第3話 辺境の街で
辺境の街レーヴェは、王都とは比べ物にならないほど小さな街だった。
石造りの低い建物が並び、街の中心には古びた噴水がある。だが活気はあった。南方の魔物の森に近いこの街は、冒険者や商人が行き交う要所でもある。
シオンが街に着いたのは、出発から六日目の昼過ぎだった。
「まずは冒険者ギルドで仕事を探すか」
金はもう残りわずかだ。神様に選ばれたと言われても、腹は減る。
ギルドの扉を開けると、昼時だというのに中は騒がしかった。冒険者たちが集まり、何やら口々に話し込んでいる。
「またか……」
「もう三度目だぞ。ギルドは何をやってる」
「近づいた冒険者が五人も重傷だ。C級の依頼じゃ手に負えねえよ」
受付に行き、状況を聞いた。
「ああ、最近、街の東にある森で瘴気が噴き出しているんです。魔物が凶暴化して、周辺の村にまで被害が出ていて……」
受付嬢が困り顔で説明する。
「浄化が必要なんですが、この街には聖職者がいなくて。王都に要請を出しているんですが、聖女殿はお忙しいとかで——」
「聖女殿が来ないなら、どうにもならんのか」
「はい……瘴気の浄化ができるのは、聖女殿の祝福を受けた者だけですから」
シオンは顎に手を当てた。
——俺の力で、瘴気の浄化ができるか?
『できますよ』
頭の中にエルティアの声が響いた。最近はかなりスムーズに会話できるようになっている。
『あなたの力は聖女の浄化とは比べ物にならないほど強いものです。瘴気程度なら一瞬で消し飛ばせるでしょう。ただし——』
——ただし?
『力の加減をまだ覚えていないので、やりすぎないよう気をつけてくださいね。森ごと消し飛ばしたら困るでしょう?』
——それは確かに困る。
シオンは依頼書を手に取った。瘴気調査の依頼。報酬はC級相当。
「この依頼、受けたい」
「え? あの、冒険者ランクは……」
「登録はまだだ。今からでもいいか」
「新規の方はE級からになりますので、C級依頼は受けられないんです。すみません……」
そこに、背後から声がかかった。
「おい兄ちゃん。E級の新人が瘴気退治? 寝言は寝て言えよ」
振り返ると、いかつい体格の男が腕を組んで立っていた。冒険者ギルドの副長だという男は、シオンを上から下まで値踏みするように見た。
「見たところ貴族崩れか。剣はまあまあ良いもの持ってるが、腕が伴ってなきゃ意味がねえ」
「副長さん、もう少し言い方ってものが——」
「事実を言ってるだけだ。お嬢ちゃんは黙ってろ」
シオンは気にしなかった。こういう反応には慣れている。いや、慣れすぎている。
「なら、実力を見せればいいのか」
「は?」
「ギルドの実力査定があるだろう。受けさせてくれ」
副長は目を細めた。
「……いい度胸だ。裏庭に来い」
◇
ギルドの裏庭。簡易的な訓練場だ。
副長が木剣を投げてよこした。シオンはそれを片手で受け取る。
「ルールは簡単だ。俺に一撃でも入れられたら、C級依頼を受けることを認めてやる」
副長もB級冒険者だ。経験も腕も確かだろう。王都にいた頃のシオンなら、間違いなく敵わなかった。
だが——今は違う。
構えた瞬間、シオンは自分の体の変化に気づいた。
視界が広い。副長の重心の位置、呼吸のリズム、筋肉の微細な動き。すべてが手に取るようにわかる。
「行くぞ」
副長が踏み込んだ。速い。だがシオンにはスローモーションのように見えた。
横薙ぎの一撃を紙一重で避け、懐に入る。木剣の先が副長の喉元で止まった。
一瞬の出来事だった。
「な——」
副長が硬直した。周りで見ていた冒険者たちも口を開けている。
「……冗談だろ。今の動き、B級どころじゃねえぞ」
シオンは木剣を下ろした。自分でも驚いていた。こんなに体が動くのは初めてだ。
『ふふ。あなたの身体能力は元々高かったのです。封印で抑え込まれていただけ。これでもまだ三割程度しか戻っていませんよ』
——三割でこれか。
「認めてもらえるか?」
「……ああ。文句なしだ」
副長は頭を掻きながら、観念したように頷いた。
「瘴気の依頼、受けてくれ。つーか、頼むから受けてくれ。あの森を放っておいたら街がやべえんだ」
「わかった。明日、東の森に向かう」
「一人でか? さすがに護衛をつけた方が——」
「いや、一人で大丈夫だ」
副長は何か言いかけたが、先ほどの一幕を思い出したのか、黙って頷いた。
ギルドを出て、安宿に向かう。夕暮れの街を歩いていると、路地の奥から小さな悲鳴が聞こえた。
「——やめてください!」
反射的に駆けつけたシオンが見たのは、三人の男に囲まれた少女だった。
フードを目深に被り、粗末な旅装をしている。年はシオンより少し下——十六、七歳くらいだろうか。
「おいおい嬢ちゃん、この街の通行料を払ってもらわねえと」
「そ、そんなもの聞いていません……」
「知らなかったじゃ済まねえんだよ。身ぐるみ置いていくか、それとも——」
「それとも、何だ?」
シオンの声に、三人が振り返った。
「なんだてめえ」
「通りすがりの無職だ。三対一は趣味が悪いと思ってな」
「邪魔すんじゃねえよ!」
男の一人が拳を振り上げた。シオンは溜息をつきながらその拳を掴み、軽くひねった。鈍い音と共に男が膝をつく。残りの二人は、仲間の惨状を見て青ざめ、脱兎のごとく逃げ出した。
「怪我はないか」
シオンが手を差し伸べると、少女はフードの下からこちらを見上げた。
大きな琥珀色の瞳と目が合った。
その瞬間——シオンの胸の奥で、金色の光が脈打った。
『シオン。この子です』
エルティアの声が、静かに、だが確信に満ちて響いた。
『わたしが選んだ、本物の聖女。この子がリーシャです』
少女は戸惑ったようにシオンを見上げ、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……助けてくださって、ありがとうございます」
「ああ。——少し、話を聞かせてもらえるか」
夕暮れの路地裏で、運命の出会いは静かに始まった。




