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「無能」と処刑された聖女、現代ではひっそり生きたいのに――国宝級トップ俳優に「俺のヒロイン(ミューズ)になってくれ」と執着されてます

掲載日:2026/05/22

「――偽物の聖女め。お前のような地味な女、我が国の面汚しだ」


 氷のように冷たい声だった。


 高い処刑台。


 嘲笑を浮かべる貴族たち。


 そして、かつて愛を誓ったはずの王子が、退屈そうに私を見下ろしていた。


「消えろ、無能。新しき聖女の引き立て役がお似合いだ」


 鈍い音を立てて、刃が振り下ろされる。


 首筋を襲う、冷たい衝撃。


 その瞬間――


「……っあ!」


 私は、ベッドから弾かれたように飛び起きた。


 息が苦しい。


 喉が焼ける。


 震える指で、自分の首に触れる。


 ……繋がっている。


 傷ひとつない。


「……また、あの夢」


 深く息を吐く。


 違う。


 もう、あそこじゃない。


 ここは日本。


 令和。


 エアコンが快適に効いていて、Wi-Fiもサクサク繋がる、最高に平和な世界。


 現在の私は、しがない女子大生。


 相沢ソラだ。


「……思い出すだけでも最悪」


 前世の私は、本物の聖女だった。


 けれど、地味だった。


 派手な光も出ない。


 奇跡みたいな演出もない。


 ただ傷を癒やし、人の苦しみをそっと和らげるだけ。


 だから王子は言った。


『そんな地味な力が、聖女なわけがない』


 そして私は、偽物として処刑された。


 理不尽にもほどがある。


 だから今世では決めている。


 絶対に目立たない。


 静かに。


 平穏に。


 モブとして地味に生きる。


 ――それなのに。


「あのっ! すみません、一目惚れです! よかったら連絡先を――」


「あ、すみません。急いでますので」


「ねえ君! モデルとか興味ない!? 芸能事務所の者なんだけど!」


「一切ないです。失礼します」


 なんで。


 どうして今日だけで六人目なの。


 私は深くフードを被り直した。


 今日だって、目立たないための完璧な“モブ女子大生スタイル”だ。


 黒縁メガネ。


 完全すっぴん。


 色味のないベージュのカーディガン。


 なのに、すれ違う人がなぜかみんな振り返る。


 限界まで首を傾げて、二度見してくる。


(……やっぱり、前世のせいかな)


 聖女時代、一国の象徴として叩き込まれた姿勢、歩き方、指先の所作。


 それが身体に染みついてしまっている。


 地味な服を着ても。


 眼鏡をかけても。


 フードを被っても。


 なぜか“隠しきれない何か”が出てしまうらしい。


 迷惑でしかない。


 私は、静かに生きたいだけなのに。


「もう無理……」


 これ以上外にいたら、また誰かに捕まる。


 私は逃げ込むように、大学の裏路地にある古びたカフェへ滑り込んだ。


 店内は薄暗く、静かだった。


 客もまばら。


 クラシックの音だけが、遠くで流れている。


 カウンターの隅に座り、ようやく息を吐いた。


「……はぁ」


 やっと落ち着ける。


 そう思った瞬間だった。


「――っ」


 肌が、ぴりっとしびれた。


 重い。


 空気が、あきらかに重い。


 私は思わず顔を上げる。


 前世で、何度も感じた気配だった。


 傷ついた兵士。


 泣き崩れる母親。


 もう助からないと悟った子ども。


 限界まで摩耗し、魂が悲鳴を上げている人間の気配。


 店の最奥。


 ボックス席に、その男はいた。


 黒いキャップを深く被り、大きめのサングラスをかけている。


 周囲のすべてを拒むような、鋭い空気。


 けれど、その奥にあるのは怒りじゃない。


 恐怖だ。


 傷つきすぎた人が、自分を守るために尖らせた棘。


 ふと窓の外を見る。


 スマホを構えた数人の女性たちが、執念深く店内を覗き込んでいた。


(芸能人……?)


