天罰なのでしょうか?
王都に買い物に行ったあの日から約1か月が経ちましたが、その間に私の周りでは様々な変化がありました。
まずセシルが本邸へ異動になりました。まあ護衛であったはずの彼は全く仕事を果たしていませんでしたし、それなりの罰があって当然ではあると思いましたが、まさか異動になるとは思っていませんでした。他所の貴族に雇われていたら絶対クビになっていたと思うのですが、ここは普通ではないのでてっきり口頭で注意するだけで終わるのかと思っていました。その事をアンナに言うと、可愛い顔を少し顰めて怒りの色を滲ませました。
「当然です。いえ、寧ろ生温いくらいだと私は思いますが。きっと今頃ライズベル様に扱かれている事でしょう」
と、とってもご立腹な様子です。まだ付き合いは短いですが、こんな風に感情を出すアンナは初めて見ました。怒った顔も美人さんなので可愛いです。……羨ましい。
次にブルーノ。彼は私の想像以上に良い働きをしてくれました。彼の猛烈なプロポーズにレオナルド様は日に日にげっそりと衰えていき、今ではまるで生きた屍のようです。その様子に少しばかり喜んでしまった私は性格が悪いと自覚しながらも、ついついほくそ笑んでしまいます。
ここの使用人達はさわやか系、ワイルド系、かわいい系とタイプは様々ですが、整ったお顔立ちの方ばかりです。ブルーノは厳つい上に野性的な顔立ちなのできっと好みの顔ではないだろうと思っていましたが、好みの男性からのアプローチでないとレオナルド様も嫌みたいですね。あ、それとも自分からガンガンいきたいタイプなのでしょうか。だとしたら迫られるのは趣味じゃないのかもしれないですね。
しかし、少し調子に乗って高みの見物をしていた私にも予想外な事が1つ。それは――
「よう、リリアーナ様! 今日も来たぜ!」
「……あなた、暇なの?」
なぜか私も彼に好かれてしまった事です。彼がレオナルド様にアプローチするようになって三日過ぎた頃、彼は私に手土産を持って改めて謝罪に来ました。本音を言ってしまえばもう関わらずにいたかった相手だったのですが、下手に放置して恨まれたりまた何かされたりするのも迷惑だったので取り敢えず手土産を受け取り少し話をしたのですが、なぜかそれから仕事が休みになると彼はレオナルド様に愛を囁いた後私のところに来るようになりました。
「ほら、これリリアーナ様好きだろ? また作ってきてやったぜ」
「まあ! これ本当に美味しいですよね。貴方兵士なんて辞めて菓子職人になればいいのに」
「これはただの趣味だからな。仕事には考えてない」
「そう、それは残念です」
彼が手土産で持ってくるのはいつも手製の焼き菓子でした。初めは毒入りを食べさせて私を亡き者にしようという企てなのかと疑っていたのですが、純粋にお詫びだったようで無用な心配でした。
今日は私の好きなドライフルーツのパウンドケーキを作ってきてくれたようです。彼が作る菓子は本当に美味しくて、いつの間にかこのお菓子を楽しみにしてしまっている自分がいます。見かけによらず私よりも女子力高いブルーノ……ちっ。
「今日もレオナルド様には良い返事が貰えなかった。どうしたら俺の愛を受け入れて貰えるんだろう」
「そうですわね」
そして、この菓子を頂きながらブルーノのレオナルド様への愛を聞かされるというのが一連の流れになってしまいました。と言っても、私はただ相槌を打つだけなのですが。この手の話は基本話を聞いて貰いたいだけなので、少々態度があれでも問題ありません。
「寝ても覚めてもレオナルド様の顔が離れなくて、いつも胸が苦しい。どうしたらいい?」
「そうねー」
はぁ……なんて美味しいのでしょうか。パサつきがなくしっとりとした生地で口の中で程良い甘さが広がり、意外と重くないのでいくらでも食べられそうです。これで生クリームがあったら最高なのですが、高級食材ですから我慢ですね。
「愛を囁けば少しはこの想いも軽くなり晴れるかと思ったが、日に日に強くなっていくんだ。俺はその内愛に悶え苦しんで死んでしまうかもしれない」
「そうね」
ああ、もう最後の一口になってしまいました。やっぱりこのパウンドケーキはとっても美味しくてあっという間になくなってしまいます。そうだ、今度はパイを作ってもらいたいですね。この世界ではパイは菓子ではなく、肉や野菜を包んでものやキッシュのようなものばかりなので、甘いパイを食べてみたいです。
「だが、それもいいかもしれない。レオナルド様を思って死ねるなら、これ以上ない幸せだ。……おっと、もうこんな時間か。そろそろ帰るか」
「そう……ん? もうそんな時間ですか」
彼は朝やって来て、夕刻になると帰っていきます。どんだけ居座る気ですか! と思わず悪態をついてしまいそうになりますが、さしてする事もない上に話し相手が殆どアンナだけという閉鎖された環境の中にいると、こんなブルーノとでも会話をするのは多少は気晴らしになります。何より美味しい焼き菓子付きですからね。
「ああ。話し聞いてくれてありがとな。実は、俺暫くここに来れないんだ。仕事で地方に行くように辞令が出たんだよ」
「まあ、そうでしたの? でも、珍しいですよね?」
王都兵団は基本王都専属の警備兵なので、地方へ移るという事は本人の希望以外ではそうそうあることではありません。なので短期間の配属というのは本当に珍しい事です。何かあったのでしょうか?
