化しているけれど、内装のデザインが少々凝っているようにも見える。茶褐色の床には砕けた壁の細かい破片が散らばり、時間の流れを感じさせた。
「本当に君は、ああ言えばこう言うね……」
エイジャの返答に嘆息しつつ、僕はその辺にある小石のような破片を蹴飛ばし、周囲を綺麗にならす。ストレージから適当にレジャーシートとクッションを取り出すと、さっぱりした床に敷いた。
『さて、そろそろ本題に入ろうか、ラグディス。本来ならオレがこうして顔を見せて話すだけでもかなりの特例なのでね。マイマスターとはいえ、依怙贔屓が過ぎるのはよくない。いくらオレがルールだといってもね』
「…………」
今しれっとものすごいことを言ったようだけど、エイジャはやはり平然とした顔をしていた。これでは文句をつけるだけ無駄というものだろう。この場合、自覚があるだけマシなのか、余計に質が悪いのか。
「……ルールの確認をさせて欲しい。確か、ゲーム開始前に質問した時は『現在は返答不可。ゲーム開始後であれば返答可』ってあったけど……このゲーム、チームメンバーとの通信機能はないのかな?」
僕はハヌを抱きかかえたままシートのクッションに腰を下ろす。一応ハヌのも隣に出してあるけど、それを使うのは彼女が泣き止んでからだ。
僕の質問に対し、エイジャはすんなり頷いた。
『ああ、もちろん用意してあるとも。ただし、通信可能な距離に制限があるけれどね』
「通信距離に制限……?」
『ああ。あまり遠くの味方と通信できては、ゲームが盛り上がらなくなるだろう? というわけで、通信可能距離は二百メルトル以内に制限させてもらっている。ちなみに、事前にこの情報を渡すと最初の〝サプライズ〟に気付かれるかもと思ってね。万に一つもない可能性だったけれど、一応伏せさせてもらったというわけさ。どうか気を悪くしないで欲しい。別段、オレが悪いわけではないけれど』
茶目っ気たっぷりに片目を閉じて、少しだけ舌を出すエイジャ。かなりの美貌でそういうことをするものだから、絵面的にはきっと可愛いのだろう。でも、今の僕にはまったくそう思えなかった。
『その代わりと言ってはなんだが、それなりに便利な別機能を用意してある。これさ』
画面内のエイジャが、僕から見て右の手を振ると、実際に彼の映るARスクリーンの右側にもう一枚のウィンドウが現れた。
どうやら、僕達がいる浮遊群島の地図らしい。中央の大島に、周囲を囲む小島の群れが表示されている。さらには――
『見ての通り、地図上に点在している白い光点が君の味方――すなわち『白』チームのプレイヤーを示している。ただし、これは【十分前】の情報でしかないけれどね』
「え……?」
これはまた随分なタイムラグである。それではほとんど役に立たないではないか。
そういう思いを込めた僕の『え?』に対し、エイジャは瀟洒に肩を竦めてみせた。
『どうしてもリアルタイムで敵味方の位置を知りたいのなら、MPを消費して〝サーチ〟を使えばいいだけの話さ。代価を払わずに手に入る情報なら、この程度が精々だと思わないかい?』
「…………」
同意を求められても、どうにも肯定したくない僕である。そもそもからして、エイジャの身勝手な都合でこのようなゲームに参加させられているのだ。彼の中にある勝手な譲歩の具合など知ったことではない。
僕が無言を通していると、エイジャはもはや返答を待つことなく勝手に喋りだした。
『当然ながら、この状態ではどの光点が誰なのかといった個人の特定はできない。また失格になったプレイヤーはこのマップからも消失する。もちろんサルベージのマジックが使われた時はその限りではないけれども。ああ、繰り返すようだけれど、これは十分前の情報を逐一更新し続けているだけだ。白い点が少しずつ動いているのはそのせいさ。しつこく言うと、この位置情報が今現在のものでないことには十分注意した方がいい』
エイジャの言う通り、地図上の白い光の点は、複数で移動しているのもあれば、一箇所に固まって停止しているのもある。その中で一つ、なんだかものすごい勢いで動いているのは、もしかしなくとも十分前の僕なのだろうか?
『さらに言うと、この地図はいくつかのモードに変更することが可能だ。例えば――こうすれば自分の現在地がわかるようになっている。ああ、こちらはもちろんリアルタイムの情報だよ』
エイジャが遠隔操作すると、地図の色調パターンが変化した。緑地に黒線と白い光点だったものが、黒地に白線、赤い光点というパターンへと変更される。ただし、赤く光る点は一つだけ。エイジャの言葉通り、僕が今現在いる地点を示しているようだ。
『他にも、HPが低い味方だけを表示するモードや、戦闘中の味方だけを表示するモード、フリーズで停止させられている味方だけを表示するモードもある。何だったらそれらを複合してカスタマイズすることも可能だ。ま、君ならきっと造作もないことだろうね、ラグディス。得意だろう? そういうの』
そう言って、地図を再び最初のモードに戻すエイジャ。
すると、改めて地図上のとある部分が気になった。それは、地図の下側に広がる白い光点の群れである。
地図の上側、すなわち北側にあるのは僕やハヌ、ヴィリーさんやユリウス君といった『NPK』のメンバーと推測できる。
とすると、地図の下側、つまり南側に点在しているのは――ハウエル達『探検者狩り』の『白』側ということだろうか。
あちらでもこちらと同じような混乱があったのかもしれない。南側の光点はあちこちに点在し、てんでバラバラに動いていた。
『言うまでもないことだけれど、このマップを開きながら〝サーチ〟を使えば、完全リアルタイムかつ詳細な情報を表示させることができる。便利だろう? 君の敵である黒チームはもちろん、黒い点として表示される。敵が近くにいるかどうか気になる時は活用してみるといい。ああ、マジックが切れたらすぐ十分前の情報に切り替わるからね、注意が必要だよ』
まだ使ったことがないからよくわからないのだけど、確か『サーチ』のマジックは、視界に他のプレイヤーの位置を示す矢印が浮かぶものだったはず。なるほど、それとこちらのマップを組み合わせれば、色々な角度から敵味方の位置やステイタスがかなり詳細にわかるということか。
そう考えると味方同士の通信距離が二百メルトル以内というのは、僕達にとっては朗報かもしれない。なにせあちらの『黒』チームにはカレルさんがいる。彼が詳細な指令を『黒』チーム全体に行き渡らせられたら、戦略的に僕達『白』チームが追い詰められるであろうこと想像に難くない。そういった意味では、あちらの手足が多少縛られることは僕達の有利に働くのかもしれなかった。
『――ところでマイマスター。話を戻すけれど、通信が可能かどうか知りたがったのは、他の味方と連絡を取り合うためかい?』
エイジャが今更のようにそんな問いを口にした。
「……? それはもちろん、そうだけど……」
わざわざ言わずもがなのことを質問してきたエイジャに首を傾げつつ肯定すると、ARスクリーンに映る美少年は、くす、と蠱惑的に笑った。次いで、すっと双眸を細めてこちらに流し目を送ってくる。
