●11 超古代の英雄と仲間殺しの英雄
ルナティック・バベル、第二〇〇層。
そう、いきなりだが、もう二〇〇層である。
それはつまり、一九八層も一九九層もゲートキーパーが撃破され、セキュリティが解除されたということを意味しているわけで。
どこの誰が? そんなものは決まっている。
誰あろう、《小竜姫》ハヌムーン・ヴァイキリルを擁する新鋭クラスタ――『スーパーノヴァ』の仕業である。
なんと彼らは、たった二人でゲートキーパーを倒すという《BVJ》の偉業――自分で言うのも何だけど――による熱も冷めやらぬ内に、二日連続で一九八層のゲートキーパー《毒蜘蛛》、一九九層の《炎獅子》を撃破するという、その名の通り超新星がごとき鮮烈なデビューを果たしたのである。
そんな新進気鋭の『スーパーノヴァ』は、この二日間の栄光に飽き足らず、今日もまたこの二〇〇層の決戦に臨むという。
日中は疲労回復のため深い眠りに就き、夜中は馬鹿みたいにルナティック・バベルで戦いまくっていた僕は、そんな世間の動きをまったく知らないでいた。
昨晩、カレルさんから一部始終を聞かされるまでは。
こそこそと身を低くして、二〇〇層のセキュリティルーム前の人混みに紛れ込む。やはりというか何というか、歴史的瞬間を見るためだろう。流石に観客が多い。通常の三倍ぐらいの人が集まっているんじゃないだろうか。
『ダイン達は明日の正午、誰にも破れない記録樹立のために、勢いそのまま二〇〇層のゲートキーパーへ挑戦するそうだ。しかし、ルナティック・バベルにおけるこれまでの歴史を省みれば、それはあまりに無謀と言わざるを得ない』
そんなカレルさんの声が耳に蘇る。
ルナティック・バベルに限らず、世界各地の遺跡において、キリのいい番号の階層では必ずと言っていいほど『何か』が起こる。
きっと大昔から人類は、五〇や一〇〇といった数字に何かしら特別性を見出していたのだろう。ことルナティック・バベルに関して言えば、かつて五〇層、一〇〇層、一五〇層において、その『何か』は発現していた。
その三つに共通しているのが、一度入ればゲートキーパーを倒すまで出られない【特別セキュリティルーム】である。
それはもう、見ただけでわかる代物だ。通常は壁や床と同じ純白の扉がある場所に換わって、青白い半透明の膜が張られているのだ。
ちょうど、僕の目線の先にあるように。
実はそれこそが特別セキュリティルームの出入り口であり、【外から入ることは容易いが、内側から出ることは不可能なバリアー】なのである。
これまでのルナティック・バベルは、基本、一年に一層のペースでセキュリティが解除されてきた。だからこそ、ここ数日の進捗は超がつくほどのハイペースで、皆が大騒ぎしているわけだけど。
しかし、そのスローペースは安全性を確保するためのものでもあったのだ。何度も何度もゲートキーパーとの前哨戦を行い、情報を集め、頃合を見て撤退するを繰り返し――最後に満を持して攻略する。そうすることによって犠牲を最小限に抑え、変な話だが、【安全】にエクスプロールを進めることが出来ていたのだ。
しかし、この特別セキュリティルームにおいては、肝心の撤退が許されない。一度入れば、ゲートキーパーを倒す以外に生きて戻る術はない。生きるか死ぬかの死闘を繰り広げる他ないのである。
というか、なんだかここ最近の連破のせいで、
『実はゲートキーパーって言うほど強くないんじゃね?』
みたいな空気が流れているそうだけど、それは錯覚であると断言したい。
事実、あの『NPK』がボックスコングを相手に、痛恨の一撃を喰らい、あわや壊滅寸前までいったことを忘れてはいけない。あそこから逆転できたのは、ひとえにヴィリーさんの並外れた実力があってのことであって、あのまま全滅していたとしても決して不思議ではなかったのだ。
『第五〇層では、一度入れば出られない――ただそれだけで多くの犠牲が出たという。次の第一〇〇層では、同じく入っては出られない空間の上、ゲートキーパー《アイギス》の物理防御が非常に堅固だったため、ルナティック・バベル史上最大の犠牲者が出た』
その一〇〇層を突破したのが、なんと僕の遠いご先祖様――レギオン『閃裂輝光兵団』の英雄セイジェクシエルである。
当時、多くの犠牲を払った上で得た結論とは――《アイギス》の装甲はルナティック・バベルの構造材と同じものと推定され、つまり物理攻撃によって奴を倒すのは事実上不可能……というものだった。誰もがそう諦める中、しかし僕のご先祖様はこう考えたという。
