「無能」と処刑された聖女、現代ではひっそり生きたいのに――国宝級トップ俳優に「俺のヒロイン(ミューズ)になってくれ」と執着されてます
「――偽物の聖女め。お前のような地味な女、我が国の面汚しだ」
氷のように冷たい声だった。
高い処刑台。
嘲笑を浮かべる貴族たち。
そして、かつて愛を誓ったはずの王子が、退屈そうに私を見下ろしていた。
「消えろ、無能。新しき聖女の引き立て役がお似合いだ」
鈍い音を立てて、刃が振り下ろされる。
首筋を襲う、冷たい衝撃。
その瞬間――
「……っあ!」
私は、ベッドから弾かれたように飛び起きた。
息が苦しい。
喉が焼ける。
震える指で、自分の首に触れる。
……繋がっている。
傷ひとつない。
「……また、あの夢」
深く息を吐く。
違う。
もう、あそこじゃない。
ここは日本。
令和。
エアコンが快適に効いていて、Wi-Fiもサクサク繋がる、最高に平和な世界。
現在の私は、しがない女子大生。
相沢ソラだ。
「……思い出すだけでも最悪」
前世の私は、本物の聖女だった。
けれど、地味だった。
派手な光も出ない。
奇跡みたいな演出もない。
ただ傷を癒やし、人の苦しみをそっと和らげるだけ。
だから王子は言った。
『そんな地味な力が、聖女なわけがない』
そして私は、偽物として処刑された。
理不尽にもほどがある。
だから今世では決めている。
絶対に目立たない。
静かに。
平穏に。
モブとして地味に生きる。
――それなのに。
「あのっ! すみません、一目惚れです! よかったら連絡先を――」
「あ、すみません。急いでますので」
「ねえ君! モデルとか興味ない!? 芸能事務所の者なんだけど!」
「一切ないです。失礼します」
なんで。
どうして今日だけで六人目なの。
私は深くフードを被り直した。
今日だって、目立たないための完璧な“モブ女子大生スタイル”だ。
黒縁メガネ。
完全すっぴん。
色味のないベージュのカーディガン。
なのに、すれ違う人がなぜかみんな振り返る。
限界まで首を傾げて、二度見してくる。
(……やっぱり、前世のせいかな)
聖女時代、一国の象徴として叩き込まれた姿勢、歩き方、指先の所作。
それが身体に染みついてしまっている。
地味な服を着ても。
眼鏡をかけても。
フードを被っても。
なぜか“隠しきれない何か”が出てしまうらしい。
迷惑でしかない。
私は、静かに生きたいだけなのに。
「もう無理……」
これ以上外にいたら、また誰かに捕まる。
私は逃げ込むように、大学の裏路地にある古びたカフェへ滑り込んだ。
店内は薄暗く、静かだった。
客もまばら。
クラシックの音だけが、遠くで流れている。
カウンターの隅に座り、ようやく息を吐いた。
「……はぁ」
やっと落ち着ける。
そう思った瞬間だった。
「――っ」
肌が、ぴりっとしびれた。
重い。
空気が、あきらかに重い。
私は思わず顔を上げる。
前世で、何度も感じた気配だった。
傷ついた兵士。
泣き崩れる母親。
もう助からないと悟った子ども。
限界まで摩耗し、魂が悲鳴を上げている人間の気配。
店の最奥。
ボックス席に、その男はいた。
黒いキャップを深く被り、大きめのサングラスをかけている。
周囲のすべてを拒むような、鋭い空気。
けれど、その奥にあるのは怒りじゃない。
恐怖だ。
傷つきすぎた人が、自分を守るために尖らせた棘。
ふと窓の外を見る。
スマホを構えた数人の女性たちが、執念深く店内を覗き込んでいた。
(芸能人……?)
