不可抗力です
「…………」
突如扉を開けて入ってきたレオナルド様の姿に、私を含め愛好会の皆さんも驚きに声が出ません。
少し乱れた髪のレオナルド様は、私達を憎々しく見てきます。
……あれ?
なんだか顔色があまり良くないような……。
「……どういうつもり?」
酷く冷たい声が静まり返った部屋に響き、皆さんビクリと体を震わせました。それは私も例外ではなく、この恐ろしいまでの怒りを向けられ、身が縮みあがってしまいます。
それにしても、何をそんなにお怒りなのでしょうか?
「お聞きしてもいいかしら、フローラ様」
「……っ!」
フローラ様の名前を呼ぶと、レオナルド様はゆっくりと部屋の中に入ってきました。名前を呼ばれたフローラ様を見やれば、困ったような嬉しそうななんとも言えない表情。
……え、まさかこの状況を喜んでます?
周囲を見渡すと皆さん似たような表情をされており、少しばかり狂気を感じてしまいます。
引き攣りそうになる顔をどうにか抑えていると、こちらを見てくるレオナルド様に気づきました。
な、なんだか凄く見られています。
私何か悪い事でもしてしまったのでしょうか?
「この女をこんなところに連れ込んで、一体何をするつもりだったのかしら?」
「嫌だわ、レオナルド様ったら。ただ一緒にお話をしていただけですわ」
「話? あなたがこの女と? なぜ?」
「なぜって……あなたの奥様だもの、仲良くしたいと思っただけよ」
「仲良くですって? 笑わせてくれますね。あなたは私を嫌っているというのに、そんな嘘は通用しませんよ?」
「私はあなたを嫌ってなどいないと、何度言えば分かるの? いい加減その勘違いをどうにかして欲しいわ」
やれやれとため息を吐くフローラ様と信じられないと疑うレオナルド様。
どうやらこの二人の間には食い違いが生じているようです。
成り行きを見守る姿勢を取っていた私でしたが、お怒りのレオナルド様はそんな私にも食いついてきました。
「ちょっとアンタ! なんなのそのアホ面は!? なんで自分は関係ないみたいな態度取ってるわけ?」
「えっ、あの……すみません」
事態をあまり飲み込めていませんが、こうしてレオナルド様がいらっしゃったのは私のせい……という事なのでしょうか?
理由はよく分かりませんが、確かにあまり良くない態度でした。すみません。
でも、アホ面は酷いです。
「余計な手間を取らせないでくれる? さっさと行くわよ!」
「はい! あのっそれではフローラ様、皆様……失礼致します」
いきなり現れたかと思えば、さっさと出ていってしまうレオナルド様。
私は慌ててフローラ様達に挨拶をして、急いでレオナルド様の後を追います。
「見ました!? 本当に右目がピクピクってしてましたわ!」
「なんて愛くるしいのかしら!」
「やっぱり怒った顔はいいですわね! 最高だわ!」
…………。
背後から聞こえてくる話し声は聞かなかった事にしましょう。
どんどん先を行ってしまうレオナルド様の後を必死で追いかけますが、一体どこに向かっているのでしょうか?
会場とは反対方向のようで、賑やかな音がどんどん遠ざかっていきます。
ようやくレオナルド様が立ち止まったのは、人気のない中庭でした。
息が少し上がりながらやっと追いついた私は、月明かりに照らされたレオナルド様の後姿を恨みがましく見てしまいます。
まったく、脚の長い方は歩くのが早くて困ります。
少しはこちらの事も考えて歩いて欲しいですよ。
中庭には私とレオナルド様の二人だけ。
空には満天の星、流れてくる美しい音楽、優しく靡く心地良い夜風。愛し合う者同士であれば、とてもロマンチックなシチュエーションでしょう。
しかし、ここにいるのは私とレオナルド様。当然そんな甘い雰囲気には程遠いです。
私に背を向けていたレオナルド様はこちらを振り返り、私をじっと見つめてきます。
月明かりに照らされた金の髪が白く淡く輝き、美しい容姿はより幻想的なものに。
――本当に綺麗な方です。
美しいその人は、綺麗な顔を苛立ちから顔を歪めてこちらを睨んできます。
「……アンタ、馬鹿なの?」
「……は?」
開口一番のその言葉に、私も口をあんぐりしてしまいます。
「あんな所にのこのこ付いて行くなんて、アンタ本当に馬鹿ね。救いようがない程に馬鹿だわ」
「な、なっ……!」
馬鹿、馬鹿と言ってくるレオナルド様に、沸々と沸き上がる怒りを抑えられません。
「何なんですか、さっきから人の事を馬鹿って!」
「馬鹿だから馬鹿って言ったのよ! この馬鹿ッ!」
んなっ!!
答えになってない上にまた馬鹿って言いましたね!