 関わらない方がいい。


 絶対に面倒くさい。


 私はモブ。


 今世はモブ。


 平穏第一。


 そう言い聞かせた。


 なのに。


(……あの人、息ができてない)


 男の指先が、かすかに震えている。


 呼吸が浅い。


 周囲の音も、視線も、悪意も、すべてが刃になって彼を削っている。


 見て見ぬふりをするべきだ。


 そう分かっているのに。


 気づけば私は、立ち上がっていた。


 彼のテーブルの前に立つ。


 男が、ゆっくり顔を上げた。


 サングラスの奥から、刺すような視線が飛んでくる。


 普通なら、逃げ出す。


 でも私には分かった。


 本当に怖い人の目じゃない。


 傷つきすぎて、誰も信じられなくなった人の目だ。


 私は、静かに微笑んだ。


「少し、休みませんか?」


 その瞬間。


 私の声に、無意識に力が乗った。


 前世で、地味だと笑われた力。


 目に見える光はない。


 派手な奇跡もない。


 ただ、荒れた心を静めるだけの、聖女の癒やし。


「……え」


 男の肩から、ふっと力が抜けた。


 張り詰めていた空気が、ほどける。


 水面の波が、一瞬で鏡のようになるみたいに。


 彼の周りだけが、静かになった。


「外の人たち、あなたを探していますよね」


 私は向かいの席に座り、窓からの視線を遮るように背中を向けた。


「私の連れ、ということにしましょう」


 男は何も言わない。


 ただ、呆然と私を見ている。


「少しだけ、深く息をしてください」


 私は声を落とした。


「もう、大丈夫ですから」


 男の喉が、小さく動いた。


 やがて、震える指でサングラスを外す。


 その素顔を見て、今度は私の心臓が跳ねた。


 テレビ。


 映画。


 街頭広告。


 この国で、その顔を見ない日はない。


 圧倒的な美貌と若さで神格化されている、国宝級トップ俳優――一ノ瀬蓮。


 スキャンダルゼロ。


 極度の人間不信。


 そう噂される男が、今、私の目の前で息を乱していた。


「……君、名前は?」


「相沢、ソラです」


「ソラ」


 低い声で名前を呼ばれた。


 それだけなのに、肌が粟立つ。


 甘すぎる。


 危険な声だ。


「君、どこの事務所?」


「ただの一般人です」


「嘘だ」


「本当です」


「その佇まいで?」


「佇まい?」


「その声で?」


「地声です」


「俺を一瞬で黙らせる、その空気で?」


「一ノ瀬さん、かなり疲れてますね」


「違う」


 蓮さんは、まっすぐ私を見る。


 その目に、熱が宿っていた。


「生まれて初めて、頭が冴えてる」


「それはよかったです」


「だから分かる」


「何がですか?」


「今、猛烈に君を口説いてる」


「展開が早すぎます」


「恋に落ちるのに、順番いる?」


「せめて説明はください」


 蓮さんは、少しだけ笑った。


 けれどその笑みは、すぐに消える。


「ずっと、頭の中がうるさかった」


 彼は自分のこめかみに手を当てた。


「カメラの音。嘘。期待。悪意。全部が耳元で鳴っていた」


 声が、かすかに震える。


「でも、君の声を聞いた瞬間、消えた」


「……疲れているだけです」


「違う」


 蓮さんの指が、私の手首に触れた。


 熱い。


 触れた瞬間、彼の肩からまた力が抜ける。


「……まただ」


「え?」


「君に触れると、世界が静かになる」


 彼は壊れそうな顔で笑った。


「やっと見つけた」


 胸が、変な音を立てた。


 待って。


 この人、危ない。


 顔がいい。


 声がいい。


 しかも、目が本気すぎる。


 逃げた方がいい。


 全力で。


 そう思ったのに、彼の手はなぜか振りほどけなかった。


「君だけだ」


 低い声だった。


「俺に必要なのは、君だけだ」


「……距離が近いです」


「離れたくない」


「素直すぎません?」


「君の前では、取り繕えない」


 甘い空気が流れた。


 その瞬間だった。


「おいおいおい。何やってんの、ソラァ?」


 鼓膜が腐りそうな声がした。


 振り返る。


 そこに立っていたのは、大学の同級生であり、一ヶ月前に私をこっぴどく振った元カレ、ダイキだった。


 派手なブランド服。


 人を値踏みするような目。


