●9 僕は《ぼっちハンサー》
強くならなくちゃいけない。
あの子に見合うほど、隣に立っていても引けを取らないほど、並んでも見劣りしないほど、一緒にいても釣り合いがとれるほど。
僕は、強くならなくちゃいけない。
あれから部屋に帰って大泣きして、自分自身のあまりの不甲斐なさに暴れ回り、最後には自己嫌悪が過ぎて吐き気まで催し、胃の中のものを全部吐き出して――辿り着いた結論がそれだった。
さよならなんて嘘だった。
お別れなんて絶対に嫌だった。
僕はやっぱり、ハヌと一緒にいたい。
だけど今の僕では、あの子と釣り合わないのもまた事実だ。
引く手数多の現人神と、嫌われ者のエンハンサーじゃ、チグハグもいいところだ。まるで話にならない。
だから、僕は強くならなければならない。そしてその強さを、エクスプローラー業界の中で証明しなければならない。
そうしない限り、僕に、あの子の隣に立つ資格なんてないのだ。
目指すべき地点が決まったのなら、後はそこへ到達するためにやるべき事を考えればいい。
強くなるためにはどうすればいいのか?
そんなのは簡単だ。ずっと昔に師匠が教えてくれた。
強さも優しさも、戦いの先でしか掴めないものだ――と。
日付も変わったばかりの深夜、僕は部屋を出てルナティック・バベルへと足を向けた。
あのまま部屋にいても、すんなり眠れる自信などなかった。身の内を焦がす激情の炎がいつまで経っても収まらず、じっとしていたらストレスで頭がどうにかなってしまいだった。
背中に黒帝鋼玄、左脇に白帝銀虎、いつもの戦闘装備。ストレージにはありったけの道具を詰め込んできた。
やってやる。
戦うことでしか強くなれないのなら、とことん戦ってやる。
天空に浮かぶ月へ向かって大きく身体を伸ばす塔を見上げ、僕は心に誓う。
もう誰にも、腰巾着の《ぼっちハンサー》だなんて呼ばせやしない――と。
ルナティック・バベルに到着すると、僕は少し考えた後、中央エレベーターの一つで一九六階層へと移動した。
ルナティック・バベルは、世界の遺跡の中でも極めて探索が容易な場所である。
なにせ一部の例外を除けば、基本構造がどこの層も同じなのだ。僕が前までいたキアティック・キャバンのような天然洞窟と比べると――SBとの戦闘難度を除けば、だけど――エクスプロールは非常に簡単だったりする。
となれば当然、稀に遺跡内部に残っている《遺物》なんかも早い者勝ちとなるわけで。無論、トラップなどもあるのでノーリスクとは言えないが、《遺物》の中には時折便利なものや高価なものがあるため、これを狙うエクスプローラーは少なくない。
昨日、ハヌ――と一応僕――が一九七層のゲートキーパーを撃破したので、現在は一九八層までセキュリティプロテクトが解除され、探索が可能となっている。
だけど、一九七層はろくに探索されることなくクリアされてしまったし、一九八層なんて解放されたばかりだから、こんな深夜でも《遺物》を探索している人達がいる可能性は高かった。
だから出来る限り最前線に近く、かつ時間帯的に人気が少ない層となると、一九六層が最適だと思ったのだ。
一九六層。
僕とハヌが初めて一緒に来た最前線。そういえば、ここであの剣嬢ヴィリーさんとも出会ったのだ。
ここならば探索はし尽くされているだろう――果たしてその予測は的中し、開いたエレベーターの向こうには、ただ静謐な空間が広がっていた。
コンバットブーツの足音でさえ大きく聞こえるような静寂。見ているだけなら実に平穏な風景だが、実際はそうではない。
安全地帯から一歩出れば、そこは四方八方から《死》が押し寄せてくる戦場だ。
