冷たい目線にゾクゾクします *
※ブラッドフォード視点
私の名前はブラッドフォード・ランドル。我が主レオナルド・アインシュベット様の執事をしております。
私のお仕えするレオナルド様は、ルルノアール王国で一番の美貌を誇るそれはそれはお美しい自慢の主です。この日も仕事からお帰りになるなり、制服を脱ぎ捨て椅子に気怠そうにお座りになるレオナルド様のなんとお美しいことか。これ程見目麗しく優雅で神々しいお方にお仕え出来るなんて、私はなんて幸運なのでしょう。あぁ……このお姿をそのまま象る事が出来れば家宝に致しますのに、どの絵師もレオナルド様のお美しさと魅力を完全に描き切れないので残念です。やはりレオナルド様のお美しさは人の手には及ばぬ神の領域にまで到達してしまっているという事なのでしょう。さすが私の主です。
「買い物?」
「はい。こちらにお越しになってからずっと部屋に籠りっぱなしでしたので、気分転換の為にも買い物へお連れしたいのです」
寛いでいたレオナルド様の元へ侍女のアンナが訪ねてきました。なんでもリリアーナ様が買い物へ行きたいと言い出したとの事で、その報告へ来たようです。彼女も相変わらず綺麗ですね。少し気の強そうな顔がまた魅力的です。レオナルド様の傍に控えていた私は、扉の前に立つアンナを見つめていると酷く冷たい目線を送ってきました。あぁ……最高です、アンナ。
「勝手にすればいいわ。ただし、護衛は一人付けるわ」
「……護衛、ですか?」
「護衛はそうね……セシルを連れて行きなさい」
「承知致しました」
護衛という言葉にアンナは訝しげな目をしていましたが、それ以上何も言わずそのまま退出していきました。優雅にワインを嗜むレオナルド様に目を向けると、レオナルド様はワインに目を落としながら何事か思案されているようです。
「……万が一の事がある。セシルにはしっかり彼女を守るように伝えておけ」
「畏まりました」
本当は雑談などしたいところですが、一礼し静かにそのまま部屋を退出しました。ここ最近、レオナルド様の言葉数が以前にも増して少なくなっているように思います。恐怖の権化ともいえる存在が同じ家に住んでいるのですから無理もありませんが。
レオナルド様は昔はよく笑う方でした。幼少の頃から女性の前では滅多に笑ってはおりませんでしたが、レオナルド様の母君である亡くなられた奥様の前では本当に嬉しそうに笑っておいででした。……もう何年レオナルド様のあの笑顔を見ていないでしょうか。再びあの太陽の様な笑顔を見る事が出来る日は来るでしょうか。
私ではレオナルド様のお心を晴らす事は出来ませんが、少しでも憂いが晴れるよう私も出来る限りの事を致しましょう。
翌日、リリアーナ様が買い物から帰宅されたのでお出迎えすると、リリアーナ様の左頬が赤くなっていました。何事かと思いリリアーナ様に尋ねましたが、大したことないとだけ言って部屋へ行ってしまいました。大したことない、なんてことはないでしょう。
私は何があったのかセシルに伺うと、なんと暴漢が出たというではありませんか。しかも例のあの男が。心配していた事が起きてしまったようですが、それにしても……。
「なぜリリアーナ様はお怪我をされたのです? セシル、貴方は何をしていたのですか?」
「……」
疑問を問うと、セシルは顔を苦々しく歪め黙ってしまいました。ですが、その様子に大凡の見当がつきます。彼は14歳という年齢ではありますが腕の立つ優秀な子です。もう少し冷静な判断を下す事が出来ると思っていましたが、残念です。
「まさか私情を挟んで任務を怠ったなど、そんな馬鹿な事言いませんよね?」
「……すみません」
「貴方がそこまで愚かだとは思ってもみませんでしたよ」
「……自分でも最低な事をしたと分かってます」
「セシルっ!!」
私がセシルに訊ねていると、リリアーナ様のお世話を終えたアンナが物凄い剣幕でセシルに詰め寄りました。思わず羨ましいと思ってしまいましたが、それはあまりにも不謹慎でしたね。
「どういうつもりですか! リリアーナ様に怪我までさせて、何を考えているんですか!」
「……っ」
「アンナ、少し落ち着きなさい」