関わらない方がいい。
絶対に面倒くさい。
私はモブ。
今世はモブ。
平穏第一。
そう言い聞かせた。
なのに。
(……あの人、息ができてない)
男の指先が、かすかに震えている。
呼吸が浅い。
周囲の音も、視線も、悪意も、すべてが刃になって彼を削っている。
見て見ぬふりをするべきだ。
そう分かっているのに。
気づけば私は、立ち上がっていた。
彼のテーブルの前に立つ。
男が、ゆっくり顔を上げた。
サングラスの奥から、刺すような視線が飛んでくる。
普通なら、逃げ出す。
でも私には分かった。
本当に怖い人の目じゃない。
傷つきすぎて、誰も信じられなくなった人の目だ。
私は、静かに微笑んだ。
「少し、休みませんか?」
その瞬間。
私の声に、無意識に力が乗った。
前世で、地味だと笑われた力。
目に見える光はない。
派手な奇跡もない。
ただ、荒れた心を静めるだけの、聖女の癒やし。
「……え」
男の肩から、ふっと力が抜けた。
張り詰めていた空気が、ほどける。
水面の波が、一瞬で鏡のようになるみたいに。
彼の周りだけが、静かになった。
「外の人たち、あなたを探していますよね」
私は向かいの席に座り、窓からの視線を遮るように背中を向けた。
「私の連れ、ということにしましょう」
男は何も言わない。
ただ、呆然と私を見ている。
「少しだけ、深く息をしてください」
私は声を落とした。
「もう、大丈夫ですから」
男の喉が、小さく動いた。
やがて、震える指でサングラスを外す。
その素顔を見て、今度は私の心臓が跳ねた。
テレビ。
映画。
街頭広告。
この国で、その顔を見ない日はない。
圧倒的な美貌と若さで神格化されている、国宝級トップ俳優――一ノ瀬蓮。
スキャンダルゼロ。
極度の人間不信。
そう噂される男が、今、私の目の前で息を乱していた。
「……君、名前は?」
「相沢、ソラです」
「ソラ」
低い声で名前を呼ばれた。
それだけなのに、肌が粟立つ。
甘すぎる。
危険な声だ。
「君、どこの事務所?」
「ただの一般人です」
「嘘だ」
「本当です」
「その佇まいで?」
「佇まい?」
「その声で?」
「地声です」
「俺を一瞬で黙らせる、その空気で?」
「一ノ瀬さん、かなり疲れてますね」
「違う」
蓮さんは、まっすぐ私を見る。
その目に、熱が宿っていた。
「生まれて初めて、頭が冴えてる」
「それはよかったです」
「だから分かる」
「何がですか?」
「今、猛烈に君を口説いてる」
「展開が早すぎます」
「恋に落ちるのに、順番いる?」
「せめて説明はください」
蓮さんは、少しだけ笑った。
けれどその笑みは、すぐに消える。
「ずっと、頭の中がうるさかった」
彼は自分のこめかみに手を当てた。
「カメラの音。嘘。期待。悪意。全部が耳元で鳴っていた」
声が、かすかに震える。
「でも、君の声を聞いた瞬間、消えた」
「……疲れているだけです」
「違う」
蓮さんの指が、私の手首に触れた。
熱い。
触れた瞬間、彼の肩からまた力が抜ける。
「……まただ」
「え?」
「君に触れると、世界が静かになる」
彼は壊れそうな顔で笑った。
「やっと見つけた」
胸が、変な音を立てた。
待って。
この人、危ない。
顔がいい。
声がいい。
しかも、目が本気すぎる。
逃げた方がいい。
全力で。
そう思ったのに、彼の手はなぜか振りほどけなかった。
「君だけだ」
低い声だった。
「俺に必要なのは、君だけだ」
「……距離が近いです」
「離れたくない」
「素直すぎません?」
「君の前では、取り繕えない」
甘い空気が流れた。
その瞬間だった。
「おいおいおい。何やってんの、ソラァ?」
鼓膜が腐りそうな声がした。
振り返る。
そこに立っていたのは、大学の同級生であり、一ヶ月前に私をこっぴどく振った元カレ、ダイキだった。
派手なブランド服。
人を値踏みするような目。
相変わらず、見ているだけで疲れる男だ。
「俺にフラれたからって、こんな薄暗い店で男漁り? 相変わらず地味で華がないくせに、必死すぎて笑えるんだけど」
店内の空気が冷えた。
私は反射的に、うつむきかける。
地味。
無能。
価値がない。
前世でも、今世でも、聞き飽きた言葉。
慣れている。
傷つかない。
