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30:未練と見返りについての話になりました



 隊長さんの部屋についてからも、しばらくの間、私は隊長さんに抱きつきながら泣いていた。

 でも、ずっと泣いていることなんてもちろん不可能で。

 だんだん嗚咽は小さくなっていって、今はもう、治まっている。

 それでも隊長さんの私を抱きしめる腕が解かれることはなくて、なんだかちょっとばかし居心地が悪くなってきた。


 まだ、話さなきゃいけないことはたくさんある。

 隊長さんが気づいていることも、気づいていないかもしれないことも、全部。

 私の口から話さなきゃ、と思うんだけど、泣いてしまったことが恥ずかしくてなかなか重い口を開けない。

 とりあえず離してもらえないかな、と隊長さんを見上げると、ダークブルーの瞳とバッチリ目が合った。

 もしや、ずっと、見てたんですかい……?


「もう大丈夫か?」

「は、はい、大丈夫です」


 気遣わしげに問いかけられて、ギクシャクしつつも返す。


「目元を冷やさないといけないな」

「え、あ、そのっ」


 そう言ってソファーから立ち上がろうとした隊長さんに、私は動揺した。

 そんなにしてもらうほどのことじゃない。あんまりこすったりしてないから、明日にはきっと気にならないくらいになっているだろう。

 それに、それに。

 ……今は、ちょっとでも離れるのが、心細くて。

 気づいたら、隊長さんの裾をぎゅっとつかんでしまっていた。

 離してもらえないかなって、思っていたのは私のほうだったはずなのに。


「ご、ごめんなさい……」


 何かを言われるよりも先に謝っておいた。

 私を見下ろす呆れたような瞳。その唇からは小さくため息が落とされた。

 身を縮まらせた私の頭をぽんぽんとなでて、隊長さんはソファーに座り直す。

 少し抵抗すれば簡単に逃げられてしまうほどの力で、肩を抱き寄せられた。

 それだけでほっとしてしまう自分は、つくづく現金だと思う。

 隊長さんに対して、甘え癖がついちゃってるみたいだなぁ。


「冷気は、あまり得意ではないんだが」


 目をつぶれ、と言われて素直に言うとおりにする。

 真っ暗な視界が、すぐにさらに暗くなった。隊長さんの手が私の目元を覆ったんだろう。

 何をするんだろう? という疑問はすぐに解決した。

 ヒヤ~っとした空気が、隊長さんの手から伝わってきたからだ。

 なるほど、魔法ってこんなこともできちゃうんですね。便利便利。


「つめたい……気持ちいいです」

「それならよかった」


 思わずつぶやくと、生真面目な声が返ってくる。

 隊長さんは、中級レベルまでの魔法しか使えないらしいと前に聞いた。属性とかで得意なものや苦手なもの、できない魔法もたくさんあるんだとか。

 それがどれくらいすごいのか、逆にすごくないのかは、この世界の常識を理解できていない私にはよくわからない。

 冷気は得意じゃないと言ったのに使えたということは、これは本当に簡単な魔法なんだろう。

 こうやって便利に利用できるんだから、私にとっては充分すごいことだ。

 そして、それをわざわざ私に使ってくれたことが、うれしくてたまらない。


「ふふっ、隊長さんは本当に私に甘い」


 思わずこぼれた笑い声は、どこか自嘲の響きを持ってしまった。

 魔法を使うには、魔力を練る必要がある。その魔力を練るためには、集中力が必要で。

 つまりは、魔法を使うと、その魔法の威力に応じて、心身に負荷がかかる、らしい。

 隊長さんにとってはそんなに難しい魔法じゃないかもしれない。

 ほんのちょっと、疲れたような気がするなぁ、ってなる程度かもしれない。

 でも、そのちょっとでも、気になってしまう。

 私はまた、隊長さんの負担を増やしてしまった、って。


「私は、そんなに優しくされても、隊長さんに返せるものなんてほとんど……ううん、もしかしたら、一つも、ないかもしれません」


 目を覆う大きな手に、そっと触れる。

 手自体はいつもと同じであたたかいまま、私にぬくもりを伝えてくれる。

 この大きな手が、私はすごく、すっごく、大好きで。

 つかんで、すがって、離したくなくなってしまう。

 私の甘えを許してくれる手だ。私の心も身体も丸ごと包み込んでしまえる手だ。


 でも、一方的に甘えて、寄りかかっているだけの関係が、長く続くわけないって、ちゃんと理解している。

 私は何か、隊長さんに返せるものがある?

