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ずる賢い狼と可憐な小うさぎの、顛末 4



 第一印象は、おどおどした子だな、というだけだった。

 こんなんでこの砦でやっていけるんだろうかと。

 だから、少しお節介を焼いたし、ついでとばかりに優しい言葉もかけてみた。

 辺鄙な場所にある砦は万年人手不足だ。せっかく来てくれた子が即日辞めたりしたら手痛い。

 100パーセント打算による助け船に、乗せられて返ってきたのはキラキラとした瞳と手作りクッキーだった。


『こ、これ……よかったら』


 クッキーはおいしそうだった。

 彼女も、おいしそうだった。

 宵の空のような瞳に星をまぶしてオレを見上げてくる、まだあどけなさの多分に残る少女。

 腕利きの職人に作られた人形のように整った容姿。極上の絹糸のような薄金の髪。触れたらどれだけ心地よいのだろうと夢見たくなる滑らかな肌。

 男が十人いたら九人は振り返り、そのうち七人は愛をささやき、三人は本気で求婚するだろう。

 それほど、ハニーナはとても魅力的だった。


 だからこそ、危ないな、と思った。

 損得勘定で助けたような男にこんな顔をしているようじゃ、狼だらけのこの砦では一瞬で食い散らかされてしまう。

 オレは基本的に男の理性というものを信用していない。人間の良心とやらも。

 恐ろしく生真面目な隊長と、見てないふうを装いつつ目を光らせてるオレによって、現状ある程度の秩序は保たれている。

 けれど、おいしそうな獲物自身に無防備でいられたら、仮初の秩序なんて簡単に崩れ去ってもおかしくない。


『ハニーナは単純だね』


 オレはわらった。

 バカにしているように見えるよう。イヤな奴に見えるよう。

 男はみんな狼だ。それはもちろん親切面して手を差し伸べたオレだって例外じゃない。ただ、打算の中身が違っただけのこと。

 頼むからそんな簡単に心を許さないで、無防備な表情なんて見せないで、少しは警戒してくれ。

 この砦で無事でいたいなら。男に泣かされるようなことになりたくなければ。


 貴重な働き手を失いたくない、というだけじゃなかった。

 そのキラキラとした宵闇色の瞳が絶望に染まるようなことにはなってほしくないと、まるで老婆心のようなものも感じていた。

 いつものオレなら、それも自己責任だと切り捨てたかもしれない。

 無関心になりきれなかったのは、あまりにもハニーナの向けてくる好意が純粋すぎたからだろうか。

 その好意も、今ここで儚く消え失せるとわかっていたけれど。


 オレの言葉に傷ついた彼女の表情が、やけに印象に残った。



  * * * *



「あんまりいじめるとうちの妹が怒鳴り込んできますよ」


 書類を届けるついでにチクリと忠告してきたのは第三小隊のシャルトル・ガネットだった。

 シャルトルの妹のエルミア・ガネットもこの砦で働いていて、しかもハニーナとサクラちゃんと同室だ。

 サクラちゃんが王都に行っている今、ハニーナのためにケンカを売ってくる人がいるとしたらまず彼女で間違いないだろう。


「それで今以上に仕事が滞るのは困るな。ちゃんと手綱握っといてね」

「う~ん、うち一番のじゃじゃ馬だからなぁ」


 ははは、と明るく笑うシャルトルは、つまり止める気はないということなんだろう。

 元はといえば、いらぬお節介で彼女を寄越したのはそちらなのに、と思わなくもない。

 一隊員でしかないシャルトルが決めたことではないとわかっていても。


「せっかくの据え膳なんだし、食べちゃえば?」


 好青年で通っている彼とは思えない発言に、ため息をひとつこぼす。

 まったく、シャルトルに憧れている使用人や町の人間に聞かせてやりたい。

 食えない性格に関しては人のことを言えない自覚はあるから、広めようとも思わないけれど。


「簡単に言ってくれるね。小隊長のオレがそんなことしたらどうなるかなんて、シャルトルにわからないわけないよね?」


 ハニーナへのオレのアプローチが隊員たちへの牽制になっているのは、あくまで健全な関係を保っているからこそだ。

 もしオレがハニーナに無理強いするようなことがあれば、この砦内の思想はさらに男性優位に傾くだろう。

 オレの行動はそのまま下の人間への許しになってしまう。小隊長はそうしていたのだから、と。