――物理攻撃がダメなら、術式攻撃があるじゃないか。
そんな、今になって思えば誰にだってわかることを提案し、多くの術式開発に乗り出したのである。今ではコロンブスの卵と並んで、セイジェクシエルの術式開発と言われているとか、いないとか。
当時はまだ、術式開発があまり活発ではない時代だった。しかしご先祖様の運動が発端となって気運が高まり、現代のような術式市場を生み出したと言われている。子孫としてはちょっと鼻が高くなる話である。
さて、詳しい経緯は省くが、最終的にご先祖様は、今でも僕が愛用している攻撃術式〈フレイボム〉を開発した。以前にも説明したと思うが、この〈フレイボム〉は単発での威力はさほどではないけれど、支援術式と同じく、タイミングを合わせて複数を同時に発動させると威力が倍増するという特性を持っている。
ご先祖様はこの特性を活かし、レギオン全員でタイミングを合わせて〈フレイボム〉を放つことで見事、第一〇〇層のゲートキーパー《アイギス》を打ち破ったのである。
ちなみに、連鎖爆発のタイミングは超がつくほどシビアなので、想像を絶するほどの訓練をしたはずである。もしも失敗していたら、子孫である僕も今頃この世にいなかったことだろう。
『一五〇層では、流石に人々が学習していたおかげで犠牲こそあまり出なかったが、突破にも時間が掛かった。かかった期間は、なんと十年以上だ。この時のゲートキーパーは、強さだけなら他の階層と同程度だったらしいが、問題は数にあった』
このことは、僕も知っていた。だからカレルさんの話で思い出したときは、思わず生唾を嚥下して喉を鳴らしてしまった。
なんと、一五〇層のゲートキーパーは三体いたのだ。
ただ幸いなことに一斉に出てきたわけではなく、順番にポップしたので何とかなったのだと言う。確かな実力を持ったエクスプローラーなら、連戦はきついが、それでも越えられない壁ではなかったということだ。
以上をもって、カレルさんがダインさん率いる『スーパーノヴァ』の行動を『無謀』と断じる理由を要約すると、次の三つになる。
一つ、戦いが始まれば撤退が出来ない。二つ、ゲートキーパーの装甲がルナティック・バベルを構成する素材と同じで、非常に堅固である可能性がある。三つ、ゲートキーパーが複数である可能性がある。
以上の三点を踏まえた上で作戦を立てていないのであれば、それは確かに、僕から見ても『無謀』と言わざるを得ない話だった。
『――しかし、あくまでこれは可能性の話だ。確認していない以上、推測でしかない』
そう。これはもしかしたら、杞憂なのかもしれない。実際はそんなことはなくて、今日も『スーパーノヴァ』は快勝するのかもしれない。
でも、だ。もし――もしも、最悪の最悪、全てにおいて悪い目が出てしまったら……そこは地獄と化す。
ハヌもそこに巻き込まれる。
それだけは、絶対に見過ごすわけにはいかない。
昨晩の内に映像で確認したが、もし最悪の目が出てしまった場合、今の『スーパーノヴァ』の戦い方ではまず間違いなく勝てないだろう。
この二日間における『スーパーノヴァ』のゲートキーパー戦は、どちらも同じ戦法だった。
ハヌ以外のメンバーは全員が壁役。むやみに近付かず、とにかく防御を固めて、ゲートキーパーの攻撃を凌ぐ。それで時間を稼ぎ、ハヌの詠唱の完成を待つ。ゲートキーパーもこれまでの階層の戦いを学習しているのか、攻撃を激しくするが、それさえも何とか耐えきり――ハヌの術式が発動して、勝利する。
言ってしまえば、僕とハヌが行った戦法――と言っても行き当たりばったりのぶっつけだったけど――をそのまま繰り返しているだけだった。むべなるかな、ダインさんのポリシー『シンプル・イズ・ベスト』である。
ただ、無茶だなぁ、と思うのは、その戦い方でも少なからず被害が出ているところだ。防御力はピカイチの人達を揃えているのだろうけれど、僕の見た限り、ゲートキーパーの特殊攻撃への対策が疎かになっている気がする。つまり、支援術式を一切使用していないのだ。
あれではもし三連戦になったとき、とても保つとは思えない。この点に関してはカレルさん曰く、
『はっきり言うが、ダインに指揮官としての才能はない。悪知恵が働くのだから別段、頭が悪いわけではない。確かに賢いことは賢いが、しかし、何事にも極端にショートカットを好む気質がある。余計なことは考えたがらず、力押しで勝てるものなら複雑で安全な手よりも、危険でも単純な方を好んで選ぶ。そんな奴だ』