 隊長さんは私に何を求めている?

 それは、きっと……。


「見返りを求めていない、と言えば嘘になる」


 そりゃあそうだろう。

 なんの見返りも求めないで他人に優しくできる人なんて、限られてる。

 もちろんそれができる人だっていないわけじゃないだろうし、理想なんだろうけど。

 見返りを求めての善行が悪だ、とは私は思わない。

 私が、この世界で誰かに優しくするとき、自分の居場所を求めているように。

 隊長さんだって、私に優しくする理由があるんだろう。


「恋は人を欲張りにすると以前お前は言ったな。俺も、それを実感している」


 つむじにかすかな、衝撃と言うのもおかしいくらい小さな衝撃。

 触れたのは……隊長さんの唇、だろうか。


「……隊長さん?」

「名前で呼べ」

「ぐ、グレイスさん?」


 あっ、しまった。声がひっくり返った。

 いまだに、私は隊長さんの名前をちゃんと呼ぶことができずにいる。

 隊長さんが強制しないことをいいことに、隊長さん呼びがすっかり定着してしまった。


「……俺がそう言わないと、お前は呼んでくれないな」

「ごめんなさい、慣れなくて」


 名前で呼べ、と。

 夜、ベッドの上で言われたことが、何度もある。

 その時は、理性が飛んでいるからか、私もちゃんと呼ぶことができる。

 まあ、喘ぎ声混じりだから、発音とか発声とかちゃんとする必要がないとも言う。

 グレイスさん、って名前を呼ぶと、隊長さんはうれしそうにしてくれるから。

 できることなら、ベッドの上だけじゃなくて、呼べるようになりたいとも思うんだけど。

 なかなか、うまくいかないものなんだ、これが。


「お前が俺の名前を呼ぼうとしないのは、まだこの世界自体に慣れていないからだろう。元いた世界に未練があるから」

「ちっ、違います! 未練とかそんなの……」


 その言葉に衝撃を受けて、私は目を覆う手を剥がして隊長さんを見上げた。

 隊長さんの瞳は、静かに凪いでいた。

 ああ、ごまかせない。嘘なんてつけない。

 さすがにもう、これ以上ごまかそうなんて思っていないけれど。

 私も、私ですら、気づいていなかったのに。

 隊長さん、って私が彼を呼ぶ理由。


 この世界に来て、一番最初に出会った人。

 一番最初に私に触れて、一番最初に私を暴いて、一番最初に私に優しくしてくれて、一番最初に、私と向き合ってくれた人。

 隊長さんだけは名前で呼べなかった。

 エルミアさんとかハニーナちゃんは大丈夫。ビリーさんもシャルトルさんも。小隊長さんだって名前で呼ぶ理由がなかっただけで、呼ぼうと思えば普通に名前で呼べるだろう。

 隊長さんは……隊長さんだけは、ダメだった。

 この世界で、私にとって一番大切で、特別な人。

 そんな彼が、グレイスという、日本に住んでいたらなじみのない名前をしていることを、きっと私は心のどこかで認めたくなかったんだ。


 隊長さんの指摘は的外れどころか、そういうことだったんだって納得させられてしまうもので。

 どこまで隊長さんが私のことを見ていたのか、私のことを理解してくれているのか、わかってしまった。

 だったらもう、もう全部、吐き出すしかない。

 私が言いたくなかったことも、隊長さんが聞きたくないだろうことだって、全部、包み隠さず。

 未練があるから?

 そんなの、そんなの……当たり前だ。


「ない、なんて言えるわけないじゃないですか。未練たらたらですよ。だって、生まれ育った場所です。家族がいて、友だちがいて、二十年間を過ごした故郷です。大切な、自分の居場所だったんです」


 世間一般的な家庭だった。特に仲が悪いわけでも、すごく仲がいいわけでもなかった。ケンカをすることもあったし、口うるさくて嫌になることもあった。でも、今思うとやっぱり、大切な家族だ。

 友だちはたくさんいたけど、その中で親友と呼べるのはどれくらいいたかと聞かれると、答えに困るくらいには広く浅くの付き合いだった。でも、この世界に来てから何度も、友だちとのバカ騒ぎを思い出した。

