愛も暴走すると凶器ですね
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私達の目の前に突如現れた男性は腕を組んで偉そうにこちらの見つめています。20代半ば程に見える男性は、眉がやや太くきりっとした目の目力が半端ない厳つい顔をしており、肩にまで伸びたボザボザの茶色い髪の所為かより野性的に見えます。
「あんたがリリアーナ様か? あのレオナルド様と無理やり結婚したと聞いてどんな女かと思っていたが、随分と地味で平凡だな」
「……そうですか。ところで、貴方はどちら様でしょうか?」
その目には私に対しての嫉妬と憎しみが込められており、レオナルド様の名前を出した事からもこの男性がレオナルド様を慕う人物である可能性が高いです。女同士の恋愛のいざこざというのも面倒で怖いと思いますが、相手が男というのもこれはこれで恐ろしいものがあります。まず、絶対に力で敵わない時点でかなり私に不利な状況ですからね。
「俺は王都兵団に所属しているブルーノだ。数年前レオナルド様と運命的な出会いをしてから、俺はあの方にずっと憧れ尊敬していた。俺は騎士にはなれずとも、いつかあの方に認められるような立派な兵士になってあの方に近づきたいとそう思ってずっと頑張ってきた。しかし、あの方が結婚したという話を聞いて俺は愕然とし、そして絶望した。俺のレオナルド様が結婚してしまった、と。大切な存在を失って俺はようやく自分の抱いていた本当の気持ちに気づいた」
名前を聞いただけだったのですが、何やら彼のレオナルド様への思い出話と言いますか、思いの内を話し出してしまいました。えーとつまり、憧れだと思っていた感情は実は恋だった、という訳ですね。これが可愛い女の子だったら頭なでなでして慰めたいところでしたが、さすがにちょっと……。
「女性が嫌いだというのに無理やり結婚させられてしまうなんて、ああ……なんてお可哀想なレオナルド様! その上、よりにもよってこんな地味で冴えないな女と結婚だなんて不幸にも程がある! 一体どんな卑怯な手を使って結婚したのかは知らないが、レオナルド様とすぐにでも離婚してもうらおう!」
「……成程。話は分かりましたが、どうやら貴方は誤解されているようですね。私とレオナルド様はあくまでただの政略結婚であって、それ以上でも以下でもございません。卑怯だなんて、人聞きの悪い事仰らないで頂きたいですね」
「そんな事はどうでもいい! あんたがレオナルド様と離婚すればいいだけだ」
「仮に私とレオナルド様が離婚したとしも、彼が貴方と結婚するとは限りませんよ?」
「勿論、俺なんかがレオナルド様と結ばれるなんて考えてはいない。それに、俺はそんな事望んでなんかいない。ただ、あの方が笑って幸せであってくれるならそれで十分だ。それだけで俺は幸せだ」
両手を胸の前で握りしめながら頬を染めてそう告げるブルーノは、その厳つい顔に似合わず恋する乙男そのものでした。それにしても、恋する乙男というのは厄介な生き物ですね。完全に自分の世界に入り込んでしまっています。
離婚して差し上げたいのはやまやまですが、こんなくだらない理由なんかで離婚出来ませんよ。第一、私にだって色々事情というものがあるのですよ。こんな結婚早々に離婚なんてしたら、借金の肩代わりして下さったライズベル様に申し訳が立たないというものです。
「黙って聞いていましたが、先程から奥様に向かってなんて失礼な事を仰るのですか! 無礼にも程がありますよ!」
「……無礼は承知の上だ。だが、こうでもしないと聞き入れて貰えないだろう?」
アンナはブルーノを睨んでそう告げると、ブルーノは悪びれる様子もなくそう答えました。
いえいえ、こんなことしても聞き入れませんよ? いい加減面倒になってきました。私はもう家に帰りたいんです。ただでさえ、気分が落ち込んでいたのにこんな面倒臭そうな男に絡まれるなんて、今日はとことん運がありません。