カレルさんはこうも言った。
『故に、自らが危険に陥った時も、実に単純な考え方をする。つまり――自分の代わりに、別の誰かが死ねばいい、と』
実際、ダインさんが『NPK』にいた時、まさにそれを実行したのだという。つまり、戦闘時に近くにいた味方を盾にしたのだ。それが《仲間殺し》の由来である。
『当然、ヴィリー団長が怒り狂ったが、奴も奴で開き直った。騎士道を諭す団長に、ダインは持論を展開して反駁した。最終的に、すわ打ち首か、というところまで話がこじれた挙げ句、奴は雲隠れしてしまった。それが、ダイン追放の顛末だ』
そう語るカレルさんの横で、ヴィリーさんがあらぬ方向に紅蓮の瞳を向け、冷たい表情をしていたのが印象的だった。
僕は《SEAL》の体内時計を確認する。
時刻はあと五ミニトほどで正午になる。今頃、ヴィリーさんとカレルさんが、ダインさんに最後の説得をしているはずだった。
二人はこれまで並べた理由をもって、ダインさんに無謀なことをやめるよう説得することを約束してくれた。木っ端エクスプローラーの僕なんかが何かを言ったところで、聞く耳は持ってくれないだろう。けれど因縁があるとはいえ、かつての戦友であり、かの『NPK』の団長と副団長の言葉なら、あるいは――
『さあさあさあさあさあ! お待たせしたな皆の衆! 今日は歴史的瞬間を目の当たりに出来るかもしれねえぞ! その名の通り、いきなりエクスプローラー業界の超新星としてデビューしたクラスタ! 『スーパーノヴァ』! 今日はそいつらが二〇〇層のゲートキーパーに挑戦する日だぁああああっ!』
いつぞや聞いた声が、マイクを通してわんわんと響き渡った。特別セキュリティルームの出入り口の端に視線を向けると、いつもの『放送局』の姿が見える。
おおおおおっ! と声を上げて盛り上がる観客。その様子に満足そうに頷くと、彼は続けて、
『よぉーし、まだ時間があるな。んじゃ、ここでちっとおさらいだ! 知らない奴のために『スーパーノヴァ』についてちょっくら教えてやるぜ!』
それから司会実況役の男性は、ここ数日の『スーパーノヴァ』の活躍について映像付きで語りだした。本番が始まる前の前座と言ったところだろう。観戦に来た人々がどよめき、出入り口付近に設置された大型ARスクリーンへと視線を集中させていく。
だけど僕には、そんなものを見たり聞いたりしている余裕なんてこれぽっちもなかった。
――ヴィリーさん達の説得はうまくいっているだろうか? 本当にダインさんを説き伏せて、このイベントを中止させることが出来るのだろうか? もし中止になったとして、ここにいる人達は怒ったりしないだろうか? そのとき、ハヌに何か被害が出たりしないだろうか?
頭の中をぐるぐる駆け巡る不安に苛まれながら、僕は後方へ下がって観客の集団から距離をとった。説得を終えたヴィリーさんとカレルさん、そして『スーパーノヴァ』の面々がやってくるとしたら、こちらの方角からだと推測したからだ。
果たして、その予測の半分は的中した。
「ラグ君……」
「――!?」
横合いから声を掛けられ、振り向くと、そこには消沈した美貌が二つ並んでいた。言うまでもなく、ヴィリーさんとカレルさんだ。どちらも、以前にも見た戦闘装備を身につけている。
「ヴィリーさん……カレルさん……」
二人の顔を見た瞬間、僕は結果を悟ってしまった。
ヴィリーさんが苦渋を滲ませた顔で目を伏せ、首を横に振る。
「ごめんなさい……ダメだったわ」
「――言葉は尽くしたのだが、力が及ばなかった。すまない」
すかさずカレルさんのフォローが入ったが、かといってそれで結果が変わるわけでもなく。
つまり、予定通り『スーパーノヴァ』は、無謀で危険極まりない挑戦をしてしまうわけで――
『よおおーし時間だぁぁあああっ! 皆、見てやってくれ! これが未来の英雄達の勇姿だぜぇえええっ!』
わああっ、と声が跳ね上がり、僕達は弾かれたように大型スクリーンの方へ振り返った。
そこに映し出されていたのは、リアルタイムの映像だった。特別セキュリティルームの出入り口前、そこに横一列で並ぶ、ダインさん率いる『スーパーノヴァ』の三十人ほどのメンバー達。その右の一番端っこ――しかも左隣のメンバーからもかなり遠く離れた位置に――に立つ、外套を頭から被った小さな影に、僕の目は吸い寄せられた。
