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夏の道  作者: 遠野 紗
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灯と鷹也と

 田圃たんぼと田圃に挟まれた道を迷いなく歩いていくともしを、れいはそっと窺った。

 八年という歳月は意外にも長い事を感じる。

 八年前の零が覚えている灯は、零と同じくらいの身長で、人見知りで、怖がりで…

 ふと視線を落とすと、目の前を蜥蜴とかげが横断していった。はっとして灯を見る。

「何ですか?」

 零の視線に気づいた灯が、不思議そうに見返した。

「…いや、なんでもない」

 慌てて視線を落とす。そうですか、と小さく呟いて灯も視線を戻した。

 怖がりで…、爬虫類がダメな子だった…。のに…

「随分変わったな」

 そう呟くと、灯は不思議そうな声で、

「そうですか?変わってないと思いますよ?」

と言った。

「この一本道だって左右の田圃だって…」

 どうやら、少々天然らしい。零はクスリと笑った。

「そっちじゃない」

「あ、俺ですか?」

 零が言っている事に気付いた灯の頬が若干紅く見えるのは、恥ずかしさからか暑さからか。

 灯はスッと前を向いた。

「変わりましたかね?…例えば?」

「例えばって…」

 具体例を求められて、零は戸惑いながら、

「雰囲気とか、いろいろ」

と答えた。

 食えない男になった、とは言えない。

 それを聞いた灯は、何かを考えているかのように少し間をあけて、

「…そっちこそ」

と呟いた。

「何処が」

「…いろいろ」

「いろいろって…」

「いろいろは…いろいろです」

 いろいろ、か…。何気に返事になっていない気がしないでもない。お互い様かもしれないけれど、まだこっちの方が具体的だった。

 ふて腐れて零は前を向いた。


 くねくねと時々曲がる一本道を、八年前まで毎年一緒に遊んでいた男の子と一緒に歩いていく。

 田圃、山、田圃、田圃、川、橋、田圃、時々家と畑。

 変な感じがした。八年前まで住んでいた場所を、毎年一回訪れる程度の男の子に道案内されている。首を傾げて考えてみる。自分の記憶力が悪いのか、灯の記憶力がいいのか。そして思い当たった。

 そういえば、何年もこの道を歩いていない…。

 あかねの仕事の都合で全国を転々としていた零を、りつが不憫がって預かったのが年中の時。茜が県内に留まることになって、この村を出たのが小学校三年生の時。都会に越してからというものの、帰省はこのお盆時くらいしかなくなった。帰省方法も車なものだから、この道を歩く機会も減った。

 そういうことで、こういう羽目になった訳か。成る程。

 零の思考は大抵一人で完結する。疑問を持つ、考える、答えが出る、終了。

 零は上を見上げた。真っ白な入道雲が真っ青な夏の空に浮かんでいる。寂しくなって一つ身震いをした。


「よお!今帰りか!?トモ」

 不意に遠くの方から呼ぶ声が聞こえて、二人は立ち止まった。

 側の畑で作業していたらしい若い男性が、こちらに向かって来ている。

鷹也たかやさん…」

 近くまできたその男性を灯はそう呼んだ。

 鷹也…。どこかで聞いたことのあるような名前だ。

「丁度よかった。いい胡瓜きゅうりができたから、そっちに持ってこうとしてたとこだったんだ」

 首にかけた白いタオルで汗を拭きながら、彼はそう言って、ふと気付いたように、

「ところでそちらは?」

と問い掛けた。その問いにニコリと笑いながら灯が対応する。

「忘れたんですか?時々一緒に遊んだのに」

「遊んだ?何年前の話だ」

 彼は怪訝そうな表情を浮かべた。それもそうだろう、彼と灯や零とは少なくとも五歳は違う。

「十年くらい前に」

「えらい前だな」

 灯の回答に彼は笑い、追憶する表情になった。

「てことは…もしかして、レイか?」

 レイ、と臆することなく彼は呼んだ。そのことに、零は驚いた。

 鷹也という名に記憶はあるが、一緒に遊んだ?いつ頃?何して?

「そうですけど…あなたは?」

「覚えてないか?吉村よしむら鷹也だよ。川遊びの」

 あぁ、

「遊びの師匠」

 呟いた呼称に、

「懐かしいなぁ!それ」

と鷹也は笑った。

 ここら一帯で一番やんちゃをしていた先輩だ。といっても、先輩後輩という関係を意識するほどの年齢ではまだなかったので、お兄ちゃんという位置づけではあったが。彼はやんちゃをしていた分だけ遊びに物知りで、灯と零は田舎遊びのほとんどを鷹也から教わった。

「こっちにじいちゃんばあちゃん家があるのに随分とご無沙汰だったじゃねえか、レイ」

 年に一度は来ていたが、彼のことはいつの間にかさっぱり忘れていた…とは言わず、零はただ首を竦めた。

「鷹也さんが県外の大学に行ってた事もあると思いますよ?」

「卒業してからはこっちにいたんだから、三年はいるさ」

 聞いたところによると、鷹也は高校を卒業した後県外の農業系の大学に通い、実家を継いだらしい。

「それにしても、変わったなぁ。トモが越してきた時も、人見知りの激しい子が社交的になってて驚いたけど。レイは……」

 そこで鷹也は言葉を切り、零を真っ直ぐ見た。

「逆だな、トモとは」

「え?」

 鷹也の口から意外な言葉が出てきて、零は固まった。

 逆?ということは、社交的じゃなくなった?…ていうか、トモが越してきた?

「いや、なんでもない。…んじゃ、ちょっと待ってな。胡瓜、採って来るから」

 そう言って鷹也はうねと畝の間を駆けて行った。

 …いい逃げ?

 どれだけ、自由奔放な人なんだか。母と同じタイプだ。いや、少し違うか。敢えて空気を読んでいない節があるから、母より更に面倒臭い…けど何故か人を引き付けるタイプ。

 そんなことより…。

「越してきたって…?」

一昨年おととしから祖母の家にいるんです」

「どうりで…」

 記憶力や零の都合云々の問題ではなかったのだ。

 遠くで、袋はあった方がいいかと聞く鷹也の声がする。側で、お願いします、と灯が叫んだ。

「それじゃ…お父さんは単身赴任か?自衛官だったはずだろう?」

「…いえ。一昨年…」

 そこで言葉を切った灯を窺うと、彼は寂しそうな表情をしていた。その表情で何があったのが、大体察しがついた。

「…ごめん。言わなくていい」

 途中で止めた零を灯は不思議そうに、それから困ったと言うように眉を下げて小さく笑った。

 鷹也が駆けて来た。両手に白いビニール袋を持っている。

「待たせたな。はい、これがトモんとこへの胡瓜で、これがレイんとこへの胡瓜な」

「えっ?」

「いーのいーの。結構豊作なのさ」

 戸惑う零にニカリと笑って鷹也はビニール袋を手渡した。そっと開いてみると鮮やかな緑をした胡瓜が数本と真っ赤なトマトが数個。

「ありがとうございます」

 いつも何かともらっているのだろう。灯は戸惑うことなく両手で受け取った。

「それぞればあちゃんによろしくな」

 軽く手を上げて鷹也は作業に戻っていった。

 風が吹いて、田圃の稲がサワサワと音を立てている。鷹也が首にかけた白いタオルの端がヒラリと揺れた。


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