「そうか、それならいいんだ。そうだね、事前に言っていた通り君には予選段階で下した相手――ハウエル・ロバーツがいる。彼の所属がどちらなのかはオレの口からは言えないが、何にせよラグディス、君は彼に対して〝絶対命令権限〟を持っているからね。味方であれば便利な駒になるだろうし、敵であれば無抵抗を命令して一方的に攻撃すればいい。よって、真っ先に探すのなら彼にしておいた方がいい、とだけアドバイスをしておこうか」
したり顔でそう宣ったエイジャは、不意に話を切り上げた。
「――さて、質問には答えたし、オレはそろそろ失礼しようかな。と言っても、監視は続けさせてもらうのだけれどね。それじゃあマイマスター、ラグディス。君の健闘を祈っているよ」
最後にからかうようなウィンクと投げキッスを寄越して、エイジャとの通信は終わった。彼の映っていたARスクリーンが消失し、隣にあったマップだけが残る。
「…………」
もう飽き飽きするぐらいだけど、毎度のことながらこちらに対してフレンドリーに接してくるエイジャの神経が本当に理解できない。彼のおかげで僕達がどれだけ苦労しているか、知らないわけでもなかろうに。
ふー、と呆れの息を吐くと、ふと懐のハヌがもぞりと動いた。
「……もう大丈夫、ハヌ?」
腕の中の感触では、結構前からハヌの体の震えは止まっていたように思える。が、エイジャに泣き腫らした顔を見せたくなかったのだろう。多分、僕と彼の会話が終わるのをじっと待っていたのだ。
「……うむ……」
僕が声をかけると、ハヌは少し億劫そうに僕の胸から顔を上げた。顔がやや赤いのは涙の残滓か、それとも照れくささからか。すん、と鼻を鳴らし、
「……あいすまぬ……手間をかけさせたな、ラト……」
恥ずかしそうに二色の視線を泳がせながら謝罪するハヌに、僕は首を横に振る。
「そんなことないよ、気にしないで。それより、その……」
どうして泣いちゃったの? と聞こうとして、躊躇いが舌を鈍らせる。女の子の涙の理由をストレートに聞くのは無粋というか、野暮な気がしたのだ。
「……あ、いや、えっと、その……い、言いたくないなら別にいいんだけど……」
慌ててそう付け加えると、ハヌは無言のまま再び、ぽふ、と僕の胸に頬を預けてきた。彼女は視線を合わせようとはしないけれど、顔を隠そうともしない。どうやら迷っているらしい、と僕は察した。
しばし、沈黙の時間が流れる。
お互いに黙ってはいるけれど、鼻水がこぼれそうなのだろう、ハヌは何度も鼻を鳴らす。体温もだいぶ暖かいから、半分ぐらい眠いのかもしれない。とはいえ、こんな時に眠られてしまっては少々困るのだけど。
「……大したことでは、ないのじゃ……」
不意に、ぽつりとハヌが口を開いた。その途端、彼女の体から強張りが消え、肩の力が抜けたような手応えを得る。
ふぅ、とハヌは溜息を一つ。
「……うむ、そうじゃ。大したことではない、大したことではないのじゃ、……全く以ての」
そう言葉にする都度、憑き物が落ちていくかのごとくハヌの声音が軽く、明るさを取り戻していく。
やがて顔を上げ、僕と目線を合わせた。まだ涙の余韻を残した蒼と金のオッド・アイが、白猫みたいに僕を見上げる。
くふ、とハヌが笑った。
「――すまぬ、ラト。いらん心配をかけてしもうたの。妾はもう大丈夫じゃ。そろそろ下ろしてたもれ?」
「う、うん」
ハヌが足を振って僕の腕の中から出たいと希望したので、足がコンクリートの床につくようにして立ち上がってもらう。カランコロン、とぽっくり下駄が軽快に音を鳴らした。
さっきまで体を丸めていた反動からか、ハヌは両手をあげて大きく伸びをする。「うにゅ~……!」とちょっと可愛い声が漏れ出るけど、僕は聞こえなかった振りをした。
しばし体を伸ばし終えたハヌは、ぱたりと両手を下ろすと、
「……ふぅ……ようやく人心地ついたわ。まったく、恥ずかしいところを見せてしまったの。妾としたことが……」
はにかみながらこちらへ振り返り、照れ笑いを僕に向ける。
「……? ? ?」
わけがわからず、ぽかんと見つめ返している僕に、ハヌは恥ずかしそうに告げた。
「……さっきのはじゃな、ただ嬉しかっただけなのじゃ。ほれ、覚えているであろう? あ、いや、あの時のラトは気を失っておったから覚えておらぬのか……?」
「あの時……?」
僕は首を傾げる。言っては何だが、僕が気絶していた時なんていくらでもある。あの時などと言われても、どの時だろう、となってしまうのだ。
とはいえ、ヒントがないわけではない。先程のハヌとカレルさんとの会話を思い出せば、自ずと場面は絞り込める。
「……もしかして、二〇〇層でヘラクレスと戦ったときのこと?」
「さよう」
僕の確認に、然り、とハヌは頷いた。
「先程言うた通りじゃ。妾はあの時、何もかもをラトに任せきりにして、ただおぬしが傷付くところを眺めておるしかできなんだ……いつぞやのラトではないが、それがずっと【悔しかった】のじゃ」
いつぞやのラト、という言葉に記憶がフラッシュバックして、僕は顔が熱くなる。『ヴォルクリング・サーカス事件』の後、意気消沈した僕は「悔しい」と内心を吐露して、ハヌに泣きついたことがあるのだ。
「……故にの、正当な報復とはいかぬが……カレルめの術力禁止空間とやらを破ってやれたことが、妾には本当に嬉しかったのじゃ。あの時の雪辱を果たすのは、宿願と言ってもよいぐらいじゃったからの。ちと、なんじゃ……感極まってしもうてな……」
その時の感動を思い出したのだろう。再び、じんわりとハヌの両眼に涙が滲んだ。
あの強気なハヌが、こんなにも簡単に涙を見せることが僕には驚きだった。
「そ、そんなに……気にしてたんだ……?」
正直、ハヌがそこまであの時のことを気に病んでいるとは思わなかった。だってあの時はどう考えても、僕がハヌを守るべき場だったのだから。
思い出すだに、あの状況はどう考えてもハヌのようなタイプには不向きだった。いや、それどころか普通のエクスプローラーにだって突破できない、特別仕様のセキュリティールームだったのである。
先日ヴィリーさんが『放送局』のカメラの前で言い放ったように、エクスプローラー業界は新たなステージへと突入しつつある。それこそ、これまで無力、無駄、無益とされてきた支援術式ですら、活用しなければ前に進めない時代へ。
ルナティック・バベル第二〇〇層の番人だったヘラクレスは、まさにその先駆けだったのだ。
だからこそ、僕のような『異端』があの場で勝利を収めることができたのである。
僕が驚きを露わにすると、ハヌは、むぅ、と唇を尖らせた。両手を腰に当てて上半身を前傾させ、ずい、と顔を近付けてくる。
「当たり前じゃ、ばかもの。あの時の妾がどれほど悔いたと思うておる。覚えておらぬであろうが、戦いが終わった後、ボロボロになったおぬしを見た妾は――」
そこまで言いかけて、ハヌは唐突に舌を止めた。しまった、と言わんばかりの表情で視線を横に逸らし、けれど続く言葉が出てこない。
そのまま数秒、気まずい沈黙が流れ、
「――何でもないのじゃ。気にするでない」
いや、そんな。むしろものすごく気になってきたのだけど。でも、ここで余計な追求をしたら怒られそうな気配を感じたので、僕は敢えて何も言わなかった。
「ともかくじゃ」
気を取り直したハヌが両手を上げ、何故か僕の顔を左右から挟み込んだ。いつもの態勢に近いが、通常は膝立ちしている僕が完全に腰を下ろしているため、ハヌもその分だけ腰を曲げている形である。