ハヌ。
どくん、と心臓が強く脈打った気がした。画面の隅に映っている、ほんの小さな立ち姿。たったそれだけで、僕は胸を射抜かれたかのように息が詰まった。
彼らは一体いつの間に、あそこへ並んだのだろうか――そんな疑問も抱く暇もなく、事態は急激に動き始めていた。
スクリーンの中で、司会役の人が中央に立つダインさんにマイクを渡した。爽やかな笑みを浮かべた、しかし《仲間殺し》の異名を隠し持つ男性が、マイクを片手に話し出す。
『あー……俺がクラスタリーダーのダイン・サムソロだ。今日は集まってくれてありがとう』
途端、あちこちから歓声が上がる。僕には、そんな風に喜色に満ちた声を上げる行為が信じられない。どう考えたって無茶なのに、あまりにも危険なのに、どうしてこの人達はこんなにも楽しそうなのか。嬉しそうなのか。
僕は頭の中が真っ白になってしまって、ただ、惚けたようにその光景を眺めていた。
ダインさんが二言三言、ここまで来れたのは仲間のおかげだ、とか、夢を目指して走るのもけっこう悪くない、とか、心底どうでもいいことを話している。
と、不意にダインさんが言葉を切り、にやり、と不敵な笑みを浮かべた。
『――まぁ、ここでゴチャゴチャ喋るのは無粋って奴だよな。これぐらいにしておこうか。……なぁみんな、よく見ていってくれよ! なんせ俺達は、今日ここで――伝説になるんだからな!』
大きな声で嘯き、ダインさんは片腕を勢いよく天井に向かって突き上げた。
おーっ! と声が重なり、ハヌ以外の『スーパーノヴァ』のメンバーと観客の一部が同じように腕を振り上げ、拳で空を衝く。拍手の嵐が吹き荒れ、もう勝ったかのような雰囲気が一気に高まった。
この瞬間、僕は想像できてしまった。説得にやってきたヴィリーさんとカレルさんを、彼がどのように突っぱねたのか。目に浮かぶようだった。必死に無謀な挑戦をやめるよう主張する二人を、せせら笑いながら聞き流すダインさんの姿が。
ダインさんが司会の人にマイクを返し、受け取った彼はとうとう始まりを告げる。
『さあて頃合だ! あのセイジェクシエルに続いて、英雄ダインの伝説が生まれるか否か! その目撃者は――そう! ここにいるお前らだ! さあ見せてくれよ『スーパーノヴァ』ッ! 新たな時代の幕開けって奴をよォ!』
ここまできたらもう、祈るより他に術はなかった。
明るい材料がないわけではないのだ。一つは、例え敵の装甲が硬くとも、ルナティック・バベルの外壁をも破壊するハヌの術式なら、きっと貫けるはずだということ。二つ目は、例えゲートキーパー級が三体順番ずつ、あるいは最悪、同時に現れたとしても、『スーパーノヴァ』の防御陣はトップクラスの堅牢さを誇る。ハヌの術式が発動するまでの時間さえ稼げれば、必ず勝機はあるということ。
明るい材料は一つだけではなく二つもあった。神様でも悪魔でもいいから三つ目を授けて欲しいところだったけど、残念ながら神頼みをする時間も契約書にサインする余裕もなかった。
ダインさんが、『スーパーノヴァ』のメンバーが、そしてハヌが、青白い半透明のバリアーを通り抜け、二〇〇層の特別セキュリティルームへと入っていく。
無力な僕は、ただそれを見送ることしか出来なかった。
予想は裏切られ、祈りは踏みにじられるためにあるのかもしれない。
「た、たすけてくれ、たすけっ――!?」
剣光一閃。巨大な剣が水平に銀弧を描き、その通り道にある全てを切断した。
即ち、事典のような分厚さのタワーシールドを構え、全身鎧に身を包んだ大男の肉体を、である。
盾ごと、そして鎧ごと切り裂かれた大男の上半身と下半身が、いっそ綺麗なほどに分かたれる。切断面から黄緑色のフォトン・ブラッドがどばりと溢れ、勢いよく飛散した。強すぎる斬撃の余波で上半身が宙を泳ぎ、男は遠く離れていく己の下半身を、むしろ場違いなほど不思議そうな瞳で見つめたまま絶命する。
戦闘が始まって、まだ五ミニトも経っていなかった。
けれど、今や大騒ぎしていた観客は沈黙し、声を張り上げていた司会役はマイクをだらりと下ろし、この場は水を打ったような静寂に支配されていた。
ただ悲鳴だけが、響いていた。
「出してくれ! 誰か! ここを開けてくれ!」
まだ生きている人が、泣きながら出入り口のバリアーを叩き、絶叫する。外からは何てこともない薄い膜だが、しかし内側からは絶対に通れない完全無欠の隔壁だ。誰にも開けられないし、かといって、中に入って助太刀しようなんて人間もいない。
