第6話 王都の綻び
——同じ頃、王都。
聖女アリシア・セレーヌの私室は、豪華を極めていた。天蓋付きの寝台、絹のカーテン、宝石をちりばめた調度品。聖女に与えられる質素な部屋では到底満足できず、王太子クラウスに頼んで王宮の一角を改装させたのだ。
「アリシア、困ったことが起きた」
クラウスが部屋に入ってきた。その表情に余裕はない。
「まあ、殿下。ノックもなしに。淑女の部屋ですのに」
「それどころじゃない。南方の瘴気が浄化されたという報告が入った」
「……何ですって?」
アリシアの手が止まった。鏡台の前で髪を梳いていた銀の櫛が、わずかに震えた。
「冒険者ギルドの報告だ。辺境の街レーヴェで、新人冒険者が瘴気の核を破壊したと。浄化の光まで目撃されている」
「浄化の光? わたくし以外にそんなことができる者がいるはずがありません」
「俺もそう思った。だが、複数の目撃証言がある。金色と白銀、二種類の光だったそうだ」
アリシアは櫛を置き、鏡に映る自分の顔を見つめた。その目に冷たい光が宿る。
「……まさか」
「心当たりがあるのか」
「いえ。ただの推測です。——殿下、そのことはわたくしにお任せください」
「任せるって、何をする気だ」
「浄化の光を使える者がいるとすれば、それはエルティア信仰に関わること。つまり聖女であるわたくしの管轄です。調査いたしますわ」
クラウスは渋い顔をしたが、結局は頷いた。アリシアに逆らえる者は、王家であっても少ない。聖女の権威は王権にすら並ぶ。
クラウスが去った後、アリシアは一人になった部屋で手を握りしめた。
「シオン……まさかあなた……」
彼を切り捨てた判断は正しかったはずだ。シオンの傍にいるのは窮屈だった。あの男から力を吸い上げる必要もなくなった。もう十分な力を蓄えたのだから。
——だが。
アリシアは指先に黒紫の光を灯した。聖女の白い光ではない。邪神ヴォルドから与えられた闇の力。
「南に置いた瘴気の核が壊された。あれはわたくしの力の供給路の一つ。放ってはおけませんわね」
窓の外を見やる。王都の空は晴れ渡っている。だがこの街の地下深くでは、アリシアが密かに設置した瘴気の種が、ゆっくりと育ちつつあった。
王都が闇に覆われるのは、もう少し先の話だ。
——それまでに、邪魔な芽は摘んでおかなければ。
◇
一方、レーヴェの街。
瘴気の浄化を成し遂げたシオンとリーシャは、ギルドで英雄扱いされていた。
「いや、マジですげえよ兄ちゃん。あの森、A級冒険者でも尻込みしてたんだぞ」
副長が信じられないという顔で報酬の入った袋を押しつけてきた。本来のC級報酬に加え、街の自治会からの特別謝礼まで付いている。
「リーシャの力が大きい。俺だけじゃ瘴気は消せなかった」
「いえ、わたしはシオンさんに助けてもらっただけで……」
「二人とも謙遜するなよ。おかげで森は元通り。東の街道も安全になる」
副長に昼食を奢られた帰り道、リーシャが口を開いた。
「あの……シオンさん」
「ん」
「これから、どうするんですか。シオンさんは、王都を追い出されたんですよね」
「追い出されたというか、自分から出てきた形だけどな」
「わたしの村もまだ瘴気の被害が続いています。他にも、同じように困っている場所がたくさんあると思うんです。その……もし、よければ——」
「一緒に回るか」
「え?」
「同じこと考えてた。南方に瘴気が広がっている原因はまだわかっていない。アリシアが浄化をさぼっているのか、それとも意図的に広げているのか。どちらにしろ、放っておけない」
「シオンさん……」
「それに」
シオンは足を止め、南の空を見上げた。
「リーシャ、お前の村も助けに行かないとな」
リーシャの顔がぱっと明るくなった。
「はい! ありがとうございます!」
「礼を言うのは早い。これからしばらく野宿と戦いの日々だぞ」
「平気です。村で鍛えられましたから」
「頼もしいな」
こうして、二人の旅が本格的に始まった。
行く先々で瘴気を浄化し、魔物の被害から人々を救う。偽聖女に見捨てられた辺境の地に、小さな光が灯り始めていた。
その光はまだ微かだったが——やがて、王都をも揺るがす大きなうねりとなることを、二人はまだ知らない。
『順調ですね、シオン』
その夜、野営の焚き火を見つめるシオンに、エルティアが話しかけた。
——順調かどうかは知らないが、やることが見えてきた感覚はある。
『リーシャの力も目覚め始めています。あの子はとても筋がいい。あなたの傍にいることで、成長の速度が格段に上がっています』
——俺の傍にいると、か。アリシアの時は逆に力を抑え込まれていたのに、皮肉なものだ。
『シオン。一つだけ気をつけてほしいことがあります』
——何だ。
『偽聖女は、あなたたちの存在に気づき始めるでしょう。南の瘴気の核が破壊されたことで、こちらの動きを察知されたかもしれません』
——来るなら来い。
『それは頼もしい限りですが——あなただけの問題ではないのです。リーシャを、守ってあげてくださいね』
シオンは焚き火の向こう側で寝息を立てているリーシャを見やった。旅の疲れで泥のように眠っている。
「……ああ。わかってる」
小さくそう呟いて、シオンは剣を膝に置いたまま夜通し番をした。