「ほれ、先日も言うたであろう? 〝妾がおぬしを守る〟――とな。そら見たことか、あれが虚言でないことがこうして証明されたではないか。ん? どーなんじゃ? おぬしは昔のことを持ち出してブツブツ言っておったが、実際にはちゃんとできたであろうが。ほれほれ、何か妾に言うことはないのかの、ラト?」
「むぎゅ……」
ハヌは勝ち誇った顔で僕のほっぺたをムニムニと弄る。前にハヌが『僕を守る』と宣言した際に笑ったことをまだ根に持っているのだ。
僕は微妙に理不尽なものを感じつつも両手を上げて、顔を挟むハヌの手に軽く添わせる。
でも、ハヌがニヤニヤと笑いながらこっちを見ているものだから、僕もつい、あは、と笑って、
「はいはい、わかったよ、もう。この前は笑ってごめんね? ありがとう、ハヌ。この通り、おみそれしました」
冗談っぽく言いながら素直に頭を下げると、ようやく満足してくれたのか、ハヌは僕の頬から手を離してくれた。
「うむ、許してつかわす。妾の心は天のごとく広いからの」
再び両手を腰に当て、ふふん、と胸を張ってドヤ顔をするハヌ。
どうやらもう完全に立ち直ったらしい。体力の方はまだ時間が必要だろうけど、気力は十分と言ったところか。
であれば、今はまだゲーム中。これからどうするかを相談しないと。
「――ところでハヌ、話は変わるんだけど、」
と話題を変えようとした時だった。
ビルの出入り口側から、ジャリ、とゴムの靴底が砂を噛む音が微かに聞こえた。
「――ッ!?」
背筋に電流が走って、僕は腰を下ろしていたクッションから跳ねるようにして立ち上がる。もちろん、ベルトのハードポイントから黒玄〈リディル〉と白虎〈フロッティ〉を取り外しながら。
僕の弾けるような動きに、けれどハヌは驚くことなく対応してくれた。着物の懐から正天霊符の扇子型リモコンを素早く取り出し、護符水晶を具現化しながら背後――出入り口の方角へ体ごと振り返る。
「……何じゃ、敵か?」
囁くように問うハヌに、僕は軽く首を横に振る。
「ううん、わからない……でも、明らかに誰かが歩いている音がしたんだ。気配を殺そうとしているみたいだけど、それが微妙に甘い感じがする……?」
疑問形になってしまうのは、出入り口の方から感じる気配が、まるで蜃気楼のように揺らめいているから。
「…………」
高まる緊張感の中、僕とハヌは黙って神経を尖らせる。
姿は見えないが、いる。それはわかる。でも、正確な距離と方角がわからない。どこか幽霊のような気配で、やや強まる時もあれば、ふっと消えてしまう時もある。
「……ハヌ、念の為に正天霊符の自動防御モードを――」
「もうやっておる。抜かりはない」
どこから何が出てくるかわからない。用心の為にハヌに自動防御をお願いしようとしたら、途中できっぱりと断言された。流石はハヌである。
「…………」
僕とハヌは自然、互いに背中合わせになるよう移動し、全方位を警戒する形をとった。だが、現れては消える気配は舞い踊るかのようにランダムな移動を繰り返し、確かな手応えを僕達に与えない。
――おかしい……なんだこれ? 絶対誰かがいるはずなのに……なんだか目眩ましされているような……?
そういえば、大分前に師匠から聞いたことがある。世の中には〝隠形術〟なるものが存在すると。その技術を極めた者は、例え堂々と人前に姿を現していようとも、周囲からは存在しないものとして扱われるという。目に見えないのではなく、〝意識の死角〟に入るのだとか。
――もしここに、そんな達人がいるのだとしたら……!?
この不安定で不確定な気配にも合点がいく。
でも、その対策と言えば――よほど無茶なものを除外すれば、無きに等しい。
最悪の場合はハヌの極大術式でこのあたり一帯を丸ごと吹き飛ばしてもらえば、どれだけ隠れていようとも一網打尽なのだけど――
そういったアクティブ過ぎるアクションは、色々な意味で今は遠慮しておきたい。それこそ、他のプレイヤーに僕とハヌがここにいることを宣言するようなものなのだから。危険が多すぎる。
――なら、近付かれる前に相手の場所を察知するしかない……!
腹をくくった僕は思い切って瞼を閉じた。そのまま、ゆっくりと呼吸を整える。
視界で捉えられないのなら、目を開けていたって無駄だ。
そも、見ようとするから見えないのだ。相手は極限まで気配を殺している。五感ではきっと捉えきれない。ならば、こちらも限界まで集中力を高めて、五感を越えたところで察知しなければならないのだ。
思い出せ、あの時の感覚を。
かつてヴィリーさんの不意打ち、超高速の突きを避けたときのことを。ロムニックの考えていることが手に取るようにわかったときのことを。茂みに隠れていたハウエルの存在に確信を得たときのことを。
――〝あの時〟みたいに直感を研ぎ澄ませるんだ――!
「――――」
いっそ〝アブソリュート・スクエア〟使用時にも勝るとも劣らない集中域に入った瞬間、突如として周囲の時間が粘性を帯びた海と化した。
僕の主観において、時の流れは限りなく停止に近付く。
音という音は消え、僕一人だけが世界から取り残されたかのごとき孤独に陥る。
究極の集中状態。
何も起こるはずのない刹那の世界、透明な瞬間――だけど僕はそこに、大きな違和感を覚える。
【何か】がいる――僕の知らない、【何者】かが。
今ならはっきりとわかる。その気配は――後方。
全方位を警戒しつつ、やはり僕達の意識はビルの出入り口へと大部分が向けられていた。だがその裏をかくように、【そいつ】は逆方向にいた。
「――!?」
信じられない。仄かな気配はずっと出入り口付近を中心として漂っていたのに、その全てがブラフだったなんて。さっきまでの自分の感覚がまるで信じられなくなる。
「――~ッ……!」
途端、時間が一気に流れ出した。僕は弾かれたように気配が確定した方向へ振り返る。
視界に飛び込んできたのは、ほぼ黒尽くめの青年の姿だった。
「……おっ? おお……なんだ、もう気付かれちまったのか? こいつは驚きだな……」
いつの間にやら僕とハヌのいる部屋の片隅、壁にもたれるようにして立っていた人物は、僕と目を合わせてから、ひどく冷静にキョトンとした。
「あ、あなたは……!?」
知っている顔だった。こざっぱりした黒い髪に、やや垂れ気味な青い瞳。漆黒に染まった戦闘コートの意匠は、色こそ違えどヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団』と同種のもの。
「ジェ、ジェクトさん、ですか……!?」
そう、彼こそは『NPK』幹部〝カルテット・サード〟が一人、〝漆黒騎士〟の異名を持つ、ジェクトさんであった。
「よっ、元気そうで何よりだな、お二人さん」
僕の愕然とした声に対して、彼は組んでいた腕をほどき、片手を挙げて軽く挨拶した。とても気配を消して近くまで忍び寄ってきた人間がとるとは思えない態度である。
ニカッ、と笑った顔はやけに爽やかで、敵意や害意なんてものは微塵も感じない。しかし、それがブラフである可能性は充分にある。悪意のない人間が、正体を隠したまま近付いてくるはずがないのだ。
「……コソコソと忍び足で近付くとは、礼儀知らずな奴じゃな。ラト、こやつ『黒』じゃぞ。油断するでないぞ」