誰もが、蒼い顔をしてその光景を眺めていることしか出来なかった。
「い、いやだ! 死にたくない! 死にたくない! やめろ! やめ、あああいやぁやめてくれぇええええ!」
二〇〇層のゲートキーパーが、涙と鼻水で汚く歪んだ男の側を通り過ぎざま、彼を剣の露へと変える。山吹色に輝くフォトン・ブラッドが、盛大にバリアーを汚した。
もはや、そこで行われているのは【戦闘】と呼べる次元のものではなかった。
それはもう――よく言って【虐殺】。
悪く言えば、【屠殺】でしかなかった。
最初の三ミニトは順調に見えたのだ。
セキュリティルームへ足を踏み入れた直後、『スーパーノヴァ』のメンバーが事前に渡されていたであろう浮遊自動カメラ〈エア・レンズ〉をいくつも展開させ、内部の映像がスクリーンへと映し出された。
大人数でスポーツをしても空間が余るほどの広い部屋、その最奥に浮かぶ巨大な青白いコンポーネント。それが侵入者の接近を感知して、具現化を始める。
『WOOOOOOOOOOOOO――!!』
やがて顕れたのは、機械の体を持つ、しかし人型のSB。
巨人、いや、戦士と呼ぶべきか。全長は六メルトルほど。二〇〇層は他の階層と違って天井が高く一〇メルトルはあるため、そいつは直立しても頭をぶつけることはなかった。
全体的なシルエットを一言で表すなら、鎧を着た人間。しかし鎧と言ってもかなり古典的な――そう、神話に出てくる英雄が着ているような、革の鎧に近い形状をしている。各部の色も人間を模しているらしく、漆黒の髪と瞳、褐色の肌まで再現して、筋骨隆々のボディを彩っていた。
右手には体長に見合った巨大な両刃剣。左手には円形の盾。胴体部と腰まわりだけを保護する、かつて人類の身体に流れていたという赤い血液を何百リットルと染み込ませたような色の鎧。
誰かが言った。
ヘラクレスだ、と。
すると司会実況がその名を耳ざとく聞き拾い、そのままゲートキーパーに名付けてしまった。
『――こ、こいつぁ驚いたぁ! なんと、なんと人間型のゲートキーパーだぞぉおおおぉっ! 誰がどう見たって【アレ】を連想する姿! そう、ヘラクレス! あの超古代の大英雄! ヘーラークーレースだぁああああっ!』
僕が知る限り史上初の人型SB、その名も《ヘラクレス》は威風堂々たる立ち姿で、侵入者達を睥睨する。
が、動かない。微動だにせず、剣も盾も構えずにただ突っ立っていた。
『――?』
誰もが首を捻り、しかしキリ番のゲートキーパーだ、いきなり何をしてくるかわからないぞ――と警戒する。
「……妙ね。壊れているのかしら、あのコンポーネント」
「そのような話は聞いたことがありませんが……」
ヴィリーさんとカレルさんも、スクリーンを見つめたままそんな会話を交わす。
ダインさん達『スーパーノヴァ』も似たようなことを考えたのか、警戒態勢は崩さないまでもゆっくりとしたペースで、ヘラクレスを取り囲むように陣形を構築していく。ハヌはもちろん、敵から一番離れた場所へ移動して、術式の詠唱を始めていた。
そんな様子見の時間が一ミニトほど経過したところで、ダインさんが号令を放った。
『――このままじゃ埒があかない! せっかくの戦いだ! 昨日までの地味な俺達じゃ観客が呆れちまう! 俺達には勝利の女神《小竜姫》がついているんだ! 突っ込むぞ!』
『おおっ!』
応じる声が上がり、進軍の速度が上がる。今日の『スーパーノヴァ』の陣営は、昨日や一昨日とほぼ同じ。だけど、よく見てみると人数が若干多い気がする。
それもそのはず。ハヌ以外は防御役一色だったところに、五名ほどそうではないメンバーが追加されていたのだ。トップ集団の仲間入りを果たそうとしている『スーパーノヴァ』の威光にあやかろうと、メンバー入りを希望する人が殺到したのだろう。三十五人といったら、ヴィリーさんの『NPK』よりもメンバーが多いのだ。
『まずは派手にいこうか! 術式攻撃隊、特大のを見舞ってくれ!』
歩みを進める中、ダインさんが指示を下す。それを受けた軽装の五名は《SEAL》を励起させ、体表にそれぞれのフォトン・ブラッド色の幾何学模様を浮かび上がらせた。
この時、彼ら彼女らが発動させたのは、全て上級攻撃術式だった。〈ヴァルカンエクスプロージョン〉、〈トゥールガンキャノン〉、〈ヴォルテックスゲイル〉、〈オリハルコングレイブズ〉、〈アンジェラスクロイツ〉――どれも広範囲に渡って絶大な威力を叩き込む、非常に高威力の術式だ。と言っても、ハヌの術式ほどではないけれど。