ハヌと出会う前の僕は、一〇〇層から一三〇層の間をウロウロして、充分すぎるほどの安全マージンをとってエクスプロールを行っていた。その辺りのSBなら、身体強化の支援術式を使わなくても余裕を持って戦えたからだ。
決して己が身の丈を見誤ってはならない、それがエクスプロールのコツだ――それが師匠である祖父の教えだった。
今日まで、僕は師匠から教えてもらったこと全てが正しいと思ってきた。だから、この他者から見れば化け物じみた術式制御能力も秘匿してきたし、エクスプロールで危険を冒したこともなかった。
だけど。
もうそれだけじゃ、ダメなのだ。師匠の教えを忠実に守ってきたこれまでの僕も。その経緯から計算して、『今の僕』から延長線上にいる『未来の僕』も。
それはきっと、ハヌの隣に立てる『僕』では、絶対にないから。
これからは、無理も無茶もしていかなければならないのだ。
いつかエクスプローラーの友達が出来たら、パーティーを組んで、最前線へ臨むのが僕の小さな夢だった。だから中層に甘んじながらも、最前線に現れるSBの情報収集を怠ったことはなかった。
それが今、こんな形で役に立つなんて。
「――はぁああああああッ!」
漆黒の皮膚を持つ一つ目の猛牛――ストーンカ。稲妻を纏って突撃してくるその金属質の肉体を、黒玄と〈ストレングス〉によって強化した膂力で叩き斬る。
ものすごい勢いで突っ込んできたところに、サイドステップで回避しながら黒玄をスイングしてカウンターをぶち当てたので、まるで竹でも割るかのようにストーンカは上下真っ二つに切り裂かれた。
『PPPRRRRRRRR――!』
断末魔の電子音を響かせ活動停止する頃には、次のストーンカがこっちへ猛進してきている。
最初に現れたのはストーンカの群れ。強烈な突進を得意とする魔牛は、しかし威力を無視すれば非常に単純な攻撃しかしてこない、比較的組みやすい相手だ。
ただしそれは、単体であれば、の話だが。
『PPPPYYYYYYRRRRRRYYYYY!』
「〈スキュータム〉!」
黒玄を振り切って体勢が崩れた僕に二体目が突っ込んできたのを、左手に構えた術式シールドで斜めに受け流す。激突の瞬間、骨の真まで痺れるような衝撃が全身を打ち据えるが、何とかストーンカの激突を左側へ逸らすことが出来た。
『PUUUURRRRR!』『PRRRRRYYYYY!』
が、そこに第三、第四のストーンカが突進してくる。
「――~ッ!」
一度に十二体もポップしたストーンカ達は、広い廊下を目一杯活用してローテーションを回しながら間断なく突撃してくる。
奴らの体当たりは重い上に稲妻を帯びているため、一度でも喰らえば重装備の戦士でもしばらくは立ち上がれないと聞く。僕みたいなモヤシが受けた日には、それこそ再起不能だ。
「こっ……んのぉっ!」
既に二度も掛けてある〈ストレングス〉〈ラピッド〉〈プロテクション〉をさらに一度ずつ重ね、強化係数を上げる。これで強化係数八倍だ。
激変する身体の感覚に意識をチューニングして、僕は床を蹴った。同時、
「――〈ドリルブレイク〉ッ!」
僕が《SEAL》にインストールしている数少ない剣術式を起動。紫紺のフォトン・ブラッドが黒玄を被い、閉じた傘のような形に展開すると、名前の通り猛烈な回転を始める。
剣術式〈ドリルブレイク〉は突進攻撃の基礎術式だが、単純なだけに汎用性は高く、威力も馬鹿に出来ない。攻撃力の強化係数は1.2倍だ。
「でやぁあああああああああッッ!」
術式が僕の動きをフォローして最適なフォームを取らせ、背から噴出するフォトン・ブラッドが全身を加速させる。光り輝くドリルと化した黒玄を真っ正面へ突き出し、空中を弾丸よろしくかっ飛んだ。
目には目を、歯には歯を、突撃には突撃を、だ!