僕に遅れてジェクトさんに向き直ったハヌは、扇子型リモコンに術力を籠め、周囲に浮かぶ護符水晶をスミレ色に輝かせる。いつでも速攻できる戦闘態勢だ。
言われてからジェクトさんの頭上に目を向けると、確かに『黒』チームであることを示すアイコンが浮かんでいる。
もはや疑いようもなく、彼は僕らの敵だった。
「あー、待った待った待った、ちょっくら待ってくれ」
僕がハヌの前に出て〝SEAL〟を励起させたところ、ジェクトさんは慌てたように壁から背を離し、両手を上げた。
「うん、悪かった。つい出来心でな、趣味の悪い覗きをしちまった。ほれこの通りだ、謝る。だから、ここはいったん落ち着いてくんねぇかな?」
掌を頭より高い位置まで上げて、無抵抗を主張するジェクトさん。その顔にはシニカルな笑みが張り付いていて、どうにも本心が見えない。
しかも、僕の見立てが間違ってなければ彼はロゼさんと同じ格闘士だ。徒手であることが無防備であることを示すことにはならない。
油断するわけにはいかなかった。
「――痴れ言を抜かすな。おぬしは妾らの敵であろう。それが姿を隠して近寄ってきたのじゃ。腹に一物あると見て当然であろうが」
ハヌが容赦なく拒絶ずる。彼女の言葉は僕の内心を代弁しているにも等しい為、僕は僕で無言のまま光刃の切っ先をジェクトさんに向けた。
「ああ、やっぱり? やっぱりそうなる? まぁそうなるよなー、うん、まぁわかっちゃいたんだけどよ」
微塵も警戒を解かない僕達に、ジェクトさんは剽軽な態度を見せる。一人で、ははは、と笑い、
「でもな? ――ほれ、お前さんらは無抵抗の相手をいきなり攻撃するなんて真似、できねぇだろ? ん?」
両手を上に上げたまま、なんともまぁ無邪気な顔で言い放った。
正直、ギクリとしてしまう。
確かに、ジェクトさんの言う通りかもしれない、と思ってしまったのだ。実際、ジェクトさんを『敵』と認定したというなら、僕達は既に攻撃を開始していて然るべきなのである。
だけど、彼の言葉の真偽を確かめるまでは――という思いがどこかにあって、戦闘開始に踏み切れずにいる。その心理を見透かされた気がした。
「それじゃあ、逆の立場になって考えてみてくれよ。お前さんらだったらどうする? 自分は仲間とはぐれて一人きり。そこにおっと、敵とも味方とも知れぬ相手が現れた。とても気になる。ちょっとぐらい気配を殺して近付いて、様子を見てみたい――なんて思ったりしまわないか? 思うだろう? いやぁ、思うはずだ。絶対そうに決まっている」
妙な確信を込めて、ジェクトさんは歌うように語る。言っては何だけど、大した付き合いも無いのにまるで僕とハヌの人となりを知り尽くしたような口振りである。
「「…………」」
悔しいことに僕とハヌは、ジェクトさんの言う通り動き出すことが出来ない。心のどこかで、彼の言い分に納得してしまっている自分がいるのだ。
「危ない奴らだったらそのまま逃げだそう。そうじゃなけりゃ――ちょっと話をしてみよう、そう思ったんだよ。それがそんなに悪いことか? いや、悪いことだよな。うん、すまん。何度も言うが、コソコソしていたことは悪いと思ってるんだ。確かに礼儀がなっちゃいなかった。いくらでも謝る。だから、な? 話だけでも聞いてくんねぇかな? 何だったらもっと距離を取ったっていい。それなら安心だろ? な?」
そう言って、ジェクトさんは両手を上げたままカニのように歩き出した。ゆっくり、ゆっくりと僕達と目線を合わせたまま間合いを離していく。
「俺だってここにいるのがあっち側――ああ、『探検者狩り』の連中な。あいつらだったらすぐに別の場所へ移動していたさ。けど、ほら、あれだ。出くわしたのはなんと〝勇者ベオウルフ〟に〝小竜姫〟ときた。で、お前さんらは広義の意味では俺の味方だろ? 今はゲームの設定上では敵味方であっても、本来俺達は手と手を取り合ってエクスプロールする仲のはずだ。そうだろ?」
「っ……」
ちょっとだけグサッときた。言われてみれば確かにそうなのだ。本来僕達『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』とジェクトさん属する『蒼き紅炎の騎士団』は現在、同盟関係にある。
今は『黒』と『白』に分かれて戦ってはいるけど、それはあくまでゲーム上での話。原則、ジェクトさんが僕らの味方であること自体は変わっていないのだ。
「だから、な? いいだろ? ちょっとぐらい話を聞いてくれたって」
そう言いながらもゆっくり足を動かして、僕達から距離を取っていくジェクトさんに、僕は対応を決めあぐねてしまった。
「…………」
困り果てた末に、僕は背後のハヌに視線を向ける。扇子型リモコンに術力を充填してスミレ色に輝かせていた彼女は、仏頂面でジェクトさんの所作をねめつけるように観察していたが、やがて、
「……よかろう。話だけならば聞いてやる。申してみよ」
硬い声で告げたハヌに、ジェクトさんがカニ歩きを止めた。嬉しそうに口元を綻ばせて、
「よっしゃ、恩に着るぜ小竜姫の嬢ちゃん。ああ、じゃあ、ちょっくら失礼してっと」
感謝を口にするが早いか、その場に胡坐を組んで座り込んでしまった。
「……何をしておる、おぬし」
当たり前のように腰を下ろしたジェクトさんに、遠雷に似たハヌの声がかかる。
「ん? いや、立ち話ってのも何だろう? ほれ、お前さんらも気にせず座った座った。俺と違ってちゃんとシートやらクッションやら用意してんだから。ああ、大丈夫さ、俺のことは気にしないでいいから」
言うまでもないがハヌの『何をしておる』は『ふざけているのか、馬鹿にしているのか』的なニュアンスを含んでいたのだけれど、ジェクトさんはそれに気付いているのかいないのか、実に軽い調子で受け流してしまった。
何というか、アシュリーさんといい、ゼルダさんといい、ユリウス君といい、〝カルテット・サード〟の面々は本当に一癖も二癖もある人達ばかりである。巷に流れる『四人とも頭のネジが何本か外れている』という噂はどうやら事実らしいと言わざるを得なかった。
――というか、四人とも良くも悪くも【人の話を聞かない】っていう共通点があるのかも……?
そういえば上司であるヴィリーさんもそういうところあるかもなぁ、なんて頭の片隅で考えていると、
「……ラト」
くい、と後ろから戦闘ジャケットの裾を引っ張られた。振り返ると、ハヌがもの言いたげな顔をして僕を見上げている。
「……ああ、うん、わかったよ」
すぐに彼女の求めるところを理解して、僕は双剣を持ったままさっき敷いたレジャーシートへと戻り、クッションの上に腰を下ろした。ジェクトさんの真似をするわけではないが、軽くあぐらをかく。
「うむ」
その様子を見届けたハヌは重々しく頷くと、やはりレジャーシートへ歩み寄り、けれどクッションではなく僕の膝上へと小さなお尻を下ろしていく。そのまま僕の懐へすっぽり収まると、僕の胸を座椅子の背もたれよろしく体重を預けてきた。
ハヌの移動に合わせて、宙に浮いていた正天霊符の護符水晶もこちらへ寄ってきた。自動防御モード中の十二個の水晶球は、僕らの周囲をふよふよと漂い、何かあればいつでも激発できるよう待機状態に入る。
「…………」
と、何故かジェクトさんが目を丸くして固まっている。こちらをじっと凝視しているようだけど、どうしたのだろうか?