しかし、異変はこの時に生じた。
どれもこれも強い術力を注ぎ込んで初めて意味を成す術式だというのに、出現したアイコンの大きさがやたらと小さかったのだ。最大でもせいぜい三〇セントルあれば良い方だろうか。
「――手加減、かしら?」
「こんな時に? 作戦にしては、ここで手を抜く意味がわかりませんが……」
ヴィリーさんとカレルさんが訝しむのも無理はない。僕だって同感だった。
派手に、特大のを。ダインさんはそう言ったのだ。なのに、五人が五人ともここまで手を抜く意図がわからない。
案の定、中途半端な術力しか籠められていない上級術式は、ヘラクレスを照準して発動するも、大した威力も発揮せずに消失する。
当然、ヘラクレスは無傷。それどころか、小ゆるぎもしなかった。
「――待って下さい、様子が変ですよ」
カレルさんが緊迫した声で囁く。確かに、画面の中では『スーパーノヴァ』のメンバーが足を止め、慌てふためいていた。
アップにされたダインさんの顔が、さっきまでの笑顔が嘘のように引き攣っている。
『――術力が……制限されている……だと……!?』
エア・レンズのマイクが拾ったその声が、その場にいる全員を戦慄させた。
術力制限フィールド。それはエクスプローラーの中でも有名な、最大級の鬼門だった。
それはその名のごとく、術力の上限が制限され、一定以上の出力が出来ないよう強制される空間のことだ。主にドラゴン・フォレストやチョコレート・マウンテンなどで発見され、見つけられると同時に厳重な封印を施される。放置しておくにはあまりに危険な区域だからだ。
原理は不明だが、それが局所的に発生することは確認されている。だけど、まさか戦場で、しかもこんな閉鎖空間で、よりにもよってゲートキーパーがいる場所にあるなんて。
『――WWWOOOOOOOOOOO!』
突如、ヘラクレスが頭上に向かって雄叫びを上げた。その声は壁の外まで伝播して、僕の体をもビリビリと震わせる。
ズン、と重い足音を響かせ、ヘラクレスが歩き出した。ゆっくり、しかし確実に、ダインさんら『スーパーノヴァ』に向かって距離を詰めていく。
『う、狼狽えるな! 術式が駄目なら直接攻撃がある! 防御主体の装備だが、武器もあるだろ! 近付いて近接戦闘だ! 突撃するぞ!』
狼狽えるなと言いつつも、その声が上擦っていては説得力も皆無だ。そして、直接攻撃がある、などと言いながら、ダインさんはハヌに向けてこう怒鳴る。
「小竜姫はそのまま詠唱を続けてくれ! そこはフィールドの範囲外かもしれない! 君が要だ! 頼んだぞ!」
無茶だ、と僕は思った。
そんなものは希望的観測でしかない。この場合、セキュリティルーム内の一部がフィールド圏外である可能性は皆無だ。何故ならこのルナティック・バベルとSBは、他でもない【人工物】なのだから。
こんな嫌がらせのような戦場を設計した人間が、そんな慈悲を持ち合わせているわけがないのだ。
その後の展開は、味も素っ気もなく予想通りだった。
前衛部隊がそれぞれの武器を用いて攻撃術式を発動し、剣や槍、斧などによる近接攻撃をヘラクレスに仕掛ける。
色取り取りの軌跡を描いて炸裂した幾十の攻撃は、どれも直撃だったにも関わらず、ヘラクレスに何の痛痒も与えられなかった。
巨大な英雄はビクともせず、その足は止まらない。
「やはり硬いわね……!」
「ええ、あの《アイギス》と同じ装甲かもしれません」
予想通りといえば予想通りの堅固さ。だけどそんなものが的中したところで、嬉しくも何ともない。
やがて二ミニトが経過し、とうとう頼みの決め手、ハヌの詠唱が完了した。
『 〈天龍現臨・塵界招〉 』
はっきり言おう。無駄だった。
何も起こらなかった。術力が足りなさ過ぎて、そもそも術式が成り立たなかった。アイコンすら表示されず、時間をかけた準備は全て徒労に終わった。
その瞬間、希望の灯火が儚く掻き消え、誰もが色を失う。
一瞬の静寂。
『WWWWOOOOOOOOOOO!!』
まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、ヘラクレスが吼えた。右手の剣を振り上げ、
『総員、防御体勢!』
ダインさんの指示が飛ぶより早く、その場の全員が盾を構えていた。
猛然と剣が振り下ろされた。
ズン! と地響きが轟くほどの一撃は――その刃を半ばまで床に食い込ませていた。