『PR――!?』
数珠繋ぎで向かってくる残り十一体のストーンカを一瞬にして貫き、一気に蹴散らした。
ブーツの底を滑らせながら着地。ストーンカが一匹残らずコンポーネントに回帰していく中、ふと気付けば、周囲に新たな気配。
どうやら今の戦闘が、別のSBのポップを誘発したらしい。
現れたのは、白銀の体毛を持つ双頭の魔犬――オルトロスの群れ。ストーンカと比べれば一回りサイズは小さいが、その代わりに数が多い。目視で確認したところ、総数十八。
「はぁっ……はぁっ……よし、来い!」
極度の緊張で息が上がっていたが、体力もフォトン・ブラッドもまだまだ余裕がある。僕は黒玄を構え、一番近いオルトロスへと斬りかかった。
「だぁあああああああああああッ!」
『PPPPPPPPRRRRRYYYYYYYY――!』
無我夢中で剣を振るい、SBを次々と屠っていく。そうだ、僕でも支援術式を使えば、この最前線でも立派に戦える。SBの群れを前に、互角以上の戦いが出来るのだ。
とはいえ、僕の戦い方そのものはまだまだ下手くそだった。支援術式で強化した力が扱いきれず、無駄な動きが多いため、戦場の中心地がどんどんズレていく。そのせいで戦闘が一段落つく頃には、また次のSBがポップしてしまうのだ。
オルトロスの次はヌエが。ヌエの次はグリフォンが。
息つく暇もなく具現化し襲い来る怪物達と、休みなく死闘を繰り広げる。
そうこうしている内に、時間はあっと言う間に過ぎていく。半ば現実から逃避するように戦っていた僕は、支援術式の効果時間である三ミニトが経過したことに、とうとう気付かなかった。
唐突なる身体の変化。
「――!?」
僕の身体能力を八倍にまで底上げしていた力が消え、頭の中のイメージと実際の動きがいきなり、ガクン、とズレる。けれど、それまで全身にかかっていた慣性が消えるわけもなく。八分の一になった僕に、それに抗う術はなかった。
――しまった……!?
身体の操縦を完全に誤った。無様に体勢を崩し、躓き、転倒。高速で動いていたので凄まじい勢いで床に叩き付けられ、バウンドする。畢竟、僕は空中で三次元的な回転をしつつ何度も跳ね、背中から壁に激突した。
「――がはっ……!」
交通事故レベルの衝撃に息が詰まり、一瞬、意識が飛びかけた。
重力に引かれ、床に落ちる。歯を食いしばり、なんとか意識を繋ぎ止めた。今、いつぞやの『NPK』の新人さんのごとく気絶してしまったら、命はない。まだ僕を狙っているSBは残っているのだ。
「くっ……そっ……!」
奇跡的に手放していなかった黒玄を杖代わりにして立ち上がり、左手で〈ヒール〉、〈ストレングス〉、〈ラピッド〉、〈プロテクション〉、〈フォースブースト〉を発動。
ちょっと調子に乗りすぎていたかもしれない。これだから支援術式は危ないのだ。高出力で動いていた体が、突然元に戻る。その落差が激しすぎて、慣れているはずの僕でも時々今のように自爆してしまう。一歩間違えれば、死にも繋がる大惨事だ。
それだけではない。やはり、支援術式――特に身体強化系は根本的に不便な代物なのだ。〈ラピッド〉で敏速性を上げただけでは、それを制御するための筋力が足りず。それを補助するため〈ストレングス〉で強化すると、今度は筋繊維が負荷に耐えきれず悲鳴を上げる。だから、それをさらに補強するためには〈プロテクション〉が必要となる。
僕がいつもこの三つを合わせて使用するのはそのためだ。これらをバランスよく使わなければ、肉体の制御がより難しくなり、まともに動けなくなる。並の術力を持つ人なら、この三つだけでフォトン・ブラッド総量の三分の一ぐらいは消耗してしまうだろう。効果が三ミニトでは、結局十ミニトぐらいしか戦えない。それだけではコンポーネントがろくに集められず、食べていけない。だからエンハンサーは忌避されるのだ。
だけど、僕には【これ】しかない。僕の術力なんて平均的なエクスプローラーの百分の一以下程度しかないし、剣の腕だって大した事ない。
唯一の特技は、並外れた術式制御能力を駆使して、複数の術式を同時に扱うこと。ただそれだけ。
だから、僕はこの特技を磨くしかないのだ。強くなるために。ハヌと、本当の意味で友達になるために。
僕は黒玄を鞘に収め、換わりに腰の脇差、白虎を抜く。ここからは攻撃術式も使って戦う特訓だ。片手は常に空いている方がいい。
「――づぁああああああああああッ!」
残る五体のヌエと三体のグリフォンとの戦いを再開する。攻撃術式は基礎的なものしかインストールしていないけど、〈フォースブースト〉で術力を強化していれば、僕でもそれなりの威力は出せる。牽制には十分だ。
近くのヌエに斬りかかると同時、
「〈フレイボム〉〈エアリッパー〉〈ボルトステーク〉――!」
攻撃術式を装填しつつ、今度はちゃんと支援術式の解除タイミングを気にしながら戦う。
三つの攻撃術式を、離れた場所にいる三体のグリフォンめがけて撃ち放った。爆撃、風の刃、稲妻の杭がそれぞれのグリフォンの出足を挫く。そして右手の白虎に剣術式を装填、目の前のヌエを狙って繰り出した。
「――〈ドリルブレイク〉ッ!」
強くなってやる。
絶対に、強くなってやるんだ!