そう思った。
けれど。
「――うるさい」
低い声が落ちた。
蓮さんだった。
さっきまで私に向けられていた甘さは、もうない。
あるのは、冷え切った怒りだけ。
「え……?」
ダイキの顔色が変わる。
「い、一ノ瀬、蓮……? 本物……?」
蓮さんは、ゆっくり立ち上がった。
キャップを外す。
隠しきれない王者の空気が、店内に広がった。
そして彼は、当たり前みたいに私の手を握った。
指と指を絡める、完璧な恋人繋ぎ。
「俺の女に、二度とその口を利くな」
「お、俺の女……?」
「彼女の価値が分からないなら、黙って消えろ」
ダイキは青ざめた。
「いや、違っ、俺はただソラの知り合いで――」
「知り合い?」
蓮さんが笑った。
綺麗なのに、ぞっとする笑みだった。
「彼女を傷つける人間を、知り合いとは呼ばない」
ダイキの喉が、ひゅっと鳴る。
「聞こえなかった?」
蓮さんは静かに告げた。
「消えろ」
「す、すみませんでしたぁっ!」
ダイキは荷物も放り出す勢いで、店から逃げ出した。
あまりにも一瞬だった。
スカッとする暇すらないほど、鮮やかだった。
「あの……助かりました、一ノ瀬さん」
「蓮」
「……蓮さん」
「もう一度」
「え?」
「名前」
「蓮さん」
彼は満足そうに、ほんの少し笑った。
いや、待って。
この距離感、おかしい。
さっき会ったばかりのはずだ。
私の常識が間違っているわけではないはず。
「ソラ。俺の新作映画のヒロインになってくれ」
「はい?」
思わず、素の声が出た。
「いえ、無理です。私は演技なんてできませんし、何より目立ちたくないんです」
私が慌てて首を振ると、蓮さんは少しだけ目を見開いた。
断られるとは思っていなかったのかもしれない。
けれど、すぐに小さく笑った。
さっきまでの危うい熱を、少しだけ奥にしまうように。
「……そっか」
蓮さんは、ゆっくり立ち上がった。
「驚かせて悪かった」
「え?」
「無理やり連れて行くつもりはない。そんなことをしたら、君に嫌われる」
その言い方が、妙に真剣で。
私は一瞬、返事に困った。
「でも、本気だよ」
蓮さんはサングラスをかけ直した。
店の外でこちらを覗いていた人たちの視線が、またざわめく。
けれど彼は、そんなものには一切興味がないみたいに、私だけを見ていた。
「次に会う時は、ちゃんと仕事の話として来る」
「い、いえ、来なくて大丈夫です」
「それは無理」
「なぜ」
「俺が、もう一度会いたいから」
さらりと言われて、心臓が変な跳ね方をした。
蓮さんは、私の手に触れかけて。
けれど、触れなかった。
その代わり、ほんの少しだけ身をかがめる。
「またね、ソラ」
低い声が、耳に残る。
「俺のミューズ」
そう言って、蓮さんは去っていった。
強引なのに、最後の一線は越えない。
危険なのに、不思議と怖くない。
ただ。
去っていく背中を見送りながら、私は思った。
……平穏は、たぶんもう手遅れだ。
◇◇◇
数日後。
大学の講義が終わり、校門を出た瞬間。
目の前に、黒塗りの車がすっと止まった。
「……え」
嫌な予感しかしない。
ドアが開き、中から出てきたのは、きっちりとスーツを着こなした女性だった。
髪は低い位置でまとめられ、眼鏡の奥の目は鋭い。
どう見ても、仕事ができる人だ。
「相沢ソラさんですね」
「……人違いです」
「確認済みです」
逃げ道を秒で塞がれた。
女性は名刺を差し出す。
「一ノ瀬蓮のマネージャー、黒川です」
「……本当に来た」
「はい。本人がここ数日、仕事にならないので」
「え?」
「台本を開いても、あなたの話。移動中も、あなたの話。メイク中も、あなたの話。しまいには監督に『ヒロインを見つけた』と宣言しました」
「迷惑すぎませんか?」
「非常に」
黒川さんは、疲れた大人の顔でうなずいた。
「ですが、あの男がここまで言うのは初めてです。見学だけで構いません。一度、現場に来ていただけませんか」
「見学だけ、ですか?」
「はい。契約も出演も、あなたの同意なしには進めません」
そこをはっきり言われて、少しだけ安心した。
……少しだけ。
私はため息をついた。
「見学だけなら」
「ありがとうございます」
黒川さんは、完璧な仕事用の笑顔を浮かべた。
「では、こちらへ」