「これが落ち着いてなどいられるものですか! 女性が自分よりも大きな男性に打たれるなんて、どれ程恐ろしいか分かりますか!? リリアーナ様は気丈に振る舞っておられましたが、それが逆に痛々しくて……。護衛でありながらその任を放棄し私情に走った貴方が許せません!」
興奮しているアンナを落ち着かせようとしましたが、更に感情を露わにし今にも泣きそうな顔で訴えてきました。普段は冷静で物静かなアンナのこんな姿は見た事ありません。確かにあの男は厳つい顔の上体格も良いですからね。そんな男に手を上げられて恐怖を感じない女性などいないでしょう。
「アンナ、落ち着いて下さい。この件は私の方でしっかり処理します。ですから」
「信用出来ません!」
「……アンナ。信用出来ない気持ちは分かりますが、私が貴女に嘘を吐いた事などないでしょう? 信じて下さい」
「触らないで、汚らわしい!」
信用できないと言うアンナに信じて貰いたくて手を握って思いを伝えようとしましたが、するりと躱され罵声を頂きました。あぁ……最高です、アンナ。
「……分かりました。ですが、納得のいかない場合は抗議させてもらいますから。それとライズベル様にはご報告します」
「それで構いませんよ」
「……では、失礼します」
何とか説得は出来ましたが、その目にはまだ根強く不信感が感じられます。まあ我々の態度や事情を考えれば無理もない事でしょうが。
私はその後セシルから詳しく話を聞き、リリアーナ様に怪我の状態を伺いレオナルド様のご帰宅を待ちました。そして、いつもよりも少しだけ早くご帰宅した麗しの我が君に此度の事を報告すると、見る見る顔を顰めて明らかにお怒りのご様子です。執務室に入るとレオナルド様は執務机の椅子に腰かけ、私と共に部屋へ入ったセシルを一瞥した後私に目を向けました。
「で、あの女は大丈夫なの?」
「はい。少し頬が腫れていましたが、明日には良くなるかと」
「そう。……セシル」
「……っはい」
レオナルド様に名前を呼ばれセシルは肩を震わせて小さく返事をしましたが、そんなセシルにレオナルド様は更に怒りを含んだ冷めた視線を送ります。
「私は確かあの女を守るように命じたはずよね? なんでこんな事態になった訳?」
「それは……」
「それは?」
「……少しくらい痛い目に遭えば、旦那様と離婚すると言い出すと思ったからです」
「私の為ってこと? ……ふざけるな!」
セシルの言葉にレオナルド様は怒りに声を荒げると、椅子から立ち上がりセシルの元へ向かうと胸倉を掴み更に言葉を続けました。
「私だってあの女に早くここから出て行ってもらいたいわよ! でもこういうやり方だけは絶対に嫌なの。それに言ったわよね? これは私個人の問題であってお前達は余計な真似はするなと、そう言ったわよね?」
「……はい」
レオナルド様には離婚をする権限がありません。つまり、リリアーナ様が離婚すると言わない限り一生この最悪な生活が続いてしまうのです。我々使用人は何か出来る事があれば協力をしたいと申し出ましたが、レオナルド様はそれを許して下さりませんでした。
レオナルド様は普段より女性に対しては酷く冷たい態度しか取りませんが、決して女性に危害を加えるような事は致しません。それはリリアーナ様に対しても同様です。
「お前達も女がこの家に入ってどれ程苦痛な思いをしているかは理解しているわ。でも、だからと言って職務を蔑ろにしていい理由にはならない。私はお前に護衛を命じた。にも拘らず、私情に走り職務を放棄したというのは、私の命に背いたという事。……分かるわよね?」
「……はい」
レオナルド様は掴んでいた手を放し、セシルを見下ろして静かに告げました。
「セシル。お前には1週間の謹慎、半年間の減給、そして本邸への異動を命じる」
「……っ……はい」
「次はない。それだけは肝に銘じておきなさい」
「はい。申し訳ございませんでした」
「……下がっていいわ」
「……失礼します」
セシルはレオナルド様に深々と頭を下げると部屋を出ていきました。レオナルド様は再び椅子に座り深い溜息を吐くと、苦々しい表情を浮かべながら私に問いかけました。
「なぁ、ブラッド。皆、俺を恨んでいるだろうか?」
「まさかっ! 感謝こそすれど、そのような事あるはずがございません」