「して、話とは何じゃ? そこまで言うのならば無論、妾達にとって有益な話なのであろうな?」
玉座に座る女王様さながら、ハヌが嘯く。その途端、ジェクトさんは夢から覚めたかのように目を瞬かせて、
「――おっと、そうだったそうだった。悪いな、思わず見とれちまったよ。ヴィリーの姐さんから聞いてはいたが、お前さんら本当に仲良しなんだな?」
表情を改めてニヤニヤとこちらを眺めるジェクトさんの言葉に、ようやっと僕は彼の視線が言わんとすることに気付いた。
言われてみれば今の僕とハヌは、誰がどう見てもくっつき過ぎである。しかもろくに会話したこともない、ほとんど初対面な人の前で。急に恥ずかしくなって、どうしよう、でもここで無理に離れたらハヌが怒っちゃうかな? なんて考えている内に、
「当たり前じゃ。妾とラトは世界最高にして唯一無二の親友じゃぞ。この程度、日常茶飯事に過ぎぬわ」
不機嫌モードのハヌが、それでも胸を張って堂々と断言してしまった。これでは離れるに離れられない。
「はは、そいつは何よりだ。――さて、じゃあ本題に入ろうか。実を言うとだな、俺はお前さんらと〝情報交換〟がしたくて近付いたんだ」
「情報……交換……?」
ハヌの体温を懐に感じつつ、ジェクトさんの口から出てきた予想外の単語を僕は繰り返した。
「そう、情報交換。もちろん、この〝ゲーム〟に関する、な」
ジェクトさんは頷き、ニヤリと笑う。
「ま、正確には俺からの〝情報提供〟ってことになるのかな? お前さんらは聞いてくれるだけでいい。信じるかどうかもそっちに任せる。ともかく、俺はここまでで得たこのゲームに関する情報を話すから、お前さんらはただ受け止めてくれればそれでいい。どうだい?」
「……えっと……それは……?」
「おぬしにどのような利益がある? 魂胆を申せ」
僕が小首を傾げると、すかさずハヌが単刀直入に切り込んだ。
そうだ。言うまでもなく、情報というものは重要な資産の一つだ。使い方によっては実に様々な恩恵を得ることができる。なのに、それを無料で垂れ流すなんて、エクスプローラーとしては常識外れもいいところだ。
「魂胆と言われてもな……そいつを聞かなきゃ俺の言うことは信用できないか? いやまぁ、できねぇよな。うん、そりゃそうだ。わかる」
困ったようにポリポリと頬を掻いたジェクトさんは、一人で質問して一人で答えると、腕を組んで一人で納得して深く頷いてしまった。
何だろう、この独特なテンポ。どこか懐かしいような、何だか不思議な感じがする。
「――そうだな、うん、よし。この際だ、ぶっちゃけてしまおうか。実はな、俺はカレルレンの旦那の依頼で動いているわけなんだが――」
早々に手持ちのカードを披露しようとするジェクトさんに軽く瞠目していると、
「――正直、手が足りない。遊撃担当の俺にこういった役割が振られるのは、まぁ仕方ないと言えば仕方ないんだが、それにしたって人手不足にも程がある。俺としては仲間を増やしたいところだし、それがお前さんらみたいな手練れならまったく文句がない。ま、身内じゃない〝勇者ベオウルフ〟と〝小竜姫〟に手を借りたなんて言ったら、カレルレンの旦那には呆れられるかもしれないが……背に腹はかえられないだろ? 世の中、時には質より量ってこともあるとは思わないか?」
「くどいぞ、おぬし。とっとと要点を申せ」
核心の近くを撫でるようなジェクトさんの言い回しに、焦れたハヌが硬い声で詰問した。
あるいは、それこそがジェクトさんの狙いだったのかもしれない。
「カレルめはおぬしに一体何を吹き込んだというのじゃ? あやつは何を目論んでおる? おぬしは妾達を何に利用するつもりじゃ」
矢継ぎ早に問いを重ねるハヌに、ジェクトさんの青い双眸がキラッと輝いた。
この瞬間、僕は――あ、これ、まんまと術中にはまったな、と感じた。
「よくぞ聞いてくれた、小竜姫の嬢ちゃん。そーそー、それそれ。あ、先に言っておくけど、ここからはオフレコで頼むな? 一応、極秘裏に進めるのが前提の話なんでね」
爽やかに笑う〝漆黒騎士〟の瞳に、瀟洒な光が煌めく。
あくまでお預けを続けるジェクトさんに、ハヌの眉根の皺がさらに増えた。せっかちなハヌを前にここまで本題を出し渋るあたり、ジェクトさんは〝破壊神〟やら〝恐怖の大王〟やらと呼ばれている彼女をまったく恐れていないらしい。
僕達の沈黙を肯定ととったのか、一拍の間を置いてからジェクトさんは語り出した。
まず、おほん、とわざとらしい咳払いで前置きをして、
「俺がカレルレンの旦那に頼まれたのは――【このゲームの本当の攻略法を探る】ことさ」
「? このゲームの……」
「本当の攻略法、じゃと?」
思いも寄らぬ言葉に、意図したわけでもないのに僕達は言葉を合わせてオウム返しにしてしまった。
ハヌと二人、顔を見合わせてしまう。
「あの、それって……?」
どういう意味ですか? という問いに、ジェクトさんは、うんうん、と首肯を繰り返す。パシッ、と自分で自分の太腿を叩き、
「わかるわかる、俺も最初はそう思ったものさ。何言ってんだこいつ? みたいにさ。ついさっきまではこのゲーム、どう考えても俺達と『探検者狩り』の奴らとの対決だとしか思えなかったしな。ま、結果としては旦那の懸念の方が正しかったわけだが」
すごい。この人、素で僕達の前で上司批判してる。もしかして異名の〝自由の女神の騎士〟って、まさかそういう意味なんじゃ……?