こんなに馬鹿だ馬鹿だと罵られたのは初めてです。
なんでこんなに馬鹿呼ばわりされなければいけないのですか!
納得がいきません!
「……あの女達は私を嫌って嫌がらせしてくる連中なの。私を怒らせて喜んでる、悪趣味な女達なのよ」
あー……。
確かにフローラ様達のされている事は、何も事情を知らなければそう受け取るのが普通かもしれません。
悪意がないとはいえ、やられている方は嫌な気持ちになると思います。
「そんな女共がアンタを歓迎すると思うわけ?」
「それ、は……その……」
意外な事に歓迎されましたよ。
でも、この様子では真実を告げても信じて貰えなさそうですし、また馬鹿と罵られそうです。
「……アンタ、今回は何も無かったからいいけど、そんな調子じゃいつか痛い目に遭うわよ。その空っぽな頭、もう少し使って行動する事ね」
「……」
いちいち馬鹿にされるので腹が立ちますが、もしかしてレオナルド様は少なからず私を心配して下さっているのでしょうか?
あの時、髪が少し乱れていたのは……急いで来てくれたから?
――私のために? なんて思うのは思い上がりでしょうか?
「……ご心配おかけしてすみません」
「べっ、別に心配なんかしてないわよ!」
「でも、だったら何故来てくれたんですか?」
「かっ、勘違いしないでよね! アンタが要らぬ問題を起こしたりしたら面倒だからっ……ただそれだけよ!」
腕を組みながら顔を横に背けてそう話すレオナルド様ですが、その横顔が真っ赤になっています。
ああ……そっか。
フローラ様達が言う、レオナルド様が可愛いって……コレの事なのかもしれません。
何だか少しだけ、ちょっとだけ可愛く見えてしまうレオナルド様に思わず微笑んでしまうと、レオナルド様は不愉快そうに顔を歪めます。
「ちょっと! アンタ何笑ってんのよ! 調子のってんじゃないわよ! これだから馬鹿は嫌なのよ」
あっ、もう可愛く見えない。
「……うっ……」
「レオナルド様?」
急に口元に手を当てて呻くレオナルド様を心配して声を掛けますが、キッと睨まれてしまいました。
「……っ……もういいっ! 私は戻るわ。アンタはさっさと帰りなさいよね」
まだ文句が言い足りない様子でしたが、そう言うなり私に背を向けて戻ろうとされます。
「分かりました……でも、レオナルド様ももう帰られた方が良いのでは?」
「なんでよ」
「だって……体調悪そうです」
家を出た時から様子がおかしかったですし、どことなく顔色があまり良くないような気がしていましたが、今は明らかに顔色が良くないです。
「うるさいわね、アンタなんかに心配なんてされたくない」
「……でもっ」
「……っ……」
私に構うことなくこの場を去ろうとしたレオナルド様でしたが、フラフラとよろめいて今にも倒れそうです。
「レオナルド様っ! 大丈夫ですか!?」
「……さ……るな……っ」
私は慌てて駆け寄りレオナルド様の様子を窺うと、苦しそうな顔には汗も滲んでいます。
やっぱり具合が悪かったのですね。
それなのに、私のせいで無茶をさせてしまいました。
女性が苦手なのに、女性ばかりの部屋に私を心配して来てくれたレオナルド様の姿が脳裏に蘇り、胸が締め付けられるように痛みます。
……情けないです。
何も知らない自分が。知ろうともしなかった自分が。
私はレオナルド様の妻なのに、嫌われているからと距離を置かれてもそのままにして、それを良しとしてしまいました。
ただ一緒に暮らすだけでいいと、そう思ってしまっていました。
なのに、そんな私を……嫌っている私を心配して来てくれたレオナルド様。
「……ごめんなさい」
私のせいで、本当にごめんなさい。
私がもっとレオナルド様に歩み寄っていれば、こんなに具合が悪くなる前に対処出来たかもしれないのに。
私がもっとレオナルド様を知ろうと思っていれば、フローラ様達の事だってレオナルド様に心配をかけずに対応出来たかもしれないのに。
このままじゃダメです。
これじゃ恩返しどころか、迷惑をかけるだけになってしまいます。
レオナルド様の妻として、もっと妻らしく歩み寄る努力をしなければ。
「……っ……」
「大丈夫ですか、レオナルド様!」
辛そうなレオナルド様。さっきよりも顔色が悪いように見えます。
大変です! すぐに医者に診てもらわないと!
「さぁ、早く私の背に!」
「…………」
私はおぶさりやすい様に腰を落とし背を向けましたが、一向に動く気配がありません。
どうしたのかと思い振り向くと、レオナルド様はキョトンとした様子で私の背を見つめていました。
「もう、何をされてるんですか! 早く乗って下さい!」
「……は?」
「私が背負って運びますから、安心して下さい」
「……………はぁああ!? アンタ、何考えてんのよ!!」
何をそんなに驚くのでしょうか?