それから、どれほどの時間を戦い続けただろうか。
活動停止させたSBの数も、途中から数えるのをやめてしまった。
どちらも《SEAL》の内蔵時計とコンポーネントの取得ログを見ればわかるけど、そんな余裕なんてどこにもない。
今、目の前にいるのは、先程現れたオルトロスとよく似たSB――三つの頭を持つ漆黒の魔犬、ケルベロス。それが二十体。
この時、とうとう二度目の事故が起きた。
ケルベロスのそれぞれの口から吐き出される火炎、凍気、雷撃を捌くのに必死になり過ぎて、迂闊にも時間を失念していたのだ。
刹那、十六倍まで引き上げていた力が、ふっ、と消えた。不幸中の幸いか、ちょうど立ち止まっている時だったため、先程のように転倒はしなかった。しかし、
「……!?」
どうしたって体感覚の狂いは生じる。僕は一瞬だけ、前後不覚に陥った。それも、近接戦闘の最中に。
一セカドにも満たないわずかな時間。だけどそれは、あまりにも致命的な隙となった。
『PPPRRRRRRYYYY!』
四方からケルベロスの電子音が聞こえたのと同時、知覚が正常に戻った。けれど、それはどうしようもなく手遅れだった。
気がついた時には、左右から二体のケルベロスが僕に向かって飛びかかってきていた。
まず、左腕を戦闘ジャケットの袖ごと噛み千切られた。
続いて、白虎を握る右腕を焼かれ、凍結され、噛み砕かれた。
「あ――?」
わけもわからないまま、一瞬で両腕を喪った僕は、間抜けな声を漏らす。不思議と、痛みは感じなかった。ただ驚いていた。頭の中が空っぽになって、だけどその空白が急に怖くなって、僕は喉を反らして叫び声を上げた。
「あ、ああ……ああああああああああああッッ!」
そうだ、〈リカバリー〉で欠損した腕の再生を――無理だ、【今の僕には指がない】。じゃあどうすればいい? 何が出来る?
――何も出来ない。
絶望が、僕を重く打ちのめす。
「――……!?」
『PRPRPRPRPRPRRRRRRYYYYYY!』
まるで勝ち鬨を上げるかのように、ケルベロス達が一斉に咆哮した。甲高い電子音が大気を震わせる。
恐怖が僕の喉を締め上げ、悲鳴を止めさせる。氷のように冷たい手が体中を撫で回していくような、凄まじい悪寒。
「――……あ、あれ……お、おかしいな……」
我知らず、僕は両腕からボタボタと紫紺のフォトン・ブラッドを零しながら、ふらふらと後ずさり、やがて壁に背をつけた。
信じられない。理解できない現状を否定するように、首を振る。
「……まって……違う、こんな……」
僕を見据えるケルベロス達の目。それはすぐそこまで来た死神の眼差しだ。両腕を喪い、武器もなく、術式も使えない僕に、もはや勝ち目など一切ない。
死ぬ。
この状況において、それは決定事項だった。
「なんで……? どうして……?」
震える声で、誰にともなく今更な問いを口にする。
死ぬ――本当に死ぬのか、僕は? こんな場所で? こんなタイミングで?
こんな……こんな気持ちのままで?
こんなにあっさりと?
「――~ッ!」
嫌だ! そんなの絶対に嫌だ! 僕はまだ何もしていない! ハヌに謝ってもいない! 仲直りもしていないし、友達に戻ってもいない!
こんな状態で、こんな気持ちのままで、こんな場所で死ぬなんて――絶対に嫌だ!