「ああ。おそらく3カ月程で戻って来れるだろうけどな」
「そう。お菓子が食べられないのは残念で寂しいです」
「俺もレオナルド様に会えなくなるのは辛い。俺がいない間レオナルド様の事頼むな」
「分かりました。代わりに今度来る時はパイの菓子をお願いしたいです」
「パイの菓子か……面白そうだな。上手くいくか分からないが作ってみるか。それじゃあまたな、リリアーナ様」
「ええ、お気をつけて」
こうしてブルーノは地方へ行ってしまい、暫くあの美味しいお菓子は食べられません。残念ではありますが、彼が今度来る時はパイが食べられるので今から楽しみです。
そして最後に、最も大きく変化があったのはブラッドフォードでした。元々彼はなんだか得体が知れない上に失礼な人なので深く付き合いたい相手ではなかったのですが、ここ最近やたらと話しかけてくるようになりました。私としては一応3年間共に過ごす予定なので仲良く出来るに越したことはないですし、それなりに仲良くなれるのは喜ばしい事だと思っていたのですが、不思議な事に彼と話せば話すほど嫌悪感と不快感に苛まれます。
そんなブラッドフォードが珍しく私の部屋にやって来たのですが、そこでとんでもない事実を私に打ち明けてきました。なんでも、この屋敷にいる使用人の殆どが女性に対してあまり良い感情を持っていないというではありませんか。てっきりレオナルド様を慕うあまり敵視しているのだと思っていたので、レオナルド様に対してそんな感情を持っていない事を分かってもらえればそれなりに上手く付き合えるかもしれない、と淡い期待を抱いていましたが見事に砕け散りました。
「……私の身の安全は大丈夫なの?」
「それは問題ございません。セシルの件があるので信じ難いかもしれませんが、彼らがリリアーナ様に何か危害を加えるような事は決してありませんのでご安心下さい」
いやいや、信じられませんよ! なんですか、この恐ろしい家は! 殆どの方が女性が嫌いって事ですよね? 身の危険しか感じないですよ。
「……という事は、ブラッドフォードも女性が嫌いなのよね?」
「いえ、私は女性大好きですよ。特に美しくて気が強い人が」
「……」
ふと思った疑問を口にして問えば、なんてことないようにさらっと答えたブラッドフォードの視線はアンナをしっかり捉えていました。そしてそれが不愉快だったのか、刺すような冷たい視線を向けるアンナに対し恍惚としているブラッドフォードの気持ち悪い姿が目に入り、その様子を見て事情を察してしまった私はアンナに同情してしまいました。……彼こそ女性嫌いであったら良かったのに。
「レオナルド様からもきつく言いつけられているので問題ないと思いますが、もしリリアーナ様に何か害なす者がおりましたらお申し付けて下さい。すぐにこちらで対処致しますので」
「……分かったわ」
「これはレオナルド様からではなく私からのお願いなのですが……彼らも今の状況にとても苦しんでいます。もし彼らがリリアーナ様に何か要望した際には可能な限りで結構ですので応えてあげて頂けませんか? 無理にとは言いません。ただ、少しだけでいいので叶えてあげて欲しいんです」
え? 要望? 要望ってどういう事でしょうか?
「……要望というのが何か分からないけれど、私に害が無く出来ることならば……そうね、考えてみるわ」
「ありがとうございます。リリアーナ様は本当にお優しい方ですね。リリアーナ様がもっと美しい方だったら惚れてしまっていました。リリアーナ様が美しくなくて本当に良かったです」
満面の笑みで言うセリフではないと思うのですが。私の心を抉るのが本当にお好きなようですね、ブラッドフォード。どうやら彼には悪気がないようですが、それが余計気に障ります。悪意がなければ許されるなんて事はないんですよ。
取り敢えず、今日もこの男を脳内で幾度となく闇に葬り去らなければなりません。ブラッドフォードのせいで今日は徹夜です。
それにしても、私が感情を隠す事無く睨むとやたら嬉しそうな顔をするのは何なのでしょうか?