「何を馬鹿な事を……相手になりません。そこをどきなさい」
「離婚すると言えば大人しく引き下がってやるさ」
「はぁ……馬鹿な事言わないでくれる? そんな戯言に付き合う義理はないわ」
アンナは私を庇うように背に隠しながら退くように言うが、ブルーノは全く退く気は無いようです。それどころか、ため息交じりに発した私の言葉に眉を顰めるとみるみる目が怒りに染まっていくのが分かりました。
「戯言だと? 俺は本気で言っているんだ! それを馬鹿な事だと? ふざけるな!」
「っ!」
「リリアーナ様!」
ブルーノはアンナを左手で強引に退かすと、私目掛けて右手を振り落としました。パチーンと乾いた音が響き、私の左頬に激痛が走りました。初めてビンタされましたが、なかなかに痛いですね。油断すると涙が出そうなくらい痛いです。なのに、このブルーノときたら私の胸倉を掴んできました。
「あんたに何が分かる! 俺がどれだけレオナルド様を愛しているかあんたに分かるか? 好きな人を奪い去られ、隣で愛を囁く事も身を守ることも出来ない苦しさが分かるのかよ! はっ、金や権力に目が眩んだ悪女に分かる訳ないよな」
「……」
ブルーノは私の胸倉を掴んでそう叫ぶように言葉を吐き出しました。
確かに私には理解出来ない別次元の話ですし、実際に金に目が眩んで結婚しました。ですが、それの何がいけないのでしょうか。レオナルド様も大層ご不満な結婚ではあったでしょうが、私だって同じです。私個人の感情で言ってしまえば、こんな結婚絶対嫌でしたよ。なのに、どうして何も知らない赤の他人に悪女などと罵声を浴びせられなければならないのでしょうか? 私は自分では気づいていないだけで、それ程の罪を犯しているのでしょうか?
「あんたはレオナルド様に相応しくない。あんたはレオナルド様の好きな食べ物を知っているのか? どんな色が好きなのか、どんな本を好んで読んでいるのか、どんな風に休日を過ごしているのか、あんたは知っているのか!?」
「……」
「知らないだろう? だが俺は全部知っている。あの方の事ならなんだって知っている。俺以上にあの方を知っている人間はいないと断言出来るほどにな!」
知りませんよ。私はレオナルド様の事など何一つ知りません。ですが――
「それが、なんだっていうの?」
「……なんだと!」
「貴方が本気でレオナルド様の事を愛しているというのは分かりました。けれど、それを私に言うのは違うのではないかしら?」
「どういう意味だ!」
「確かに私とレオナルド様の間に愛など皆無です。ですが、私とてレオナルド様の幸せを邪魔するような野暮な真似はしたくはありません。もしレオナルド様に心から愛する方が出来れば、私は潔く身を引きましょう」
私の言葉にブルーノは訝しげな目を向けていますが、僅かに動揺しているようです。私の胸倉を掴んでいた手がゆるゆると緩まり、ようやく解放されました。
「……本当だろうな?」
「勿論ですよ。それより貴方はレオナルド様の事を諦めていらっしゃるようでしたが、本当にそれでいいのですか? 私が言うのもなんですが、確かに貴方ほどレオナルド様を想っている方はいないでしょう。そんな貴方にならレオナルド様を任せられると思ったのですが、残念です」
私がそう言うと、ブルーノは満更でもない様子で少し頬を赤らめています。足を気持内股気味にしてもじもじしている様子は、なんともいじらしいです。
「……そ、そうか? でも、俺は」
「想っているだけでは相手に伝わりませんよ。本気で愛していると言うのであれば、それは伝えるべきではないのですか? 誰にも負けないと言った言葉は嘘だったのですか?」
「違う! 俺はっ、俺は心からレオナルド様を愛している!」
胸を張ってそう言い切ったブルーノに私は可能な限りの満面の笑みを浮かべました。
「だったら、きちんとその想いを告げるべきです。貴方自身の為にも、その想いを成就させる為にも」