「おっと、悪いな。話が逸れちまった。ちゃんと時系列順に話そうか。まず、俺が旦那から依頼を受けたのはこのゲームが始まる直前だ」
ジェクトさんは片手を喉元にやり、んんっ、と声音を調節。
「――ジェクト、お前は単独行動をして、このゲームの本当の攻略法を探って欲しい。何か嫌な予感がする。もはやそうとは見えないが、それでもここはルナティック・バベルの内部だ。素直に単純なゲームが始まるとも思えない。十中八九、何か裏があるはずだ。お前にはそれを探ってもらいたい。つまり良くも悪くも、お前はこのゲームに【参加するな】。ゲームの外から、ゲームマスターの狙いを見極めてくれ」
カレルさんの声真似のつもりだろうか。やけに低い声で朗々と歌うように話すジェクトさん。
「――ってな? こう見えて俺も雇われの身。〝漆黒騎士〟なんて呼ばれちゃいるが、流石に完全自由の身ってわけでもない。お上の言うことには従わないと後が怖え。というわけで、今のところ俺のことは『黒』でも『白』でもない、言うなれば『灰色』チームとでも思ってくれ。一応、頭の上には『黒』のマークがあるんだけどな、これは気にしない方向で」
しれっ、と割ととんでもないことを言っているのだけど、ジェクトさん自身は気付いているのだろうか? 何というか、こんなにもあっさり『ルールの外』へ飛び出す人を見るのは初めてかもしれない。同じナイツ所属のアシュリーさんとはまるで正反対の人だ。
「……して、おぬしは妾やラトにもその『灰色』になれ、と申すわけか」
ハヌの言葉に、ジェクトさんは器用に片目を閉じてみせる。
「そう、ご明察。話が早くて助かるよ、嬢ちゃん。こんな大仕事、流石に俺一人だけじゃとても務まらないからな。是非ともお前さんらの手を貸して欲しい。というかな、味方同士、不毛な戦闘をするよりはよっぽど有意義だと思うんだが……そこのところどうよ?」
その誘いに、少しだけ心がぐらつく。確かに、いくらエイジャ主催のゲームとはいえ、味方同士で争うというのは気持ちのいいものではない。ハウエル達『探検者狩り』相手ならともかく、『黒』チームにはロゼさんやフリムがいるのだ。まぁ、あちらは遠慮も手加減もなく襲いかかってきたのだけど――そこはそれ、ゲームなのだから仕方ないと言えば仕方ないとも言える。
とはいえ、だ。
「あの、でも……そのカレルさんがゲームが始まった途端、味方同士の戦いの火蓋を切った気がするんですが……?」
僕は違和感を抱いた部分を、ジェクトさんに問いかける。
思い返せば、先程の大騒ぎの発端は誰あろう、カレルさんなのである。あの人が率先して『黒』チームを煽り、それを受けたフリムやロゼさん達が一斉に戦闘モードに入ってしまったのだ。
このゲームに裏があると思っている人が、あそこまで容赦なく僕らへの攻撃を指示するものだろうか。
「さよう。ラトの言う通りじゃ。カレルめがおぬしにかような命を下していたとして、であれば何故、そのあやつが真っ先に戦いを始めよった。矛盾しているではないか」
ハヌも同意だったらしく、色違いの目を眇めてジェクトさんに言及の剣を突きつける。
そうなのだ。よくよく考えてみれば、あの時のカレルさんの行動はおかしい。普通に考えたら、チーム分けがランダムだったのは予想外のイレギュラーだ。あの場はチームメンバーを煽るのではなく、その場にいる全員を落ち着かせて、冷静に対策を練るべきではなかったのか。
だというのに、カレルさんは大声で最優先目標として僕を指名し、なりふり構わず襲い掛かってきた。当時も相当驚いたものだけど、改めて思い返すと別種の驚きが得られる。
――カレルさんは、最初からこのゲームのルールに何かしら疑念を抱いていた……? だからジェクトさんに別行動を取るよう指示を出していた……でも、そのカレルさんが積極的にゲームに乗ってきた理由って一体……?
わからない。カレルさんが何を考えているのか、さっぱり理解できない。でも、僕達の力が必要なことならきっと事前に相談があっただろうし――いや、もし、そもそもカレルさんの上司であるヴィリーさんにも内緒だったとしたら……?
「カレルめの行動はどう考えても辻褄が合わぬ。どういうことか説明せよ」
それを聞いて納得するまで引くつもりはない――そんな決意が籠もったハヌの声音。
そんな鋭い舌鋒を、けれどジェクトさんは笑顔で躱してしまう。
「あー、あれな。俺も遠くから眺めていたが……うん、まぁ、ひどかったよな」
ははは、と他人事のように笑い飛ばす。が、直後に軽すぎると思い直したのか、誤魔化すように顔の前で片手を振り、
「いやいや、でもま、やっこさんにもちゃんとした考えがあったんじゃねぇかな? ほれ、意味も理由なくあんなことする旦那じゃねぇってのは、お前さんらも知ってるだろ?」
理由は知らないが、どうせ何か納得できるすごい理屈でもあるのだろう――ジェクトさんの口振りには、そんなカレルさんへの信頼が満ち溢れていた。
「「…………」」
僕とハヌは無言のまま目線を合わせる。
意味も理由もなくおかしな行動をとるカレルさんではない――そう、良くも悪くも、僕達はその言葉に頷くしかない。
さして長い付き合いでもないが、僕もハヌもカレルさんの人となりは知っているつもりだ。悪い人ではない。それは確かである。
でも同時に、こんなことも予想できるのだ。
もしかしなくともゲームが始まった瞬間、これは〈ユグドラシル・フヴェルゲルミル〉による術力禁止空間が、僕とハヌに通用するのかどうかを試す絶好の好機だと――カレルさんはそう考えたのではないか。あの一瞬でそこまで計算したのではないか。その可能性はきっとゼロではない――と。
「ま、カレルレンの旦那のこった、間違いなく色々と考えをこねくり回した結果の行動なんだろうさ。いつも顰め面で小難しいこと考えてやがるからな、あの人。そのあたりはどうか信じてやってくれよ。俺が言えた義理でもねぇが」
「……ふむ……」
結局カレルさんの行動の矛盾はこの場では解消できない――そう判断したハヌが、小さく息を吸って何かを言おうとした。
が、それよりも早く、
「ところで少年、お前さんHP減ってるだろ? 何か食い物は持ってるか?」
「えっ?」
ジェクトさんの唐突な話題転換に面喰う。確かに僕のHPは色々あって結構減っているが、それと食べ物がどう関係するというのか。
キョトンとする僕に、ジェクトさんは、にっ、と歯を見せて笑った。
「おっ、やっぱり知らねぇみたいだな。じゃあ、こいつは手付の情報だ。このゲームの隠しルールその一。食い物を食べるとHPが回復する。覚えておいて損はないぜ」
「隠しルールじゃと?」
聞き捨てならない単語に、ハヌが即座に反応した。
まさか、エイジャが提示しているルール以外にもまだ何かあるというのだろうか。いや、言われてみれば確かにその可能性は多分にあるとは思うのだけど。
「ああ、実を言うとそのあたりの確認も俺の仕事の一つでね。一人だけ祭りに参加せずに遠巻きにしていたのは、運営さんにメッセージを送るためでもあったのさ。で、食い物は持ってるかい? よかったら俺のを分けてやるが」
手甲に包まれたジェクトさんの右手に、明るく鮮やかな赤紫――マゼンタの光が収束する。ギンヌンガガップ・プロトコルの余剰光だとすぐにわかった。果たしてストレージから取り出されたのは、透明なビニール袋に包まれた菓子パンである。
「アンパンと牛乳でよけりゃ、いくらかお裾分けするよ」
そう言って、今度は左手に四角い牛乳パックを実体化させる。
