近づき
河合佑樹と初めて対面した月曜日の夕方。
悠はいつもより早い時間に『ハルカ』としてコメントを送信してみる。
「今日部活休みって言ってたし、もしあいつが『ゆうき』なら……いつもより早く返事がくるかも」
昨日から2人の話題は、今週末にあるライブについてである。
歌って欲しい曲について語り合い、どんなアレンジがあったら面白いか、MCで期待すること……今までライブに友人と行ったことなどなかったため、とても会話が弾んだ。
楽しみにしていたライブが、ますます楽しみになる。
前夜の続きといった形のコメントを送信したが、『ゆうき』からの返事はなかなかこない。
結局『ゆうき』から返事がきたのは、いつもより遥かに遅い、22時頃だった。
悠はそのことが気にかかったが、『ハルカ』と『ゆうき』の間ではプライベートに踏み込んだ話はしない。
だって『ハルカ』と『ゆうき』は、ただのネット上でのヘル仲間なだけなのだから。
次の日の火曜日、学校に着いた悠は、大きく開けた口を隠しもせずに欠伸をしながら、教室を目指した。
2年3組の前を通る時、丁度ドアの前に河合佑樹が立っていた。今まさにドアを開けて教室に入ろうとしているところだ。
挨拶をするべきか否か迷ったが、欠伸をしている途中だったため声がかけられない。
そのことを自分に対する言い訳としてその場を立ち去ってしまおうとした時、河合佑樹はドアを開けずに悠の方に顔を向けた。
目があった。
「おはよう。眠そうだね」
穏やかに、そして人懐こそうな笑顔で言われ、悠は慌てて口を隠す。その時にはもう欠伸は出終わっていたのだけれど。
「おはよ」
悠は自分と河合佑樹の距離感が掴めず、自信のない挨拶を返す。距離感というのはもちろん物理的なものではなく精神的な部分。
「生物の宿題、自分でやるんだよ」
にっこり笑って言うその言葉に、嫌味はまったく感じなかった。
「お、おう」
悠のその返事を聞いているのかいないのか、悠の発言とほぼ同時に、河合佑樹はドアを開けて教室に入っていった。
その後ろ姿を眺めながら、他のテニス部の連中とは違って、ずいぶん可愛い奴だな、と思った。
自分のクラスに向かおうと体の向きを変えると同時に、後ろから背中を叩かれた。
「おっ先ー」
そう言って、背中を叩いた人物、健太が横を走り抜けて行った。
その様子を見ながら、やっぱりテニス部はあんな奴ばっかだよなーと、もう一度考えた。
それから、悠と河合佑樹は顔を合わせると言葉を交わすようになった。
それは挨拶だけであったり、天気の話レベルの世間話だったり。時には、ただ目があって微笑まれるだけであったり。
河合佑樹は悠のことを「沢木くん」と呼んだ。
名乗ったことなどないが、もう高2の6月。同じ高校で過ごしていれば、どこかで名前くらい知っていてもおかしくはない。
悠は河合佑樹のことを「河合」と呼んだ。悠は生物の宿題を見せてもらうまで、彼の名前など知らなかった。同じ高校で過ごしていても、そういうことはよくある話だ。
毎日のようにSNSを通して、『ゆうき』との会話を楽しんだ。
ただのヘル好き仲間、というだけでなく、好みが本当に一致していた。
他のヘル好きとの会話も楽しいものだったが、他の誰よりも話が弾んだのは『ゆうき』だった。
そしてようやく、待ちに待ったライブ当日を迎えた。