第4話 本物の聖女
安宿の一階にある食堂。向かい合って座った少女——リーシャは、温かいスープを両手で包みながら、ぽつぽつと話し始めた。
「わたしは南のサーラ村の出身です。村はとても小さくて、十軒くらいしか家がないような場所で……」
リーシャは孤児だった。村の教会で育ち、薬草の知識を活かして村人たちの怪我や病の手当をしていたという。
「でも最近、村の近くに瘴気が広がり始めて。作物は枯れるし、魔物は出るし……村の人たちがどんどん弱っていって」
「それで街に助けを求めに来たのか」
「はい。でも、冒険者ギルドに行っても相手にされなくて。お金もないし、身分証もないし……」
リーシャがうつむく。その横顔を見ながら、シオンは内心でエルティアに問いかけた。
——本当にこの子が聖女なのか? 聖女の力があるなら、瘴気くらい自分で浄化できるんじゃないのか。
『力はあります。でも、まだ目覚めていないのです。わたしの祝福は、しかるべき時に、しかるべき者の手で目覚めさせる必要がある。それが——あなたなのです、シオン』
——俺が目覚めさせる? どうやって。
『触れなさい。あなたの力とリーシャの力は対になっている。あなたが手を取れば、眠っている祝福が反応するはずです』
「あの……大丈夫ですか? 難しい顔をされてますけど」
リーシャに覗き込まれて、シオンは我に返った。
「ああ、すまない。少し考え事をしていた。——リーシャ、一つ聞いてもいいか」
「はい」
「お前、不思議な力を感じたことはないか。自分でも説明できないような——」
リーシャの目が見開かれた。
「どうして、それを……」
「やっぱりか」
「小さい頃から、時々手が光ることがあったんです。怪我をした動物に触ると傷が治ったり、枯れかけた花が元気になったり。でも、教会のシスターに話したら『そんなことを言ってはいけません。聖女殿への冒涜になります』って叱られて……。それからは、隠すようにしていました」
シオンは目を閉じた。この少女は、本物の力を持ちながら、偽物がいるせいでそれを隠して生きてきたのだ。
「リーシャ。手を出してくれ」
「え?」
「いいから」
怪訝そうな顔をしながらも、リーシャがおずおずと手を差し出した。
シオンがその手を取った瞬間——
食堂中が、金色の光に包まれた。
「きゃっ——!?」
リーシャが目を丸くする。二人の繋いだ手を中心に、温かな光が波紋のように広がっていく。食堂にいた客たちが驚いて椅子から立ち上がった。
「な、何だ!?」
「光……? まぶしい……」
しかし、誰も不快には感じなかった。光はただ温かく、優しかった。食堂の窓辺に置かれていた萎れた花が、光を浴びた途端に生き生きと咲き誇った。
数秒後、光が収まった。
リーシャは呆然と自分の手を見つめていた。
「何……今の……」
「お前の力だ。リーシャ」
「わたしの……?」
「エルティア様の祝福。お前は——本物の聖女だ」
リーシャの瞳が揺れた。
「そんな。だって、聖女はアリシア様で——」
「あれは偽物だ。本物は、お前なんだよ」
シオンは簡潔に説明した。自分が元公爵令息であること。アリシアに婚約破棄されたこと。そして、創世神エルティアの声が聞こえるようになったこと。
リーシャは混乱した表情で、しかし最後まで静かに聞いていた。
「わたしが、聖女……」
「信じられないだろうが、さっきの光が証拠だ。お前の力は俺の力と共鳴する。つまり、同じ神から授かったものだということだ」
『その通りです。シオンとリーシャ。あなたたちは、わたしが選んだ二つの柱。支え合い、補い合うように設計された存在です』
エルティアの声が、今度はリーシャにも聞こえたらしい。
「い、今の声——」
「聞こえたのか」
「はい……とても温かい声が……」
『リーシャ。ようやく会えましたね。ずっとあなたを見守っていましたよ』
リーシャの目に涙が浮かんだ。
「わたし、ずっと変だと思っていました。この力はおかしいものだと、誰にも言えなくて……。でも、おかしくなかったんですね」
「ああ。おかしくない。むしろ、これがお前の本当の姿だ」
涙を拭うリーシャを見ながら、シオンは決めた。
「明日、東の森に瘴気退治に行く。リーシャ、お前も来るか」
「わたしも……?」
「お前の村もそうだったんだろう。瘴気の浄化は聖女の力で強化されるはずだ。それに——これからのことを決めるにも、まず自分の力を知った方がいい」
リーシャは数秒考え込んだ後、顔を上げた。まだ涙の跡が残る頬に、小さな決意が灯っていた。
「わたしも行きます。村のみんなのためにも、この力が本物なら——使えるようになりたいです」
「決まりだ」
シオンは初めて、はっきりと笑った。
不思議な夜だった。
つい一週間前まで、自分は不要だと言われた凡人だった。それが今、神様に選ばれたと告げられ、本物の聖女と出会い、瘴気退治に向かおうとしている。
人生は何が起こるかわからない。
——いや。
シオンは傍らで懸命にスープを飲み干すリーシャを横目で見ながら、小さく思った。
——ここからが、本当の始まりなのかもしれない。