言うまでもなく、僕がストレージに貯蔵している缶詰やインスタントヌードルのように、いざという時の食糧を携帯するのがエクスプローラーの常識だ。
だがそれが――なんと、よりにもよって牛乳とは。
一応、ギンヌンガガップ・プロトコルによってデータ化して〝SEAL〟のストレージに格納された食品類は、ほぼ時間が止まったような状態となり、腐敗する心配はなくなる。なくなるが――しかし、何が起こるのかわからないのがエクスプロールというものだ。
例えば、エクスプロール中に入手したコンポーネントやアーティファクトが多すぎた場合、すぐに必要でないものをストレージから取り出し、入れ替えたりなどすることがある。その際、替わりにされる代表が非常食だ。
だから、アンパンはともかく、牛乳なんてものを非常食として携帯していたら、そういう時には傷みが進んでしまう。データ変換している間は冷凍状態のように時間が停止するとはいえ、それでも僕が缶詰やインスタントヌードルといった『傷みにくいもの』を非常食に選んでいるのは、それが理由だ。
「い、いえ、結構です。僕もまだ非常食が残ってますので……」
堂々と勧めてくるのだから、きっと問題ないのだろうけれど、やっぱり微妙に抵抗がある。僕は丁重にお断りすることにした。
「お、そうかい? ただ、こういうのはすぐに食べられるものが有利だぞ。いざという時は戦闘中にも回復しないといけないしな。そこのところは大丈夫か、少年?」
「あ……」
そう言われると、そうだ。僕の手持ちですぐに食べられるものと言ったら、乾パンぐらいしかない。あとどれぐらい残数があっただろうか。
「ラト、非常食は先日も食べたであろう。残りはどうなっておるのじゃ?」
ハヌも気になったのか、軽くこちらを見上げて聞いてきた。僕は過去の記憶をほじくり返し、頭の中で指折り数える。
「えっと……インスタントヌードルがあと十個ぐらいで、乾パンが多分二十個ぐらい? お肉系の缶詰が六つぐらいで、あとフルーツ系の缶詰が五つぐらい……かな?」
「――なんじゃと!? ラトおぬし、まだ五つも隠し持っておったのか!?」
「わ、わぁっ!? こ、声が大きい声が大きいよハヌっ!?」
ハヌがいきなり緊迫した声で怒鳴ったものだから、僕の心臓が凄まじい勢いでジャンプしてしまう。慌てて彼女の口を両手で塞ぎ、
「んむー! むむー! んむむむむぅぅぅー!!」
という何を言っているのかよくわからない訴えを封殺する。
しばらくするとこちらに通じない喚きをする愚を悟ったのか、ハヌが口を止め、けれど上目遣いのジト目で僕を見据える。静かになったので、そっと手を離すと、抑え目の小声で、
「……聞いておらぬぞ。桃の缶詰だけではなかったのか。あれが最後の一個と言っておったではないか。親友たる妾をたばかったのか」
「た、たばかってない、たばかってないよっ。だって桃の缶詰は本当にあれが最後の一個だったし、他はミカンとかパイナップルとかだから……!」
嘘は言っていない、でも余計な情報も出さなかったのも事実なので、慌てて小声で弁解する。むぅ、とハヌは唇を突き出し、けれど人前であることを思い出したのだろう。
「……よい、その話は後じゃ。後で必ず話をつけるからの。よいか、絶対にじゃぞ」
そう言い置いて、ぷいっ、とジェクトさんへと向き直ってしまった。これは多分、後でフルーツ系の缶詰を全て差し出すよう言われる流れだ。僕が携帯しているのはあくまで非常食であって、おいそれと食べるものではないのに……恐るべし、ハヌの甘党である。
「話を戻すぞ、おぬし。ルールの確認も仕事の一つと申したな。どういう意味じゃ」
盛大に折れた話の腰を元に戻すと、ジェクトさんはこちらのことなどお構いなく、先程取り出したアンパンの包みを開けて口を付けていた。
モグモグとひとくさり咀嚼すると、
「どうもこうも、そのままの意味だよ。昨日のミーティング中に、いくつか確認できないルールがあっただろ? あれを改めて運営に連絡して、確認を取っていたのさ。さっきの『HPの回復方法』もその一つってわけだ」
まさに今、食事をとってHPを回復させているジェクトさんは、そこでいったん牛乳パックのストローに吸い付いた。
そういえば、と思い出す。先程エイジャに確認した『味方同士の通信』について以外にも、返答拒否の質問がいくつかあった。それらの文面は一様に、
『現在は返答不可。ゲーム開始後であれば返答可』
というもので統一されていた。つまり、ゲームが始まってから聞けば教えてやるが、それまでは絶対に教えてやらない――という状態だったのである。
これについては僕も朧気に『必要なことが出てきたらゲーム開始後に聞けばいいだろう』と思っていたし、きっと他の人もそうだったはずだ。
だが知っての通り、開始直後はあの混乱である。誰の頭からもそんな考えは吹き飛んでしまっていたに違いない。
「もしかするとカレルレンの旦那は、【こうなる】可能性も考えていたのかもな。だから俺に、戦線から離れてルールの細部を確認するよう指示したんだろうさ。さっき言った【このゲームの本当の攻略法を探る】上でも必要なことだと見越してな」
神算鬼謀なんて言葉があるけれど、一体カレルさんはどこまで見通しているのだろうか。本当に底知れない人である。
「というわけで、俺はゲーム開始直後にストックしておいた質問のメッセージを運営に送信。返信を待っている間に、お前さんらの方では乱戦が巻き起こって、どいつもこいつも散り散りになっちまった――ってわけさ。よし、話を最初に戻そうか」
パン、と軽く両手を叩き合わせて、ジェクトさんは先程と似たような言葉を繰り返した。
「とにもかくにも、俺はさっき入手した隠しルールを開示するから、お前さんらはただそれを聞いてくれればいい。信じるも信じないも自由だが、少しでも有益だと思ったなら、俺に力を貸してくれ」
すっ、と片手を前へ差し出して、僕達に選択を迫るジェクトさん。いつの間にやらその手に持っていたアンパンは彼の胃袋に消え、牛乳パックもべコベコにへこんでいた。
無論、相対距離が離れているため握手など出来るわけもない。差し伸べた手は、あくまで『どうだい? 俺は歩み寄ったぜ?』というポーズなのだろう。何よりも、不敵な表情と態度が言外にそう告げている。
「少し待て」
ハヌも同様に、けれど壁を作るように右掌を前へ突き出した。そのまま、僕を振り返り小声で囁く。
「ラト、おぬしはどう考える?」
僕は少し考え、同じく囁き返した。
「これが罠かどうかで言うと……罠じゃないと、思う。でも……」
「うむ。あやつら、まだ何か隠しておるの。妾も同感じゃ」
こちらを見上げるハヌの蒼と金の瞳には、確信の光が宿っている。ジェクトさんは上手く韜晦しているつもりかもしれないが、やはりどこか怪しい。
「ちと、そのあたりを暴いてみるかの」
主要な部分は省いてアイコンタクトで意思疎通すると、ハヌは改めてジェクトさんに向き直った。
「よかろう。話だけならば聞いてやる、と言ったからの。おぬしからの情報は遠慮なく受け取っておこう」
ハヌの返答に、ジェクトさんがしめたとばかりに指を鳴らす。
「よっし、じゃあ――」
「じゃが、その前に確認じゃ」
そのまま何か言いかけた彼の機先を、しかしハヌの鋭い舌鋒が制した。
ピタリ、と動きを止めたジェクトさんに、ハヌは直截的に切り込む。
「これは妾の予測じゃが、カレルめは【このゲームの後のこと】を考えて動いておるな?」
「…………」
不意打ちがごときハヌの問いに、ジェクトさんは僅かだが沈黙を返した。その瞬間、図星だ、という確信が得られる。
