謎かけか何かでしょうか?
色々あった夜会から一夜明け、妙にソワソワしてしまっていた私はいつもよりも早く目が覚めてしまいました。
部屋の中はまだ薄暗く、カーテンの隙間から零れる光が部屋に差し込んでいます。
私はベッドから起き上がり、ぼんやりとそのキラキラと輝く光を見つめながら、昨日の出来事を思い返していました。
まさかあのレオナルド様が私を気遣ってくれていたなんて……。
初めは、この劣悪な環境の対価としてはまぁ多少割のいい契約だなーと思い、ただ淡々と契約を遂行するだけでいいと思っていました。
でも、レオナルド様の意外な気遣いを知ってしまった今は現状のままという訳にはいきません。
ですから今日からはこれまでのようにただ生活しているだけではなく、妻としてもう少し頑張ろうと決めたんです。
正直、不安は沢山あります。
何せ、ここは女性にとっては恐怖の館のような場所ですからね。
ですが、逃げる訳にはいきません。
私が昨日考えた、まずやるべき事は2つ。
それは、屋敷の使用人達ともう少し仲良くなり屋敷内のこのギスギスした環境を改善させる事。
そして、レオナルド様との関係を今より少しは良くして相互理解を高める事。
この2つが改善されれば、無事にライズベル様との契約も遂行でき、レオナルド様にも相応の関係が築けて誰にも何も文句を言われることもありません。
それに面倒なことも起きずに3年間を乗り切れますし、3年後にはやり切ったと心置き無く胸を張ってここを去ることが出来るでしょう。
ああ、なんて素晴らしい計画でしょう!
あのまま何も気づかずにいたら私は契約は完遂できたとしても、きっとレオナルド様に色々とボロクソ文句を言われて後悔と恥ずかしさに苛まれながらここを去ることになっていたでしょう。
そんな事にも昨日まで気付けなかったなんて、なんて間抜けなんでしょうか!
呑気に食っちゃ寝してる場合ではありません。
「……頑張らなくちゃ!」
新鮮な空気が吸いたくなった私はカーテンを開き窓を開けると、心地よい風が頬を優しく撫でてくれます。
少し冷たい風がとても心地良いです。
静かな朝というのも、なかなか素敵ですね。
「ん――っ!」
私は腕を伸ばして背伸びをすると、ガサッという音が聞こえてきました。
何だろうと思い、音のした下の方へ目線を向けるとそこには一人の男性が。
「……」
「……」
彼は確か護衛の一人で名前は……マルコだったはず。
少し灰色がかった短い金の髪に、深い海の様な瞳の端正な顔立ちの青年で、歳は私より少し上でしょうか?
レオナルド様とあまり変わらないように見えます。
護衛ということでよく顔を合わせますが、いつも俯いている上に少し気難しそうな雰囲気があり、話した事はありません。
そういえば、こうして2人きりというのは初めてかもしれませんね。
「……?」
何故か動きをピタッと止めて石像のように動かなくなってしまったマルコ。
一体どうしたのでしょうか?
様子のおかしいマルコが気になりながらも、こうして沈黙し続けるというのも気まずいですね。
「……お、おはよう。いい天気ね」
「……っ!」
そう、今日からは女主人として彼らともきちんと向き合うと決めたのです。
勇気を出して私から声をかけてみたのですが、マルコはさぁーっと顔を青くしたかと思うとボッと一気に顔が赤くなり、異常な早さでお辞儀をすると物凄い速さで逃げていってしまいました。
「……」
ただ挨拶しただけなのですが、何なのでしょうか?
挨拶すらまともに交わす事が出来ないなんて……。
「……なんだか、やっぱり無理な気がしてきました」
折角やる気を出してきたというのに、いきなり出鼻をへし折られたような気持ちです。
あんなに避けなくもいいのに。
そんなに私が嫌いなのでしょうか?
嫌われてるのは知ってましたけど、ここまでされるとやっぱりショックです。
早くも少し落ち込んでいると、扉をノックする音が。
アンナでしょうか?
今日はいつもより早いですね。
「どうぞ」
いつものように、返事をしましたが一向に扉が開く気配がありません。
「……アンナ?」
名前を呼んでもやはり返事がありません。
どうしたのでしょう?
不思議に思い、私はそーっと扉を開くとそこには誰もいませんでした。
「……」
え、どういう事?
確かにノックの音が聞こえていたはず……まさか、幽霊!?
そんな考えが頭を過ぎりましたが、足に何かがぶつかり一瞬にしてそれは違うと分かりました。
「何これ」
私の部屋の扉の前に落ちていたもの。
それは一枚の紙と一本の蝋燭でした。
紙には〝同じものをお願いします”、とだけ書かれています。
「同じもの……? お願いします……? え、何なのこれ?」
意味が分かりません。
同じ蝋燭をお願いしますって事?