だけど、歯を食いしばり必死に祈ったところで、助けなど来るはずもなく。
『PPPRRRRYYYY!』
止めを刺す役を担った一体のケルベロスが四肢をたわめ、跳躍した。三つの口が同時に顎門を開き、獰猛な牙を剥き出しにして、僕を襲う。
人生の最期を決定する一撃が、容赦なく迫る。
本当に、ここまで、なのか。こんな死に方で、僕は終わるのか――いや駄目だ! まだ僕は生きなくちゃいけない! 考えろ、生き延びるために頭を回せ――考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ、最後の瞬間まで考えるんだ!
死の淵に立たされたせいか、極度の集中力が時の流れを遅く感じさせる。ゆっくりと、しかし着実に近付く牙を目にしながら、僕は必死に思考を奔らせる。一度に十個の術式を扱えるのだ、一度に十個のことを考えるぐらいやってのけろ!
目は見える、耳は聞こえる、肌は感じる、鼻は嗅げる、手は無い、肩はある、胸も腹はある、背中は、足はある――この中で使えるものは何だ。走って逃げる――駄目だ囲まれている。体当たり――無駄だ他の魔犬からも襲われる。蹴りで戦う――所詮はジリ貧だ。術式を使う――だからどうやって。そもそも何故使えない――指が無いからだ。どうして指がなければ駄目なんだ――憶えてないのか、師匠がこう言ったからだ。
『ラグ、お前の術式制御能力は破格なんだから、手ではなく、指を使ったらどうだ。一度に十個も術式が使えれば充分だろう。それに、指なら握り込むだけでお前のアイコンは隠せる。その力が他人にばれることもない』
違う、それは指を使えという意味で、指でなければ使えないという意味ではないはずだ――指以外のどこで術式を使えというのだ。剣嬢ヴィリーを思い出せ、彼女は背中で使っていた――背中? そんな器用なことが見様見真似で出来るはずが――出来なければ死ぬ。そも、お前の特技は何だ。人より優れた術式制御だろう。出来なくてどうする。
「!?」
天啓は落雷のごとく全身を貫いた。瞬間、理性も本能も神経も細胞も全部が、生き残ることだけを考えて動いた。
『PRRYYY!?』
僕の喉元めがけて飛びかかってきたケルベロスが、突如、【ディープパープルの光に弾かれて吹っ飛んだ】。
その光の正体は何あろう、僕のフォトン・ブラッドの色に輝く術式シールド――〈スキュータム〉。
「……………………で、きた……?」
夢でないことは、両腕に絶えることなく発生している激痛と、噛み千切られた左腕の先に浮かぶアイコンが証明していた。
「……ッ!」
息を呑む。そうとわかったなら全力だ。
僕は呆けている自分を意識からパージ。闘争本能を解放して戦闘を再開する。
千切れた腕の先でも使えたと言うことは、他でも使えるはずだ。僕は胸の真ん中に意識を集中させ、回復術式〈リカバリー〉を実行。思った通り、鳩尾のあたりに紫紺のアイコンが灯り、術式が欠損した両腕を再生させる。
『PPPPPPYYYYYY!』
シールドに弾き返されたケルベロスが、怒りの声を上げ再び突っ込んでくる。僕はそいつに視線を向け、右目に力を込め――
「――〈フレイボム〉!」
文字通り目の前に現れる攻撃術式のアイコン。そこからフォトン・ブラッドの光線が伸びてケルベロスの顔の一つを照準、爆破する。
『PURRRUUURRR!?』
首が一本吹き飛び、奴は床に転がって悶える。その間に両腕が完全に再生した。僕は床を蹴って一気に距離を詰め、右足を伸ばして爪先をジタバタと暴れるケルベロスに向け、
「〈ドリルブレイク〉!」
本来〈ドリルブレイク〉は剣術式だが、使用条件は『棒状のものであれば適用可能』とある。だから、足を伸ばせばその条件は満たせるはずで、実際に可能だった。
僕自身が一個の弾丸と化した。足のドリルでケルベロスの腹を穿ち、床へ縫い付け、粉砕する。
「――っはぁっ……はぁ……はぁ……はっ、ははっ!」
自然と笑いが込み上げてきた。