当然、剣と床の間にいた重装備の戦士は、その身を真っ二つにされている。一人の人間だったものがザクロのように割れ、【二つ同時に転がった】。
最初の犠牲者が出た瞬間だった。
『う――うわああああああああああッ!?』
悲鳴が重奏した。構えた盾と鎧ごと――しかも決して安くはない高品質のものが――あっさり切り裂かれたのを見て、誰もが恐慌に陥った。
装甲が硬いだけではない。奴の攻撃は、並の防具では受け止めることすら出来ないのだ、と。
そう知った『スーパーノヴァ』のメンバーは、陣形を忘れて逃げ惑った。それこそ蜘蛛の子を散らすように、てんでバラバラに広がっていく。
そこから、セキュリティルーム内は屠殺場となった。
最悪なことに、肝心のダインさんまでもがあられもなく周章狼狽し、遁走していた。もはや組織だった戦いも反撃も不可能だった。
セキュリティルームの内側は阿鼻叫喚。
壁一枚隔てた外側のこちらは、誰もが声を失い沈黙して、ただひたすらに静謐だった。
一人、また一人と殺されていくエクスプローラー。
一番遠い場所にいるあの子にその刃が届くのは、そんなに未来の話ではないだろう。
だから僕は――
「待ってください団長、ラグ君も」
動こうとした僕の肩を握り、引き止める手がある。カレルさんだ。目だけで振り向くと、彼はヴィリーさんの肩にも手をかけていた。そう、言葉の前半は確かにヴィリーさんに向けたものだった。
見ると、ヴィリーさんもまた、僕と同じことをしようとしていたらしい。怒りとも悲しみとも判然としない感情に衝き動かされた、硬い無表情。深紅の瞳が、大型スクリーンを睨んでいる。その右手は腰の剣にかかり、握り潰すほど強く柄を握っていた。
「――離してカレルレン。もう見ていられないわ……!」
「いけません!」
この時初めて、僕はカレルさんの怒声を聞いた。彼は僕の肩から手を離し、両手で強引にヴィリーさんの体を振り向かせる。
「あなたには責任がある! 忘れてはいけません! ここで衝動に任せて命を捨てる権利なんて、あなたにはないんです! ――自ら背負ったものを一時の感情で放り捨てる気か! 剣嬢ヴィリー!!」
喝を入れる、というのは正にこういうことを言うのだろう。カレルさんの苛烈な舌鋒が、まさしくヴィリーさんを打ちのめした。まるで頬を張られたかのようにヴィリーさんの顔が、はっ、とする。
「……~ッ!」
悔しそうに歯噛みし、麗しい美貌を歪めてヴィリーさんは下を向く。力を入れすぎた右手が、否、全身が小刻みに震えだした。理性と激情の間で葛藤しているのだろう。
カレルさんの翡翠の瞳が僕に向けられた。
「君もだ、ラグ君。見ただろう。想定していた以上の最悪の目が出た。気持ちはわかるが、諦めるべきだ。こうなってはもう小竜姫は助けられない。行けば、君まで死んでしまう。それは無為だ。ここは耐えろ。耐えて、力をつけるんだ。生きていれば、仇を取れる日が必ず来る」
カレルさんは本当に、どこまでも、骨の髄まで冷静沈着だった。
正論過ぎて困る。だから僕は、何も言えなくなった。
「君が悪いわけじゃない。例えここにいる全員が突入したとしても、全滅は免れない。これは運命だったんだ」
それはきっと、そうだろう。僕もそう思う。だから、小さく頷いた。
「こんなことになってしまったのは、私の力不足だ。私がダインを説得できてさえいれば、こんなことにはならなかったのだから」
それはきっと、そうだろう。僕もそう思う。だから、小さく頷いた。
「あたら命を無駄にするな。ここで一緒に死ぬことが彼女のためになるわけではない。生き延びて、仇を取ることこそが彼女に報いる唯一の方法だ」
それはきっと、そうだろう。僕もそう思う。だから、小さく頷いた。
「だから、ラグ君……すまない、気持ちは痛いほどよくわかる……だが、諦めてくれ――」
だけど、それだけは頷けなかった。
こんなにもカレルさんが長々と喋ったのは、多分、僕の浮かべている表情のせいだろう。自分ではよくわからないけれど、とりあえずまともな顔をしている自信は微塵もなかった。
どれだけ食いしばっても、おこりのように震える体のせいで歯はカチカチと鳴っていたし、こめかみの辺りがひどく痛くて目一杯力を込めていた。目は真っ直ぐスクリーンを睨んだままだったし、カレルさんの方はほとんど見ていなかった。
「ラグ君」
再び、カレルさんが僕の肩に手を置いた。振り向くと、カレルさんと、その隣のヴィリーさんも、何か可哀想な生き物を見るような目で僕を見つめていた。