「そうだな、そうだよな! 俺、レオナルド様に告白してみるよ!」
「ええ、応援しています」
私がそう言葉を告げると、ブルーノはとても嬉しそうな表情を浮かべました。しかし、それはすぐに罰が悪そうな顔へと変わってしまいました。
「……その、悪かった。俺はあんたの事誤解していたようだ」
「気にしないで下さい。私も少し感情的になってしまったのが悪かったですし」
「……だが」
「でしたら、私にも一発殴らせて下さい。それでお相子にしましょう、ね?」
「そうだな。さあ、遠慮はいらない。ぶってくれ」
私の和解の提案にブルーノはすぐに受け入れてくれました。そして、私が殴り易い様に少し屈んで目を閉じて顔を突き出しました。
……同意は得られました。では、遠慮なくいかせてもらいましょう。
私は足を交互にステップを踏んで、体を左右に揺らし両手に拳を作り呼吸を整え標的に狙いを定めます。左足を思いきり踏み込み腰を入れて、渾身の一撃をこのクソ野郎にぶち込みます。
「いくぞっ、おらぁあああ!」
「ぇ……ぐはあっ!」
私の繰り出した右ストレートは見事左頬を抉り込むように捉え、奴は3メートル程飛んでいきました。思ったよりも飛んでいなかったのは残念ですが、初めてにしては上々ではないでしょうか。
前世ではダイエットと健康の為にジムに通っていたのですが、その中で私はボクササイズが大好きでそればっかりやっていました。シェイプアップにもなりますが、私は護身術も兼ねて結構本気でやっていました。それこそ、家にいてもやっていたくらいです。前世ではその力を発揮する機会はなかったですが、ここにきてようやく少しばかりですが役立ったようです。
いやー、上手くいくか不安でハラハラしましたが無事目的を果たせて良かったです。愛がどうのこうのと言っていましたが、私からすれば言い掛かりも甚だしい上に平手打ちまで喰らわされて、これで大人しく黙って引き下がれますかって話ですよ。取り敢えず一発お見舞いしなくては私の気も休まりません。平手ではなく拳だったとしても、一発は一発ですからね。これでお相子です。
「「……」」
清々しい気持ちでいると、アンナとセシルがぎょっとした顔をして私を見ていました。驚くのは勝手ですがセシル……貴方護衛でしたよね? 突っ立ってないで仕事をしっかりしてもらいたかったです。何の為の護衛ですか、まったく。
むくりと体を起こしたブルーノも頬を抑えて呆然とこちらを見てきます。……少しはしたなかったかもしれませんが、今日はこのくらいは大目に見てほしいです。依然固まってしまっているブルーノに向かって私は満面の笑み浮かべました。
「成就祈願も込めて一発殴らせて頂きました。貴方の恋が成就する事、心からお祈りします」
「……そ、そうだったのか。ありがとう」
最後にブルーノと熱い握手を交わし、彼は颯爽と立ち去っていきました。
そんな怒涛の一日が過ぎた翌日、朝から外が騒がしいので様子を見に行くとそこには花束を持って跪くブルーノとげんなりとした顔をしているレオナルド様の姿が。どうやら本当に告白に来たようです。ボサボサだった髪を整え白いタキシードに身を包んだブルーノの本気度に、焚き付けた張本人ではありますが思わず引いてしまいました。
「レオナルド様! どうか、俺と結婚して下さい!」
「……アンタ、馬鹿なの? 私はもう結婚してるんだけど」
「こんな愛の無い結婚など結婚とは言えません。俺と愛のある本当の結婚をしましょう。必ず貴方を幸せにすると、この命に懸けて誓います!」
「無理。本当に無理」
「恥ずかしがる貴方も可愛いなぁ」
「……」
熱心に愛を囁くブルーノと顔を真っ青にしながら拒絶するレオナルド様のこの攻防が、まさかまさかの数週間続くとはこの時は知る由もありませんでした。少しばかりレオナルド様には気の毒ですが、面白いので温かく見守らせて頂きます。
いいぞブルーノ、もっとやれ!