第15話 新たな旅路
事件から三日後。
王都は混乱の渦中にあった。偽聖女の発覚は国家を揺るがす大事件となり、大神殿の体制刷新、アリシアの協力者の洗い出し、そして新たな聖女の認定など、やるべきことが山積みだった。
クラウスが二人を王宮に招いたのは、そんな最中のことだった。
「シオン。そしてリーシャ殿。改めて礼を言いたい」
謁見の間でクラウスは深く頭を下げた。王太子が頭を下げるなど、前代未聞のことだった。
「俺はアリシアに騙されていた。彼女の言葉を信じ、お前を切り捨て、偽りの聖女に国を委ねた。——すまなかった」
「……顔を上げてくれ、殿下」
「クラウスでいい。もう、殿下面する資格もない」
「なら、クラウス。一つだけ聞かせろ。今後、この国をどうするつもりだ」
クラウスは顔を上げた。その目には、以前の傲慢さはなかった。代わりにあったのは、自らの過ちを受け止めた人間の覚悟だった。
「まず大神殿の改革を行う。テオドール神官長に全面的な協力を仰ぐ。そして——リーシャ殿を正式な聖女として迎え、国を立て直したい」
「わたし、ですか……?」
リーシャが目を瞬かせた。
「あなたの力は本物だ。民もそれを目の当たりにした。王都だけでなく、全土の瘴気問題を解決するためにも、あなたの力が必要なんだ」
リーシャは困った顔でシオンを見た。
「えっと……」
「好きにしていいぞ」
「で、でも——」
「リーシャの意思で決めることだ。俺がどうこう言う話じゃない」
リーシャは少し考え、それからクラウスに向き直った。
「クラウス殿下。ありがたいお話ですが——今はお受けできません」
「なぜだ」
「わたしはまだ、自分の力を十分に制御できていません。聖女という重い役目を引き受けるには、もっと力を磨き、もっと多くのことを学ぶ必要があります」
「しかし——」
「それに」
リーシャは一度言葉を切り、それから静かに、しかしはっきりと言った。
「わたしは、王宮に閉じこもって祈るだけの聖女にはなりたくないんです。この国には、まだ瘴気に苦しんでいる場所がたくさんある。辺境の人たちは、今も助けを待っている。わたしは自分の足で歩いて、自分の手で人を救いたい。——だから今は、もう少しだけ、旅を続けさせてください」
クラウスは驚いた顔をし——それから、小さく笑った。
「なるほど。アリシアとは正反対だな」
「すみません……」
「謝ることじゃない。むしろ、それでこそ本物の聖女だと思う。——わかった。待とう。いつでも帰ってきてくれ。この国は、あなたたちを待っている」
クラウスがシオンを見た。
「シオン。ヴァルシュタイン公爵家の件だが——」
「いらない」
「まだ何も言ってない」
「爵位の復活だろう。いらない。公爵家の跡取りに戻る気はない」
「……そうか」
「ただし一つだけ頼みがある。父上に伝えてくれ。俺は元気でやっていると」
クラウスが頷いた。
謁見の間を出ると、廊下でテオドールが待っていた。
「お二人とも、旅を続けるのですね」
「ああ。南方以外にも、まだ瘴気の報告がある。東方にも西方にも。アリシアが仕掛けた核がすべてとは限らない」
「その通りです。むしろ——」
テオドールが声を潜めた。
「わたしが調べたところ、アリシアの背後にいた邪神ヴォルドの影響は、この国だけに留まらないようです。隣国や、さらにその先の国々でも、類似の瘴気汚染の報告がある」
「国外にも、か」
「ヴォルドの眷属はアリシアだけではない可能性があります。他の国にも、偽りの聖職者が潜んでいるかもしれない」
シオンは窓の外を見やった。王都の向こうに広がる大地。その先に続く、まだ見ぬ世界。
『シオン』
エルティアの声が響いた。
『テオドールの言う通りです。ヴォルドの脅威はまだ終わっていない。アリシアは倒しましたが、邪神そのものは健在です。この世界を——いえ、世界を越えた脅威が、まだ存在している』
——つまり、まだやることがあるってことか。
『ええ。でも、急ぐ必要はありません。あなたたちのペースで、一歩ずつ進めばいい。わたしはいつでもあなたの傍にいますから』
——相変わらず過保護な神様だな。
『大切な子ですもの』
シオンは小さく笑った。
◇
王都の南門。
シオンとリーシャが旅立つ朝。門の前には見送りの人々が集まっていた。
テオドール、ギルドの副長、レーヴェの受付嬢、そして——クラウスまでもが私服で来ていた。
「行ってくるよ」
「ああ。武運を祈る」
クラウスが手を差し出した。シオンは一瞬驚き、それから握り返した。
「……皮肉だな。お前と握手する日が来るとは」
「ほんとにな」
二人とも、少しだけ笑った。
リーシャはテオドールに深く頭を下げた。
「テオドール様。お世話になりました」
「身体に気をつけて。困ったことがあれば、いつでも大神殿に連絡してください」
「はい。必ず」
二人は南門をくぐり、大街道を歩き始めた。
朝日が眩しい。空は澄み渡り、風は穏やかだった。
「シオンさん」
「ん」
「次はどこに行きましょうか」
「そうだな。東方で瘴気の報告があるらしい。まずはそこを目指すか」
「はい!」
リーシャが弾むように歩く。その横で、シオンも自然と歩調を合わせた。
一ヶ月前、この門を一人でくぐった時とは、何もかもが違っていた。あの時は行く先も目的も何もなかった。今は——隣に仲間がいて、進むべき道がある。
「シオンさん」
「何だ」
「わたし、思うんです。シオンさんがアリシアに捨てられたのは、きっと必要なことだったんだって」
「はは。ずいぶん前向きな解釈だな」
「だって。あの日、シオンさんが王都を出なければ、わたしたちは出会えなかった。神様の声も聞こえなかった。辺境の村も救えなかった。全部、あの日から始まったんです」
「……そうかもしれないな」
「だから——ありがとうございます。わたしを見つけてくれて」
リーシャが微笑む。朝日に照らされたその笑顔に、シオンは不覚にも目を逸らした。
「……礼を言うのは俺の方だ。お前がいなかったら、俺は今でもただの無職の元貴族だ」
「ふふ。じゃあ、おあいこですね」
二人の影が、街道の上に長く伸びていた。
前を向いて歩く、二つの影。
世界はまだ広く、脅威はまだ続いている。邪神ヴォルドの影は他国にも及び、偽りの聖職者たちが暗躍しているかもしれない。シオンの力もまだ完全には戻っていない。
だが、それでいい。
一歩ずつ、一つずつ。
金色の剣と白銀の聖女は、新たな旅路を歩み始めた。
——これは、不要と捨てられた男と、隠されていた本物の聖女の物語。