 すごい素敵な場所に住んでいたわけじゃない。観光地でもなければ大都会でもなく、かといって自然豊かな田舎でもなく、何に関しても中途半端だった。でも、家族でよく食べに行ったファミレスや、友だちと喉を痛めるほどに歌いまくったカラオケ。そこには私の今までの、二十年間の思い出が詰まっている。


「急に連れてこられて、はいここがこれからのあなたの居場所です、なんて言われて、納得できるはずありません。どんなにここの人たちが優しくしてくれても。どんなに仲のいい人ができても。どんなに隊長さんが、私を大切にしてくれても。どんなに……私が、隊長さんのことを好きになっても」


 隊長さんのことは好き。すごく好き。今まで付き合った誰よりも大好きだ。

 でも、元の世界と、私が過ごしてきた二十年間とを天秤にかけることは、できない。

 隊長さんのことが好きって気持ちだけで、この世界を選ぶことは……できない。

 私はまだ、心の奥底では、この世界で生きていくってことを、納得できていないんだ。


「こちらを選んでほしい、と願うのは、酷なことなんだろうな」

「選択肢なんてないじゃないですか」

「……そうだな」


 謝るように、隊長さんは瞳を伏せた。

 意外と長い薄い色のまつげを、思わずじーっと見てしまう。

 きれいな、人だ。

 がっしりとしていて、怖い顔をしていることが多いから、わかりづらいけれど。

 きれいで、強くて、責任感があって、優しくて、面倒見がよくて、他にも、他にもたくさん。

 私にはもったいないくらい、なんでも持っている人。

 そんな人が、私を求めてくれているのに、応えられないのが、つらい。


「故郷のことを忘れてほしいわけじゃない。これまで過ごした時間があるからこその、お前だ。簡単に納得できることではないと、わかっている。今すぐ答えを出す必要はない」


 隊長さんの声は優しく、ゆっくりと、まるで私を包み込むように響く。

 私がつかんでいた手がそっと離されて、そのまま私の頬に触れた。

 子どもをあやすように。けれど恋人を甘やかすように。

 この手は、絶対に、私を傷つけない手。

 すべてを委ねたくなってしまうほどに、心地いい。


「この世界で、お前の一番の拠り所であれれば、それでいい。だが……」


 隊長さんはそこで言葉を区切った。

 見上げた瞳には、熱と、罪悪感が浮かんでいた。


「お前自身に、故郷よりも俺の隣を望んでもらいたいと思っているのも、偽らざる事実だ。今のお前には、重荷にしかならないだろうが」


 吐息と共に、それは吐き出された。

 なるほど、それが隊長さんの『見返り』で、『欲張り』か。

 欲求を告げるときにも私を気遣うのが、つくづく隊長さんらしいなぁと思う。

 もっと、力ずくで奪ってくれたっていいのに。

 私に選択権を与えずに、故郷なんて忘れろ、俺だけを見ろ、って。

 そうしてくれれば、私だって楽なのに。

 そうしないのが隊長さんの優しさで、ずるさだ。

 ああ、でも。

 そんな隊長さんだから、好きなんだろうなぁ。


「今は、まだ、無理です。叶わないってわかっていても、帰りたいって気持ちは、たぶん消えません」

「わかっている。いつかは、でいい」


 いつかは……いつか。

 それは、いつなんだろう。

 そんな日は、来るんだろうか。


「そのときまで、一緒にいてくれるんですか?」


 問いかけは、不安げな声になってしまった。

 あるのかないのかもわからない、そのときを。

 隊長さんは待っていてくれるんだろうか。

 もういい、って放っぽりだしたりしないで。

 何ヶ月、何年、もしかしたら何十年。

 私の隣には、変わらず隊長さんがいてくれるって、思ってもいいんだろうか。


「ああ。そのときよりも、もっと先まで、ずっと」


 私を安心させるように、微笑みすら浮かべて、隊長さんは言った。

 それだけで、心がぽかぽかとあたたまって、私も自然と笑顔になった。

 甘えるように隊長さんの胸にすりつくと、大好きな手が頭をなでて、髪を梳いてくれる。

 不思議なくらい、心が満たされていた。

 何も解決していないはずなのに。隊長さんを生殺し状態にしてしまっているのに。

 私ばかりが、しあわせだ。


 ずっと、かぁ。

 すごくすごく、甘い響きだ。

 ずっと、ずっと、隊長さんが傍にいてくれたら。

 そうしたら、私は。



 あるのかないのかわからない、そのときが。

 ほんのちょっとだけ、楽しみになった。







たぶん、次回で第二部完結です。

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