「今からですか!?」
「今からです」
平穏な日常は、黒塗りの車に乗せられて、あっさり連れ去られた。
◇◇◇
車内で渡された映画の資料を見て、私は目を丸くした。
「……あの、ヒロイン欄に別の名前がありますけど」
「ええ。白鳥美羽さんです」
黒川さんが淡々と答える。
「国民的美少女コンテスト三連覇。現在、最も注目されている新人女優です。制作側は彼女で進めるつもりでした」
「じゃあ、私が行く意味なくないですか?」
「普通は、ありません」
「普通は」
「蓮が普通ではないので」
すごく納得してしまった。
撮影スタジオに着くと、そこには別世界が広がっていた。
照明。
カメラ。
スタッフの声。
空気そのものが、日常とは違う。
そして中央に、彼女はいた。
白鳥美羽。
小さな顔。
大きな瞳。
まるで人形みたいに整った、完璧な美少女。
その人が、私を見た瞬間。
ほんの少しだけ、笑った。
可愛い顔のまま。
見下すように。
「蓮先輩。その方、どなたですか?」
甘い声だった。
でも、目は笑っていない。
「まさか、私の代わりとか言いませんよね?」
美羽さんは私のベージュのカーディガンを見て、ふっと鼻で笑った。
「地味な方ですね。スタッフさん?」
胸の奥が、ちくりとした。
地味。
また、それだ。
前世の処刑台が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
けれど。
「白鳥」
蓮さんの声が落ちた。
冷たい。
カフェで私に向けた声とは、まるで違う。
「彼女を下げる言い方をするな」
「え……?」
「演技の前に、人を見る目を持て」
スタジオの空気が、一瞬で凍った。
美羽さんの顔が引きつる。
でも、蓮さんはもう彼女を見ていなかった。
私を見つけた瞬間。
その表情が、ふっとほどけた。
「ソラ」
さっきまでの氷みたいな空気が嘘みたいに、柔らかくなる。
「来てくれたんだ」
「見学だけです」
「うん。いてくれるだけでいい」
その言い方が、やけに切実で。
私はまた、何も言えなくなった。
美羽さんが、唇を噛む。
「……テスト、始めます!」
助監督の声が飛び、撮影準備が始まった。
私はスタジオの隅に置かれた椅子に座る。
見学だけ。
そう、見学だけ。
なのに、蓮さんはカメラの前に立つ直前、こちらを振り返った。
まるで、そこに私がいることを確かめるみたいに。
そして、撮影が始まった。
蓮さんが一歩、踏み出す。
その瞬間、空気が変わった。
さっきまでの彼とは違う。
まるで王だった。
孤独で。
気高くて。
誰にも心を許さない、傷だらけの王。
スタジオ中が息を呑む。
私も、動けなかった。
けれど、その圧に正面から立たされた美羽さんは、明らかに呑まれていた。
「……っ」
セリフが出ない。
もう一度。
また止まる。
三度目には、彼女の指先が震えていた。
「カット!」
監督の声が響く。
美羽さんは悔しそうにうつむいた。
「す、すみません……」
彼女は綺麗だった。
仕草も、表情も、ちゃんと作れている。
でも、蓮さんの孤独に触れた瞬間、全部がほどけてしまう。
形だけでは、届かない。
蓮さんの顔に、疲れがにじんだ。
まただ。
あのカフェで見た、息ができなくなる顔。
周囲の期待。
苛立ち。
焦り。
全部が雑音になって、彼の心を削っている。
(……放っておけない)
私は、思わず立ち上がっていた。
蓮さんと目が合う。
私は何も言わず、ただ微笑んだ。
大丈夫。
息をして。
そう伝えるように。
前世で何度もそうしてきたように、そっと空気を整える。
目に見える光はない。
奇跡みたいな派手さもない。
けれど、荒れていた場の空気が、静かにほどけていく。
「……ソラ」
蓮さんが、低く私の名前を呼んだ。
次の瞬間。
彼は美羽さんの前を通り過ぎ、まっすぐ私の方へ歩いてきた。
「え、あの、蓮さん?」
スタジオ中がざわめく。
蓮さんは私の前で足を止めると、手を差し出した。
「一分だけ、付き合って」
「無理です」
「立っているだけでいい」
「それが一番無理です」
「お願い」
その一言が、ずるかった。
命令じゃなかった。
強制でもなかった。
ただ、本当に助けを求める声だった。
私は逃げられなかった。