あ、もしかしておんぶされた事ない?
……そう言えば、私もないかもしれません。
「あの、おんぶは嫌ですか?」
「嫌に決まってるでしょ!!」
そうですか。
……あまり気が進みませんが、仕方ありません。
「では、お姫様抱っこにしましょう。さぁ、どうぞ」
「……無理! 嫌! 有り得ない!」
「心配しないで下さい。私こう見えても結構力持ちなんで、レオナルド様くらい大丈夫ですよ?」
「アンタの心配なんかこれっぽっちもしてないから……って、ちょっと! その汚らしい手で触んないでくれる!?」
ギャーギャーと喚くレオナルド様に付き合っていては時間ばかり無駄に過ぎてしまいます。
ここは嫌がられようと多少強引に出ようと決め込んだ私は、レオナルド様の腕に手を伸ばしますがやはり振り払われます。
「もう、大人しくして下さい」
「するわけないでしょ!」
嫌がるレオナルド様の手首を掴むと、反対の手で私を振りほどこうとしてきますが、その手もきっちり掴み止めます。
「っ! この、馬鹿力! 放せ!」
「こんなに弱ってるんです。いい加減観念して私の言う通りにして下さい」
「うるさい! 放せって言ってんでしょ!」
どこまでも抵抗するレオナルド様。
ここまで抵抗されるのはやっぱりちょっと悲しいです。
お役に立ちたいと思っていましたが、仕方ありません。
興奮させて体調を悪化させる訳にはいきませんし、ここは私が折れるしかないようです。
「何をしているんだ?」
急に背後から声が聞こえ驚いて振り返ると、そこには先ほど声を掛けてきた数人の男性の一人のお坊ちゃまが!
彼はなぜか驚いたような顔でこちらを見てきます。
「なぜ、こんな所に?」
「レオナルドの戻りが遅いから心配で探していた。それよりも、一体何をしているんだ?」
「あの……レオナルド様をお連れしようと」
「連れていく? 一体どこに連れ込もうとしているんだ?」
は? 連れ込む?
いやいや、連れていく、ですから!
「どこって家に決まってます!」
「なら、何故レオナルドを押し倒そうとしているんだ?」
は?
押し倒す!?
……レオナルド様の両手を掴んでいるだけですよ?
これ、押し倒そうとしてるように見える……のでしょうか?
「まぁ、それはいいとして。ご夫人、いい加減その手を放してやってくれ。じゃないと……」
「……フッ、もう遅い」
「え?」
急に何か悟りを開いたような清々しい顔をされたレオナルド様。
訳が分からずにいると――
「……おゔぇええ――!!」
「――!?」
私のドレスに盛大に嘔吐してきたレオナルド様。
恐る恐るドレスを見れば、見るも無惨な姿に。
ドレスが……
私のドレスがああぁぁああ――!!
「……放せと言ったのに聞かなかったアンタが悪い」
「……」
口元を乱暴に袖で拭い、さっきまでと打って変わってスッキリとした顔をされているレオナルド様。
なんで一人、全て出し切ってやったぜ! みたいな爽やかな顔をされてるんですか。
こっちは気分最悪ですよ!
それに、理由を言ってくれたらすぐに放しましたよ!
「だから忠告しようとしたんだよ。女性がレオナルドにあまり触れると吐くから気を付けてって」
遅すぎですよ!
なんでそんな大事な事、早く言ってくれなかったんですか!
起きてから言われても意味がないじゃないですか!
ううー、臭い。
このツンとした独特な酸味の匂い。
私、凄く苦手なんですこの匂い。
だから――
「私も忠告しておきます」
「……何よ?」
訝しげな表情でこちらを見てくるレオナルド様。
そんなレオナルド様に、私も微笑みかけます。
「……おゔぇええええ――」
「……!?」
私は目の前にいるレオナルド様にめがけて激しく嘔吐してしまいました。
別に仕返しにレオナルド様にかけた訳ではなく、これは不可抗力です。
スッキリした私は取り出したハンカチで口元を拭い、私の吐瀉物の餌食になり茫然としているレオナルド様に改めて忠告を……。
「実は、他人が嘔吐しているの見るとつられて私も嘔吐してしまうんです。ですから、私の前では嘔吐しない事を強くお勧めします」
「……何よそれ! なんで早く言わないのよ、この馬鹿!」
「お互い様です」
「第一、つられて嘔吐するとか何なのよ、その謎の現象は!」
「女性に触られると吐いてしまう体質の方が珍しいと思いますけど」
私ばかり責めるのはおかしくないですか?
それに、私のは生理現象みたいなもので、どうしようもないですし……。
ともあれ、今回の事でレオナルド様もご存知になった訳ですし、今後は互いに気を付ければ問題ないでしょう。
とりあえず、レオナルド様とは物理的に距離を置こうと思います。




