第9話 偽聖女の本性
騎士団の敗退は、アリシアを激昂させた。
「たかが凡人一人を捕まえられないなんて!」
私室の花瓶が壁に叩きつけられ、砕け散った。
「ア、アリシア殿。落ち着いてください」
クラウスが宥めるが、アリシアの目は据わっていた。
「殿下。あの男を放置すれば、わたくしの立場が危うくなります」
「だが、南方での浄化は実際に人々を救っている。無理に止めれば民の反感を——」
「民の反感?」
アリシアが振り返った。その目に、一瞬だけ人ならぬ光が走った。
「わたくしは聖女です。民はわたくしに従うもの。従わないなら——従わせるまでのこと」
クラウスの背筋に冷たいものが走った。
最近のアリシアは、おかしい。いや、以前からおかしかったのかもしれないが、シオンとの婚約を破棄してから、隠そうともしなくなった。
時折見せる残忍な笑み。人前では完璧な聖女を演じるが、二人きりになると、まるで別人のように冷酷な言葉を吐く。
「殿下」
「……何だ」
「王都の大神殿で、大規模浄化の儀式を行います。民にわたくしの力を見せつけ、あの二人の存在など取るに足らないものだと示すのです」
「大規模浄化だと? そんな余力が——」
「ありますとも。わたくしを誰だと思っているのです」
アリシアは微笑んだ。聖女として国民に見せるのと同じ、完璧な微笑み。だがその裏に潜む感情を、クラウスは初めて恐ろしいと思った。
◇
三日後。王都の大神殿で、聖女による大規模浄化の儀式が執り行われた。
市民が広場を埋め尽くした。聖女の力を間近で見られるとあって、熱狂的な期待が渦巻いている。
「エルティア様の御名において——穢れし大地に清浄なる光を」
アリシアが両手を天に掲げた。白い光が溢れ出す。
だがその光には、わずかに——ほんのわずかに、紫の筋が混じっていた。常人の目には見えない。だが、一人だけ気づいた者がいた。
大神殿の最奥、神官長の間。老齢の神官長テオドールは、儀式の光を見つめて顔を曇らせた。
「……あの光、聖なるものではない」
神官長は長年、本物のエルティアの光を知る数少ない人間だった。先代の聖女に仕え、本物の浄化の光を幾度も見てきた。
アリシアの光は似ている。だが、本質が違う。光の中に紛れ込む闇の気配を、テオドールの老いた目は見抜いていた。
「しかし、誰に言えばよいのだ。聖女を疑うなど、異端として処されかねん」
苦悩する神官長の耳に、噂が届いた。南方で瘴気を浄化している二人組の話。金色の光と白銀の光。
「まさか——エルティア様の、本当の使徒が……?」
テオドールは震える手で一通の書簡を認めた。宛先は、南方辺境。
この書簡が二人の元に届くのは、もう少し先のことだった。
◇
儀式の裏で、アリシアは着々と計画を進めていた。
王都の地下に張り巡らせた瘴気の種。それを一斉に発動させれば、王都は瘴気に包まれる。その時、アリシアだけが「浄化」を行い、自らの力を絶対のものとする——はずだった。
しかし、想定外のことが起きていた。
「力が……足りない?」
夜中、地下の祭壇でアリシアは愕然とした。
シオンから吸い上げていた力。あれが予想以上に大きかったのだ。シオンが傍にいた頃は、彼の中に封じ込めたエルティアの力を少しずつ吸い取ることで、自らの力を補っていた。
だが今、その供給源は絶たれた。しかも南方の瘴気の核まで次々と破壊されている。
「あの男……本当に目障りな……」
アリシアは唇を噛んだ。
計画の修正が必要だった。だが王都の瘴気はすでに育ちすぎている。制御しきれなくなる前に、何とかしなければ。
「仕方ありません。予定より早いですが——」
アリシアの瞳が、完全に紫に染まった。
「邪神様のお力をお借りしましょう」
王都の地下深くで、闇が蠢き始めた。