僕はその手を振り払った。
「「――!?」」
「ば……馬鹿なのは、わかってます」
驚いて息を呑む二人に、僕は言う。どうしようもなく震える、我ながらしどろもどろの、とても情けない声で。
「だから、馬鹿って、言われてもいいです」
怖いに決まっていた。
「死んだって、別にいいんです」
膝はさっきから笑いっぱなしだし、歯の根も合わない。
「僕は別に、馬鹿でも、死んでも、いい」
目には涙が浮かんでるし、喉は上手く動いてくれなくて変な声になっている。
「ぼ、僕は、馬鹿とか、まぬけとか、そう言われるのは、いいんです」
だって、あんなの無理だ。あんな化け物、どうやっても勝てる気がしない。前の海竜のときはハヌがいた。ハヌの術式があった。だから勝てた。
「が、我慢できます」
でも今はそうじゃない。術力制限フィールドでハヌの力は封じられている。あのヘラクレスを倒す方法なんてまるで思いつかない。だから、あそこに入っていったら、間違いなく、
僕は死ぬ。
「と、友達がいないとか、一人ぼっちとか、そういうのも、いいんです」
何が何だろうと死ぬ。真っ二つにされて死ぬ。上半身と下半身が泣き別れになって死ぬ。ぐちゃっと踏み潰されて死ぬ。壁に投げられて弾けて死ぬ。
とにかく死ぬ。
「な、慣れてますから、平気です。大丈夫です。我慢、できます」
そんなことはわかっている。
「でも」
わかった上で、僕は行くのだ。
死ぬとわかっていても、行かずにはいられないのだ。
だって――
自分でもひどく格好悪いと思う顔で、情けない姿で、それでも僕は言う。
「友達を見殺しにするなんて、絶対に我慢できないから」
その激情だけが、今の僕を衝き動かしていた。
僕はいつの間にか涙を流していた。みっともない男だと、自分でも思う。
けれど、友達を見捨ててまで生きている自分を、きっと僕は許せない。
殺したいほど憎悪し、本当に殺してしまうと思う。
ならば、どっちにせよ死ぬのだ。
どうせ死ぬなら、ハヌの傍がいい。
たったそれだけの、単純な話だった。
絶句する二人を置いて、今度こそ僕はセキュリティルームへ飛び込むために顔をスクリーンへ向けた。
その瞬間、何もかもが弾け飛んだ。
「――――」
画面の中で、いつの間にかハヌの近くまで逃げてきていたダインさんが、彼女の外套の襟首を引っ掴んでいた。
やめろ、何をする。
何を思ったのか、ダインさん――いやダインは、ハヌの体をそのまま持ち上げやめろ大きくやめろよ振りかぶりやめてくれ思いっきり投げた。
ヘラクレスの足元に。
どうっ、とハヌの小さな体が床に落ちてバウンドする。
頭が真っ白になった。
話には聞いていた。彼の異名は《仲間殺し》だと。そういう罪を犯した男だと。知識では知っていたのだ。
だけど話に聞くのと実際に見るのとでは大違いだった。奴はハヌを生け贄に捧げたのだ。これほどまでに醜悪で邪悪な行為はないと思った。
『WWWWOOOOOOO!』
ヘラクレスが足元に転がってきた小さな生き物に気付き、その手の剣を振り上げた。
投げられ転がった拍子に外套のフードが剥がれたハヌは、床に腰をへたり込ませたまま、その綺麗な金目銀目でヘラクレスの威容を見上げる。
賢い彼女は現状をすぐに把握したようだった。目が恐怖で見開かれ、その瞳に剣を振りかぶる異形の英雄を映す。
ハヌは咄嗟に体を丸め、ぎゅっと目を閉じた。そんなことをしたところで何がどうなるわけでもないことは、わかっていただろうに。
ぽつり、と小さな声が漏れ、おそらくそれは僕の耳だけに届いた。
『……ラトッ……!』
真っ白だった頭に膨大な熱量が生まれ、文字通り白熱した。
恐怖も不安も保身も詭弁も全てが吹き飛んだ。
純白の怒りに支配され、僕は術式を発動させた。
支援術式〈ラピッド〉×10。
支援術式〈ストレングス〉×10。
支援術式〈プロテクション〉×10。
支援術式を重ね掛け可能な限界まで使用して、自己の速度、力、防御を一〇二四倍に。
続けて支援術式〈シリーウォーク〉を発動。これは空気中に足場を形成し、大気を【踏んで蹴る】ための術式。【空を歩く】ための術式だ。
観客の頭上に障害はない。あったとしても邪魔なんて絶対にさせない。
素の状態からいきなり千倍以上に身体強化をしたときの感覚変化なんて、まるで気にならなかった。
ハヌを助ける。
この瞬間、僕はそう考えるだけの怪物になった。