 相変わらず、見ているだけで疲れる男だ。


「俺にフラれたからって、こんな薄暗い店で男漁り? 相変わらず地味で華がないくせに、必死すぎて笑えるんだけど」


 店内の空気が冷えた。


 私は反射的に、うつむきかける。


 地味。


 無能。


 価値がない。


 前世でも、今世でも、聞き飽きた言葉。


 慣れている。


 傷つかない。


 そう思った。


 けれど。


「――うるさい」


 低い声が落ちた。


 蓮さんだった。


 さっきまで私に向けられていた甘さは、もうない。


 あるのは、冷え切った怒りだけ。


「え……?」


 ダイキの顔色が変わる。


「い、一ノ瀬、蓮……? 本物……?」


 蓮さんは、ゆっくり立ち上がった。


 キャップを外す。


 隠しきれない王者の空気が、店内に広がった。


 そして彼は、当たり前みたいに私の手を握った。


 指と指を絡める、完璧な恋人繋ぎ。


「俺の女に、二度とその口を利くな」


「お、俺の女……?」


「彼女の価値が分からないなら、黙って消えろ」


 ダイキは青ざめた。


「いや、違っ、俺はただソラの知り合いで――」


「知り合い?」


 蓮さんが笑った。


 綺麗なのに、ぞっとする笑みだった。


「彼女を傷つける人間を、知り合いとは呼ばない」


 ダイキの喉が、ひゅっと鳴る。


「聞こえなかった?」


 蓮さんは静かに告げた。


「消えろ」


「す、すみませんでしたぁっ!」


 ダイキは荷物も放り出す勢いで、店から逃げ出した。


 あまりにも一瞬だった。


 スカッとする暇すらないほど、鮮やかだった。


「あの……助かりました、一ノ瀬さん」


「蓮」


「……蓮さん」


「もう一度」


「え?」


「名前」


「蓮さん」


 彼は満足そうに、ほんの少し笑った。


 いや、待って。


 この距離感、おかしい。


 さっき会ったばかりのはずだ。


 私の常識が間違っているわけではないはず。


「ソラ。俺の新作映画のヒロインになってくれ」


「はい?」


 思わず、素の声が出た。


「いえ、無理です。私は演技なんてできませんし、何より目立ちたくないんです」


 私が慌てて首を振ると、蓮さんは少しだけ目を見開いた。


 断られるとは思っていなかったのかもしれない。


 けれど、すぐに小さく笑った。


 さっきまでの危うい熱を、少しだけ奥にしまうように。


「……そっか」


 蓮さんは、ゆっくり立ち上がった。


「驚かせて悪かった」


「え?」


「無理やり連れて行くつもりはない。そんなことをしたら、君に嫌われる」


 その言い方が、妙に真剣で。


 私は一瞬、返事に困った。


「でも、本気だよ」


 蓮さんはサングラスをかけ直した。


 店の外でこちらを覗いていた人たちの視線が、またざわめく。


 けれど彼は、そんなものには一切興味がないみたいに、私だけを見ていた。


「次に会う時は、ちゃんと仕事の話として来る」


「い、いえ、来なくて大丈夫です」


「それは無理」


「なぜ」


「俺が、もう一度会いたいから」


 さらりと言われて、心臓が変な跳ね方をした。


 蓮さんは、私の手に触れかけて。


 けれど、触れなかった。


 その代わり、ほんの少しだけ身をかがめる。


「またね、ソラ」


 低い声が、耳に残る。


「俺のミューズ」


 そう言って、蓮さんは去っていった。


 強引なのに、最後の一線は越えない。


 危険なのに、不思議と怖くない。


 ただ。


 去っていく背中を見送りながら、私は思った。


 ……平穏は、たぶんもう手遅れだ。


◇◇◇


 数日後。


 大学の講義が終わり、校門を出た瞬間。


 目の前に、黒塗りの車がすっと止まった。


「……え」


 嫌な予感しかしない。


 ドアが開き、中から出てきたのは、きっちりとスーツを着こなした女性だった。


 髪は低い位置でまとめられ、眼鏡の奥の目は鋭い。


 どう見ても、仕事ができる人だ。


「相沢ソラさんですね」


「……人違いです」


「確認済みです」


 逃げ道を秒で塞がれた。


 女性は名刺を差し出す。


「一ノ瀬蓮のマネージャー、黒川です」


「……本当に来た」


「はい。本人がここ数日、仕事にならないので」


「え?」