それとも、これは謎かけか何かでしょうか?
生憎と、私はこういった趣向のものは非常に苦手ですので、解ける自信がないのですけど。
どういう意味なのか色々と考えましたが、さっぱり分かりません。
暫くすると、アンナが部屋に来たのでこの謎の紙と蝋燭の事を伝えると、アンナも首を傾げました。
「屋敷の者の誰かが置いた、という事は確かでしょうけど……どういった意図かまでは」
「そうよね」
「この事はレオナルド様にご報告しておきます」
「……いえ、しなくていいわ」
「え? ですが……」
これは間違いなく使用人の誰かの仕業です。
そして、意味は分かりませんが何かを訴えているのは分かります。
ここは女主人として、彼らの要求に答えてあげるべきでしょう。
……まぁ、要求にもよりますが。
ですので、今回はレオナルド様達に頼らずに自分で解決しなくては!
……そういえば、以前にブラッドフォードにもそんなようなことを言われてましたね。
すっかり忘れていました。
「リリアーナ様、夕食の件伺いました」
ああ、ブラッドフォードから聞いたのでしょうか。
アンナは心配そうな表情を浮かべています。
「あまり、ご無理はしないようにして下さいね」
「ありがとう、大丈夫よ」
アンナだって、敵意むき出しの男ばかりの屋敷できっと苦労をいっぱいしているはずなのに。
そんな優しいアンナの為にも、彼女が過ごしやすくなるような屋敷に変えていかなくてはいけませんね。
今日からは屋敷内を回って皆の様子を観察していきましょう。
もしかしたら、すぐにあの紙と蝋燭の差出人が分かるかも知れませんしね。
そんな淡い期待を抱きながらうろうろと歩いて回っていると、背後から急に声を掛けられました。
「リリアーナ様、何をしているのですか?」
「ひっ! ……あ、ジール」
そこに居たのは、料理人のジールでした。
ジールは薄緑の髪と蜂蜜色の瞳の可愛らしい顔をしていて、いつも穏やかな笑顔を浮かべています。
そして、ブラッドフォード以外で唯一私と話をしてくれるのが彼でした。
と言っても、こうして言葉を交わすようになったのはここ最近の事ですけれどね。
初めの頃は彼も私を見る目が厳しいものでしたが、今ではこうして笑顔を見せてくれます。
まだ僅かなやり取りしかないので確かな事は言えませんが、彼はそれ程女性を嫌っているような素振りはないように見えるので、この屋敷では貴重な存在なのかもしれません。
「何か探し物ですか?」
「いいえ、ただ見て回っているだけよ」
そうでしたか、と人好きのする笑顔を浮べるジール。
彼の様な人ばかりなら良かったのに、と何度思った事でしょう。
「聞きましたよ、リリアーナ様。今日からレオナルド様と夕食を一緒にとられるそうですね」
「ええ」
「お二人の仲が縮まるように、腕によりをかけてお作りしますね」
「まぁ、ありがとう。あなたの料理って本当に美味しいから楽しみだわ」
そう、ジールの料理は本当に美味しいんです。
食べたことのないものばかりでとても楽しいですし、それに時折どこか懐かしく感じる料理もあったりして、彼の料理が毎日の楽しみになりつつあります。
私がそう話すと、ジールは目を細めてじっと見つめてきました。
つい美味しい料理を思い出して、締まりのない緩みきった顔が余程酷かったのでしょうか?
「……あ、の?」
無言で見つめられるのって、なんだかとっても居心地が悪いので止めてもらいたいのですが……。
一人何とも言えない気持ちになっていると、急にジールは腰を屈めて私の手をそっと取り、そのまま口元に。
……ええ!?
「お褒め頂きありがとうございます。本日の夕食、楽しみにしていて下さい。あなたのために、最高の料理をお作りします」
「……あ、ありがとう」
なんて気障な男なんでしょう。
どうにもこういった事に慣れなくて、いつも気恥ずかしいというか……居た堪れない気持ちになってしまいます。
「それでは、失礼致します」
どことなく上機嫌に見えるジールは、満面の笑みを浮かべて去っていきました。
「……はぁー」
彼が居なくなり、私はつい安堵の息が漏れてしまいます。
彼は気さくで話しやすいのですが、何故か反射的に警戒してしまうんですよね。
何故でしょう?
あのじっと見てくる目のせいでしょうか?
それとも、やはりこの屋敷にいる男性という事で警戒してしまうのでしょうか?
「……はぁ、なんだか少し疲れました」
朝から色々と立て続けに起きた挙句、ジールと話した事でどっと疲れが襲ってきました。
この屋敷にいると常に色々神経を使うので、自室以外にいると疲れるんですよね。
今日は夕食でも気を使って疲れるでしょうし、それまで大人しく部屋に篭っていましょう。




