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偽聖女に捨てられた公爵令息ですが、神様に溺愛されているので全く困っていません  作者: 月代


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第1話 「不要」と告げられた日


 王宮の大広間に、アリシア・セレーヌの透き通った声が響いた。


「シオン様。あなたとの婚約は、本日をもって解消させていただきます」


 壇上に立つ彼女の背後には、王太子クラウスが腕を組んで控えている。その表情には、隠しきれない優越感が浮かんでいた。


 シオン・ヴァルシュタインは、一瞬、自分の耳を疑った。


「……理由を聞いても?」


 努めて冷静に問いかける。周囲に居並ぶ貴族たちの視線が、針のように肌を刺していた。


「理由? そんなもの、明白ではありませんか」


 アリシアは淡い金髪を揺らし、哀れむような微笑を浮かべた。聖女として国中から崇められる彼女の微笑みは、いつだって完璧だ。


「あなたには、聖女の伴侶たる資格がないのです。魔力は平凡、剣の腕も騎士団では中の下。ヴァルシュタイン公爵家の名がなければ、誰があなたを顧みるでしょう?」


 大広間にざわめきが広がった。


 シオンは唇を引き結んだ。反論したいわけではない。彼女の言うことは、概ね事実だった。


 魔力測定では常に「微弱」の判定。剣術の訓練でも同期に後れを取り、「公爵家の名に守られた凡人」と陰で囁かれていることも知っている。


「クラウス殿下がわたくしの護衛を務めてくださることになりました。殿下こそ、聖女の隣に立つにふさわしいお方。シオン様には……申し訳ないけれど、わたくしの隣にいていただく必要はもうありません」


「つまり、俺は不要だと」


「ええ」


 アリシアは一切の躊躇なく頷いた。


「不要です」


 その二文字が、大広間に残酷なほど明瞭に反響した。


 クラウスが一歩前に出た。


「ヴァルシュタイン。聖女殿の決定に異議はないな? そもそも、お前では聖女の護衛は荷が重すぎた。これは国のためでもある」


 周囲の貴族たちが頷く。誰一人、シオンの味方をする者はいなかった。


 ——ああ、そうか。


 シオンは静かに息を吐いた。胸の奥で何かが音を立てて切れた気がした。怒りではない。悲しみでもない。もっと深い場所にあった、何かへの執着が、ぷつりと途切れたのだ。


「わかった」


「……は?」


 あまりにあっさりとした返答に、アリシアが目を瞬かせた。もっと取り乱すと思っていたのだろう。あるいは、縋りつくと。


「婚約の解消を受け入れる。聖女殿とクラウス殿下のご多幸をお祈りしている」


 シオンは形式通りの礼をとり、背を向けた。


「ま、待ちなさい。それだけ? 何か言うことは——」


「特にない」


 振り返らずに答える。大広間の扉に手をかけた時、背中にアリシアの苛立った声が届いた。


「後悔しても遅いのですからね! わたくしなしでは、あなたはただの凡人なのですから!」


 シオンは足を止めなかった。


 扉を閉め、長い廊下を歩く。靴音だけが響く静寂の中、ふと、胸の奥に温かい光が灯った。


 ——ずっと感じていた違和感。アリシアの傍にいると、まるで透明な壁に閉じ込められているような息苦しさ。それが今、嘘のように消えている。


「……なんだ、これ」


 立ち止まり、自分の手を見つめた。かすかに——本当にかすかに、指先が淡い金色の光を帯びていた。


 見間違いかと思い、目を擦る。光はすでに消えていた。


「気のせい、か」


 首を振り、再び歩き出す。


 向かう先は、ヴァルシュタイン公爵邸。だが、シオンにはわかっていた。聖女に切り捨てられた息子を、あの父が許すはずがない。


 ——公爵家にも、きっと俺の居場所はもうない。


 それでも不思議と、足取りは軽かった。


  ◇


 予想通りだった。


「勘当だ」


 父——ヴァルシュタイン公爵は、執務室の椅子に座ったまま、書類から目も上げずにそう言った。


「聖女殿に見限られるような無能を、公爵家の跡取りに据えておくわけにはいかん。明日までに荷物をまとめろ」


「……はい」


「名前もだ。今日からお前は、ヴァルシュタインの姓を名乗ることを禁じる」


 母はとうに亡く、兄弟もいない。使用人たちは目を伏せ、誰もシオンを見ようとしなかった。


 部屋に戻り、最低限の荷物をまとめた。剣と、旅装と、母の形見の小さなペンダント。それだけだった。


 翌朝。まだ薄暗い時刻に、シオンは公爵邸の裏門を抜けた。


 王都の街並みが朝霧に煙っている。門を出れば、もうここに戻ることはないだろう。


「さて……どこに行くか」


 あてはない。金もわずか。けれど——


 また、指先がかすかに光った気がした。今度は少しだけ長く。


「……本当に、なんなんだこれ」


 首を傾げながらも、シオンは王都の門へと歩き出した。


 この時の彼は、まだ知らなかった。


 自分の中に眠る力が何なのか。

 そして、その力が世界にとってどれほどの意味を持つのかを。

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