「台本を開いても、あなたの話。移動中も、あなたの話。メイク中も、あなたの話。しまいには監督に『ヒロインを見つけた』と宣言しました」


「迷惑すぎませんか?」


「非常に」


 黒川さんは、疲れた大人の顔でうなずいた。


「ですが、あの男がここまで言うのは初めてです。見学だけで構いません。一度、現場に来ていただけませんか」


「見学だけ、ですか?」


「はい。契約も出演も、あなたの同意なしには進めません」


 そこをはっきり言われて、少しだけ安心した。


 ……少しだけ。


 私はため息をついた。


「見学だけなら」


「ありがとうございます」


 黒川さんは、完璧な仕事用の笑顔を浮かべた。


「では、こちらへ」


「今からですか!?」


「今からです」


 平穏な日常は、黒塗りの車に乗せられて、あっさり連れ去られた。


◇◇◇


 車内で渡された映画の資料を見て、私は目を丸くした。


「……あの、ヒロイン欄に別の名前がありますけど」


「ええ。白鳥美羽さんです」


 黒川さんが淡々と答える。


「国民的美少女コンテスト三連覇。現在、最も注目されている新人女優です。制作側は彼女で進めるつもりでした」


「じゃあ、私が行く意味なくないですか?」


「普通は、ありません」


「普通は」


「蓮が普通ではないので」


 すごく納得してしまった。


 撮影スタジオに着くと、そこには別世界が広がっていた。


 照明。


 カメラ。


 スタッフの声。


 空気そのものが、日常とは違う。


 そして中央に、彼女はいた。


 白鳥美羽。


 小さな顔。


 大きな瞳。


 まるで人形みたいに整った、完璧な美少女。


 その人が、私を見た瞬間。


 ほんの少しだけ、笑った。


 可愛い顔のまま。


 見下すように。


「蓮先輩。その方、どなたですか?」


 甘い声だった。


 でも、目は笑っていない。


「まさか、私の代わりとか言いませんよね?」


 美羽さんは私のベージュのカーディガンを見て、ふっと鼻で笑った。


「地味な方ですね。スタッフさん?」


 胸の奥が、ちくりとした。


 地味。


 また、それだ。


 前世の処刑台が、一瞬だけ脳裏をよぎる。


 けれど。


「白鳥」


 蓮さんの声が落ちた。


 冷たい。


 カフェで私に向けた声とは、まるで違う。


「彼女を下げる言い方をするな」


「え……?」


「演技の前に、人を見る目を持て」


 スタジオの空気が、一瞬で凍った。


 美羽さんの顔が引きつる。


 でも、蓮さんはもう彼女を見ていなかった。


 私を見つけた瞬間。


 その表情が、ふっとほどけた。


「ソラ」


 さっきまでの氷みたいな空気が嘘みたいに、柔らかくなる。


「来てくれたんだ」


「見学だけです」


「うん。いてくれるだけでいい」


 その言い方が、やけに切実で。


 私はまた、何も言えなくなった。


 美羽さんが、唇を噛む。


「……テスト、始めます!」


 助監督の声が飛び、撮影準備が始まった。


 私はスタジオの隅に置かれた椅子に座る。


 見学だけ。


 そう、見学だけ。


 なのに、蓮さんはカメラの前に立つ直前、こちらを振り返った。


 まるで、そこに私がいることを確かめるみたいに。


 そして、撮影が始まった。


 蓮さんが一歩、踏み出す。


 その瞬間、空気が変わった。


 さっきまでの彼とは違う。


 まるで王だった。


 孤独で。


 気高くて。


 誰にも心を許さない、傷だらけの王。


 スタジオ中が息を呑む。


 私も、動けなかった。


 けれど、その圧に正面から立たされた美羽さんは、明らかに呑まれていた。


「……っ」


 セリフが出ない。


 もう一度。


 また止まる。


 三度目には、彼女の指先が震えていた。


「カット!」


 監督の声が響く。


 美羽さんは悔しそうにうつむいた。


「す、すみません……」


 彼女は綺麗だった。


 仕草も、表情も、ちゃんと作れている。


 でも、蓮さんの孤独に触れた瞬間、全部がほどけてしまう。


 形だけでは、届かない。


 蓮さんの顔に、疲れがにじんだ。


 まただ。


 あのカフェで見た、息ができなくなる顔。


 周囲の期待。


 苛立ち。


 焦り。


 全部が雑音になって、彼の心を削っている。


(……放っておけない)