 上の立場にある人間は、よくも悪くも周囲に影響を与える。

 そして、もちろんそんな暴挙を隊長が許すわけもない。さすがにまだ首はつながっていたい。


「そりゃあ、嫌がる彼女を無理やり、ってことなら僕だってこんなこと言いませんけどね。案外まんざらでもなかったりするんじゃないかなって」

「まんざらでもないように見えた、って性犯罪者の言い訳みたいだね」

「これは手厳しい」


 そう言いながらもシャルトルは微笑みを崩さない。少しも堪えてはいないんだろう。

 常に冷静な目で周りを見て、砦内で緩衝材のような役目を果たしている彼には、部隊は違えど個人的に仕事を頼む機会もあった。

 頼りになる――別の言い方をすれば使い勝手のいい人間というのは、時として厄介な相手でもある。

 こと、あまり触れられたくない話題に関する場合は。


「じゃ、僕はこのへんで失礼します。ラピラズリをあなたにつけるのは僕もいい案だと思いましたけど、もし逆に休まらないなら言ってくださいね。僕からも使用人頭に配置換えを提案しますから」


 そうやって最後に気遣いを見せるところまで、シャルトルという男は本当に如才がないと思う。

 一隊員にしておくのがもったいないと思う反面、こういう人間が下をまとめてくれるおかげで全体がうまく回る部分もあると経験則で知っている。

 シャルトル自身も今の役回りを楽しんでいるようだから、年下の上司が変に気を回すようなことでもないだろう。


「……いや、なんだかんだで息抜きになってるよ」


 オレは書類に目を落としたまま答える。

 万一、目の届かないところでハニーナに何かあっても困る。普段と違って、今は砦内で目を光らせていることができない。

 もちろん、少しオレが抜けただけですぐに何か起きるような不安定な環境作りをしていたつもりはないけれど。

 少しでも気にかかるなら、近くにいてくれたほうが見張る手間も省けるというものだ。

 彼女をからかうのが息抜きになっているというのも、まったくの嘘ではないのだし。


 ひらひらと手を振って部屋を出ていくシャルトルを見送って、また仕事に向き直る。

 きっともうじきハニーナがお茶を淹れに来る頃だろう。

 真っ赤な顔をして、逃げるように執務室を去った日から、ハニーナは嫌そうな態度を隠すことなくオレの世話を焼く。

 お茶を淹れてもらったり、食事を運んでもらったり、書類を届けてもらったりというだけで、ずっとオレについているわけでもない。

 隙間時間に話し相手になってもらったりもしているけれど、会話らしい会話にはなっていないのが現状だ。つい反応がおもしろくて突っついてしまうんだから自業自得とも言える。


 そんなに嫌なら、最初に助言してあげたとおり使用人頭に泣きつけばいいのに。

 ハニーナはあれで強情なところがあるから、あっさり負けを認めるのもそれはそれで悔しいんだろう。

 そういうところがまたからかいがいがあるということに、本人は気づいているのかいないのか。

 つまんだ頬の熱さとやわらかさを思い出して、ついふふっと笑みをこぼしてしまった。


 周りからしてみれば、何をもたもたしているんだと思われていそうだ。

 好きな女に嫌われるようなことばかり言って、愚かなと思う奴もいるだろう。

 けれどオレはオレなりに今の関係を楽しんでいる。現状特に変化を望んではいない。

 恋愛沙汰に効率を持ち込むのは無粋だし、味がするうちは口の中で楽しんでいたいというのは何もおかしな話ではないだろう。

 主導権はいつでもこちらが握っているのだから。


 ただ、少しだけ考えてしまうのは。

 もしも彼女との『最初』が違うものであったなら、今のような関係ではなかったのかもしれない、ということ。

 出会った頃、一瞬だけ向けられた憧れのまなざしがもう一度欲しいとは言わない。

 あんなものは偽物だ。男を知らない乙女が砂糖菓子で作り上げた夢幻に付き合うつもりはない。

 けれど、あの瞳をきれいだと思ったのも、偽りのない事実ではあったから。


 少しだけ、本当に少しだけ。

 後悔というほどのものでもない小さなしこりが、いつまでも心の片隅に取り残されていた。







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