ついさっきまでの僕は、なんて馬鹿な固定観念に縛られていたのだろう。自由になった今なら、自分がどれほど窮屈なことをしていたのかがよくわかった。
「あはははっ……ほんと、馬鹿、みたいだな……はははっ!」
術式は、ほとんどの人が掌を起点として使用する。けれど、中にはヴィリーさんのように背中や額、腹などを利用する人だっている。特に近接戦闘をメインとしつつ術式も使用する人は、基本的に両腕が塞がっているため、そういった工夫と訓練をするのが普通だったのだ。
何故気付かなかったのだろうか。自分の特技こそ、術式制御だったというのに。
この僕がその気になれば、体中のどこからでも術式が発動できるに決まっているではないか。
背中の黒玄を抜き、残るケルベロスと対峙する。深呼吸をして、意を決する。
「――いくぞっ!」
何かに取り憑かれたかのように、僕は良い意味で適当に戦った。
足から剣術式が出せるなら、武器から通常の攻撃術式を出したっていい。黒玄の刀身から〈エアリッパー〉を連続で撃ち出し、斬撃の長さを伸長させたり。背中から〈スキュータム〉を出して背面の防御を固めたり。殴る拳から直接、雷撃の攻撃術式〈ボルトステーク〉を打ち込んだり。
身体強化系の支援術式に合わせて〈フォースブースト〉で術力を上げ、物理攻撃と術式攻撃を同時にこなす。
自分でも驚くほど、瞬く間にケルベロスの群れを全滅させた。
そうして現れる、どこかで見たような一体の【マンティコア】。
白虎を拾い上げたついでに、青黒い体毛を持つそいつを瞬殺する。
青白いコンポーネントを《SEAL》で吸収すると、通路の前後に、多種多様なSBが続々と具現化し始めた。
そう、ここは、先日ヴィリーさん率いる『NPK』に助けられた場所。さっきのマンティコアは、トラップのトリガーとなる一体だけの囮。
僕はストレージから一本の細い瓶を取り出し、ネジ式キャップを開け、中に入っているディープパープルの液体を一気に飲み干した。
ブラッドネクタル。あらかじめ抽出しておいた僕のフォトン・ブラッドと少量の情報具現化コンポーネントを配合して作った、フォトン・ブラッド補給用の濃縮液。少量だが、濃厚なため一気にフォトン・ブラッドが回復できる。ちょっと手間は掛かるけど、いざという時には必要になるので、一定数を用意しておくのは術式を使うエクスプローラーの基本だった。
まだまだ、だ。
まだまだ、僕は強くならなければいけない。師匠の教えを破ってでも、自分の殻を砕いて、もっともっと成長しなければならないのだ。
「……あはっ、はははっ……!」
正直、ちょっと楽しくなってきていた。自分はどれだけやれるのか。どこまで行けるのか。限界まで試してみたい。そんな思いがあった。
身体のどこからでも術式が使える、それは本当に? なら数は? 今までは十個が最高だと思っていたけど、それも思い込みでは? 試してみよう。試す価値は、絶対にあるから。
僕はたった一人。敵は四十体以上の、多勢に無勢。しかも挟み撃ち状態。
だけど僕は笑う。
《SEAL》の支援術式の解除コマンドをキック。いったんニュートラルに戻してから、再度、強化術式を一気に重ね掛けする。
敵を見据え、小声で呟いた。
「――さぁこい、三ミニト以内で片付けてやる……!」
強化した筋力で右手に黒玄、左手に白虎。もはやどちらか片手を空けておく必要はないとわかったのだ。二刀流を練習してもいい。
「――!」
床を踏み砕くぐらいの気持ちで一歩を踏み込み、一気に加速。強化した敏速性を以て、疾風迅雷がごとくSBの群れへと突っ込んだ。
僕は《ぼっちハンサー》。それは恥知らずの道化の名前。一人ぼっちで、自分で自分を強化して、支援して戦う間抜けなエンハンサー。
笑いながら敵陣へ飛び込み、不格好に長巻と脇差しを振り回し、身体のあちこちから攻撃術式を花火みたいにデタラメに放ち、踊るように戦い続ける。
いつか、大好きなお姫様の笑顔を見るために。
その日まで、馬鹿みたいに踊り続ける。