質問の意味がわからなければ、まず真っ先に首を傾げるのが道理だ。しかし、少しでも硬直して言い返すことが出来なかったということは――
「やはりの。どうせ、次のようなことを考えたのであろう」
やや目を見開いて口を閉ざしたジェクトさんを、ハヌは懐から取り出した正天霊符の扇子型リモコンの先端で、びしっ、と指し示す。
「この大島でのゲームが始まる前――確かエイジャとやらは『予選』と言っておったか。その予選での敗者は『勝者に絶対服従』が強制される、という規則があったはずじゃの。カレルめはその点を気にしているのであろう?」
「――?」
ジェクトさんと対話するハヌの背後で、僕はこっそり小首を傾げる。
そういえばエイジャもさっき似たようなことを言っていた。予選――あのフロアマスター級との戦いを予選と呼ぶのは、些か以上に抵抗があるのだけれど――で下した相手、つまり僕にとっては『探検者狩り』の首領であるハウエル・ロバーツなのだが、奴にはそのルールが適用され、例えチームが『白』であろうが『黒』であろうが関係なく、絶対服従させることが出来るという。
でも、それはあくまで予選の話である。今のゲーム本番とは関係ないと思うのだけど――
「……ま、気付くよな、やっぱりな。うん、まぁ、当たりっちゃあ当たりだし、外れっちゃあ外れだよ、嬢ちゃん」
この場で抗弁する愚を悟ったのか、存外あっさりジェクトさんは負けを認めた。わざとらしく肩を竦め、はぁぁぁ、と大袈裟な溜息を吐く。
「……どういう意味じゃ」
「俺も別段、カレルレンの旦那からその話を聞いたわけじゃない。だから、これはあくまで俺の予想なんだが……まぁ、【ジャスト】だ。俺もそう思う。旦那はそこを気にしてるんじゃねぇかな、ってさ」
曖昧な返答に対して突っ込まれたジェクトさんは、『己の推測にすぎない』という防波堤を築いてから、ハヌの言葉に頷いた。
「予選でさえ、負けた奴は勝者の奴隷になっちまったわけだ。じゃあ、この本選で負けたらどうなる? どんなペナルティが課せられるのか想像もつかねぇだろ?」
お手上げだ、と言わんばかりにジェクトさん両掌を頭より高い位置に上げる。
「であれば、だ。うちの冷血犀利の〝氷槍〟さんとしては、ナイツに及ぶリスクを出来るだけ低くしたい。そのためにはナイツで一番頭がキレる自分のいるチームが勝つことが望ましい。少なくとも自分が勝利チームにいれば、『探検者狩り』側にどんな奴がいて、負けた方にどんなペナルティが課せられても、どうにかする自信がある――そんな風に考えたんじゃねぇかな、多分だけど」
カレルさんとジェクトさんの付き合いはどれぐらいになるのだろうか。流石にカレルさんとヴィリーさんほど長くはないとは思うけれど、それでも結構な間柄なのだろう。多分だけど、と言いつつも彼の口調は妙に自信に満ちているように聞こえた。
「詰まる所、〝どんなペナルティを喰らうかわからないなら、とりあえず勝っておいて損はないだろう〟――みたいな? そんな感じで真っ先に少年、お前さんを落としにかかったんだろうさ。ま、気持ちはわからんでもないね。特にお前さんら二人は、文字通りの【ジョーカー】だからな」
そう言って、ジェクトさんは僕とハヌの顔をじっと見つめる。何だか含みのある視線だ。僕はともかく、まさかハヌが現人神だということに気付いていたり……?
「――とはいえ、だ。あまり目先のことばかり考えても仕方ない、ってのもあるはずなんだ。でなけりゃ、俺にこんな指令は出さないだろ? ま、あの旦那は矛盾していることを矛盾したまま抱えることのできる御仁だからな。本心なんて、探ろうとするだけ無駄だと思うぜ」
その言葉を最後に、ジェクトさんはこの話に蓋をしたようだった。両腕を後ろへ伸ばし、重心をずらして体勢を崩す。まるで自室にいるようなくつろぎ具合だ。
「……よかろう。得心はいかぬが、事情は察した。おぬしの話を聞いてやろう」
これ以上の腹の探り合いは無為と判断してか、今度こそハヌは首を縦に振った。
すると、ジェクトさんは唇の片側を釣り上げて、皮肉っぽい笑みを口元に刻む。
「……まったく、カレルレンの旦那が警戒するわけだ。見た目は子供でも、中身は得体の知れない怪物だな、お前さんら二人は。年相応に泣いたりするかと思えば、頭のキレ具合は大人顔負けときた。掴みどころが無さ過ぎだぜ。詮索するつもりはねぇが、一体何者なんだかな」
やれやれ、と言わんばかりに上体を前へ戻して背筋を伸ばしたジェクトさんは、宣言通りに僕らへの追及の手を進めず、話を本筋に戻した。
「――わかっちゃいるとは思うが、このゲームは詰まる所、俺達の【同士討ち】を誘っている。どういう魂胆かは知らねぇが、このゲームのマスターは相当に意地が悪いらしい。カレルレンの旦那みたいにわかった上で乗るのならいいが、そうでないならやっこさんの思惑から外れた方がよさそうだ。ぶっちゃけて言えば、こんなもん戦うだけ無駄、ってことだな」
そうはっきりと断言されてしまうと、さっきまで必死に戦っていたことが少し空しくなってしまうのだけど、ジェクトさんの言うことは真実を穿っているだけに何も言い返せない。
「それに、こいつはただの直感だが……まだ【何か】あるはずだ。得体の知れない――それでいて、とんでもなく【ろくでもない何か】が、な。そこんとこはお前さんの方が詳しいんじゃないか、少年?」
ふと、眼差しを真剣なものに変えたジェクトさんに問われ、僕は反射的に頷いてしまった。我知らず、生唾を嚥下する。
自分で言うのも何だが、このルナティック・バベルの悪辣さについては、僕が一番よく知っていると言っても過言ではない。何度でも言うが、一体どれだけ大変な目に合わされてきたことか。指が何本あっても数えきれるものではない。
「とにもかくにも、このゲームの『本質』がどこにあるのか。それを探らないことには話は始まらない。だが逆に言えば、GMが何を狙っているのかさえわかれば、自ずとこのゲームの『ゴール』も見えてくるってこった。そうだろ?」
やや前のめりになって同意を求めたジェクトさんは、けれど返答など期待していなかったのだろう。そのまま片手で自ら膝を軽く叩くと、声音を明るいものへと変化させた。
「――さて、話がそれちまったな。悪い。ええと、なんだったかな……ああそうそう、ルールだ。隠しルール。よし、じゃあ色々と説明するから、まずはこいつを見てくれ」
今までの話をさっと流すと、ジェクトさんは己の〝SEAL〟から一枚のARスクリーンを表示させた。そのまま、スクリーンに並ぶ文字列について解説を始める。
不意に、僕の懐にいるハヌがごく小さな声で囁いた。こちらを一瞥もせず、
「……ラト、抜かるでないぞ。どこに嘘が潜んでおるかわからぬ。頭から信用はできぬからの」
僕だけにしか聞こえないその声は、密やかな警告だった。
正直、これまでの話で若干ジェクトさんを信じる気持ちになっていた僕は、冷や水を浴びせられたような気分で背筋を伸ばしてしまう。
そうだ、油断してはいけない。極論、ジェクトさん自身が大きな罠そのものかもしれないのだ。下手すればここにいる彼は偽物で、エイジャの差し向けた刺客である可能性だって十分にある。
「…………」
疑いの目を閉じてはいけない。僕は先日、そんな油断の隙を突かれて、大切な友達を奪い攫われたばかりなのだから。
僕は片手を上げ、ハヌの頭を撫でるように軽く叩いた。わかったよ、という気持ちを込めた行動に、ハヌが微かに顎を引くようにして頷く。
そこからは、ジェクトさんの語るゲームの『隠しルール』に耳を澄ませ、僕は意識を集中させた。