「だが、俺が結婚なんてしてしまったばかりに、あいつらに苦労をかけてしまっている。今回の件もやり方は間違っているとはいえ、セシルが俺を案じての事だ。……不甲斐無いな、俺は」
「……レオナルド様」
ここで働く使用人達の殆どが女性に対して良い感情を持っていません。女性の心無い言葉や暴力、理不尽な仕打ちに等によって心に深い傷を持った者ばかりです。リリアーナ様が参られるまでは男ばかりの環境に皆心穏やかに過ごしていましたが、彼女が来てからは彼らはピリピリとしています。リリアーナ様に些か冷たい態度を取ってしまうのは恐怖故の威嚇行為なのですが、彼らの態度に不満を口にせず受け入れて頂いているリリアーナ様には感謝しています。この事実を伝えて変に怖がらせてはいけないと思いお伝えしておりませんでしたが、彼女なら大丈夫かもしれません。後でお礼と共にお伝えしましょう。
「そういえば、あの男はどうしたんだ? 捕らえていないんだろう? 明日にでも被害届を出して処罰してもらおう」
「いえ、その件なんですが……リリアーナ様が必要ない、と」
「必要ない? 男としても当然だが、仮にも兵士である者がその様な振る舞いをするのは許せる行為ではない」
「リリアーナ様ご自身で既に鉄槌を下しているとの事で、これ以上大事にする必要ないと仰っています。既に和解もされているそうです」
「……鉄槌?」
「はい。なんでも、あの男を殴り飛ばしたそうですよ」
「……ふ、ふはははっ」
レオナルド様は一瞬大きく目を見開いて驚いたかと思うと、お腹を抱えて笑い出しました。こんな風に声を出して笑ったのを見たのは何年振りでしょうか。またあの笑顔を見れる日が来ることを願っていましたが、こんなにも早く見れるとは……ああ、胸がいっぱいです。
「変な女だと思っていたが、本当に変な奴だな」
「そうですね。リリアーナ様はなぜか私に対して冷たい眼差しを向けてきますし」
「……それは、仕方ないだろう」
「何を言うのですか! 多くの女性は熱の籠った眼差ししか向けてこないというのに」
「それはお前の外見しか知らないからだろう」
自慢ではありませんが、私は女性にモテます。レオナルド様程ではありませんが、私も美しい容姿を持っていますからね、当然といえば当然の事です。言い寄る女性は星の数ほどおりますが、なぜか私が愛おしいと思う相手からは嫌われてしまいます。多少落ち込みはしますが、好きな女性に冷たくされるのは興奮するので今のところ問題ありません。
「俺としてはようやくあの男を遠ざける絶好の機会だったんだが、彼女がそれを望むのならそれに従おう」
「そうですね。確かに残念ですが、今回はリリアーナ様の意思を尊重致しましょう」
「ああ。それにしても彼女が奴を一発殴ってくれるとはな、お礼を言いたいくらいだ。……まあ、言わないけど」
「本当ですね。あの男は数年前からずっとレオナルド様の後をつけたり、じっと覗いていたりして気持ち悪かったですからね」
王都兵団に所属しているブルーノという男は、数年前からレオナルド様の周囲をうろつく変質者でした。レオナルド様に直接接触してくることは滅多になかったのですが、視線を感じて周囲を見ると必ずあの男がいました。木の陰、柱の陰、木の上、屋根の上と様々な場所に身を隠し、何も言わず遠くから恋い焦がれるように熱い視線をただただ向けてくるのです。最初は特に気にせずに放置していたのですが、その距離が徐々に近づいてきている事に気づいてからはレオナルド様も不安を抱くようになりました。
ついには屋敷の周辺まで迫り、ある日門の前に一本の薔薇と『愛しのレオナルド様に愛を込めて 貴方のブルーノより』という紙が共に置かれて以来、身の危険を感じたレオナルド様は日中だけでなく早朝や深夜にも屋敷の外を警備をするようにセシル達に巡回させていた程です。
「彼女があの男を追い払ってくれたなら、もう俺に近づかなくなるよな。……良かった」
「そうですね。私の方からリリアーナ様にお詫びとお礼を兼ねて何かお贈りしておきます」
「ああ、頼む」
安堵の表情を浮かべるレオナルド様でしたが、翌日その表情が絶望と恐怖へと変貌するとはこの時は知る由もありませんでした。