もうしてあげませんからね!
翌朝、小鳥の囀りにむくりと起き上がり手に持っていた護身用の短剣を枕元に置いてカーテンを開けると、朝日が優しく私の体を照らしてくれました。いつ襲撃されるかと怯えて過ごした昨夜は一睡も出来ませんでしたが、こうして朝を無事迎える事が出来たことに心から安堵しています。これから毎日こんな恐怖に怯えながら過ごさねばならないと思うと、とても身が持ちそうにありません。
「……ん?」
ふと何やら視線を感じ、窓の外を見渡しますが誰もおりません。……気のせいでしょうか? ここは二階ですし人の視線を感じるはずないですよね。そう思いながら視線を落とすと、一人の従者がこちらを見上げてじっと睨んでいるではありませんか。明るめのグレイの髪と瞳を持った少年は、目を逸らす事無くこちらを睨んでいます。
「ひぃっ!」
私は思わず声を上げてしまいましたが、相手は外にいるし聞こえていないはず。カーテンをさっと閉じ少年の視線を断ち切ってしまいました。露骨に逃げてしまいましたが拙かったでしょうか? いや、でも何ですかあれは。なんでこんな早朝に私の部屋を覗き見しているんですか。もしやあれは監視? 私が変な行動をしないかを監視しているということですか? 怖いです。恐ろしいです。なんなんですか、この屋敷は。
「……あの、リリアーナ様? どうされたんですか?」
「……なんでもないわ」
あれから暫く経ってアンナが部屋にやってきましたが、私の顔を見るなり心配そうな表情を浮かべています。ええ、酷い顔をしているでしょうね。一睡もしていない上に、少年に監視されているという恐ろしい事実を目の当たりにし、すっかり気が滅入ってしまいました。
「もしかして、寝られませんでしたか?」
「……ええ」
「……リリアーナ様、私はリリアーナ様の味方にございます」
「アンナ?」
「ライズベル様よりリリアーナ様をお守りするように言いつけられております。私はライズベル様の侍女でしたので、レオナルド様側の者ではありません。ですから、お一人でお抱えにならないで下さい」
私はその言葉に涙がこみ上げてきました。こんな敵ばかりの場所に一人きりだというのはとても心細かったですし、不安でいっぱいでした。一人じゃないと思ったら、安心してしまい涙が零れてしまいました。
「リリアーナ様。私が貴方様をお守りします。ですから安心して下さい」
「ううっ、アンナ!」
王子様です! アンナは私の王子様です! あんな見てくれだけ王子様のオネエ野郎なんかではなく、凛と可憐で清楚なアンナの方がずっと頼りになる心強い私の王子様です!
「聞いて、アンナ! 昨夜はいつ襲撃があるか怖くて短剣を握りしめながら過ごしていたんだけど、なんとか何事もなく無事朝を迎えられたの。それでね、とても寝ていられる状態でもないしカーテンを開けて朝日を浴びようと思ったら、視線を感じてよく見たら従者の少年が私を睨みつけてきたのよ! まだ早朝だっていうのに外から私の部屋を見ていたのよ。きっと監視されているんだわ。そして私が不審な行動でも取ろうものならきっと殺しに来るんだわ。どうしましょう。どうしたらいいの、ねぇアンナ!」
「……まず落ち着いて下さい」
「え、えぇ、そうね。ちょっと興奮してしまったわ」
つい興奮してしまいました。駄目ですね、淑女らしく冷静に優雅に振る舞わないと。
「……おそらくそれはセシルではないかと。彼は他の従者と比べてもレオナルド様に対しての想いは強いですから」
そ、それはつまり「俺のレオナルド様に手を出したらぶっ殺すぞ!」という脅しを仕掛けてきたという事ですか。一体いつからいたのか分かりませんが、恐ろしい程の執念を感じました。取り敢えず、恋敵に牽制しておこうという事ですよね。安心して下さい、勘違いですよ。
私にはレオナルド様に対して恋情など一切ございませんから。ええ、これっぽっちもございませんよ。観賞用にはもってこいの方ですが、恋愛対象になりえません。なにせあの方は男色家でオネエという私には手に負えない方なんですから。
「ですが、リリアーナ様に危害を加えることは無いと思います。セシルもたまたま通りかかっただけでしょう」
「うーん、そうかしら?」
「ここの屋敷の主はレオナルド様ですが、アインシュベット侯爵のご当主はライズベル様です。そしてライズベル様からリリアーナ様にお仕えするよう命じられているので彼らがそれに背く事は出来ないはずです。ですからそう不安にならなくて大丈夫ですよ」
「……そう」
アンナ、恋は人を愚かにするという事を知らないのでしょうか。普段どんなに優秀で有能な人でも恋に狂えば、どんな愚かなことをするのか分かりません。やはり油断はできません。とはいえ、こちらから下手に動いてあらぬ疑いを持たれるのは危険です。取りあえずは警戒をしながら、平静を装って様子を見ることにしましょう。
今日からレオナルド様はお仕事に行かれるとのことなので一応妻としてお見送りくらいはしないといけません。下へ降りていくとコーヒーのいい香りが漂っており、匂いの元を辿るとテラスで椅子に腰かけているレオナルド様がいらっしゃいました。優雅にコーヒーを飲んでいるその麗しいお姿に、思わず見入ってしまいます。騎士の制服を着ているお姿を初めて見ましたが、なんてお似合いなんでしょうか。眼福過ぎます! これで性格も素晴らしかったら文句の付けどころのない、それこそ王子様と呼ぶに相応しいでしょうに。
「おはようございます、レオナルド様」
「……」
さすがレオナルド様。冷たく私を睨み付けてからカップを口に運ぶ一連の所作のなんと美しいことか。安定の無視にも早くも慣れてしまったのか、さほど違和感を感じません。意外と私は順応性が高いのかもしれません。
「おはようございます、リリアーナ様。リリーナ様もいかがですか?」
「そうね、頂くわ」
レオナルド様の傍に控えていたブラッドフォードに椅子を引いてもらい座ると、香しいコーヒーを淹れてもらいました。レオナルド様は別格でお美しいのですが、このブラッドフォードも本当に綺麗な男性です。コーヒーを淹れる動作一つ一つがとても美しく、ずっと見ていたいと思ってしまうほどです。
「……美味しい」
「お気に召していただけて良かったです」
こんなに美味しいコーヒーは初めてです。豆も良いものなんでしょうが、きっとブラッドフォードの淹れ方がとても上手なのでしょう。あまりの美味しさに笑顔を抑えきれずにいると、向かいに座っていたレオナルド様が席を立たれました。あ、お仕事に行かれるのですね。ではお見送りしないと。
「……なんでアンタまで来るのよ」
「なんで、と言われましても。ただのお見送りですが」
玄関まで付いていくと、レオナルド様は不愉快さを隠しもせずに仰りました。意外な言葉に私は首を傾げてしまいましたが、どうやら私のお見送りが嫌だったようです。
「なんでアンタにそんな事されなければいけないのよ。言ったでしょ、アンタを妻とは認めていないって。そんな相手に見送られるなんて不愉快だから止めてくれる?」
「……妻でなくても、一家の主を見送るのは当然ではないのでしょうか?」
「アンタの見送りはいらない。朝から嫌な顔に見送られるこっちの身も考えてほしいものね」
「……すみません」
「……ふん」
そこまで嫌だったんですね。そして、そこまで嫌われていたのですね。気づけませんでした。さすがの私もちょっと傷つきました。
もう二度と見送りなんてしませんよ。後になって見送りしてくれって頼まれても、絶っ対してあげませんからね!