 私は、思わず立ち上がっていた。


 蓮さんと目が合う。


 私は何も言わず、ただ微笑んだ。


 大丈夫。


 息をして。


 そう伝えるように。


 前世で何度もそうしてきたように、そっと空気を整える。


 目に見える光はない。


 奇跡みたいな派手さもない。


 けれど、荒れていた場の空気が、静かにほどけていく。


「……ソラ」


 蓮さんが、低く私の名前を呼んだ。


 次の瞬間。


 彼は美羽さんの前を通り過ぎ、まっすぐ私の方へ歩いてきた。


「え、あの、蓮さん?」


 スタジオ中がざわめく。


 蓮さんは私の前で足を止めると、手を差し出した。


「一分だけ、付き合って」


「無理です」


「立っているだけでいい」


「それが一番無理です」


「お願い」


 その一言が、ずるかった。


 命令じゃなかった。


 強制でもなかった。


 ただ、本当に助けを求める声だった。


 私は逃げられなかった。


 蓮さんの手を取る。


 その瞬間。


 彼の指先から、こわばりが抜けた。


「……やっぱり」


 蓮さんが、泣きそうなほど綺麗に笑う。


「君がいると、息ができる」


 心臓が、うるさい。


 蓮さんは私をカメラの前へ連れていく。


「監督」


「……回してる」


「さすが」


「勝手なことするな。だが、最高だ」


 監督が低く笑った。


 いや、止めてください。


 大人なら止めてください。


 そう思うのに、カメラは止まらない。


 照明が熱い。


 視線が集まる。


 逃げたい。


 でも、蓮さんが私を見ている。


 世界中の何より大事なものを見るみたいに。


「ソラ」


「はい」


「何もしなくていい。俺を見て」


 その声に、逆らえなかった。


 蓮さんが一歩、近づく。


 さっきまでスタジオを支配していた王の孤独が、ふっと形を変えた。


 冷たい王ではない。


 たった一人を見つけた男の目だった。


「……やっと、見つけた」


 台本のセリフなのか、本音なのか分からない。


 蓮さんの手が、私の背中に回る。


 強くはない。


 逃げようと思えば逃げられる。


 なのに、逃げられない。


「君がいるだけで、世界が静かになる」


 耳元に、低い声が落ちる。


「俺のヒロインは、君だけだ」


 スタジオが、静まり返った。


 美羽さんが呆然とこちらを見ている。


 黒川さんが、額に手を当てている。


 監督だけが、食い入るようにモニターを見ていた。


「……カット」


 低い声だった。


 次の瞬間。


「最高だ」


 監督が立ち上がった。


「今の空気、今の目、今の間。作れるものじゃない。これだ。俺が撮りたかったのは、これだ!」


 スタッフたちがざわめく。


 美羽さんの顔が、悔しさで歪む。


「そんな……ただ立ってただけじゃない……」


 その声に、胸が刺されそうになる。


 でも、今度はうつむかなかった。


 蓮さんが、私の手を握っていたから。


「そうだよ」


 蓮さんが言った。


「ソラは、ただ立っていただけだ」


 美羽さんが顔を上げる。