「ああ、そうでした。今日はリリアーナ様にお渡ししたいものがあって伺ったんです」
「私に?」
「はい。リリアーナ様には多大なご迷惑を掛けてしまいましたので、レオナルド様からの命で謝罪と感謝の意を込めて贈り物をご用意させて頂きました」
「まぁ!」
意外です。まさかその様な事をして頂けるなんて思ってもみませんでしたので、ちょっと本気で驚いてしまいました。迷惑はまあ掛けられはしましたが、思わぬ副産物のお陰で気は晴れていたので逆になんだか申し訳ない気もしなくもないです。とはいえ、貰えるものは有り難く頂きますが。
離婚した後にでも売ってお金にしたいという訳ではありませんが、そういう物を少しでも手に入れられるのは大変有り難い事です。ええ、決してそんな邪な気持ちではありませんとも。
「お気に召して頂けるか分かりませんが、受け取って頂けますか?」
「なんだか悪い気もするけれど、折角用意して頂いたんだもの有り難く受け取らせてもらうわ」
私の言葉に安堵したブラッドフォードは、一度廊下へと出ると手に1mを超える大きな物を抱えて戻ってきました。布に包まれたそれの大きさと形からしてどうやら絵画のようです。アインシュベット侯爵家程の立派な貴族であれば、それはそれは高価で価値のある物に違いありません。売れば一体どれ程の値が付くのでしょうか。ああ、思わず顔がにやけてしまいそうになります。
「お気に召して頂けると嬉しいのですが。どうぞ、お受け取り下さい」
爽やかな笑顔を浮かべながらブラッドフォードは布を外すと、そこには予想通り立派な金の額縁に飾られた一枚の絵画が現れました。
「……ん?」
あれ、私の目はどうしてしまったのでしょうか? あまりにも憎らしくて折角の絵画までブラッドフォードに見えてしまいます。自分が思っている以上にブラッドフォードへの憎しみが強いようです。それにしても、なんだってブラッドフォードに見えてしまうのか。不愉快極まりないです。
私は目を擦りもう一度しっかりと絵に目を向けました。が、やはり私にはブラッドフォードにしか見えません。
……い、一旦落ち着きましょう。そうだ、部屋の隅に控えていたアンナにはどう見えているのか聞いてみましょう。
「ねえ、アンナ」
「はい」
「変な事聞くようだけど確認させて欲しいの。私には胸元を肌蹴させて口に赤い薔薇を銜えながら前髪を掻き上げて流し目をしている気色悪いブラッドフォードに見えるんだけど……気のせいかしら? 気のせいよね?」
「残念ながら、私にも変態が変態な事をしている変態の絵にしか見えません」
なんていう事! 私に贈り物だなんて言ってこんな気持ち悪い呪いの絵を送り付けてくるなんて、もしかしてレオナルド様にブルーノを嗾けた事がばれてしまったのでしょうか?! だから仕返しにこんな汚らわしい物を? なんて恐ろしい仕返しをする方なのでしょうか。綺麗な顔してやる事がえげつないです。
それともこれは天罰なのでしょうか? 嫌いな相手とはいえ、人の不幸を喜んでしまった私への罰なのでしょうか? 天までも味方につけるとは、なんて恐ろしいオネエなのでしょう。ですが、いくらなんでもこんな仕打ちは酷いです! こんなの売れやしないじゃないですか!
「そんなにも魅入って下さるなんて、お気に召して頂いたようで良かったです。一肌脱いだ甲斐がありました」
何を勝手に勘違いしているのか、絵と同じく前髪を掻き上げて流し目でこちらを見つめているブラッドフォード。
やだこの人、本当に気持ち悪い。顔だけはとっても格好良いのに、どうしてこんなにも気持ち悪いのでしょう。ああ、全身鳥肌が立ってしまいました。生理的に無理、と感じた人と出会ったのは初めてです。
「……一つ、聞いてもいいかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
「なぜ、貴方の肖像画なのかしら?」
「それはそれが一番喜んで頂けると思ったからですよ。本当はレオナルド様の肖像画が良いのでしょうが、生憎とレオナルド様ほど美しいと絵にそれを表現出来ないもので。ならば次に美しい私であれば問題ないかと思いまして」
「……ごめんなさい。ちょっと貴方の言っている意味が理解出来ないわ」
「女性は美しいものに目がないでしょう? 宝石やドレス等よりも美しい物をお贈りしようとなると、レオナルド様か私の肖像画しかなかったんです」
うん、やっぱり理解出来ません。彼の思考回路はどこかぶっ飛んでしまっているようです。というよりも、どれだけ自分を美しいと思っているのでしょうか。
いえ、確かに美しいですよ。腹立たしいですがここまで整った顔をされている方はそうはいないでしょう。ですが、だからと言って自分の肖像画をプレゼントするっていうのはおかしいと思います。それとも、私はこれまでこれ程の美形に縁が無かったから知らなかっただけでこれが普通なのでしょうか?
「この贈り物もそうですが、リリアーナ様にお伝えしないといけない事があります。一月後に王宮で夜会が催されるのですが、その夜会にリリアーナ様にもレオナルド様と同行して頂く事になりました。アンナ、ドレスの準備の方はお任せしますね」
「お、王宮!?」
「承知しました」
「それでは失礼致します」
ブラッドフォードは最後に自身の肖像画を満足そうに見た後颯爽と去っていきましたが、なんですか王宮って! 王宮で開催される夜会なんて初めて参加します。そんな凄い夜会に参加だなんて、まだ先とはいえ今から緊張してしまいます。
「……」
ふと悪寒を感じて目を向けると、気持ち悪い呪いの絵がこちらを見ています。
……取り敢えず、今はこの触る事も躊躇われる穢れた呪いの絵に封印を施す方法を考えましょう。