蓮さんの手を取る。
その瞬間。
彼の指先から、こわばりが抜けた。
「……やっぱり」
蓮さんが、泣きそうなほど綺麗に笑う。
「君がいると、息ができる」
心臓が、うるさい。
蓮さんは私をカメラの前へ連れていく。
「監督」
「……回してる」
「さすが」
「勝手なことするな。だが、最高だ」
監督が低く笑った。
いや、止めてください。
大人なら止めてください。
そう思うのに、カメラは止まらない。
照明が熱い。
視線が集まる。
逃げたい。
でも、蓮さんが私を見ている。
世界中の何より大事なものを見るみたいに。
「ソラ」
「はい」
「何もしなくていい。俺を見て」
その声に、逆らえなかった。
蓮さんが一歩、近づく。
さっきまでスタジオを支配していた王の孤独が、ふっと形を変えた。
冷たい王ではない。
たった一人を見つけた男の目だった。
「……やっと、見つけた」
台本のセリフなのか、本音なのか分からない。
蓮さんの手が、私の背中に回る。
強くはない。
逃げようと思えば逃げられる。
なのに、逃げられない。
「君がいるだけで、世界が静かになる」
耳元に、低い声が落ちる。
「俺のヒロインは、君だけだ」
スタジオが、静まり返った。
美羽さんが呆然とこちらを見ている。
黒川さんが、額に手を当てている。
監督だけが、食い入るようにモニターを見ていた。
「……カット」
低い声だった。
次の瞬間。
「最高だ」
監督が立ち上がった。
「今の空気、今の目、今の間。作れるものじゃない。これだ。俺が撮りたかったのは、これだ!」
スタッフたちがざわめく。
美羽さんの顔が、悔しさで歪む。
「そんな……ただ立ってただけじゃない……」
その声に、胸が刺されそうになる。
でも、今度はうつむかなかった。
蓮さんが、私の手を握っていたから。
「そうだよ」
蓮さんが言った。
「ソラは、ただ立っていただけだ」
美羽さんが顔を上げる。
「でも、それだけで空気を変えた」
蓮さんは、私の方を見る。
まっすぐに。
「それが才能だ」
胸の奥が、熱くなった。
前世では、地味だと笑われた。
見えない力に価値はないと、切り捨てられた。
でも今。
この人は、私の地味な力を。
見えないまま、ちゃんと見つけてくれた。
「ソラ」
蓮さんが、私の手をそっと持ち上げる。
カメラの前ではなく。
誰に見せつけるためでもなく。
ただ、私にだけ伝えるみたいに。
「君を無理やりスクリーンに立たせるつもりはない」
「……え?」
「出るかどうかは、君が決めて」
その言葉に、息を呑んだ。
「でも、これだけは言わせて」
蓮さんは、少しだけ身をかがめる。
「俺は、君の価値を知ってる」
低い声が、胸の奥に届く。
「前に誰が君を否定したかなんて知らない。でも、俺は否定しない」
「……っ」
前世の処刑台の冷たさが、彼の大きな手の熱で、ゆっくり溶かされていくような気がした。
「君は地味なんかじゃない」
蓮さんが微笑む。
「俺の世界を変えた人だ」
前世で、偽物の聖女として殺された私。
価値がないと笑われた私。
ただ静かに、人を癒やすことしかできなかった私。
その力を。
この世界で、この人は。
国宝級トップ俳優のくせに、誰より真剣な目で、見つけてくれた。
「……考えるだけです」
私は小さく言った。
「出演するとは言ってません」
「うん」
蓮さんは嬉しそうに笑う。
「待つよ」
「本当に?」
「仕事の返事は待つ」
「仕事以外は?」
聞かなければよかった。
蓮さんは、ひどく綺麗に笑った。
「もう好きになってるから」
「……え」
「そこは、待てない」
「最悪です」
「でも、ちゃんと口説く」
「もっと最悪です」
「覚悟して」
胸が、また変な音を立てた。
平穏な女子大生ライフは、たぶんもう戻ってこない。
でも。
前世で否定された私の力が。
今世では、誰かの世界を救う光になるのなら。
少しだけ。
本当に少しだけ。
この非常事態を、悪くないと思ってしまった。
私の地味で平穏なはずだった日々は。
国宝級トップ俳優の熱すぎる視線とともに。
静かに、けれど確かに――
新しい幕を開けてしまった。
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