「でも、それだけで空気を変えた」


 蓮さんは、私の方を見る。


 まっすぐに。


「それが才能だ」


 胸の奥が、熱くなった。


 前世では、地味だと笑われた。


 見えない力に価値はないと、切り捨てられた。


 でも今。


 この人は、私の地味な力を。


 見えないまま、ちゃんと見つけてくれた。


「ソラ」


 蓮さんが、私の手をそっと持ち上げる。


 カメラの前ではなく。


 誰に見せつけるためでもなく。


 ただ、私にだけ伝えるみたいに。


「君を無理やりスクリーンに立たせるつもりはない」


「……え?」


「出るかどうかは、君が決めて」


 その言葉に、息を呑んだ。


「でも、これだけは言わせて」


 蓮さんは、少しだけ身をかがめる。


「俺は、君の価値を知ってる」


 低い声が、胸の奥に届く。


「前に誰が君を否定したかなんて知らない。でも、俺は否定しない」


「……っ」


 前世の処刑台の冷たさが、彼の大きな手の熱で、ゆっくり溶かされていくような気がした。


「君は地味なんかじゃない」


 蓮さんが微笑む。


「俺の世界を変えた人だ」


 前世で、偽物の聖女として殺された私。


 価値がないと笑われた私。


 ただ静かに、人を癒やすことしかできなかった私。


 その力を。


 この世界で、この人は。


 国宝級トップ俳優のくせに、誰より真剣な目で、見つけてくれた。


「……考えるだけです」


 私は小さく言った。


「出演するとは言ってません」


「うん」


 蓮さんは嬉しそうに笑う。


「待つよ」


「本当に?」


「仕事の返事は待つ」


「仕事以外は?」


 聞かなければよかった。


 蓮さんは、ひどく綺麗に笑った。


「もう好きになってるから」


「……え」


「そこは、待てない」


「最悪です」


「でも、ちゃんと口説く」


「もっと最悪です」


「覚悟して」


 胸が、また変な音を立てた。


 平穏な女子大生ライフは、たぶんもう戻ってこない。


 でも。


 前世で否定された私の力が。


 今世では、誰かの世界を救う光になるのなら。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 この非常事態を、悪くないと思ってしまった。


 私の地味で平穏なはずだった日々は。


 国宝級トップ俳優の熱すぎる視線とともに。


 静かに、けれど確かに――


 新しい幕を開けてしまった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
凄いね!蓮さんや監督はやはり人を見る目があるんだろうね。 これからソラがどんな風に成長していくのかが楽しみです。 出来れば続きをお願いします。
これは是非連載してほしいですね 凄く続きが気になるので 後、個人的には内容が良い意味でざまぁになってないのでもしそのまま前世関係と関わらないのならざまぁは無しでも良いと思います ざまぁ無しで完成してい…
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